「……始まったか。」

頂上へと続く女神像よりもチャンピオンのいる山頂に近いポケモンリーグ北部エリアでは、山の頂で放たれた青白い光と音はほぼ同時に届いていた。
四天王が一角、あく使いのギーマの傍らではビロードのような柔らかな毛をもったレパルダスが不安げな表情で山の上を見上げている。
『ポケモンリーグは中立である、ゆえに挑戦者がどのような心持ちであろうといつもと同じように戦うべし。』
そうチャンピオンのアデクに言われ、手持ちの全てをチップにギーマは戦った。
そして、負けた。 奪われたものはあまりに大きく、チャンピオンに託すにしても重過ぎる。
にゃおん、と、雷鳴にかき消されそうな小さな鳴き声をあげたレパルダスの額をギーマはなでる。
自分が通してしまった挑戦者にアデクが負ければ、プラズマ団の支配する世界で自分は彼女と別れなければならないだろう。
取りこぼしてしまった重いチップに苦々しく笑みを浮かべ、せめてもの償いとして自分の愛したポケモンたちに抱擁を贈ろうとギーマは膝をつく。
瞬間、レパルダスの長いヒゲが揺れ、黒く染められた部屋の入り口へとうなりをあげながら腰をあげた。
戸の軋む音が響き、昔見た古いホラー映画のようにゆっくりと扉が開かれる。
その隙間からそっと顔を出した人間を見て、ギーマは口元に笑みを浮かべた。



打ち鳴らされるひづめの音の間隔が少しずつ広くなってきた頃、口元から漏れる息に青白い光が映ることにトウヤは少し安堵していた。
まだアデクは戦っている。 間に合うか間に合わないか、その計算をしようとしてトウヤは首を横に振った。
どうなるか分からないのがポケモンバトル。 思い通りにならないから面白いのだ。
背中から降り、水を与えたメブキジカをモンスターボールへと戻すとトウヤは目の前にそびえる建物を見上げ、軽く唇を噛んでから階段を駆け上がった。

「わ」
扉を開くなり現れたそれまでとは違う世界にトウヤは閉まりっぱなしだった口を開けた。
表からは暗くてただ大きな建物にしか見えなかったが、柔らかな光に照らされた建物の中は柔らかなチラチーノの毛で織られた絨毯が敷かれ、ホコリ1つないシャンデリアがロウソクの光をキラキラと反射している。
靴の泥を気にしながら奥へと進むと、どんづまりにぽつんと立っている赤茶けた扉にトウヤは目を瞬いた。
恐る恐る開くと、かなり近くで響いた雷鳴と光にトウヤは顔をしかめる。
その光をさえぎるように部屋の中央で待ち構えていた人物は、昔なにかの本で見たドラキュラのようにも見えた。
「やれやれ……今日はどういう日かな? 続けざまに挑戦者がやってくるとは……」
「なー」と怒気を込めたレパルダスの鳴き声が響くのと同時に窓の向こうで青い光が2度ほど瞬く。
トウヤはモンスターボールからズルズキンを呼び出した。 自己紹介はそれで充分だ。
「まあいいさ。 四天王ギーマ、その役割に従いお相手するまで……」
飛び出したズルズキンの目の前でレパルダスの前足が大きな音を鳴らした。
思わずつぶった片目を開く間もなく長い尻尾から繰り出された追撃が顔の真ん中を直撃する。
受け流そうと飛び退いた足がもつれ、ズルズキンは廊下の反対側まで叩きつけられた。
振り返ったトウヤの目を「余計なお世話だ」とばかりに睨み返すと、ズルズキンは壁から落ちてきた蜀台を投げつけ相手の逃げ道を塞ぐ。
「『かわらわり』!」
一歩足を動かす間にその短い腕が届く距離まで間合いを詰められ、レパルダスは戦慄していた。
窓の外が青い光に包まれる。
1匹目が倒れた後のギーマの行動は早かった。 跳ねたモンスターボールを少し伸びた爪で拾い上げ、返す手で2匹目のモンスターボールを投げてくる。

