「……チェレン? ベル?」
すっかり警戒心も解け、手に持ったモンスターボールを転がしながら尋ねてきたトウヤに、前に立った2人のプラズマ団はあからさまに肩をふるわせた。
「ちっ、ちちち、ちがうもん! ぷらーずまー!」
「……」
甲高い声で手をわたわたと振る自称プラズマ団の横で、もう1人のプラズマ団らしき人物がメガネを押し上げる動作をする。
言及すべきか、それともこの余興に付き合って2人……ハンサムも入れたら3人をプラズマ団として扱うべきかトウヤは考えた。
「……なにやってるの?」
考えた後、トウヤは言及することに決めた。 ひとまずこの中では1番話が通じそうなチェレンに視線を向けると、深く深ぁーくため息をついた後、チェレンは額に手を当てる。
「……キミを止めにきたんだよ。」
「ボクを。」
トウヤはあまり驚かなかった。 兄のような存在だったチェレンが自分を心配していることなど、痛いほどよくわかっていたからだ。
呼び出したポケモンを恥ずかしそうにモンスターボールへとしまうベルの横で、チェレンは顔を動かし、レパルダスをトウヤの方へと向かわせる。
鋭い爪によって地面の上に3本の線が引かれた。
微動だにしないトウヤの鼻先を冷たい爪がかすめると、チェレンは指先をトウヤへと突きつけピリピリとした殺気を放つ。
「僕らが抱えている問題はキミ1人の肩には重過ぎる。
……このままキミを、むざむざとやられるためにプラズマ団のところまで行かせるくらいなら……今、ここでキミを倒し、僕がプラズマ団と戦う!」
ベルの制止する声が鳴るのよりも先に、レパルダスの振った爪はトウヤがいたところを切り裂いた。
足の付け根を軽く押さえてレパルダスを退けると、繰り出されたゴビットは体を軋ませ低い音をあげる。
身体の内側で握り締められた拳に気付き、レパルダスは飛び退いた。
「残念。」
鈍い音をあげて空を切った拳を左目に映し、トウヤは八重歯をむき出しにするレパルダスに右手を向けた。
「それで出し抜いたつもりか? 鈍足のゴビットくらい、コートカなら一撃で倒せる!」
「知ってるよ。」
飛び上がったレパルダスの着地地点からゴビットが消え、代わりにズルズキンが長い尻尾から放たれた相手の攻撃を受け止める。
「チェレンなら、絶対1番手はレパルダスにしてくるってことも。 ゴビット以外なら、最初の技は『ねこだまし』を選ぶってことも。」
「……ッ!」
オロオロしているベルを尻目に、ズルズキンは砂だらけの地面を蹴り上げるとまだ地面に足のつかないレパルダスへと向かって低い位置から飛び込んだ。
尻尾を地面に突きたてバランスを立て直すと、レパルダスは振り抜かれた拳をかわし、鋭い爪を振り回した。
白い軌跡を描くレパルダスの爪を正面から受け止めると、ズルズキンは振り下ろされたレパルダスの前足をがっちりと掴み、にやりと笑う。
「チェレン……」
ぞっとするほど冷たい声に、チェレンは身震いする。
倒れゆくレパルダスにいつ『かわらわり』が放たれていたのか、チェレンにはわからなかった。
「どうやってここまで?」
カラカラに乾いた唇から息を吸うチェレンの後ろで、わずかにハンサムが動くのが見える。
答えは出た。 チェレンは8つ目の……ソウリュウシティのレジェンドバッジを持っていない。
唇の間から細く息を吐き出すと、トウヤはズルズキンを呼び寄せ、夕日で壁を薄紫色に染めるポケモンセンターへと顔を向けた。
モンスターボールの開く音が鳴り響く。 振り向くと、チェレンが眉根を寄せ、アデクに挑もうとしたときと同じ目でトウヤのことを睨んでいる。
「……ストップ、トウヤ。 まだ勝負はついていないぞ!」
