『しらない! しらない! ボクじゃない!!』
『嘘おっしゃい! もう5人もあなたが盗んだところを見たって言っているのよ! あなたじゃなかったら誰が盗んだっていうの!!』
『しらない! ボクしらない!!』
『嘘つきは懲罰室に閉じ込める決まりです。 ここでしばらく頭を冷やしなさい!』
『出して! せんせえ、出して!!』
広いし、明るいし、玩具も好きなだけといえるほど用意されているけど、あの部屋の中にいたとき、凍えるように冷たい懲罰室を思い出した。
叩いた手の痛みを忘れたくて、唇を噛むようになった。
笑みを思い出すのに、時間がかかるようになった。
『……だれ?』
『イシシッ』
『キミが出してくれたの? ……わ』
それが、ボクのポケモンとの初めての出会い。
小さな獣となって遠ざかっていく『なにか』の姿は子供の目から見ても小さくて。
その姿を追う間もなく、近寄ってくる『先生』の声に、ボクは逃げ出した。

『あれ……ポケモンじゃないや? オマエ、いつからここにいたんだ?』
『じゃ、今日からオレが、オマエの家族になる!』
『トウヤ! ここにいたんだね!』

血の繋がった両親は死んじゃったけど、本当に必要なときは誰かが手を差し伸べてくれた。
閉じ込められて泣いているボクが見える。 おごりかもしれないけど、自分勝手な勘違いかもしれないけど、もし、彼に差し伸べる手になれるなら。








「バイバニラ!?」
キンッ、と、高い音を響かせ、Nのバイバニラは小さなモンスターボールへと変わり、真っ白な雪の上へと落ちていく。
着地に失敗しゴロゴロと勢いよく転がると、ダイケンキは両手に構えたアシガタナを油断なくNの方向へと向けた。
「……今のは、アバゴーラの『アクアジェット』のコピーだね。」
「えと、うん。 さすがに1回じゃ上手くはいかないね。」
「キミはそうだ、物事をよくミる。 キミの目にはきっと、真実の世界が映っているのだろう。 だけどね……」
Nはモンスターボールを白い床へと叩きつける。
強い風が吹き、ビリビリとした痛みが足元から髪の毛の先まで伝っていく。
「……ゼクロム!」
「閉じ込められた真実ではこの世界を何も変えることは出来ない!
 ボクはボクの理想をもってイッシュを、この世界を変えてみせる! ゼクロム!!」
「戻れッ、ダイケンキ!」
痺れた指先に小さなボールの感触が伝わると、トウヤはゴルーグの入ったモンスターボールをゼクロムの前へと放つ。
足元が響き、重みで舞い上がった雪を見てトウヤは目を見開いた。
悪手だ。 『その可能性』を持っているのが彼女だけだと、なぜ今まで思っていたのか。

「『ナイトバースト』!!」
黒い衝撃がゴルーグの降り立った白い大地ごと吹き飛ばす。
色を変える景色の中心で、飛び散ったインクのように小さなボールが空を舞っていた。
吸い寄せられるように手が動き、床の上を跳ねたモンスターボールを受け止める。
湧き上がる気持ち突き動かされトウヤは自分が思うよりも先にダイケンキのボールをフィールドへと放っていた。
煙をあげる足元からダイケンキは『ゼクロム』を睨みつける。
大きく息を吸い込むと、それを合図にしてトウヤとNは同時に技の指示を繰り出した。
「1、2、3、4、5! ダイケンキ『ふぶき』!!」
「『ナイトバースト』!」
白と黒の攻撃が部屋の中心でぶつかり合い、大きく火花を散らして弾け飛んだ。
爆風にあおられるトウヤを気にするダイケンキに、トウヤは首を大きく横に振ってこたえる。
「『アクアジェット』!」
自分の今いる位置すらわからない煙の中、トウヤが指示する方向へとダイケンキはアシガタナを抱えて飛び込んでゆく。
煙が吹き飛び、真っ赤な爪でアシガタナを支えるゾロアークの姿があらわになる。
ギリギリ、だが、押し込みきれていない。 Nは冷たい目をしてダイケンキに指先を向けると青いポケモンと組み合うゾロアークに指示を出した。
「ゾロアーク、『きあいだま』!」
身体の影から煙が噴いて、ダイケンキは吹き飛ばされた。
スローモーションのようにゆっくりと宙を舞うと、雪、スス、色々なものが混ざり合った灰色の床の上へと横たわり、小さな唸り声をあげながら、小さなモンスターボールの中へと戻っていく。

