「『その男、瞳に暗き炎をたたえ、ただひとつの正義をなすため……自分以外のすべてを拒む。』」
夕闇の紫色に染まった暗い部屋の奥で、シキミは頼りないロウソクの明かりで手元を照らしながら一心不乱に筆を滑らせていた。
チラチラと揺れる炎は彼女のペット、まだ実践には出したことのないロウソクポケモンヒトモシのものだ。
階下から上がってくる足音に気付いたヒトモシは細いイスに腰掛けるシキミに視線を向けるが、彼女の指先が止まることはなかった。
ぼんやりとした灯りに人の影が映る。 猫のように丸めた背中を見つめながらトウヤは、話し掛けようと深呼吸を1つした。
「あのー……」
聞こえていないようだ。 暗い部屋の中にペンの走るカリカリという音だけが響く。
もう1歩、2歩と彼女へと近づく為に足を進めたとき、足元で上がった紫色の火に飛び退いたトウヤは階段を踏み外しかかり、今にも折れそうな黒い手すりにしがみついた。
暗がりに女性のシルエットが浮かび上がる。
メガネの下の瞳を爛々と光らせて女性は机に置かれた本のようなものを左腕で抱えた。
「『戦いの傷も癒えぬ私のもとに現れたのは、その男と同じ瞳を持ったまだあどけなさの残る少年だった。
 彼の戦おうという強い意志、ボールからは彼のポケモンたちの鋼のように強く揺るがぬ強い信頼が伝わってくる。
 これは運命なのだろうか、戦いの女神に宿命づけられた彼と私の運命……なのだろうか?』」
なにやらぶつぶつと独り言のようなものをつぶやきながら左手に持った本の上にペンを走らせると、女性はペンを中指ではさみ切り取られた本の隙間からモンスターボールを取り出した。



「『死してなお狙われる主を守る為、そのポケモンは自らを黄金のヨロイで包み王の盾となった。
 そのポケモンの姿を見たものは、ふたと日の目を見ることはないだろう。』」
呪文のように小さな声で物語の一節のような言葉を唱えると、床の上を跳ねたモンスターボールから鈍く金色に輝くかんおけのようなポケモンが姿を現した。
トウヤがポケモン図鑑を向けると、『デスカーン』という名前が画面の上で光る。
パッと見では生き物なのかどうかすら怪しいが、そんなポケモン、トウヤは旅の中でたくさん見てきた。
オロオロと視線を向けてくるダイケンキへと目を向けると、トウヤは大きく息を吸い込んで影のような4本の手を伸ばす金色のポケモンへと指を差した。
「ダイケンキ、『アクアテール』!」
大きく鳴き声を上げるとダイケンキは息を吸い込み、水の刃で強化した自分の尻尾をゆらゆらとうごめく金色の棺おけへと叩きつける。
鈍い音が響き、天井まで続く高い本棚に積み上げられた本たちが嫌な音をたてた。
その中にシュッという耳慣れない音が混じる。 トウヤが見ている前でデスカーンは薄く開いた棺おけの隙間から白い包帯を伸ばし、ダイケンキの身体全体を縛り付けてしまった。
「『真綿で絞めるように包帯は優しく侵入者を包み込む。 それは、いかなる能力をも打ち消す王の鎧。
 裸にされ、牙を抜かれ、両目も失った侵入者は後悔の中感じるのだ。 美しき影を力とする、そのポケモンを。』」
女性が書いていた本の1ページを破り取るとデスカーンから伸びた腕がそれを音もなくさらっていった。
暗い部屋を彩るシャンデリアの炎に影が差す。 包帯の下でヒゲをヒクヒクさせてダイケンキが顔を上げたとき、降り注ぐ黒いエネルギーの塊がダイケンキの身体を叩きつけた。

「『シャドーボール』だ。」
上ずった声で技の名前を告げるとトウヤは反撃しようとアシガタナに手を伸ばすダイケンキを制して自分と相手の状況を見比べた。
からまりついた包帯のせいでアシガタナは引き抜けそうにないし、発動するはずの『げきりゅう』も吸い取られてじっとりと包帯の表面を濡らしている。
眉を潜めるとトウヤは手のひらをダイケンキに向け、細く息を吸い込んだ。
「戻れ、ダイケンキ!」
ダイケンキがトウヤの手のひらに収まると絡まりついていた包帯が音を立てて床に落ちる。
持っていた万年筆の背で丸いメガネの縁をコツコツと叩く女性を見ると、トウヤはボールを入れ替えデスカーンの前に投げる。


