〜最終決戦・五〜

 「えーっきしょーおおそぉいッ!」



 ・・・・・・

 「げほげほっ」

 タツミの足が止まった
 水と空気が入り混じったむせる声、ばしゃばしゃともがく音
 
 「っげへ、ぶ、はぁっ!」

 振り向くと、涙目になりながらも
 ポケモンに肩を支えられながら立ち上がろうとするゴールドの姿があった

 「ミズち、ミヅチ・・・? あの水球はすげーな、手品みてーげっほ」

 「また立ち上がるとはな」

 「あたぼーよ。オレを誰だと思ってやがる」

 にいと不敵に笑うゴールドを、タツミはじと目で見た
 ニョたろうに支えられつつ、片膝をつきながらゆっくりと立ち上がる
 あーあー、ぐしょぐしょだ、びしょ濡れだと悪態までつく
 
 「誰とも何も思わぬ。私が思うのはただ1人」

 ギャラドスとミロカロスが再び、床を滑るように舞い始める

 「ディック様、ただ1人」

 ゴールドはへっ、と身体を震わせながらも強がる
 立ち上がったものの、ダメージは相当残っていた
 腹のなかが痛いんだか熱いんだかわからない、背中もびきびきいう
 これは絶対に正常な状態ではない、ということはわかる

 「負けられねーんだ」

 実戦経験、背後に回られた動き、能力を利用した技の威力
 あれだけで、そのすべてにおいて彼女の方が格上だと思い知らされる
 
 相手が格上だから負けて当然?
 ふざけんな
 下克上上等!
 こっちだって修羅場ならいくつも通ってきた

 「仕切りなおしといこうぜ。ポケモンバトルのな」

 「手早くトレーナーだけを潰す方が確実なのだが、まぁいい」

 タツミがすっと右手で、折り曲げた人差し指と中指でゴールドを指す
 変な指の指し方だな、と思う余裕もない

 「痛みに沈め。ギャラドス、ハイドロポンプ」

 「!」

 タツミが指示したハイドロポンプ
 それは一見、ただのポケモンが放つ技にしか見えなかった
 油断ならない、ゴールドは構えた

 トレーナー能力でも地力でもかなう相手ではない
 だが、水ポケモン同士の戦いなら分があるのだ
 
 マンたろうが飛び出し、その大きなひれでそれを受け止める
 そう、特性のちょすいがあればいかなる水タイプの技も無効にし、HPを回復させてしまうのだ
 ただ水ポケモン同士には変わりなく、技の応酬次第では長期戦になる
 それまで、ダメージを負ったゴールドの身体が保つかわからない

 「よーし、そのままだ。そのまま、そのま・・・」

 守られ、ニョたろうと一緒に体勢を低くするゴールドが小さく頷く
 身体の痛みのあって、しゃがんでいる方が楽だった
 いや、それでも痛みで声が途切れたわけではない

 マンたろうの様子が変だ
 その表情も苦悶している
 
 やはりハイドロポンプに何か仕掛けがあったのか
 何か毒のようなものを仕込まれたのか

 「ギャラドス」

 タツミの言葉でハイドロポンプから、別の技へ切り替える
 ウォォオオンと天井に向かって低くうなり、ギャオォオスと大きな咆哮をあげた
 それによって水に揺らめく天井が黒く厚い暗雲に立ちこめられ、ゴールドも何の技かすぐにわかった

 あまごいだ

 ざっ、と突然それが降り注いできた
 その技の恐怖をゴールドより、身に染みてわかっていたマンたろうがかばうようニョたろうと彼に覆いかぶさった
 大きなひれで彼らをすっぽり包み、ぎゅうっと水の浸る床に尻餅をつかせるほどに押し付ける

 「おい、マンたろう!?」

 異常な様子にゴールドがマンたろうに手を差し出し、わずかに外に出た指先が雨に触れる
 ビシッという異様な音に咄嗟に手を引っ込め見ると、その指が震え赤くなっていた
 いや、打たれたせいだけでなく・・・少しだけ切れている