トウヤは笑みを浮かべると、鼻息も荒く身構えたズルズキンに視線を向け、繰り出されたチェレンのケンホロウに人差し指を向ける。
「そうだね。 じゃあ、勝ってから行くよ。」
「ッ! バカにしてるのか!?」
灰色の翼から放たれた斬撃がズルズキンの足元を吹き飛ばす。
ひるみもせず真っ直ぐに相手の懐へと飛び込んだズルズキンは、脱げかけた皮で長く伸びた尻尾を振り回した。
弾き飛ばされたケンホロウがチェレンのモンスターボールへと戻っていく。 引きずり出されるように場に現れたジャローダに、チェレンは目を丸くした。
「バカになんかしてない。」
『かわらわり』で殴りかかってきたズルズキンに面食らったジャローダは慌てて尻尾を振り回してズルズキンを遠ざけた。
「チェレンが言い出したんだよ。」
自分のポケモンがボールに戻されても、トウヤは慌てなかった。 代わりに繰り出されたダイケンキに視線を合わせると、チェレンの方を睨みながらジャローダに人差し指を向ける。
「『ボクに勝ってプラズマ団と戦いに行く』って。」
我に返って『リーフストーム』を放ってきたジャローダにダイケンキはアシガタナを構えた。
首の皮1枚といったところだが、かろうじてHPは残っている。 荒いダイケンキの吐息は白く濁り、伸ばされた指先が軽く振れる。
空気さえも凍らせて放たれた『ふぶき』は、戦士のように戦っていたジャローダの姿を氷の像へと変えた。
コツリ、と音を立てて落ちたモンスターボールを、チェレンは冷え切った手で拾い上げる。
「……僕には、とても考えられないんだ。」
赤く染まった手のひらで倒れたジャローダのモンスターボールを握り、チェレンは口を開いた。
「ジムリーダーもチャンピオンも無責任だ。
……口を開けばトウコのことばかり。 自分の意見も言わず、他人に振り回されっぱなしのトウヤに、世界の命運を託すなんて!」
「うん。」
あっけにとられているハンサムの横で、ベルが強く拳を握っていた。
意味もなく取り出してしまったアシガタナをいそいそとヨロイへと戻すダイケンキを横目に、トウヤは小さくうなずく。
「もう、キミの「うん」は聞き飽きたよ!
分かってるのか? この先に進んでNと戦って、キミが負けたとき、この世界中の人とポケモンは離れ離れになってしまうんだぞ?
世界中のトレーナーの運命を背負う覚悟がトウヤ、キミにあるのか?」
「ないよ。」
「え?」と小さくて高い声がベルから上がる。
チェレンも、ハンサムも拍子抜けしたらしい。 ぽかんと口を半開きにしたまま、トウヤのことを見つめている。
「シッポウ博物館の事件から姿の見えないアララギ博士のことは聞かなくちゃいけないと思うけど……
トウコちゃんのことも気になるから、プラズマ団のアジトには行くつもりだけど、けど、それとトレーナーとポケモンのこととは、全然別の話。
いくらNがそう言ったからって、英雄なんてガラじゃないし、なる気もないし。」
「……だったら、隠れてソウリュウを出たのはどう説明するつもりなんだ?」
「ダークトリニティに狙われてたのは事実だし、シャガさんの体調のことと、あとは……」
少し言いにくそうにしてから、トウヤは続ける。
「結果的に、チェレンより先にポケモンリーグに着く形になるわけで……」
ベルとハンサムが気まずそうに視線を向けてくるのを背中に感じながら、チェレンは新しいモンスターボールを手に取った。
不機嫌そうなヒヤッキーの尻尾がダイケンキに向けられるのを見て、トウヤはポケモンを交代する。
「だったら、遠慮なんていらない! 僕だってチャンピオンを目指すトレーナーなんだ!