「……“まだ戦える”、か。」
Nは小さくつぶやくと、ダイケンキのモンスターボールを拾い上げたトウヤに視線を向ける。
「これで5匹、戦闘不能だ。 最初にキミが言ったとおりならば、手持ち全てが戦えない状態になったことになる。
 ……トウヤ。」



「……まだ、隠しているつもりかい?」

Nに言われ、トウヤはカリカリと、爪の先で帽子のツバを引っかいた。
小さく首を横に振ると、肩から提げたバッグの中から、紫色をしたモンスターボールを引っ張り出す。
ふわりと、春の訪れを告げるような暖かい風が吹いた。 息を吐き、吸い込み、もう1度細く吐くとトウヤは紫色をした真新しいモンスターボールを宙へと放った。

「レシラム!」

水を打つほどの静けさを伴って、そのポケモンは現れる。
闇を溶かすほどの純粋な白をたたえる1対の大きな羽根を広げ、その両の足が床の上に置かれる瞬間さえ、まるで壊れそうな置物を扱うかのごとく、柔らかに。
長い髪を揺らす暖かな風をその身に受けながら、Nは何かを言おうとして、やめた。
帽子を深く被り直すトウヤに、指先を向ける。
何度も主の方を確認するゾロアークを瞳に映してから、トウヤはNが向ける指の先へと、自分の人差し指を向けた。
「目を覚ませ、N。 悪夢は終わりだ。」
「……ッ! ゾロアーク、『ナイトバースト』!!」
「『きりさく』んだ、レシラム!」
牙をむくゾロアークの中心を、流れるようにレシラムの爪が通り抜ける。
驚いたように目を見開き、ゾロアークがモンスターボールの中へと吸い込まれていく。
カツン、と、静けさの支配する部屋の中にボールの弾む軽い音が響く。
朝焼けに照らされ、雪のようにきらめいている伝説のポケモンを見上げると、Nは、拾い上げたゾロアークのモンスターボールを胸に抱えたまま、真新しいボールを力任せともいえる勢いで投げてきた。

「ゼクロムッ! 『クロスサンダー』!!」
耳を覆いたくなるほどの轟音を伴い、黒き龍は全身から青白い光を放ち、その雷をもって冷え切った空を割る。
……近づいてくる。 全てを消すほどの圧倒的な力をもって。
薄闇の向こう側から突っ込んでくるゼクロムに退避しようとしたトウヤを、レシラムは押し留めた。