 あまごいにトレーナー能力を組み合わせた例、降り注ぐ熱湯にした奴は知っている
 タツミは水流と水圧を自在に操ると言った
 ゴールドの指と同じ太さぐらいある重いしずく、針のように細く尖り刺さるしずく
 こんな2種類の・それもお互いの威力や持ち味を殺すことのない雨を食らっていたら、1分も保たずにずたぼろになっていただろう
 恐らくハイドロポンプも普通に見えて、実はそれ以上の膨大な水量をかためた強力版だったのだ

 しかし、こんな風にいくら水圧と水量を調節したとしても水技は水技だ
 特性のちょすいはどんな水だって、その身体で無効にしてくれるはずなのに
 どうして、タツミの水技だけ・・・・・・

 「浸透圧」

 降り注ぐ雨のなか、悠然と立つタツミがつぶやいた
 彼女の周りだけ普通の雨なのだろう、部屋中のそこだけが安全地帯らしい
 それ以外は重く太い・細く鋭い雨で逃げ場がない、完全な包囲網だ

 「浸透圧・・・?」
 
 「今の、お前のポケモンに起きている適切な言葉として近い化学の用語がひとつだ。
 ある一定の大きさ以下の分子のみ透過する半透膜という境を通して、濃度の低い溶液から濃度の高い溶液に溶媒が移動するように働く圧力のことを指す。
 一般的には溶液が持つ、溶媒を引き込む力ともとらえることが出来る」

 「?」

 「ちょすいの仕組みは、それを持つポケモンが対象となる水をその身体に取り込むことで自身の身体エネルギーに転換するというものだ。
 もらいびも同じように相手の炎タイプの攻撃エネルギーを自身への身体エネルギーへと転換するが、その後身体エネルギーをHPではなく攻撃エネルギーへすぐ再変換している。
 だが、そうやって身体に取り込むには当然ながら直接身体で技を受ける必要がある。
 そして、その技は受けるポケモンが持ち得る(特性などの身体的な)機能で対応出来るまたは(技として)常識的なものでなければならない」
 
 エネルギーの濃度は低いが全身に満ち、循環している身体エネルギー
 それを高濃度・高密度・高圧的な攻撃エネルギーへ変換し、放出口や体の一部に乗せて一定量放つのがいわゆるポケモンの技
 その身体を持ってそういった技(攻撃エネルギー)を受け止め、特性という機能で身体エネルギーへ再変換する
 再変換の際には身体エネルギーが疲弊やダメージによって消耗していても、特性の機能によって一時的にその部位が技よりも高濃度のエネルギーでなければならない
 身体のエネルギー循環の流れを塞き止め部位の濃度を上げ、塞き止めてしまった代わりに浸透してきた攻撃エネルギーを流す
 攻撃がやんだ頃には身体を流れるエネルギーの量が増えている、ということになる
 浸透圧、という言葉は合っているようで本来の意味に当てはまらないがわかりやすくはある

 雨のなか立ち臨むタツミはしゃがみ守られているゴールドを見下し、言う

 「私の放つ水タイプの技は例外なく、ちょすいを持つポケモンでさえ受けきれない程に変化させている。
 超高密度・高圧的な破壊力を持つ上、ポケモンの放つ水エネルギーとしては特性を遥かに上回る高濃度のものと変わっているというべきか。
 決壊したダムが放つ鉄砲水を、ただのスポンジが吸いきれるか?
 否。その水量と圧力に押され、許容量を遥かに超えてもなお送り込まれる水と異物によってずたずたに引きちぎれる」

 物凄いダメージ(水圧と水量)なのに身体へは浸透せず、しかし特性の機能は働いてしまうので身体エネルギーの循環が一時ストップしている為にマンたろうは苦しめられていたのだ
 水は適量ならどんな生物にも潤いや活力を与えるが、過多は毒にしかならない
 