僕もポケモンもあらん限りの力を奮う、キミがどれだけ強いかを確かめさせてくれ!」
呼び出されたメブキジカはヒヤッキーから放たれた水流を大きなツノで受け止めた。
高いいななきとともにひづめが大地を蹴る。
「『ウッドホーン』!!」
突き立てられた2本のツノは黄緑色に光った。
なす術もなく飛ばされてボールへと戻っていくヒヤッキーを見て、チェレンは軽く舌打ちする。
ボールを持ち帰るとチェレンは高く投げ上げた。 空高くに舞い上がったケンホロウは翼に白い風を纏わせると、メブキジカへと向かって打ち下ろす。
「グルブ、『エアスラッシュ』!!」
長く伸びた胸の毛が飛び込んできたカマイタチによって切り裂かれる。
トウヤの指示を待たず、メブキジカは跳んだ。
広い空は鳥だけのもの……その常識を覆すかのごとくケンホロウよりもはるかに高い位置まで飛び上がると、メブキジカは冷たい風を薄い毛で受け止めながら、眼下で羽ばたくケンホロウを睨んだ。
「メブキジカ、『しぜんのちから』。」
ハッと息を呑んだチェレンの目の前で星の形をした岩がケンホロウの翼へと突き刺さった。
耳障りとも思えるほど甲高い悲鳴があがったが、かろうじて体力は残っている。
気を持ち直すとチェレンはトウヤを睨み、ひづめで地面を蹴るメブキジカに指先を向けた。
「『でんこうせっか』ッ!!」
風の流れを味方にして電光石火で飛び出したケンホロウが見ている前で、メブキジカの姿が消えた。
鈍い音が響き、パラパラと細かい砂となって岩肌が欠け落ちる。
「イワパレス」チェレンの口が音を出さぬまま動く。
伸ばされた指は身をすくませたケンホロウの胸を正確に捉えていた。
「イワパレス、『がんせきほう』!!」
澄んだ声を合図に、勝負の決着はついた。
ガラガラと音を立てて落ちてきた岩の上からモンスターボールへと姿を変えたケンホロウが落ちてきて、積みあがった岩の上を跳ねる。
足元に転がったそれを、チェレンは拾い、紅色に染まったトウヤの首筋へと目を向けた。
「……すごいね、キミは。 素直にそう思うよ。」
「5匹目は出さないの?」
取り替えることなくケンホロウのモンスターボールをしまったチェレンを見て、トウヤは強張っていた顔の筋肉を緩めた。
肩をすくめるとチェレンは薄く笑い、彼にしては珍しいほどゆっくりと首を横に振る。
「もう、充分だ。 ……今の僕では、トウヤ、キミにかなわない。」
「そっか。」
短く返すと、トウヤはイワパレスをボールへとしまった。
「Nと戦うかもしれないキミを、なにか助けてあげられないかと思ったんだけど……」
ふと顔をあげると、沈みかけた太陽に照らされたチェレンの顔は泣いているようにも見えた。
何か言おうとしたのか、まっすぐにトウヤの顔を見つめるチェレンが口を開きかけた瞬間、突き飛ばすように飛び出してきたベルの手がトウヤの目の前へと伸びた。
「トウヤ! これね、こないだね、ミュージカルであたしのファンだっていう人からもらったの!」
「ベル。」
「こんなことしか出来ないけど、もらいもので悪いんだけど、あたしからはこれ!」
「……ベル。」
小さく口を突く制止の声を気にもとめず、ベルはクスクス笑ってかわいらしい小包に入ったアイテムをトウヤの胸元に押し付ける。
つけっぱなしのネームプレートを外して中身を陽にかざすと、手のひらほどのこんぺいとうのような塊はキラキラと光る。
「……『げんきのかたまり』じゃないか。」
「うん、きっと役に立つと思うの! それにしてもおもしろいね、みんなバラバラで。」
「おもしろい? こんなときに、キミは」
眉を潜めて言葉を発したチェレンの唇に、ベルの白くて細い指が触れられた。
緑色のくりくりした瞳がまっすぐに幼なじみのことを見ている。 にっこりと笑うと、ベルは自分の体の後ろで手を組んだ。
「はい、チェレン。 少しは笑おうよ、深刻な顔するだけじゃなんにも変わらないんだから。」
ね、と、トウヤの方に視線が向けられ、反応を待たずにまたチェレンの方へと戻った。
「えーっとね?
