誰かに呼ばれた。
普段なら絶対に起きることはないであろう時間に目を覚ました理由を、トウヤは天井にそう説明した。
服を着替えることもせず抜け出したポケモンセンターの外では、星明りも見えないほどに街灯がきらめき、光を放つ街の隙間からは漆黒に染まった空が見える。
人の気配はない。 ぼんやりとトウヤが気の向くままに歩いていると、不意に覚えのあるイシシッという笑い声が聞こえ、めまぐるしく目の焦点の位置が変わった。
「オマエは、何者だ?」
ゾロアが喋った。 それほど驚いていない自分に驚いていると、トウヤは背後に人の気配を感じ、振り返る。
「どこからきて、どこへ行くのか。」
茶髪で長髪の女性と、背は高いが線の細い男性。 トウヤの実の父と母だ。
理解する。 これは夢だ。 幼かったとはいえ、施設に入れられたときに説明された言葉を理解出来ないほど、トウヤもバカじゃない。
記憶の中ではおぼろげであった両親の姿をひとしきり眺めると、トウヤは目を閉じてふたりに祈った。
霧が晴れるように若い夫婦の姿が消える。
「なにが真実で」
代わりにベルが、
「なにが偽りか」
チェレンが。
「幻を見つめ続けたオマエに見分けられるか?」
暗闇の中から浮かぶように現れたトウコに尋ねられ、トウヤの心はざわついた。
服の前を握り締め、唇を噛むと、今にも消えそうなトウコの姿に向かって叫ぶ。
「幻なんかじゃない!」
目の前のトウコは驚いたように少し目を見開いた。
「トウコちゃんの声は、確かにボクをここまで導いてくれた。
ここにきて確信してる。 チェレンもベルも幻だと言ったあのトウコちゃんは、本物のトウコちゃんなんだ!」
「しかし、彼女は谷の底へと落ちた……それもまた、真実。」
大きな気配に気付いて振り向くと、プラズマ団のゲーチスがトウヤのことを見て笑っていた。
トウヤはトウコをかばうようにゲーチスの前に立ちはだかる。
「確かに、シリンダーブリッジから落ちたのは間違いない。
だけど、一緒に、同じように落ちたゾロアークが生きてるんだ。 トウコちゃんだって絶対に生きてる!」
「その意思で、オマエは何を見つける?」
振り返ると、Nがいた。 いつもと変わらぬ悲しそうな目で見つめる相手に視線を合わせると、トウヤは睨むように相手に向き合って握った拳に力を入れた。
「残り1つのバッジをゲットして、ポケモンリーグに行って、Nに人とポケモンを離すのを止めるよう説得してからトウコちゃんを探す。
トウコちゃんだってポケモントレーナーだから、ポケモンと離れ離れなんて悲しい思いさせられないし、もしかしたらプラズマ団にトウコちゃんのポケモンが取られてるかもしれない。
……いや、まず間違いなく取られてるんだと思う。 それを探してからじゃないと、たとえ会えたってトウコちゃんは悲しい思いするはずだから。」
「姉のことが1番ではなかったのか?」
「もちろん、急ぐよ。 この間の事件の後、トウコちゃんはゾロアークと一緒にアジトに乗り込んだ可能性が高いし。
だけど、身体のことはそんなに心配はしてない。
あれから1年経ってるんだ。 生きてるなら誰かが、トウコちゃんの身体を守っているはず。 たとえば、病院とか。」
「真実を」
表情を変えぬNの向こうに、大きなポケモンの影を見る。
あのポケモンは、危険だ。 頭の中で鳴り続けるシグナルに、トウヤは思わず腕を振り回した。
「トウヤ……トウヤ!」
カシャン、と鳴った音に目を見開くと、トウヤが眠りにつく前と変わらぬ景色がそこにあった。
寝ぼけた目で辺りを見渡すと、ゆうべサイドボードに乗せたはずのライブキャスターが床に落ちている。
チカチカと点滅するそれを手に取ると、いつの間にか通話状態になっていた画面には長い髪を下ろしたアロエの姿が浮かび上がっている。
「アロエさん! 意識が戻ったんですね。」
「あぁ、旦那から聞いたよ。 またしてもアンタに助けられたみたいだね。
アンタのことだから、胃がとろけるほど心配したろ? アタシはもう大丈夫さ、この通り、ね。」
そう言ってウインクしたアロエの後ろでは、キダチが気の弱そうな笑みを浮かべて手を振っていた。
2人ともプラズマ団ともみ合いの争いになって入院したと聞いていたが、この様子ならひとまずは大丈夫そうだ。
「あの、アロエさん。 すみませんでした、勝手にストーン持ってっちゃって……」
「いいんだよ。 あのまま置きっぱなしにしといて、またプラズマ団に博物館壊されちゃたまんないしね。
トウヤ、セッカから出発したってことは今ソウリュウシティの辺りだろ?