「お行き、マイ・スウィート……キリキザン!」
ボールからポケモンが飛び出すと、雷鳴と金属音が混じり合いトウヤの耳に切るような痛みを残した。
トウヤは眉を潜める。 キリキザンのタイプは『あく』に『はがね』……ズルズキンのタイプの1つ『かくとう』に対して圧倒的に不利だ。
チラリとズルズキンを見るが、「怪しいから」といって大人しく交代に応じるようなポケモンではない。
意を決するとトウヤは部屋に飾られた机、銅像、シャンデリアを順に指差し大きく息を吸い込んだ。
「ズルズキン『とびひざげり』!」
トウヤが叫ぶとズルズキンは机の角から飛び上がり、英雄の剣を足がかりにシャンデリアを蹴ってキリキザンへと向かって行く。
「ここでその技とはね……いいねえ、惚れ惚れするよ。 だが……」
キリキザンが取った行動は腕を真っ直ぐ前に伸ばした「だけ」だった。
バカにされたのかと怒りの表情を浮かべたズルズキンが尻尾を軸に足を振り下ろす。
だが、攻撃が当たる直前、緑色の光がキリキザンを包み、まるで攻撃が跳ね返ってきたかのように弾き返されたズルズキンは1度床をバウンドしてから壁にぶつかって停止した。


「!?」
「だが、相手の手を読むには少し……場数が足りないようだ。」
起き上がろうとするズルズキンにキリキザンの赤い腕が突き刺さった。
床を打ったモンスターボールは壁にぶつかってトウヤの手元へと戻ってくる。
冷えた指先でボールを握り締めると、トウヤは片手でボールを入れ替え、キリキザンへと図鑑を向けたまま次のポケモンを繰り出した。
「メブキジカ!」
カツンとひづめを床の上に弾ませるとメブキジカは踊るようなステップでキリキザンへと近づき2本の長い角を光らせる。
「『ウッドホーン』!」
「『まもる』!」
雪のように白い角を受け止めた防御壁は激しく輝いた。
一瞬目を細めたトウヤの瞳に攻撃の姿勢へと移るキリキザンが見える。
トウヤは人差し指を突き出した。 すばやさならこちらの方が上だ。 トウヤの指示を理解したメブキジカがキリキザンを睨み、ひづめを大きく打ち鳴らす。
「メブキジカ、『しぜんのちから』!」
床に置いた両足にメブキジカが力を込めるとキリキザンの周りの地面が盛り上がった。
鋼で出来た身体が浮き上がる。 触れれば切れる鋭い刃の身体を持ったキリキザンだが、触れずに持ち上げられてはなす術がない。
小さな画面の中のHPメーターはあっという間に振り切れた。

ギーマの双眸に映ったのは先ほどキリキザンがズルズキンを倒したときの再現だった。
口元に笑みを浮かべるトウヤに肩をすくめると、四天王ギーマは足元まで転がってきたボールをうやうやしく取り上げて貴族が踊りに誘うような、気取った動きでトウヤへとお辞儀した。



「素晴らしい。 キミを見ていると私が初めて好きになった女性を思い出すよ。」
甘えるようにトウヤにすり寄ってきたメブキジカの鼻先をなでながらトウヤはギーマへと顔を向け、眉を潜めた。
トウヤが口を開く前に、ギーマは次のポケモンを召喚する。 ざらりと濁った音を立てて、そのポケモンは長い尻尾を床の上にこすりつけた。
「そう……彼女に会ったのも、灼熱の太陽が照りつけるリゾートデザート。
 強い日差しの中にいる彼女は、凛々しく、そして美しかった。」
ギーマの繰り出したワルビアルはぎょろりとした目玉でメブキジカを見ると、大きな体からは想像もつかないほどのスピードで飛び掛かってきた。
視線を動かすとメブキジカは2本の長い角で受け止める。
強い力で押し込まれ、踏ん張ろうとするメブキジカの足元からカーペットの毛が削がれる。
メブキジカのそばから離れないトウヤに笑みを向けながら、ギーマは少し仰々しいとも思える動作を交えながら話し続けた。
「彼女は古代の城を調査するためにやってきていた学者でね……まだ若く、親に連れられ調査に同行していた私に色々と教えてくれたよ。
 このワルビアルとも、そのとき出会った。
 バラのように美しい彼女に何度もアプローチしたものだが、残念ながら、ワルビアルのように捕まってくれることはなかったよ。」
「……メブキジカ。」
話し続けるギーマをよそに、トウヤはメブキジカの名を呼ぶ。
視線だけ動かしたメブキジカはワルビアルへと向けられた人差し指を視界に入れた瞬間、押し返されそうになって強く目をつぶった。
「そのままでいい、大丈夫、キミにも出来るよ。 細く息を吐いて。」