あたしたち、ポケモンと出会ってから……旅に出てから、同じ道のりを歩んだのにいろんなことがあって……みんな、すごく変わっちゃって。
あたしも、チェレンも、トウヤも、やりたいことも出来ることも別々でしょ?
でも、それって旅の意味があったんだなあって、なんか嬉しくなったの。」
くるくると表情を変えながら喋るベルをチェレンは瞬き1つせずに見ていた。
やがて、言葉も止まって、風の音がポケモンリーグの前を横切っていったとき、チェレンの口から小さく息が漏れる。
「……そういうことか。
確かに、僕たちはみんな違うわけだし、それぞれの出来ることをすればいいんだよね。 ……みんなにとっての理想とか真実って、みんなの数だけあるからね。」
「そうそう!」
少し苦笑いしたトウヤの表情をごまかすかのように、ベルは大きめの声を出す。
「あたしはあたしに出来ることをするの!
うん、だからもう行かなきゃ! ばいばーい!」
大きく手を振って走り出したベルは、つんのめりながら洞窟の方へと向かい、中へと消えていった。
トウヤとチェレンの不安はわずか20秒で的中する。 息を切らせて戻ってきたベルは、恥ずかしそうにはにかむとチェレンに甘えた笑みを向けた。
「えへへ……戻ってきちゃった。 チェレン、山を下りられるポケモン貸して!」
大きくため息をつくと、チェレンはメガネを少し押し上げてから、トウヤとベル、それにハンサムへと視線を移動させた。
「……そんなことだろうと思った。 1度ポケモンセンターに寄ってもいいのなら、グルブは貸すよ。
ハンサムさんもついてきてください、2、3……相談したいことがあるので。」
「お、おお。」
なんとなく置いていかれる形になったトウヤは、ポケモンセンターの方へと向かうチェレンの背中を見つめていた。
声をかけようか迷う。 ケンカをしたわけですらないのに、少しだけ気まずくて。
小指の先ほどに口が開いたとき、声が出る前にチェレンが振り向いた。
肩の跳ねたトウヤへと向かってつかつかと歩み寄ると、トウヤの胸の真ん中に固く握り締めた拳を突き出す。
合わせるようにトウヤがサムズアップを向けると、チェレンはとても変な顔をした。 気まずくてトウヤが視線を逸らそうとすると、軽く小突いてきたチェレンの拳から親指が1本伸ばされる。
「えっと……」
「わかってるさ、言いにくいことなんだろう?」
「う、うん。」
言いよどんだトウヤにじっと視線を向けると、チェレンは再び体の向きを変えてポケモンセンターの方角へと歩き出した。
鼓動が高鳴る。 噛み締めた唇から歯を離すと、トウヤは冷たい空気を吸い込んで少しだけ背伸びした。
「チェレン!! ベル!!」
乾いた空気を裂くように叫ばれた言葉に、2人は足を止め、トウヤへと振り返る。
一瞬そらした視線を再び2人へと戻すとカタカタと振れるモンスターボールを強く握り、トウヤは同じ声量で2人へと向かって続けた。
『 』
一瞬の沈黙の後、チェレンとベルは少し考えるような動きをしてから同じタイミングで笑った。
「びっくりしたあ! けど、なんかそれって、すっごくトウヤらしいね!」
「……なんだ。 何をビクビクしてるのかと思ったら、そんなことか。」
「いやいやしかしチェレン君、この状況でそんな考えに至るというのは、なかなかの大物かもしれんぞ?」
ハンサムのだみ声にベルが笑うと、ほんのちょっとだけチェレンの眉が潜む。
苦笑いするトウヤとハンサムに気付いて顔を赤くすると、チェレンは今までよりも少し大きめの声で切り出した。
「……さあ、ポケモンを元気にしてあげないとね!
トウヤも。 油断は禁物だよ。」
「うん。」
小走りに追いかけるトウヤの瞳の片隅に、銀色の月が映りこんできた。
思うよりも冷え込まず、ホコリっぽい風はわずかにだが湿気を含んでいる。
ふと、風の吹く方角へと目を向けると、無数のスタジアムを抱える巨大な建造物が、トウヤたちのことを見下ろしていた。
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