 タツミは単に水流・水圧を操るというより、水エネルギーそのものの扱いが極みにある能力者なのだ

 「特性、タイプ相性・・・水タイプ同士の戦いなら分があると思ったか。甘いことだ。
 この戦いは能力者同士の戦い。
 お前は既存の知識への過信によって、ただポケモンを苦しめているだけだ」

 マンたろうがハイドロポンプを受けた時、何かがあると思ったらすぐに手を打つべきだった
 ただこうしているだけでも、マンたろうの体力は水によって削られているのだ

 「くそ、ニョたろう! あのギャラドスをぶちのめ」

 がくん、とゴールドとニョたろうの膝が崩れた
 元々しゃがみこんでいた体勢が、ふいによろめいて保てなくなる
 視界が激しい雨がノイズのように見えていたが、今度は歪みだした

 「効いてきたようだな」

 「! ・・・・・・テメ、まさ」

 「そう、どくどくだ」

 彼女のミロカロスが覚えている技のひとつ、どくどく
 分泌された猛毒を床の水と薄め・混ぜ、水流操作でゴールド達の足元まで運んだ
 濃度の薄いそれは時間をかけてじんわりと靴にしみこみ、肌に付着し、彼らの身体を蝕んでいく
 その効果が少しずつ表れ始めた・・・

 毒は確かにあった
 ハイドロポンプではなく、床の水に仕込まれていたのだ

 「このヤロ・・・」

 「ミロカロス」

 タツミの言葉でミロカロスは土砂降りのなか、何かを撃ち出した
 エネルギー体のようだが、この視界の悪さではよくわからない
 速度もあったし、今の状況では避けられなかった

 ニョたろうがゴールドをかばってそれを受け止めると、いきなり背筋がぴんと張り詰め、直立した
 思いもよらない衝撃とダメージで、その姿勢でニョたろうは呆然としている
 
 「めざめるパワー、タイプは電気」

 「な!」

 彼女のミロカロスが覚えている技のひとつ、めざめるパワー
 ポケモンが持つ本来のタイプには影響されずに技のタイプは決定され、個々によって違う個体値が高いほど基本的に技の威力も高い
 彼女のミロカロスのめざパのタイプは電気、威力は68以上
 ちょすいなどを持つシャワーズなど、似た耐久型・同タイプポケモンへの対策

 これが四高将
 ひとつのタイプを極め、すべてのタイプに精通した至高の能力者
 タツミはその最たる存在といえる

 どくどくが徐々に効き始め、長期戦も不可能になってきた


 「考えもしなかったか? そこがお前の底だ」

 タツミの言葉が、不快な影の声とダブって聞こえた
 『思考を止めるな』
 ざわざわと胸の内が騒ぐ、鼓動が高まる

 「ニョたろう、なみのり!」

 この水のフィールドと雨を最大限に活かした大技
 ニョたろうの号令で水が後方よりうねりを上げ、雨をかき消すほどのざざざざざという音がする
 いつもより大きな津波がゴールドの前に現れ、タツミを飲み込もうと覆いかぶさる

 「・・・終いには水技で挑むか」

 タツミは濡れた髪をかき上げ、耳の後ろへ撫でつける
 とぐろを巻くようにして彼女を守るミロカロスは、ぱしゃんと床の水を尾ではたく
 ささやかなそれは、そう200人ものオーケストラ指揮者が演奏の前にタクトを軽く楽譜に当てるのと同じ