呼び出されたメブキジカはしなやかな足で『シャドーボール』をかわすと細い階段のフェンスを蹴って飛び上がった。
煙の匂いが充満する部屋に湿ったコケの匂いが広がっていく。
「『しぜんのちから』!」
メブキジカの長いまつげが揺れた瞬間、棺おけの角が床にぶつかりデスカーンが跳ね上がった。
高くいななくと、メブキジカは加速度をつけてデスカーンを再び床の上へと叩きつける。
金属の曲がる音が響き、机に置かれた瓶からインクが飛び散って紙を汚した。
乱雑に詰まれた本が落ちる音を足元に、シキジカはひづめを軽やかに鳴らすと長い影を伸ばすデスカーンの懐へと飛び込んでいく。
「『ウッドホーン』!」
舞い上がった紙吹雪から自分の目を守るためトウヤは両腕で顔を覆い隠した。
緑の光が放たれ、バウンドした金色の身体がロウソクの光を反射する。
左目を細めると、ヒラヒラと落ちてくる白い紙の向こう側でペンをくわえた相手がデスカーンをボールへと戻すところが見えた。
チリチリする右手を視界からどけると、トウヤは包帯に巻きつかれたメブキジカを片目に映して対戦相手の繰り出す次のポケモンへと注目する。



「『やがて夜は更け、月は昇る。 絶えず繰り返される変化のない毎日の中、そのポケモン月を見上げていた。
 自分と同じように人が造り、そして壊れた壁の隙間に浮かび上がる黄色い月を、落ち窪んだ石の瞳で見上げていた。』」
ゴルーグだ。 朗々と目の前の相手がが本の内容を語るのと同じタイミングでトウヤは口だけを動かしてそう言った。
相性だけで言えばトウヤのメブキジカの方が圧倒的に有利だ。 相手もそれは分かった上で出してきているのだろう。
『ウッドホーン』は既に見せている。 トウヤは眉を潜めると、包帯に巻きつかれて動きづらそうにしているメブキジカに視線を向け、戦えるかどうかを尋ねる。
「メブキジカ、『ウッドホーン』!」
まるで笛のように澄んだ声でいななくとメブキジカは包帯に巻きつかれた足で床を蹴ってゴルーグへと突進する。
薄灰色のツノが刺さるとゴルーグの足が1歩退き、岩を打ち鳴らしたような音が部屋の中を揺さぶった。
トウヤはポケモン図鑑に横目を向けるが、順調にHPは減り、技の威力を半減させるきのみを使ったような痕跡も見られない。
唇を動かした瞬間、相手の手の上で黒い万年筆が1回転した。
振り上げられた拳にトウヤの頬がピリリと痛む。
「ゴルーグちゃん、『アームハンマー』!」
初めて彼女の口から聞いた技の指示に戸惑う暇もなく、振り下ろされたゴルーグの太い拳がメブキジカの胴を貫く。
叩きつけられるように床の上へと伏せるような態勢になるとメブキジカは小さなモンスターボールへと姿を変え、トウヤの足元へと戻ってきた。
慌てて拾い上げ、顔を上げたトウヤの視線の先で丸いメガネに守られた四天王のつぶらな瞳が妖しく光っていた。
視線はトウヤへと向き、ずっと動かし続けていた筆は止まっている。
万年筆の柄から伸びた白い羽で唇の先を撫でると、女性は不慣れな足取りでハイヒールの音を鳴らしながらトウヤへと近づき、やや、おどおどとした口調でトウヤへと話しかけてきた。
「アナタ……誰ですか? さっきの人か、その仲間かと思ってましたけど……違いますよね?」
女性はメガネを直す。 どうやら相当、目が悪いようだ。
トウヤは繰り出したダイケンキでわずかに残されていたゴルーグのHPを奪うと、再び巻きついていく白い包帯を目にしながらもう1度息を吸う。
「ボクはカノコタウンのトウヤ・ブラック。 ポケモントレーナーです。
 今、Nってトレーナーを追いかけてるんですけど、今言ってた『さっきの人』って、Nのことですか?」
「あー……ゴメンナサイ。 言えないんです、規則なんで。
 ううぅ、でもどうしよう……いま、そんなこと言ってられる場合じゃなさそうだし……」
困ったように頭を抱える女性の背後で夜の闇を切り裂くように一筋の光が走った。
それとほぼ同じタイミングで体の根っこを揺さぶるような、低く高く、そして鼓膜をつんざくような激しい音が2人の真上を突き抜けていく。

