「ゴルーグ、『アームハンマー』!」
組み合わさった両手が大きく振り下ろされ、扉があるはずの壁面を強く打って鈍い音をあげた。
はがれた壁紙の下、傷ひとつついていない頑丈な壁を見てトウヤは舌打ちしたくなる衝動を抑える。
叩けば大体なんでもぺっちゃんこか粉々に砕いていたゴルーグの『アームハンマー』を受けても無傷。 これでは他の攻撃を出しても効果はないだろう、正攻法では。
4面の壁に天井と床も一通り叩いたが、どこも同じような感じだ。
「これは……アレだ。 巨大なモンスターボール。」
トウコちゃん風に言ってみる。 恐らく部屋全体が強靭な1枚壁で出来ているんだろう。
ならば、と、トウヤはメブキジカを呼び出した。
ポケモン図鑑をポケットへとしまい、両手の人差し指をゴルーグとメブキジカへと向ける。
「ゴルーグ! 『だいちの……」
言いかけてトウヤは止めた。 『だいちのちから』と『しぜんのちから』で部屋を揺らして、その音で誰かに気付いてもらう作戦だったのだが。
もし、この部屋が建物の外側についていて、部屋ごと谷底に落っこちたら?
想像してトウヤは身ぶるいする。 この作戦は中止だ。
もう少し頭を使おうと、イスを探してうろうろと部屋の歩いていると「こつん」と、硬いツノで背中を軽く小突かれ、トウヤは首を低くして自分のことを見ているメブキジカへと振り返った。
「怖いの?」
低い声で鳴きながら、メブキジカは耳をパタパタさせ頭をトウヤへとこすりつける。
「ボクもだよ。 でも、大丈夫。」
いつも上から見下ろしている黒い瞳が上目遣いにトウヤに向けられる。
トウヤは軽くメブキジカの眉間を叩くと、ゴルーグにこちらへ来るよう促した。
一息つく。 少しせっかちな、あのNがトウヤが来ないことを試合放棄と見なすのは時間の問題。 急がなければならないが、だからといって焦っていても仕方ない。
昔話は苦手で、自分のことを話すのも得意じゃなくて、だからこそあれこれ聞いてこないポケモンと一緒にいるのは安心する。
それはNの言う『人間の都合』なのかもしれない。 だけど、見つめてくるメブキジカの『声』くらい、トウヤにも聞こえるようになった。
「トウコちゃんたちに会う前……ほんの少しの間だけど、孤児院っていうのかな……子供ばっかりいるところで、よく、こんな感じで閉じ込められたよ。
ズルい子がいたんだ。 他の子の物を盗んだり隠したり、乱暴したり、お店のものを黙って持ってったり……それを……」
脱線してひっくり返っているおもちゃの電車を取り上げると、トウヤはそれをレールの上に置き直して軽く先へと進ませた。
ひとりでにスイッチが入り、手元を離れた電車は勝手に進むと再び同じところで脱線する。 ひっくり返ると、再び部屋は静かになった。
「それを、ボクや、気の弱い子のせいにしたりしてね。
寮母さんはいつもその子の味方だったから、よくボクが怒られたんだ。
ここは暖かいし、遊ぶものもたくさんあって明るいけど、その懲罰室によく似ているよ。」
少し気が紛れた顔をして、メブキジカはトウヤの唇を見ていた。
旅の途中少しだけ増えた傷も、今はもう見えない。
「だから、大丈夫。」
メブキジカの耳が動く。
「今はあのときと違ってキミたちがいるし、ボクは出られるって信じてる。
考えよう。 ここから抜け出す方法と、その後で戦ってNに勝つ方法。」
壁に開いた穴から次々と飛び込んできたトレーナーたちはチェレンも含めて8人にものぼった。
ほとんどがトウコとバトルしたり、遊んだりしたことがある人たちばかりだ。
「カミツレ! アロエ、アーティにフウロ! ヤーコンのおっさんも!」
胸が熱くなる。 ほぼ最強の布陣ではないか。
これだけいれば何でも出来ると確信し、トウコがいつもどおりすました顔をしたカミツレに駆け寄ろうとしたとき、不自然なくらいに幼い茶色い肌をした少女がトウコの体をすり抜けた。
「わるいやついないねー、どうしよっか?」
「道も2つか……どうする? 2手にでも分かれるかい?」
みなの視線がチェレンへと集中する。 考え込むような姿勢をとると、チェレンは小さくうなずき右の通路を指差した。
「……そうですね、時間が惜しい。 ここは2手に分かれましょう。
ただ、罠や敵の待ち伏せもあるかもしれない。 これ以上人数を分散させるのはナシの方向で。
アロエさん、アーティさん、ハチクさん、それとアイリス、向かって右の道へ。」