ソウリュウのジムリーダーはドラゴンポケモンの使い手さ。 伝説のドラゴンポケモンの使い方、たっぷり教えてもらいな!」
「えっと、それを言うためにわざわざ連絡を……?」
戸惑った顔をしたトウヤが尋ねると、アロエは一瞬分厚い唇を口の中に隠した。
苦い顔……という表現が近いのかもしれない。 何かを言いにくそうに視線を惑わせると、アロエは眉を潜めて低い声でトウヤへと尋ねた。
「トウヤ……あんた、あの事件の後、アララギを……アララギの娘を見たかい?」
「アララギ博士を?」
まだ少し寝ぼけていた目が瞬く。 シッポウの博物館までトウヤを呼んだのが、そのアララギ博士だったはずだ。
プラズマ団を追い払った後、休む暇もなくトウヤはヒデアキとモーガンからの着信でシリンダーブリッジへと向かった。
だから、その場に誰がいたか、いなかったか、知らないし確認もしていない……そう伝えると、アロエは不安そうな顔をしてスピーカーからも聞こえるような大きなため息をついた。
「そうか……いやね、ストーンが本物かどうか調べるために、あの場にアララギも来てもらってたんだよ。
だけど事件の後、誰も姿を見ていないっていうんで……ちょっと心配でね。」
「そう……ですか。」
何か言おうとトウヤが口を開きかけた瞬間、通話中のライブキャスターから電子音が鳴り、トウヤは跳ね上がった。
割り込んできた通信を画面の右側に映すと、見慣れたメガネがチラチラと画面の上を見上げながらトウヤへと話しかけてくる。
「チェレン!」
「トウヤ、今ソウリュウシティだよね。
今すぐ外に出てきてくれないか? ちょっと……大変な状態になってるみたいだ。」
それだけ言うと、チェレンが映っていた画面はすぐに砂嵐へと切り替わった。
ヘソの下辺りに嫌な予感が渦巻いている。 画面を睨んでいるアロエに短く別れの言葉を言うと、トウヤは上着だけ羽織ってポケモンセンターの外へと飛び出した。
「そうなのです!
我らが王、N様は伝説のポケモンと力をあわせ! 新しい理想の国を作ろうとなさっています!
これこそイッシュに伝わる英雄の建国伝説の再現!」
ドアを開けた途端に流れ込んでくるスピーカーの大音量に、トウヤは一瞬白くなりかけた視界をはっきりさせようと強く目をつぶった。
日も高く昇ったきらびやかな街のメインストリートには人だかりが出来、冷え切って乾燥した風がピリピリとトウヤの頬に電流を走らせる。
音の方向を探して視線をさ迷わせていると、誰かに肩を叩かれる。
振り返ると、チェレンがいた。 ふわふわとした白い息を吐き出しながら、西の方角をにらんでいるように見える。
「あ、おはよう。 チェレン。」
「やっぱりここだったか。 今、アデクさんがプラズマ団を見張ってるよ。」
上着の前を閉めながらチェレンの後をついて走ると、人ごみの中で獅子のようなボサボサ頭をかきながら人だかりの中心をにらみつけているアデクのところへと通される。
ポケモンセンターの前からでも聞こえていた音は一層大きくなり、その音の主は、もはや手を伸ばせば届きそうなほど近いところにいる。
「ポケモンは人間とは異なり、未知の可能性を秘めた生き物なのです。 われわれが学ぶべきところを数多く持つ存在なのです。
そのすばらしさを認め、われわれの支配から解放すべき存在なのです!」
「アデクさん。」
「おお、トウヤか。 こちらだ。
ウソつきゲーチスめ。 みなをたぶらかそうと、必死に弁舌を振るっておる。」
「いかに口が回ろうと、言葉だけじゃ弱いかもしれない。
……だけど、アレを見たら、聴衆たちの意思は揺らぐかもしれない。 ……そうですよね?」
「アレって?」
トウヤが尋ねると、チェレンは街の中心部にある竜の形をした建物を指し示した。
大音量のスピーカーから流れる音さえもかき消すほどの大きな咆哮が聞こえ、鼓動も不確かになるような振動がビリビリと肌の上を伝っていく。
破壊された入り口の奥から現れた漆黒のポケモンに、ソウリュウシティの人間たちはざわめいた。
伝説のポケモン、ゼクロムはNを背中に乗せ、北の方角へと飛び去っていく。
まるで夢でも見ているかのような光景にトウヤがあっけに取られていると、ざわめきの向こう側から小さな女の子の悲鳴が聞こえてきた。
「おじいちゃん! シャガおじいちゃん!!」
「あれ……アイリスちゃん?」
日焼けした小さな身体に、腰まで伸びた良く言えば豊かな髪は見間違えるはずもなかった。 以前、ヒウンシティでベルと一緒にいたアイリスだ。
がっしりとした体つきの男が即席で作られた担架に乗せられ、運ばれていく。
その後を追いかけていくアイリスを見送っていると、トウヤは周りを取り囲んでいるソウリュウの空気が変わったことに気付く。
「今の、シャガさん……?」
「ドラゴン!?」
「ねーねー!