驚いた顔をして黒服の女性は細い窓の外に目を向ける。 夕刻の夜空はチカチカと青白く光っていた。
「アデクさん……!」
蒼い顔をしてつぶやくと、女性はレンズの奥の瞳を揺らして窓の外の山頂とトウヤを見比べる。
青い光は時折山の上から放たれては本の積みあがった壁を照らしている。
トウヤは確信する、Nとアデクが戦いを始めたのだ。
急ぎ山の上へ向かおうとトウヤがモンスターボールに手をかけると、オロオロしていた女性は小さな手で拳を作り、胸元を軽く叩いた。
「……決めました! あたし、あなたに勝ちます!
 主力メンバーもさっきの挑戦者の人に倒されちゃったし……あたしなんかに何が出来るかわからないけど、あなたに勝って、アデクさんのところに行きます!」


そう言うと女性は握り締めたモンスターボールを高く放ち、トウヤが以前見たことのある黒いシャンデリアのようなポケモンを呼び出した。
「シャンデラちゃん!」
黒い両腕の先から紫色の炎を噴き出し、黒ずんだシャンデリアのようなポケモンは甲高い鳴き声をあげてトウヤの前へと浮かび上がる。
視線を2度動かすと、トウヤはもう体力が限界まで近づいているダイケンキをモンスターボールへと戻し、ズルズキンを呼び出す。
「ズルズキン!」
よしきた、とばかりに飛び出すとズルズキンは床に散らばった本を蹴飛ばしながら壁を埋め尽くす本棚の上へと駆け上がった。
身構えるズルズキンに一瞬躊躇して女性は抱えた本の上に筆を滑らせる。
「『命を燃やす炎は煌々と燃え上がる。 そのポケモンは冥界からの使者。
 湧き上がる炎は墓標のように。』」
書き上げた本のページをちぎって宙へと投げると、シャンデラの中心から噴き上がる炎がそれを燃やし、赤く色を変えた炎がズルズキンへと迫る。
皮のたるんだ尻尾を持ち上げるとズルズキンは本棚の角を蹴って飛び上がった。
「『爆ぜる音は鎮魂歌のように。』」
炎の匂いにズルズキンは飛び退いた。 白く光をあげる灼熱の炎が尻尾の先を焦がし、本棚の脇に積まれていた雑誌の束を燃え上がらせる。
「『燃え上がる色は闇のように。』」
轟々と炎を吹き上げるシャンデラを見てズルズキンはチッと舌打ちして悪態をついた。
迫り来る炎を床を蹴って飛び退き、金色の燭台がかかる柱に火をつける。
「『肌を焼く業火は灼熱のように。』」
ビリビリとした熱気にトウヤは身を固くする。
一瞬後、真後ろであがった炎にトウヤはハッと目を見開き、ズルズキンへと視線を向けた。
「『魂を送るは冥界の炎。 その行き先は神のみぞ知るところ……』」
「来るよ、ズルズキン! 身構えて!!」
避けたと思った直後の呼び声にズルズキンは驚いたように顔を上げる。
直後、部屋の中とは思えぬほどの熱気に真上へと視線が移る。
5つに分かれた赤い炎はバトルフィールドを覆いつくさんばかりの勢いで広がり、その中心にいるシャンデラとズルズキンへと襲い掛かった。

ポケモン図鑑から音が鳴り、技の名前を表示させる。
「『だいもんじ』だ!」
技の名前を叫んだ直後、吹き降ろされた熱気にトウヤは思わず両腕で顔を覆った。
部屋を覆いつくす熱気にチリチリと肌は焼け、感覚の全てがマヒしてくるが、そのさなか、トウヤはガラスを叩きつけるような大きな音を聞いた。
吸い込んだ熱気に口元を押さえながらぼんやりと薄目を開けると、いつにも増して暗い部屋の中心に音もなく転がったシャンデリアと、その横で相手を見下ろした見慣れたポケモンの姿がトウヤの瞳に映る。