「あいよ!」
「……心得た。」
「りょーかい、リーダー。」
「それじゃ、いってきまーす!」
「……残りは、僕と。 目的は城の中にいるプラズマ団たちの殲滅と、回復装置、及び悪用されそうな装置の破壊です。
そんなこと言っている場合ではないけど、力で押さえつけたら僕たちもプラズマ団と同じになってしまう。
トウヤを見つけ次第、サポートに徹してください。 僕たちの最終目的はトウヤを無事にNのところまで送ることです。」
「おいおい……」
そんな悠長なことを。 肩を叩こうとした手がすり抜け、トウコは顔をしかめる。
「つーかさ、トウヤ来てんのかよ? アイツ1人ってやばくね?」
動き出した肩が自分から離れていくのを見てトウコは慌てて追いかける。
「あのさ、この城にアタシのポケモン捕まってるはずなんだ。 助けてやってくれよ、絶対役に立つしさ。」
返事がない。
「結構この中探険したからさ、案内くらいは出来ると思うぜ? なあ、チェレン……」
トウコは段々ムカムカしてきた。 カレンダーが間違っていなければ、捕まったポケモンはもう1年もこの中に閉じ込められていることになるのに。
立ち止まって、空気を吸い込む。 チェレンの後をついて歩いていたフウロの足が、ふと止まった。
「聞けよッ!!」
どうしようもないほど惨めで、トウコは泣きそうになる。
どうしてだろうか。 トウヤが見つけてくれるまで、こんなことは珍しくなかったのに。
「今のアタシじゃ無理なんだよ! アイツのこと守るって誓ったのに! アタシが弱かったばっかりに! プラズマ団に捕まっちまったんだ!」
口を突いて勝手に言葉が飛び出してくる。
段々記憶がはっきりしてきた。 そうだ、そのポケモンに出会ったときから、自分は……トウコとそのポケモンはプラズマ団に狙われていた。
「だから」突き落とされた。
「だから……」
助けてほしいのに。
どうして、チェレンは視線を合わせてくれないのだろう。
どうして、そのポケモンの名前を思い出すことが出来ないのだろう?
「銀河を照らすは赤き星々! 闇を駆けるは流星の煌き!
濁った心を茜に染める! 燃える正義の一本竹! バンブーレッド!」
「雲を射抜くは一筋の軌跡! 心に宿るは正義の一文字!
邪を切り裂き悪を貫く! 鋭き英知の一本竹! バンブーグリーン!」
「てんにのびるは、かがやくきぼう! ひろがるはっぱはちからのあかし!
こぼれたなみだをひかりにかえる! きいろいみらいのいっぽんざさ! バンブーイエロー!」
「……。」
「ハチクさんもやろーよー、せいぎのみかたはカッコよくしなくちゃ!」
心底複雑そうな表情を浮かべながら、ハチクは咳払いひとつしてモンスターボールの入った服のたもとに腕を突っ込んだ。
頬を膨らませたアイリスの後ろからは苦笑いを浮かべたアロエとアーティがついてくる。
「まあまあ、アイリス。 ハチクさんもそういうのが恥ずかしくなっちゃうお年頃なんだよ。」
「えー、ハチクさんがこのなかで1ばんせいぎのみかたみたいなのにー!」
スタスタと早足で先を歩きながらハチクは冷や汗をかいている。
一言も喋るまいと固く口をつぐみ、代わりに荒くなった鼻息と一緒に少し鼻水が出てきた。
先に進むにつれ、少しずつ道は狭くなってくる。
その間、1人のプラズマ団とも出会わないという状況に疑問を感じ、ハチクは眉を潜めた。
その感覚はアーティも同じようで、小さく後ろから「うーん」という間の抜けたうなり声が聞こえてくる。
「これは……映画とかでよくあるアレかな〜?」
「アレ?」
アイリスの甲高い声にアーティは人差し指を突き出した。
「そ。」
モンスターボールからポケモンを呼び出し、アーティはハチクへと人差し指を向ける。
ハチクが振り返った瞬間、ハハコモリから放たれた糸が体に巻きつき、ハチクは細い廊下の壁へと貼り付けられた。
足の下では底なしの真っ黒な空洞がぽっかりと口を開けている。
「落とし穴とは……あいつらにしちゃ、ずいぶんシンプルな罠だね。」
「そこがみえなーい!」
覗き込もうとするアイリスを止めつつ、アロエはモンスターボールからムーランドを呼び出す。
「アイリス、後ろだよ!」
「うぇ?」
振り返ったアイリスのすぐ目の前まで迫っていた『エナジーボール』をムーランドが叩き落す。
肩眉を上げてアロエは振り返った。 アイリスは目を丸くする。 いつの間にか背後にいた長いマントの男たち。