ふるえる足に力を込めると、メブキジカは再び目を開きワルビアルを睨む。
トウヤは伸ばした指先をそのまま天井へと向けると、帽子の縁に手をかけ視線をメブキジカからギーマのところへと移した。
「今から15年前の4月1日。」
それを聞くと、ずっとポーカーフェイスを保っていたギーマの表情が動いた。
「なぜ?」
「あいにくですが、それをギーマさんに教える時間はありません。
 ずっと鳴っていた轟音が消えてる。 Nに追いつかないと……ボクたちは、急がないと。」
視線を合わせると、メブキジカは応えた。
細く吸った息を詰めるとずっと組み合っていたツノが強く光り、組み合ったまま拮抗していたワルビアルをぐいぐいと押し返す。
「6! メブキジカ、『ウッドホーン』!」
トウヤが命令を出すと、メブキジカは長い後ろ足で床を蹴ってワルビアルを真っ赤な布で覆われた壁へと叩きつけた。
大きな音が鳴り、壁に掛けられていた額が落ちた。
小さなボールへと姿を変えたワルビアルには目もくれず、トウヤとメブキジカはギーマの方へと向き直ると臨戦態勢をとる。
何も言わぬまま、ギーマは手元へと戻ってきたボールを胸元にしまうと次のポケモンを呼び出した。


そのポケモンを見ると、トウヤは帽子のツバに手を当てたまま軽く自分の唇を噛んだ。
赤いトサカに長い尻尾。 なにより、腰元でひらひらとたわんでいる黄色く変色した自分自身の皮。
「ズルズキン……」
「キミも使っていたね、ズルズキン。 実にいいポケモンだよ。
 この世は全て裏と表、勝者と敗者、相反するもので成り立っている。
 『あく』と『かくとう』……決して交じり合うことのないはずない2つが1つのポケモンの中で火花を散らしている。
 ゾクゾクすると思わないかい?」
インクをまいたような夜空に青白い光が走る。
一瞬ハッとしたような顔をすると、トウヤはメブキジカと視線を合わせ、お互いにうなずきあった。
小さく息を吐きながらトウヤが指先をズルズキンへと向けると、メブキジカは絨毯の毛を蹴り飛ばす勢いでズルズキンへと向かって飛び出した。
迎え撃つため、ギーマのズルズキンが飛び上がる。
部屋いっぱいに咆哮を響かせたズルズキンを睨みながら、トウヤは帽子のツバを握り締めながらギーマと同じタイミングで指示を出した。
「ズルズキン、『とびひざげり』!」
「メブキジカ!」




「戻れ!」


突如現れた壁をすり抜け、ギーマの繰り出したズルズキンは部屋の隅に置かれたガラスのテーブルを突き破って転げ落ちた。
弾き飛ばされたブロンズらしき置物が床を打って耳障りな音を立てる。
細い息を吐くトウヤの瞳には滑稽な表情のまま立ちすくんで動かない四天王の姿が映った。
何がなんだかわからない、といった表情で体についた破片を散らしながら起き上がるズルズキンの背中に暗い影が落ちる。
振り返ると、両の腕を振り上げたゴルーグは山のごとくそびえ立ち、身体のどこに力を込めても避けられないというところまでその攻撃は迫ってきていた。
「ゴルーグ、『アームハンマー』!」
重機同士がぶつかり合うような、壁のような衝撃波がトウヤの顔にぶつかって背中へと抜けていく。
疲弊した足では受け切ることが出来ず、トウヤは後ろによろけて絨毯の上に尻をついた。
気絶したズルズキンを片手に握ったままゴルーグがトウヤの方へと顔を向ける。
少し恥ずかしそうにはにかむと、トウヤはひとりで起き上がり、影も見えない山の上へと視線を向けてから、ギーマの方に向き直った。