 幕引きの前振りにはあまりにも唐突だった
 ゴールドの倍はあろう高さの特大津波が、白い飛沫を牙に見立てて襲いくる


 ・・・・・・


 クリスは思い返していた

 ガイク、グリーンとそれぞれ1人ずつキューブから出て別れる前に話したこと

 ・・・

 「この戦いに、向こうは何人くらい集まっているのでしょうか」

 戦いのルールを明らかにされた時、地上には幹部は一切集まっていないと聞いた
 ここには組織の幹部以上の者全員が揃っているとみて間違いないはずだ

 「四大幹部、その下の四高将、幹部・十二使徒で20人。他にもウマカタのような、幹部候補以下の奴らもいるだろうな」

 「ざっと見積もって30人以上はいるんじゃないか?」

 こんな戦いの形式とはいえ、向こうも戦力は絞ってくるはずだった
 足手まといにしかならず、ただ侵入者のポケモンのレベルを上げるだけの雑魚を導入するのは無駄だ
 とはいえ、最少でもあと20人はいる(知らないとはいえ罠キューブもまだ十いくつも残っていた)
 逆に言えばそれしかいないから、ほぼ確実に1回は幹部以上の敵とぶち当たるはずだった

 「まぁ、相手がいくら強かろうと同じトレーナー。人間には変わりない。
 何かしらきっと隙も弱点もある。完全無欠なやつなんていないさ。
 それはつまり、勝率はゼロ%じゃない。諦めたら負けだ」

 「そうですね」

 クリスははにかみ、ガイクはしゅんとワープしてこのキューブから消えた

 ・・・

 目の前にあるごく普通の扉、いやただの引きドア
 しかし、なんとなく肌で感じる
 この先に強い人がいるという気配

 ドアノブに手をかけ、思い切ってガチャリとひねって勢いよく開けた

 「!」

 目の前に広がっていたのは本当にただの部屋だった
 ごく普通の女の子の、いやそれにしては漫画や雑誌が多く、天井高く床に積まれ・・・

 クリスは目をごしごしとこすった
 まばたきをいっぱいしてから、もう一度部屋のなかを見た

 でかい
 何もかも

 クリスの目の前にある有名な漫画雑誌の厚さが5倍以上、縮尺もそれだけ巨大なものになっていた
 本棚も机も椅子も、何もかもが規格外のサイズだ
 いや、それにしては小さなものもあって・モノによって縮尺がばらばらで遠近感が狂いそうだ

 「何のための部屋なのかしら?」

 組織のキューブとは、湖のように自然を再現するだけではないらしい
 様々な条件・状況でバトルをさせようというのはわかるが、突飛すぎやしないか

 このキューブの主はどんな人物なのだろう
 クリスが敵影を探していると、ふと目にとまるものがあった
 
 「・・・漫画?」

 床に敷き詰められているように落ちている通常サイズのそれ、普通の本屋では見かけない薄くてツルツルした本
 表紙はどこかで見たような、何かに似たキャラが描かれている
 というか、散らばっている本すべてがそういった感じのものだった
 興味を示したクリスはそれを拾い上げ、表紙と裏を交互に眺める

 それから次々に本を拾い上げ、ページをめく・・・らない
 では元の場所に置・・・・・・くどころか、クリスは散らばった本を丁寧にすべて集める

 「こんなに散らかして。ここのキューブの人のものかしら、もう」

 落ちている本を紙サイズごとに分類、表紙題を見てあいうえお順に整えて、高台に積み上げた
 勿論中身も見ず、表紙のイラストを見て見たことある漫画のキャラに似てるなとかも思わない
 
 「さ、早くキューブの主を」

 「え――っ! なんで読まないのよー!」

 ばったーん、と突然馬鹿でかい雑誌の表紙を開けてきらきらした女の子が飛び出してきた
 最新技術を駆使した飛び出す漫画雑誌、ではなく・・・どうやらなかをくり抜いて収納スペースを作ってあったらしい
 その女の子の、なんで読まないのという問いにクリスがびっくりしている