「はさみうちなんて、古い墓じゃよくある手さ。 さて……こんな化石みたいな手を使うのは、一体どちらさんだい?」
おや、と頬を動かし、アロエは身構える。
懐かしい顔だ。 偶然か必然か分からないが、ここでたっぷり晴らさせてもらおうじゃないか。 ドラゴンのホネを盗まれかけた、あのときの恨みを。
「一葉落ちて天下の秋を知る。
我々は歴史を知っている。 この城の出現はイッシュの歴史が変わる前触れ……」
「おやおや、奇遇だねえ。 あたしも古いことは大好きでねえ、とても昨日今日作られたとは思えないこの城に興味を持っていたところさ。
足元のムーランドがうなり声をあげる。
七賢人のアスラの後ろから、そろいの制服を着た下っ端が2人ほど現れた。
相手はモロバレルにムシャーナ。 速さこそないが嫌な組み合わせだ。
オノノクスを出したアイリスがぶるっと体をふるわせる。 背中からは、ひんやりした冷たさとともに強い殺気が感じられた。
「ん〜? なんか変だな、あのポケモン……」
助けるためとはいえ、壁に貼り付けてしまったハチクを床に降ろすため、ハハコモリとともに別行動していたアーティは背後で繰り広げられている戦いの様子を見て口を尖らせた。
開幕でいきなり放たれたオノノクスの『りゅうせいぐん』を食らってなお、プラズマ団のモロバレルはピンピンしている。
アイリスはポケモンを扱いことにかけてはジムリーダーの中でもトップクラスであるが、幼いゆえにまだ、手加減するということを知らない。
つまりは、耐えられるはずがないのだ。
気になってハチクに向かって口を開きかけたとき、白い着物の胸元から唐突に腕が伸びた。
すぐ目の前で凍りついた空気の塊が爆発する。
「……油断するな。」
繰り出したフリージオの背に乗り、ハチクは落とし穴の向こう側へと飛んだ。
アーティは手でひさしを作る。
「ん〜?」
向こう岸でハチクと戦っているのは、いつか大胆にも自分のジムのはす向かいにアジトを立ててくれたあのプラズマ団ではないか。
アーティはハハコモリと視線を合わせると、大口を開けた落とし穴をアーティスティックに指差した。
「よーし! ハハコモリ、絶望の谷に橋を渡そうじゃないか! 『いとをはく』!」
ニイッと丸い鳴き声をあげて両手の鎌を振り上げると、ハハコモリは上空に向かってキラキラと光る糸を噴き出す。
ふんわりと弧を描くと糸は落とし穴の対岸へと貼り付き、向こうとこちら側を結ぶ、少したわんだハシゴの形になった。
空を飛ぶように飛び上がると、ハハコモリはその穴を埋めるように大量の糸をハシゴへと吹き付ける。
1分と経たず、絹のように白く光る橋が出来上がった。
足の先で押してしっかりと強度が保たれていることを確認すると、アーティはその上を一気に駆け抜ける。
誰かに呼ばれたような気がして、チェレンは振り返った。
視線を移動させた先には、1番後を歩いていたフウロの耳の後ろが見える。
先頭にいるのは自分だ。 だから後をついてきているジムリーダーたちが呼び止めるということは充分あり得る。
だが、周りを見てもカミツレも、ヤーコンも、不思議そうに目を瞬かせているだけだ。
「おい、急ぐんじゃねえのか?」
「……え、えぇ。」
何かが心の中で引っかかる。 なぜか瞬間的にトウヤの顔がチェレンの脳裏に浮かんだ。
「……いや、」
『なぜか』じゃない、トウヤは今もこの城のどこかで戦っているのだ。
思い直して先へ進もうとしたとき、背後から風が吹いてきてチェレンの足が浮いた。
意識も出来ないうちに景色が逆転し、天地がひっくり返った状態のままチェレンは何か硬いものに叩きつけられた。
軽く吐き出した自分の声が別人のものに聞こえ混乱する。
ぼやけた視界を必死に動かして原因を探っていると、大きな舌打ちとともにヤーコンの怒声が聞こえてきた。
「……おい、フウロ! お前鳥の専門家だろ、なんとかしろ!」
「そんなこと言われても……! いくら数がいるとはいえ、あんなに強いマメパト見たことないよ!」
その声を聞き、初めてチェレンは自分が風圧で壁に貼り付けられている現状に気付いた。
息が出来ない。 視界がぼやけているのはいつもつけているメガネがどこかへと飛んでいってしまったせいだ。
「マメパト……?」
「チェレンくん、気がついた? そーなの、廊下の向こう側にマメパトが6匹!
