薄曇りの空から太陽が少しだけ顔を出した頃、それはまるで頼りない小さな部屋の明かりのように、空のてっぺんからぼんやりとした光で世界を照らしていた。
灰色みを帯びていたメブキジカの胸元の毛が、薄明かりを跳ね返しキラキラと輝いている。
その背中に揺られていたトウヤは規則的な足音が次第にゆっくりとしたリズムへと変わっていくのを感じながら、巨大な山のふもとにそびえるいかつい建物へと視線を向けていた。

「……ソウリュウシティから続く10番道路の先に、バッジチェックゲートがある。
 チャンピオンを目指すものはそこで持っているジムバッジを確かめ……いわば、ここまでに来た旅路を試されるんだ。
 ゲートを抜けたら、そこには強力な野生のポケモンが生息するために一般のトレーナーは通行を禁じられている山……通称チャンピオンロードがそびえたっている。」


「チェレンの言っていたとおりだ……」
小さな声を聞き取ろうとするように、メブキジカはずっと走り続けていた足を止めて細工の施された高い壁へと顔を向けた。
森を切り拓いて作られた道も次第に広くなり、ゲートの前まで来た今、ずっと遠くまで見通せる。
切り立ったガケの谷間に作られた建物の入り口には、伝説のポケモンを模した彫刻が2体鎮座していた。
「大丈夫、シャガさんもアイリスちゃんもきっと無事だよ。」
おどおどと振り返るメブキジカと視線を合わせると、トウヤたちは2体の彫刻の間を走り抜けた。
通路が石畳へと変わるとトウヤはメブキジカをモンスターボールへと戻し、ミルク色の大理石で出来たアーチの下を潜る。
山から吹き降ろす風が、狭い通路の中でトウヤの身体を押し返す。
帽子を押さえ上着の前を掴み、目を細めて1歩ずつ進む。
薄暗がりに目が慣れる間もなく、トウヤはサッカーグラウンドほどの大きな広場へとやってきていた。
正面には巨大な扉が1つ。 それ以外は何もない、まっさらな荒地だ。
風の音が耳元で渦巻いていた。


「ねえ、やっぱりおかしいよ! トウコちゃん、どれだけ心配かけたって1ヶ月に1回は家に連絡入れてたじゃない!」
「……ベル、トウコの無鉄砲さはキミだってよく知ってるだろう?
 トウヤはいもしない彼女の幻覚を見てるみたいだし……あまり縁起でもないことばかり言うのはやめてほしいんだけど。」
噂話を漏れ聞いたトウヤの唇はボロボロだった。
あのときは、自分がチェレンの憧れるチャンピオンと肩を並べるほどのトレーナーになるなんて思っただろうか。

小さく首を振って前を見ると、トウヤは後ろ手を組んで扉の前に立つ門番にゆっくりと近づいていった。
「あの……」
「……トライバッジを。」
声とも言えないほどの声を出すと、トウヤはバッグからひし形が3つ連なった細長いバッジを取り外す。
渡されたそれを、門番は同じ形にくぼんだ壁へと押し込んだ。
低く音をあげ、巨大な扉が開かれていく。
ぽかんと口を開けてトウヤがそれを見上げていると、守人はトウヤの手にトライバッジを戻し、体の前で腕を組んだ。
「扉はすぐに閉まる、走り抜けなければ間に合わんぞ。 トライバッジを持つ者よ! いかなるときも挑戦せよ!」
守人の言うとおり、1度開いた扉が音を立てて閉まっていく。
トウヤは扉と守人の顔を見比べると、何か言いたそうな表情をしながら、何も言わずに走り出した。
握り締めた手のひらに、バッジから突き出たピンが刺さる。
一瞬顔をしかめたが、振り払うことも出来ずトウヤは走り抜けた。
背中の後ろで完全に扉が閉まる音がしてから、トウヤは自分の手のひらを見つめた。
それほど深く刺さったわけではないが、小指の付け根の辺りに血がぷっくりと浮き出ている。
「あーあ……」
ケガ自体はどうでもいいが、思い出も深いジムバッジに血がついているというのはあまり気分がよくない。
拭き取ろうとハンカチを取り出したとき、トウヤは小さなバッジの裏に書かれた、さらに小さな文字をじっと見つめた。
てっきり取得日時や作った会社のロゴなどのどうでもいいことが書いてあるのかと思っていたが、それにしては文字の数が多い。
よくよく目を細めて見てみると、それは、ジムリーダーたちからのメッセージだった。
まさかと思い、他のバッジの裏も見てみると、それぞれ同様によおーっく見なければ分からないほど小さな字で、自分たちに勝利したであろうトレーナーに向けてのメッセージが刻み込まれている。
「デントさん……」
初めに戦ったジムリーダー、デント。 彼の教えがあったからこそ今の自分があると、トウヤには実感できる。
色々なことを彼からは教わった。 目標も、戦い方も、ポケモンバトルの楽しさも。
綺麗になったバッジを元通りカバンの内側につけると、トウヤはだだっ広いオープンテラスのような空間の先にある、同じように巨大な扉へと視線を向けた。
「次は、ベーシックバッジかな。」
同じように扉の前に立ち、前を睨みつけたまま後ろ手を組んでいる門番にベーシックバッジを渡すと、そびえるようにしてトウヤの前を塞いでいた門は同じように音を立てて開き始めた。
今度は小さく礼を言ってトウヤは走り出す。 扉が閉まると、まるで別の世界に来たかのように変わった景色に見とれながら、トウヤはホコリの匂いが漂う独特のバトルフィールドに思いを馳せた。
「アロエさん……元気かな。」
アロエにはずいぶんとお世話になった。 ただの挑戦者だったトウヤにあれこれと世話を焼いて、ポケモンとの向き合い方も教えてくれた。
息を整える。 トウヤがここにいるのも、彼女たちが見つけたライトストーンをプラズマ団に渡さぬよう、必死で守ってくれたからだ。
場違いとも思えるほどに草木に覆われた道を進むと、トウヤは木々の間から見える巨大な扉に向かって真っ直ぐに向かって行った。