 「もしかして、あなたの?」

 「うそー、こんなに色んなジャンル集めて置いといたのに、なに、なに、漫画とか読まないの? 興味惹かれないの?」

 雑誌から出てきて、つかつかつかとクリスに歩み寄って、問い詰める
 フランス人形のようにかわいらしい女の子、なのだが・・・・・・なんだか目つきがおかしい

 「適当に片付けておいたけど、え? 漫画は読むけど、勝手には読まないし、あんまり興味もないし」
 
 「しんっじらんなーい! 漫画は誇れる文化よ? ま、ま、とにかく1冊どーぞ」

 その女の子がはい、と素早く抜き出した薄い本を1冊クリスに手渡した
 はぁ、とやむなく手に持って中身を見る
 表紙に描かれている男の子は、とある漫画の脇役キャラに似ていて、その子が主人公で・・・
 ・・・・・・あるページに差しかかったところで、クリスは髪がぼんと爆発し顔も真っ赤になって薄い本を閉じた

 「な、ななななぁ〜!」

 「あーいいとこなのに〜」

 「どーいう本ですか! 私、こんなの読みません絶対!」

 「うそっ! ホ○が嫌いな女の子がいるなんて!」

 「とっ、とにかく! あなたがここのキューブの主ですねっ!?」

 ぶーたれ、そっぽを向く女の子に「聞いてるんですか!」とクリスが怒る
 女の子はなにやら呪文のように『すごくすごく素敵なのに、ここのシーンは神で・・・。作品では・・・ってるところをうまく改変していて、なおかつ原作の流れを大事に』とブツブツブツブツブツブツブツブツブツブツとつぶやいている

 「・・・ああ、もういいです、わかりました。私があなたを調教します。いえ、目覚めさせてあげます」

 何もかも唐突すぎ、クリスはわけがわからない
 フランス人形の目が完全に据わっている
 その腕輪、宝珠には『午』の文字が入っていた
 
 「あーなーたーとわーたーしー、なーかーよーく悶えましょ。
 うっとり萌えの偉大さよ♪」

 ららららららん、と歌う彼女
 警戒したクリスはとん、とんとんと後ろへステップを刻むように離れる

 「銘は腐女子、いえ汚超腐人を目指すメグミと申します」

 「クリスです」

 メグミが出したのはギャロップ
 十二使徒の1人である彼女が象るは馬、エキスパートタイプは炎
 そう、こんなナリで言動がおかしくても紛れもない幹部に名を列ねる者

 「萌えあがっれ〜、萌えあがっれ〜」

 軽快なリズムで妙な替え歌を口ずさみ、ぱんっぱんっと手拍子までしてご機嫌
 
 ぼッと、周囲から火柱が噴き上がる
 既にメグミの火種が、クリスの周囲を包んでいた

 ギャロップがクリスに向かって突進してくるのを、ふといホネを持ったカラぴょんが受け止める
 ツノとホネ、硬いもの同士が熱気に満ちた空間の中心でせめぎあう

 その間メグミは手拍子をしながらのんびり歩き、自分が収納されていたくり抜かれた雑誌のなかに積み上げられた薄い本をしまったりしてたのだった


 ・・・・・・


 「スピードスター」

 クレトを乗せたオオスバメは悠然と、それでいて雄々しく空を舞う
 オニは彼らに頭上を奪られ、そこから星状のエネルギー光線が降り注ぐ

 「オニ、オウムがえし!」

 レッドが一拍遅れて指示をし、同じ技を返す
 しかし基本的に返し技、ダメージはこちらの方が先に受ける
 今回は使えば必ず当たる技だったのが幸いだ

 ・・・オニとレッドは攻めあぐねていた
 やはり地上では空中戦への指示や対応が遅れるし、相手は同じように空の目線にいる
 飛行タイプを得意とする相手ならば、せめて同条件でなければ厳しい