Nってひと、伝説のポケモンを連れていたから英雄だよね! 世界を変えちゃうんだよね!」
「伝説のポケモンはイッシュのシンボル……
ということは、プラズマ団は正しいのか……? わからん。」
トウヤはざわめく観衆たちに目を向け、キンキン声で叫びながら担架を追いかけるアイリスを見ると眉を潜めてその場から離れる。
「……どこに行くんだ、トウヤ?」
出来るだけ静かに動いたつもりだったが、隣にいたチェレンは気付いたようで後からついてきた。
冷え切った足元がチクチクと痛む。 まだプラズマ団に気付かれていないとは思うが、それでも残してきたものの存在を考えると気が気ではない。
「ポケモンセンターに戻るんだ。」
「この状況を放っておくのか?」
「違うよ。 放っとくんじゃない、『ポケモンセンターに戻る』んだ。」
首をかしげたチェレンを置いてトウヤはポケモンセンターに向かう足を早める。
振り返ると、壇上のゲーチスが長い腕を広げ、朗々と集まった人々に向かって演説を続けていた。
「われわれプラズマ団とともに新しい国を!
ポケモンも人も、みんなが自由になれる新しい国をつくるため、みなさん、ポケモンを解き放ってください。
というところで、ワタクシ、ゲーチスの話を終わらせていただきます。
……ご清聴、感謝いたします。」
スピーカーの音に整えられていたざわめきが大きくなると、トウヤはサンダル履きの足を叩きながらポケモンセンターの中へと滑り込んだ。
やたらと機械の多いポケモンセンターの中は、出てくる前とほとんど変化はない。
少しホッとして自室に戻ろうとした瞬間、トウヤは後ろから飛び込んできた女性に突き飛ばされた。
それほど痛みはないが、履物が脱げて素足が冷えた床に触れる。 トウヤを突き飛ばした女性はそんな彼のことを気にしながらも、飛ぶように受付へと走って職員の呼び出しボタンをめちゃくちゃに叩きまくった。
「職員さん!! ボンちゃんは、あたしのボンちゃんは!?
お願い、早く返して!!」
ただごとではない様子の女性に急かされるように飛び出してきた職員からもさもさしたヒナのようなポケモンを受け取ると、彼女はそれを潰れそうなほど強く抱きしめた。
こけた弾みで飛んでいったサンダルを拾って戻ってきたトウヤが呆然とそれを見ていると、女性はパジャマ姿のトウヤに気付き、ポケモンを抱えたまま駆け寄ってくる。
「ボウヤ、ごめんね。 あたし、動揺してて……」
「あ、えっと……大丈夫です。」
トウヤが拾ったサンダルを履きなおすと、女性は抱えたポケモンの羽毛をふかふかしながらトウヤへと話しかけてきた。
「さっき、外でプラズマ団って人たちが演説しててね。 ポケモンは人間から解放されなくちゃいけないんだって。
その話聞いてたら、検診で預けてたボンちゃんのこと思い出しちゃって……」
「かわいいポケモンですね。」
「道路1つ挟んだチャンピオンロードに生息してるポケモンだから、この辺じゃあんまり珍しくないのよ。
ワシボンっていうの。 ヒナのうちはかわいいポケモンだけど、進化したら車も運んじゃうくらいすっごく力強いポケモンになるのよ。」
女性に抱えられたワシボンがみにゃあ、と鳴き声をあげる。
ワシボンは女性に抱えられても嫌がる様子1つなく、ふわふわの毛並みを見てトウヤは彼女がこのポケモンをとても可愛がっているのだろうな、と思う。
「ボンちゃんはね、仕事から帰ってきたあたしのことをいつも癒してくれるのよ。
ポケモンがいないとあたし、寂しくてダメになっちゃう。 だけど、それってポケモンを利用してるだけなのかな……?
さっきの人たちの話聞いてたら、わからなくなってきちゃった……」
「……だったら、考えればいいんじゃないですか?」
少し間を置いてトウヤがそう言うと、女の人はワシボンを抱えたまま不思議そうに目を瞬いた。
冷え切った膝の上で腕を組みなおしてワシボンへと視線を向けると、トウヤは1度考える仕草をしてから彼女へと視線を向けなおす。
「プラズマ団の言うこと……Nの言うこと、ボクも考えました。
だけど、イッシュを旅してきて、いろんな人に会って、いろんなポケモンに会ったから……
うらやましいくらい仲がいいポケモンとトレーナーにも、プラズマ団が言うような、ポケモンがかわいそうだと思うような扱いをするトレーナーにも会ったから……
……答えは、まだ出ていないんです。
だから、考えればいいんじゃないかなって……ボク、思うんです。」
女性はキツネにつままれたような顔をすると、抱えているワシボンに目を向けてからうつむいた。
通りに人の流れが戻り始めている。
トウヤは自動ドア越しの光景を見て前髪を軽くなでつけると、ライトストーンを守るため、自分の部屋へと急いだ。
続きを読む
戻る