「恐れることはない。」

「オマエが真実を求めるならば、真実へと続く道を作るのが私の役目。」


「ババリバリッシュ!!」
身体ごと雷撃を纏って飛び込んできたゼクロムをレシラムは両の翼から伸びた爪で受け止める。
キンと耳鳴りのような音が鳴り、長く伸びた尻尾の先から冷え切った身体を燃え上がらせるほどの熱気が渦巻いてゆく。
包み込むように守っていたレシラムはトウヤに視線を向けると小さくうなずいた。
帽子のツバを上げ、トウヤはそれに応える。
「レシラム! 『クロスフレイム』!!」
トウヤの声が響くとレシラムは両の足を灰色の床から浮き上がらせ、ゼクロムを押し返し始めた。
火傷しそうな熱気が降り積もっていた雪を溶かし、白いもやを作っていく。
「ンバーニンガガッ!!」
白く燃え上がった炎がレシラムの口元から離れると、目も眩むほどの激しい光がトウヤとNを包み込んだ。
遠くの山がふるえているのが聞こえる。 体から薄白いもやを放つゼクロムは、黒い羽根も傷ついて飛び続けることもかなわず、いびつな弧を描きながらトウヤたちの方向へと落ちてきた。
「まだだッ! ゼクロム、『ギガインパクト』!!」
深い谷底へと吸い込まれようとしていたゼクロムはNの声が響くと崩れかけていた城の壁をを蹴り上げ、上空から見下ろすレシラムのもとへ跳び上がった。
目を見開いたレシラムの首元にゼクロムの鋭い爪が突き刺さる。
キィッと甲高い鳴き声をあげると、レシラムは空に散っていく自らの羽を瞳に映したまま、紫色のモンスターボールの中へと吸い込まれた。
荒く息を吐くゼクロムが壊れかけの部屋の中心へと降り立つと、Nは、爪が刺さるほどに自分の両腕を抱きしめながら、宙を舞うモンスターボールを2つの瞳に映す。
「…………勝った。」
小さく動いた口元が、ふるえるように小刻みに動き出す。
「ボクの理想が……真実を求めるトウヤとレシラムの力に打ち勝った。 これで……
 …………これで……!」



「ダイケンキ、『アクアジェット』!」

「え……?」
顔を上げたNの目の前に、光の矢は放たれた。
いくらかも体力の残っていなかったゼクロムの胸元をダイケンキの抱えるアシガタナはとらえ、崩れかけていた足元を、かろうじて平衡を保っていた黒い身体を絨毯の上へと沈めてゆく。
冷たい風を残してゼクロムの姿が消えると、Nは呆然と空っぽの空間を見つめ、やがて、山の隙間から顔を出した太陽に軽く顔をしかめた。
「『げんきのかたまり』。」
トウヤが手を開くと、細い指の隙間から黄色い砂となった欠片がさらさらと零れ落ちてゆく。
「これを使ったボクを……Nは、『ズルイ』と思う?」
風に流されて消えゆくそれは、やがてトウヤの手のひらからも消え去った。
Nは、いたずらを叱られた子供のような顔をしていた。 汗ばんだ手を握り、トウヤのそれよりずっと高いところにある視線はトウヤのことを見ようとしない。
「キミは……」
言いかけて口をつぐみ、Nは唇を噛む。
まだボールは残っている。 半ば力任せに引きちぎると、Nは最後の1匹……ギギギアルをモンスターボールから呼び出す。
「『10まんボルト』!!」
歯車の回転速度を上げ、ギギギアルは赤いコアに集められた電撃をダイケンキへと向かって放出する。
攻撃が当たる一瞬、Nは驚いたように目を見開いた。
ダイケンキという種が命の次に大事ともしているアシガタナを、トウヤのダイケンキはこともあろうか投げ捨てたのだ。
真正面から『10まんボルト』の直撃を受けたダイケンキはそれでも足を踏ん張り、ギギギアルを睨みつける。
次の一撃は、確実にギギギアルを仕留めるだろう。
「待て」と、トウヤは攻撃姿勢を崩さぬダイケンキを細い右手で止めている。
視線は幾度も部屋の中をさ迷う。
「……わからない。
 異なる考えを否定するのではなく、異なる考えを受け入れることで世界は化学反応をおこす。
 これこそが……世界を変えるための数式……」
Nの手がモンスターボールへと伸びる。 ボールの中に閉じ込められたギギギアルは、カタカタと小さく音を鳴らし続けていた。
釈然としない表情をNはしていたが、トウヤはダイケンキを止めたまま、Nのことを見続けていた。
いつか、誰かが同じ方法で戦いを挑むはずだ。 だから、こんな方法をとったことをトウヤは後悔していない。
視線を落としたNを見続けていると、不意に傷だらけの唇が、トウヤへと向かって言葉を紡ぎだした。
「……キミに話したいことがある。」
戦意を失ったその声色をトウヤは聞き分けた。
緊張で強張っていた手を解き、その手のひらでダイケンキの頭をなでる。
「……キミと初めて出会ったカラクサタウンでのことだ。
 キミのポケモンから聞こえてきた声が、ボクには衝撃だった……なぜならキミのポケモンたちは、キミのことを「スキ」といっていた……一緒にいたい、といっていたから。
 ……ボクには理解できなかった。
 世界に人のことを好きなポケモンがいるだなんて、それまで、そんなポケモンをボクは知らなかったからね……
 それからも、旅を続けるほどに気持ちは揺らいでいった……
 心を通いあわせ、助けあうポケモンと人ばかりだったから。
 だからこそ、自分が信じていたものがなにか確かめるため、キミと闘いたい……おなじ英雄として向き合いたい。 そう願ったが……」
Nが言葉を続けようとした瞬間、ダイケンキが不意に顔を上げる。