「カードキーをください。 それとも、ギーマさんには5匹目がいますか?」
一瞬、ギーマはいたずらが見つかった少年のような顔をしたが、すぐに出会ったときと同じ大人の表情に戻り、胸元のポケットから手のひらほどのカードを取り出しトウヤへと投げた。
くるくると回転しながら床につくことなく飛んできたカードを受け止めると、トウヤはゴルーグをボールへと戻し開きっぱなしの扉へと駆け寄った。
部屋を出る前、1度だけ振り返るとトウヤは薄明かりの中にいるギーマへと小さく手を振る。
「また、バトルしましょう。」
体を翻し、トウヤは来たときと同じチラチーノ毛の絨毯の上を走って外へと駆け出す。
水を打ったような静けさがポケモンリーグの場外には広がっていた。
やけに響く足音を気にしながら白く濁った息を吐き出すと、ポケモン図鑑で方角を確認し女神像のあった方向へと向かう。







「ありがとう、ゼクロム。」
崩れ落ちた天井からは星の光が零れ落ちていた。
ススだらけの床と見分けがつかなくなるほど黒く焦げたバッフロンに悲しそうな視線を送って、Nはゼクロムを空へと飛び立たせる。
トレーナーの王を名乗り、反り返って耳の腐るようなことを喋りかけていたニンゲンは今、Nの目の前でうなだれている。
「頼む……」
シワだらけの口がなにか言っている。
「頼む! ポケモンと人を切り離す……それだけはしないでくれっ!!」
すがるように伸ばされた手をNははねのける。
「……ボクとアナタはお互いの信念を懸けて死力を尽くして戦った、そして勝利したのはボクです。
 もう、なにも言わないで欲しい。 それにチャンピオン……アナタは優しすぎるんだ。
 数年前、パートナーだったポケモンを病で失い、心のスキマを埋めるためイッシュをさまよっていた。 本気で戦ったのも久しぶりなんでしょう。
 アナタのそういう部分はキライじゃないけど……」

夜風に荒れた息を響かせながら階段を駆け上がってくる足音と、崩れ落ちた大理石を跳ね除けながらゆっくりと近づいてくる足音。 それらの足音は2つ同時に聞こえてきた。
今、話し掛けたところでその耳に声が届くことはないだろう。
駆け上がってくる小さな英雄の足音を見ながら、Nは独り言を言った。
「……待っていたよ。 ボクのみた未来どおり、キミもストーンを手に入れたんだ。
 そのライトストーン……ゼクロムに反応しているね。」
「王……」
「……わかっている。」
アデクは自分を蔑んだ視線で見下ろしているゲーチスに掴みかかろうとしたが、ゲーチスの傍らにいるポケモンにあっさりと打たれ、階段を転がり落ちていった。
すれ違いになったトウヤの視線が動く。 戻るか立ち止まるか一瞬考えたようだったが、眉を潜めると彼は唇を噛んで階段を駆け上がってきた。


「N!!!」
上りきるなりモンスターボールを床に叩きつけたトウヤはズルズキンの『かわらわり』でNの足元に向けて攻撃してきた。
空から舞い降りてきたゼクロムがズルズキンを叩き返す。
いきなり襲い掛かるなどトウヤらしからぬ行動だったが、そうした理由も、ここまでやってきた訳も、なぜかNには手に取るように解った。
まるで、双子のように。
「……終わったよ、トウヤ! もうポケモンを傷つけることも、しばりつけることもなくなる。
 トモダチ、ゼクロムのおかげだ!」
短いスパンで息を吐き出しながら、トウヤの目が「そうじゃない」と訴えている。
「そうだ、まだ……キミがいる。 ……だけど! 伝説のドラゴンたちに相応しいのはここではない!
 地より出でよ! プラズマ団の城! このポケモンリーグを囲め!」
壁に反射した叫び声が消えると、ポケモンリーグの天辺にある白い宮殿の中は静寂に包まれる。
不思議そうな顔をしてトウヤが目を瞬いた。
次の瞬間、薄雲が広がり始めていた空に巨大な槍が突き刺さる。
轟音にトウヤはズルズキンを抱えてうずくまり、見上げた視線の先には月の光を隠すほどの……そして、山の頂上であったこの宮殿を覆いつくすほど大きな、馬蹄型の城がそびえたっていた。
「今出現したのが! プラズマ団の城! 王の言葉……あの高みから下々にとどろかせる。
 キミも城に来るんだ。
 そこですべてを決めよう。 ポケモンを完全にするため人々から解き放つか! それとも、ポケモンと人は共にいるべきなのか……
 ボクとキミ、どちらの想いが強いか……それで決まる!」


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