 しかも、先程からオニの動きがおかしい
 距離をとろうと旋回すると時々、何かに当たったかのように翼が宙ではじかれるのだ

 「くっ、オニ、上を奪れ! ドリルくちばし!」

 下から構え、天井諸共突き抜けるような渾身の一撃をオニは放つ
 ドリルくちばしを避けようとすれば彼らの上が奪れるし、避けなければダメージだ

 
 その時、空気が硬直した
 ビシン、とオニの動きが止まった
 避けたオオスバメの横を飛び越えようと回転していた身体が、がちがちに固まっている

 「無駄だ。我より上は飛べんよ」

 上に飛ぼうとオニがもがくが、それ以上は飛べなかった
 クレトの指示するつばめがえしで、オニがそこから墜ちて・・・動かなかった翼を目一杯羽ばたかせることで体勢を立て直した
 レッドはふぅと安堵するものの、何が起きたのかを考えてみる

 オニがうまく飛べない理由はこのキューブにあると大方察しがついているが、先程のドリルくちばしはそれでは説明がつかない
 技ではなく身体を縛るかなしばり、いやそんな簡単なものではなさそうだった

 「制層空権」

 クレトは旋回し、自由に飛びまわれることを見せつけながら見下ろしている

 「空と地の境目はどこだと思う」
 「翼を持たぬものと持つものと、その境は同じと思うか」
 「人間のわずかな跳躍も蟻からすれば空を飛んでいるように見える」

 オオスバメを追うオニが、また何かに翼をぶつけたらしくよろめく
 クレトはそこを見逃さずすかさず接近して、つばめがえしを打ってきてはまた離れる
 トレーナー1人を乗せているとは思えないほどのヒットアンドウェイだが、相手が必中技を放つならオウムがえしで必ず仕返し出来る
 
 攻撃しながらも、ご高説を述べるクレトはレッドが最初に感じた忍者や物静かな仕事人のイメージから少しはずれてきている
 元々カントー襲撃でもクチバシティ、雷のマチスがいるところを相手に選ぶような者だ(実際はリーダーズシャッフルでカスミが相手になったが)


 「我が空の境目をつくる」
 「我の下が地、その上が空」
 「我はお前達から空を奪う」
 「それが我のトレーナー能力『制層空権』」

 オオスバメの上に立ち、クレトは冷笑に告げた
 レッドの表情は焦り、そしてやはりといった納得のもの

 「飛行タイプを持たない者は跳躍すら許されぬ」
 「例え飛行タイプを持っていても、我より先に空高くいなければ、それ以上は飛ぶことが出来ない」
 「我は暁。人間の抱き待ち望む幻想『空の独占』を叶える唯一の人間となる者ぞ」

 その力を蓄え、磨き、高めるのに不要と切り離す感情は眼に表れ
 いざ実戦に身を投じることで、普段押し殺していた高揚が口に表れてきている
 冷眼の野心家
 これがクレトの本質といえた

 レッドはようやく繋がった、と思った
 ふきとばしでオニが出た時、本当はレッドも飛び乗る気でいた
 しかし、実際はそうしなかった
 否、身体が硬直するかのように動かず、出来なかったのだ

 オニがドリルくちばしで更に上空を奪ろうとしても、その制層空権が阻んでいたのだ

 「(ていうか、ジャンプも出来ないのか。かなりキツいな)」

 足がべったりと張り付き、ジャンプしようとすると膝が固まる
 普通に歩いたり走ったりは出来そうだが、飛ぶようには走れそうにない
 いったいどこから駄目なんだろう、とちょっと検証してみたくなる

 ・・・それにしても、こんな大規模な能力があるなんて思いもしなかった
 いや、何かしらのタネはあるだろう
 クレトの言葉をそのまま受け止めてしまえるわけがない、こんな大規模な能力であるわけがない
 何か発動する際に必要な、限定的な条件があるはずだ
 でないと、彼が空にいる間、世界中の飛行ポケモンが飛べなくなってしまうからだ