「……ギッ、アアああァぁッ!!? や、やめロッ、触るな! 私に近づくんじゃない!! ぐああッ!!?」


触れた指先が跳ね上がるほどの悲鳴に、トウヤとNは同時に顔を上げた。
躊躇なくギギギアルのモンスターボールを手に取ると、Nは戸惑った表情をするトウヤに壁向こうの空間を指差して伝える。
「……隣の部屋だ!」
駆け出したNの背を追うようにトウヤは崩れた壁の端を乗り越え、それまでいた謁見室に続く控えの間へと飛び込む。
一刻も早く状況を確認しようと走り出した途端、トウヤはNの背中にぶつかった。
静電気で吸い付くNの長い髪を顔から払うと、視界を覆い隠していた大きな背中が動き、悲痛な、甲高い悲鳴が部屋の中にこだまする。
「……やめてっ! やめてくれッ!!」
聞いたこともないようなNの叫び声に戸惑うばかりで、トウヤがその部屋の状況を確認するのにはずいぶんと時間がかかった。
泣きじゃくって何かを訴えるN、その視線の先……部屋の中央にいるのは七賢人のゲーチスだ。
その彼は何もないところでひっくり返って、まるで断末魔のような悲鳴をあげつづけている。 血も、目立った傷もどこにも見当たらないが。
傍らで心配そうに見下ろしている三つ首の龍のようなポケモンをゲーチスが叩いたのを見て、トウヤはNの脇をすり抜けゲーチスへと駆け寄る。
三つ首のポケモンは困ったように小さく鳴き声をあげていた。
場合によっては引き離すことも考え、後ろからついてきているダイケンキに指示を出そうと息を吸うと、ふわりと、細い腕がトウヤの視界をさえぎる。

「トウコちゃん!」
長い髪をなびかせて厳しい表情でトウヤを見つめていたトウコは道を塞ぐように上げていた腕を下ろすと小さく息を吐いた。
「……なに、したの?」
「仕返し。」
そう言われても、悲鳴を上げ続けるゲーチスと泣きじゃくるNに挟まれたトウヤにはピンとこなかった。
戸惑った表情をしていると、不意にトウコは笑い、Nの方をトウヤにしか見えない角度から指し示す。
「心配すんな、もうやめる。 ……トウヤ、あと、よろしくな!」
「え?」
春一番のような、強い風が小さな部屋の中を駆け巡る。 雲も、雪も、よどんだ空気も全て持ち去っていくような。
トウヤが顔を上げたとき、部屋の中にはNの奏でる嗚咽だけが不規則に響いていた。
ゲーチスは部屋の中央で気絶していた。 念のため確認してみるが、どこにも傷らしきものは見つからない。
「トウコちゃん? どういうこと?」
光の中に呼びかける。
「よろしくだけじゃ、何すればいいのか……ねえ?」
返事がない。
「あれ……トウコ、ちゃん……?」
返事が、ない。