「ビートルバッジを持つ者よ! むしのようにかっこよく戦え!」
「それ、アーティさんが言ったんですか?」
「……」
何も答えない門番にそれじゃ、と別れを告げると、トウヤは閉まり始めた扉の向こうへと走り出す。
少しだけ笑いが漏れる。 さきほどトウヤが聞いたことが真実だとすれば、実にアーティらしい送り出し方ではないか。
明らかに虫を模したとしか思えない彫刻の上をトウヤは歩いていた。
変わり者だったが、トウヤとはとても気が合った。 あの大都会で、彼はいま何をしているのだろうか。
「あの砂の吹き荒れる道でズルッグとイシズマイに出会って……旅が一気ににぎやかになったね。
 ライモンでは毎日お祭り騒ぎだったなあ……ミルホッグも、今頃カミツレさんみたいに……誰かを楽しませるポケモンになってるのかな。」
無機質とも思える鉄橋の下では、青白い火花がバチバチと音を立てていた。
トウコを見つけたら、真っ先に彼女へと教えてあげたい。 あれからも、定期的にトウヤのライブキャスターにカミツレからコールがかかってきている。
きっと不安を押し殺して笑顔でいるのだろう。 風でうなりをあげる扉を見上げ、トウヤは門番にクエイクバッジを渡す。


低く音を立てて開いていく扉の振動は、淡々と地下へ向かっていくエレベーターのそれにも似ていた。
扉を潜って現れた岩の壁に、トウヤはふとホドモエシティのヤーコンのことを思い出す。
正直、少し苦手な人物ではあったが、今なら少しわかりそうな気がする。
街も人もポケモンも。 全て守って、全て維持して、そんなことをしていたら果てしなく忙しい。 ずっとそうやって生きてきたのだとしたら、少しくらいいかめしい顔になってしまっても、仕方ない。
6つ目。 フウロからもらったジェットバッジをトウヤは唇を固く結んだ門番へと渡す。
開かれた扉の向こうを見て、トウヤは絶句した。
地面が、ない。 閉まりゆく扉と足元のない道の先に困惑していると、門番の声が鼓膜を揺さぶった。
「ジェットバッジを持つ者よ! その勢いのまま、進め!」
「え、え……?」
「進め!!」
「え、あ……うああああぁ!?」
閉まりかけた扉に滑り込むようにして、トウヤは走り抜けた。
身体が浮き上がる。 谷底から吹き上がる風は、叫び声をあげるトウヤの身体をくるくると回転させながら谷の反対側へと連れて行った。
思えば、フキヨセシティジムも同じような感じだった。
あの時からある意味、一皮むけたような気はする。 想定外の事態に見舞われたとき、人の心に残るのはトラウマか根拠のよくわからない度胸のどちらかだ。
ようやく足が地面について、トウヤは一息つく。
鼻先を冷たい空気がくすぐっていった。 きっと、次の扉の向こうは氷の世界だ。