「ズルズキン!」
ふわりと身体が浮き上がったズルズキンを、トウヤは転がるように駆け寄って抱きとめた。
辛うじてHPは残っているようだが、もはや体力の限界であることは図鑑を見ずとも分かる。
ともかく体力を回復させるためトウヤが『おいしいみず』を取り出そうとバッグの中に手を突っ込むと、横腹に鈍い痛みが走った。
見ると、ズルズキンの小さな拳がトウヤのわき腹に刺さっている。
「……大丈夫。 シャンデラはボクの目の前で倒れてるよ。
 あと1人、だから……休んでて、ズルズキン。 キーを受け取ったらすぐ回復させるから。」
チッと舌打ちすると、ズルズキンはトウヤに拳を向けたまま小さなボールの中へと戻り、床の上を転がった。
すすのついたモンスターボールを拾い上げると、トウヤは立ち上がり、呆然と目の前を見つめている四天王へと視線を向ける。

「あの、カードキー……持ってますよね? ください。」
「えっと、ええっとぉ……ホントにさっきの人の仲間じゃないんですよね?
 アタシ、ゴーストタイプ使いのクセに霊感ゼロなんですけど、あの人が来てから胸のここらへんでずーっと嫌な予感がグルグルしてて……!」
振り上げられた手首を覆うようにトウヤの指先から黒いすすがつけられた。
チラチラとメガネに反射する白い光に目を細めると、トウヤは帽子の下から遠慮がちな笑みを向けてうろたえている女性へと話しかける。
「あんまり時間ないので、事情は今ポケモンセンターにいるレンブさんっていう人に聞いてください。
 ボクはアデクさんが持ち堪えてるうちに、残り1人、四天王と戦ってNのところに向かいます。」
「キミは……」
さ迷っていた視線をトウヤのところへと移すと、女性は小さな手から自分の手首を解いて黒檀の机へと向かった。
鍵を開き、引き出しの奥に名刺のように並べられていたカードキーを取り出すと、黒く指紋のついてしまったそれをハンカチで拭いてから、トウヤのすすけた手のひらへと乗せる。


受け取ったカードを手のひらの模様がついたバッグへとしまうと、トウヤは薄黒くなってしまった服を気にしながら入り口の方へと目を向けた。
残すは北西のエリアのみ。 だが、Nとアデクの戦いが始まった今、時間はもう残されていないだろう。
「……よし。」
唾を呑んで歩き出すと、トウヤはメブキジカを呼び出した。
あまり疲れさせるようなことはしたくはなかったが、状況が状況だ。
柔らかな背中にまたがり図鑑で方角を確認していると、不慣れなヒールの音とともに小さな手提げにボールを山ほど詰め込んだ先ほどの四天王が飛び出してきた。
「あの!」
甲高い声に驚いて振り返ったメブキジカの視線を追うようにしてトウヤは女性へと視線を向ける。
何か言いたそうに開かれた口を動かさぬまま視線を足元へと動かすと、彼女はもう1度トウヤのことを見上げ、手提げを持つ手を強く握り締めて声を絞り出した。
「アタシ、四天王のシキミっていいます!」
女性の汚れた指先は白くなってふるえていた。
きっと言いたいことはそれではないのだろうが、それ以上は言葉は出ないらしく、苛立たしげに服の表面を爪でカリカリと引っかいている。
トウヤがシキミを見ると、北の空が青白く光った。
少し遅れて雷鳴が聞こえてくる。 不安げなメブキジカの首筋に手をあてると、トウヤは顔だけシキミの方に向けて雷に負けぬよう、少し強めに声をあげた。
「また、バトルしましょう。」
「あ! えと……あ、あ……はい!」
聞いてか聞かずか、メブキジカのひづめは地面を蹴って真っ直ぐに北の方角へと走り出した。
日の落ちた空は相変わらず暗く、時折氷のような稲光がその黒いキャンパスに不安定に折れ曲がった線を描いている。
風を受けるトウヤの頬に、冷たい雫が落ちてきた。


続きを読む
戻る