「トウコちゃんッ!?」

返事は、ない。





「トウヤ、無事か!?」
チャンピオンのアデクと一緒に控えの間へと飛び込んだチェレンは、目の前に広がっている光景に一瞬、我が目を疑った。
「こりゃ、一体……?」
部屋の中央で死んだように動かないゲーチスに、子供のように泣きじゃくっているトウヤとN。
その2人を取り囲むように、彼らのポケモンは2人の顔を覗きこんで時折困ったような表情をしていた。
傷だらけのポケモンたちを避けながらトウヤのもとへと進んでいくと、トウヤはチェレンの存在に気付き、真っ赤になった鼻の頭をこする。
「トウヤ、何があったんだ?」
「チェレン……! トウコちゃんが……トウコちゃんがッ!」
パニックを起こしているトウヤの言葉は説明にもなっていなかったが、チェレンはトウヤの頭に手を置いた。
白目を剥くゲーチスへと近づくと、爪あとの残る絨毯の模様を見下ろし、アデクはふむ、と小さく息を吐いた。

「こりゃあ、ゾロアークの幻影だな。」
「幻影?」
「あぁ、ゾロアークは戦う相手に幻を見せて自分や群れの身を守る。
 この男……ゲーチスといったか、戦っているうちにゾロアークの幻影に引き込まれたんだろう。」
「それって、どんな……」
「自分が1番恐れているもの……だろうな。」
そう言ってアデクは倒れているゲーチスの足元から何かを拾い上げた。
赤くて、手の中に収まるほどの小さな箱。 見覚えのあるそれに、チェレンは眼鏡の下で小さく目を見開いた。
「ゲーチスは……自分のポケモンに、サザンドラに……牙をむかれる悪夢を……」
嗚咽を交えながら、ぽつりとそう言ったNにアデクは眉をあげる。
ごめんなさい、と、今だ泣き止めずにいるトウヤの口から、そんな言葉が漏れる。
返事もできずに首を横に振るNを見ると、アデクは息を漏らし、手の中にある赤い図鑑の表紙をNへと向けた。
「なあ、N。 トレーナーがポケモンを捕まえたとき、ポケモン図鑑には捕まえた主の名前が『おや』として登録される。
 ……もちろん、それは人間の勝手な分類かもしれん。 しかし、今度の1件、そう考えるとしっくりこんかね?」
涙を拭うと、Nは自分のポケモンたちに目を向ける。
激しいバトルを戦い抜いたあとのポケモンたちは、皆一様にボロボロで、それでも変わらぬ眼差しをNに送り続けていた。
チェレンは立ち上がると、自分のバッグの口に手を当てた。
今となっては少しなつかしい。 赤い鼻をこすりながら、トウヤはテキパキとポケモンの回復をするチェレンに視線を向ける。

「ありがと、チェレン……」
「いいよ、キミのことだから言っても足りなくなるだろうと思って、もともと多めに持ってきていたんだ。」
そう言ってチェレンはNのゼクロムにも『かいふくのくすり』を吹きかけた。
驚いたように目を見開き、立ち上がろうとしたNの肩をアデクは押さえてその場に留めさせる。
「Nよ……いろいろ思うことがあるだろう。
 だが、おまえさんは決してゲーチスに操られ理想を追い求めたのではなく、自分の考えで動いたのだ!
 だからこそ、伝説のポケモンと出会うことができたではないか!」
「……だが、ボクに英雄の資格はない!」
「そうかあ? 伝説のポケモンとともにこれからどうするか……それが大事だろうよ!」
「わかったようなことを。 今まで、お互い信じるもののため争っていた。
 だのに! なぜ!」
「Nよ……お互い理解しあえなくとも否定する理由にはならん!
 そもそも、争った人間のどちらかだけが正しいのではない。 それを考えてくれ。」