爆発するように豪快なくしゃみをすると、ハンサムは自分の肩をゆさぶりながら泥だらけの自分のコートを見下ろした。
「うぅ、さぶい……張り込みも兼ねているとはいえ、もう少し暖かい服で来るべきだったな……」
抱えた自分の体を乱暴にこすって暖をとりながらてっぺんの見えない崖の上に視線を向け、もう昼間だというのに白く濁る自分の息にまたため息を吐く。
あと少しの辛抱でターゲットはやってくるはずだ。 そう自分に言い聞かせて岩だらけの道に視線を向けたとき、まるで幽霊のように音もなく立っている少年の存在にハンサムは腰を抜かした。
長いまつげの少年のまぶたが不思議そうに上下する。
その顔には見覚えがある。 ポケモントレーナーの……確か名前はトウヤといっていたはず。
「や、やあ……また会ったな、ははは……」
「あの、なにしてるんですか?」
心底不思議そうな表情をして尋ねてきたのも当然だ。
選ばれた一握りの人間しか立ち入ることの許されないチャンピオンロードにトレーナーとしては何の実績もないハンサムがいれば、それは不思議にもなるだろう。
「なに、極秘任務なのだが、この辺りで頻繁にプラズマ団が見かけられるという情報を得てね。」
ああ、と、分かったのか分からなかったのかよく分からない返事をすると、トウヤは手のひらの上でモンスターボールを転がしながらハンサムを見上げてきた。
「じゃあ、この辺は比較的見つかりにくくて、野生ポケモンも少ないんですね。
 少し近くにいてもいいですか? そろそろお昼にしようと思ってて。」
「う、うむ……」
驚くやら拍子抜けするやらで複雑な顔を浮かべるハンサムをよそに、トウヤは淡々と荷物を広げ、ボールから自分のポケモンたちを呼び出した。
キュウと腹が鳴く。 思えばなんだかんだでハンサムも、朝から何も口にしていない。
トウヤの手のひらに盛られたポケモンフーズを嬉しそうにほおばるメブキジカに横目を向けると、ハンサムは貧乏ゆすりするズルズキンに横におかれた包みを指差した。
「少年。 む……その、包みの中身を、少し分けてもらえないだろうか?」
包みの横にいたズルズキンの顔が強張り、ハンサムは出した手を再び引っ込める。
とても凶暴なポケモンの巣窟にいるとは……イッシュ全土を脅かす組織の近くにいるとは思えないほど穏やかな顔で自分のポケモンに食事を与えていた少年は長いまつげを上下させると、今まで見た中で1番子供らしい表情ではにかんだ。
「いいですよ。 実は、ソウリュウから出るときにお弁当をもらったんですけど、食べ切れそうになくて少し困ってたんです。」
包みの中からハンドボールほどのエサの固まりを取り出すと、トウヤはそれをズルズキンに渡して奥から紙のランチボックスを取り出した。
確かに、彼が言うように1人で食べきるには多すぎるほどのサンドイッチがぎっしりと詰まっている。 それを2人分に分けると、片方をハンサムに渡してトウヤは1つほおばった。

「しかし……驚いたな。 キミは各地のジムに挑戦しながらポケモンリーグを目指しているんだろう?
 キミと別れてからいくらも経っていないというのに、キミは最後のジムを制覇してここにいる私のところまで追いついてしまったわけか。」
黙々と食べるトウヤの横顔を見下ろしながらハンサムがそう言うと、トウヤは水筒を手にしたまま人差し指でこめかみの辺りを引っかいた。
「だって……」
「む?」
「……なんでもないです。 ローストチキンのサンド、おいしいですよ。」
帽子のツバを引きながら答えたトウヤに、ハンサムはまだ手をつけていない自分の皿を見下ろした。
雪のように白いパンの間で、かすかに煙った匂いをたてる肉があめ色に輝くソースで飾られている。
確かに、うまそうだ。 ゴクリとツバを飲み込み、右手に持ったサンドイッチをほおばろうと大きな口を開ける。
肉ごと噛み切ろうと力を入れたあごの筋肉でハンサムは自分の右手に思い切り噛みついた。
「!?」
わけが分からない。 何で今自分は自分の右手を食べているのか。
歯形の下にちょっと血がにじんだ右手を見つめながらハンサムが目を白黒させていると、ポケモンたちのところにいたトウヤがバッグから赤い箱のようなものを取り出しハンサムの後ろに向けた。
「……あのポケモン!」
ハンサムが振り向くと、人の背ほどもある大きな鳥がハンサムが食べるはずだったサンドイッチをムシャムシャとおいしそうにほおばっていた。
空を飛ぶ鳥ポケモンにしては珍しいほど太い足の爪には、これから食べる予定だったハンサムのランチボックスが引っ掛けられている。
「ぬおお!? なんだ、ドロボウか?」
「えっと……」
トウヤはポケモンを見た。 腹が減って仕方なかったと考えるには肉がつきすぎているし、妙に毛づやもいい。
ポケモンはふてぶてしくもその場でハンサムのランチボックスを開けると残りのサンドイッチをガツガツと乱暴に食べ始めた。
「……そう、みたいです。」
「ぬう、野生ポケモンといえど許せん! 逮捕だタイホ!! トウヤ、捕まえるぞ!!」
「えぇ!?」
モンスターボールの代わりに懐から手錠を取り出すと、ハンサムはドロボウポケモンへと向かって走り出した。
ポケモンはひょいとランチボックスを爪からクチバシの間に移し替えると太い足で地面を蹴飛ばして猛スピードで走り出す。
羽があるんだから飛べばいいのに。 変なポケモン。 トウヤは小さな声でつぶやいた。
追いかけて行ったハンサムの跡地には、ゴミが散らばっている。


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