だけど、『ふきとばし』の効果なんてせいぜい一瞬よ! ウォーグルでもないのに相手を動けなくするほどの風圧なんて聞いたことないわ!」
「おい、カミツレ!」
「やってもいいけど……壁伝いにみんな感電するわよ。 OK?」
「のー!」
口元に手を当てながらフウロが悲痛な悲鳴をあげる。
確かに、出来れば無傷で倒したい。 だが、それには一瞬でいいから相手の動きを止めるのが絶対条件だ。
歯を食いしばり、はるか遠くで動き続ける灰色のものを睨みつけると、一瞬、ほんの一瞬だけ風に吹かれて揺れている長いポニーテールが見える。
「『ほうでん』ッ!!」
甲高い叫び声が聞こえたかと思った瞬間、黄色いフラッシュが廊下全体を駆け、チェレンとジムリーダーたちの視界を奪う。
動きを封じていた強い風が止まった。 すぐさま飛び出したカミツレがモンスターボールを開くと、割れるような雷の音と共にしなやかな身体が飛び、動きの止まったマメパトたちの真上まで接近する。
「ゼブライカ、『10まんボルト』!!」
空気の裂ける音が廊下中に響き渡った。
ビリビリと痛いほどの振動が肌に伝わり、閃光が瞳を貫く。
悲しそうな顔をするフウロの前にプラズマ団のマメパトたちが落ちた。
「ふぅ」と白い息を漏らしながら上げていた指先を下ろすと、カミツレはヒールの高い音を響かせながら床に腰をつけている七賢人へと歩み寄った。
チェレンはメガネを拾う。 幸い、どこも壊れてはいなさそうだ。
幾分か輪郭のはっきりした景色の中でチェレンが見たものは、たてがみをバチバチと鳴らすゼブライカ。 その傍らで眉を潜め、怖い顔をして相手を睨んでいる、ライモンシティのジムリーダー。
「ねえ」
凛とした声は細い廊下によく通った。
「ピンク色の帽子を被った、長くて茶色い髪の女の子見なかった?」
「ピンクの……?」
直感的にチェレンはカミツレがトウコのこと聞いているのだと感じた。
「白地に、ピンクのキャップ帽よ。 シルフのボールシリーズ……モンスターボールが刺繍されてるわ。」
「それなら……」
カミツレが目を見開いた瞬間、黒い影がチェレンたちの真上を飛んでいた。 「危ない」なんていう言葉が耳に届くには遅すぎて、腕を上げる暇もない。
銀色の刃が振り下ろされたとき、カミツレはその場から1歩も動くことが出来なかった。
赤い雫が落ちる。 短く上がった悲鳴は、フウロのものか。
だが、それよりなによりチェレンは目の前の状況が信じられなくて、ただ、たたずんでいた。
「う……そ……」
背中に大きな切り傷を受けながらも、ゾロアークはうなっていた。
攻撃を指示したプラズマ団が黒いマスクの奥で舌打ちする。 慌てて放電したゼブライカのおかげで距離はとれるが、完全に不意を突かれた攻撃は致命傷に近い。
「追撃がくる! ヤーコンさん、フウロさん、身構えて!」
アタフタしているフウロに向けられた電気の網を、ヤーコンが繰り出したドリュウズが叩き落す。
息を吸い込むとチェレンはカミツレに抱えられたゾロアークのもとへと走る。 冷たく跳ねる鼓動は『嫌な予感』なんて言葉で済ませられるものではなかった。
「トウコちゃんのゾロアーク……!」
「いま、傷薬を……!」
いろんな思考が頭の中を駆け巡る。 近くに『いる』のか、いないのか、傷ついたゾロアークを回復させる方法、現状打破の手段。
『すごいきずぐすり』のむせ返るような匂いが広がると、ゾロアークは目を見開き、暴れるような仕草で真上へと吼えた。
『いる』。 あれはアギルダーだ。
迫り来るスピードに反応しきれずチェレンが上を見上げたとき、軽く背中を突かれるような感覚とともにピンク色の物体が上空へと跳び上がった。
「ネーッ!」
『すてみタックル』、指示も出さずに放たれた一撃にアギルダーは弾かれ、天井と床にぶつかって飛んだ。
ぽよぽよと着地したタブンネは荒くなった鼻息も治まらないうちにチェレンの方へと振り返り、若草のような緑色に光る波導をゾロアークへと向けた。
チェレンはその様子を見て固まっていた。
指示を聞かない、妙なほど強い、それに、誰かに似たようなこの性格。
「タブンネ、キミは……?」
チェレンの尋ねる声をよそに、タブンネの長い触角はぴんと真っ直ぐに張った。
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