Nはアデクから視線をそらすとゼクロムに、そしてレシラムにその目を向けた。
伝説のポケモンたちはお互いにお互いを見つめながら小さく、人間たちの邪魔にならないように世間話などしている。
トウヤはまだベソをかいていて、チェレンに回復してもらったNのゾロアークがなんとかなだめようとイリュージョンを繰り返している。
むき出しの身体のままトウヤの膝の上でオロオロしているイワパレスを見て、Nはポケットの中で、汗ばんだ手を拭った。
「ポケモンのことしか……いや、そのポケモンのことすら理解していなかったボクが……
 多くのポケモンと出会い、仲間に囲まれていたキミにかなうはずがなかったか……」
「……N?」
鼻をグスグスいわせながら、見上げてくるトウヤにNは自分の手を差し出す。
ポケットに手を突っ込んでゴシゴシとこすると、トウヤは差し出された白い手を掴み、軽い身体を立ち上がらせた。
「トウヤ、ボクの部屋に青いトイボックスがある。 その1番底にあるものをキミに返すよ。」
「……?」
「言った言葉の意味はわかるね?」
「うん……」
「じゃあ、大丈夫だ。」
握ったままの手を離すと、Nは目の端にたまった涙を拭い、トウヤたちに向かって一礼した。
不思議そうに目をパチパチさせているトウヤ見ると、倒れたままのゲーチスを一瞥し、崩れた謁見の間へとポケモンたちを引きつれ進んでいく。
「……行くのか?」
「ああ、チャンピオンはこんなボクを許してくれたが……ボクがどうすべきかは、ボク自身が決めることさ……」
帽子のツバを引き下げたNを見て、トウヤは彼を追いかけ、走った。
一番大きな瓦礫を乗り越え謁見の間へと飛び込むと、朝焼けのまぶしい光とともに風のうなる大きな音がトウヤの耳に飛び込んでくる。
「N!!」
「トウヤ!! キミは夢があると言った……その夢……かなえろ!
 すばらしい夢を実現し、キミの真実とするんだ!
 トウヤ! キミならできる!!」
トウヤは唇を噛んだ。
何かを叫んだが、その声は自分自身ですら聞き取れないほどのもので。

「それじゃ……サヨナラ……!」


風が舞い上がり、Nを乗せたゼクロムはあっという間にトウヤたちの視界から消えていった。
再び泣きそうになったトウヤの肩をチェレンが抱き、あふれ出しそうな心を繋ぎとめた。
「……また、会えるさ。」
チェレンの言葉にトウヤはうなずく。
背中を小突いて、あるいは足元にまとわりついてくる自分のポケモンたちに視線を戻すと、トウヤは不器用にはにかんで歩き出した。
いくらかのポケモンをモンスターボールへと戻すと、一直線に城の反対側へと向かう。
途中、すれ違ったジムリーダーたちと言葉を交わしながら、ところどころ崩れた廊下を渡って、数時間前まで閉じ込められていたNの部屋の中へと辿り着くとトウヤは部屋の1番奥に押し込められていた青いトイボックスをひっくり返した。





「……N、なんて?」
「この箱の1番底に入ってるものを、ボクに返すって……」
「……って、おもちゃばかりじゃないか……トウヤ、おもちゃなんて持ってたのか?」
「ううん。」
トウヤはバッグの中からナイフを取り出すと、布張りにされていたトイボックスの底を真四角に切り取った。
爪をかけて引っ張ると、二重底になっていた箱の底がたわんでもぎ取れる。
「取れた……」
「……迷いもなくナイフを取り出しておいて、意外そうに言わないでほしいよ。
 それで、Nが残していったものって何だったんだ?」
「ちょっと待って、今……」
取り出したそれを見た瞬間、チェレンとトウヤは「あ、」と、小さな声でハーモニーを奏でる。
白いデニム地の上にプリントされたピンク色のモンスターボール。 汚しては洗ってを繰り返したのだろう擦り切れたツバの先を、トウヤは触って、自分のそれに触れた。
トウヤから借りると、チェレンはそれを回して感触を確かめる。
チェレンも『それ』には見覚えがあった。 顔を見合わせると、トウヤは小さく、小さくつぶやくように声を出した。
「トウコちゃんの帽子だ。」


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