 思い起こす
 ピカを最初に出した時、ピカはクレトの表現に従うなら跳んでいた
 それをふきとばしされ、オニに入れ替わった辺りからレッドの行動は制限されていたはずだ

 「オオスバメ、はがねのつばさ」

 硬質化した翼をもって、オオスバメがオニを思い切り上から押さえつけてきた
 能力に従い、オオスバメが急降下すると自動的にオニも逆らえず道連れとなる

 滑空、そして地面ギリギリまで低空飛行し、オニを地面に叩きつけた
 はがねのつばさと合わせて擦られ、かなり翼を傷めつけられる

 「オニ、追うんだ」

 力を振り絞り、オニが飛ぶ
 しかし、素直にクレトの後を追うと何故かまた翼からよろける

 レッドは推察する
 このキューブの構造が単純な直方体ではなく、厄介な代物なのだ

 レッドの立つ地面と漆喰の壁のあるところまでは確かに直方体だろうが、漆喰の壁の上からの空に見える壁や天井はそうではない
 球体かそれに近い膨らんだドーム状であって、しかも滅茶苦茶に梁のような障害が出っ張りまくっているに違いなかった
 天井全てを青く塗られ、薄っすらと光を放つ、まるで本物のような空と室外を再現した室内
 実際は突き出した梁(障害)やそれから出来る影は青色や光の濃淡で使ってうまく計算し消され、あたかも『何の障害もない空』を描ききっているのだ
 勿論クレトはその位置を把握し、小柄な身体を活かしてギリギリのところを飛びながら避けている
 だが、オニや下にいるレッドにはわからないので、後を追っても突き出した障害物に大きな翼や身体をぶつける羽目になる

 ただでさえまともに飛べないことを強要してくる能力だというのに、なんともいやらしいキューブとその主だ


 同時に能力について、飛行のエキスパートであるジョウトジムリーダーの1人がハヤトを思い出す
 彼のトレーナー能力は『伝羽』、手持ちの・複数の鳥ポケモンの位置が伝わり、また意思を知ることが出来た
 偵察やこういったトレーナーの視界が頼りにならない条件下でのバトルなどには最適な能力のひとつ

 オニが再び攻撃を受け、その大きな翼を青い障害物にぶつけながら落下してくる
 バタバササッともがく翼から羽根が派手に抜け落ち、レッドの足元にそれらがふわりと着地した

 ―――便利なハヤトの能力・・・そんな彼にあった条件は・・・その鳥ポケモンの羽根を持っていること

 羽根
 飛行ポケモンの多くが持ちえる翼、その羽毛
 鳥ポケモンの象徴ともいえる形状

 めぐる思考が歯車のようにかみ合い、合致した


 恐らくクレトのトレーナー能力の効力は、そのポケモンの持つ羽根か何かで作り出した範囲内のみだ

 最初の一手『ふきとばし』
 弱点タイプであるピカを一時退ける以外に、突風にまぎれて羽根をキューブ内に飛ばした
 四隅か壁際にある羽根と羽根を見えない線で結んで出来る、作られた限定空間

 ・・・となれば、羽根を燃やすか失くすなどとどうにかすればこの能力は恐らく解除される
 しかし、これまでの戦いでオオスバメは多くの羽根を散らしていた
 すべてをキューブ内から失くすのは難しいし、既に制空権を得ているクレトはさせてくれないだろう

 本当に侵入者には不利な条件ばかりを揃えてくれる

 オニがまだあがく、クレトとオオスバメの嘲るように見下す眼とは違う負けず嫌いな熱い眼差し
 まだ負けてない、死に体ではない
 その意を汲んだレッドの号令で再び舞い、ドリルくちばしで特攻を狙う
 青い障害物と能力を使い、その攻撃を止めたところで確実を狙ってオオスバメは旋回し背後に回り込む

 「今だ、おいうち!」

 ボールへ逃げる相手に威力を倍増させるおいうち
 しかし、本来は追撃の一手
 背後に回ろうとしたオオスバメの動きをするどいめが追い、無理にひねった体勢できりもみアタックに近い一撃を浴びせた

 「むっ」

 思わぬ反撃だったようだが、ここでオニが力尽きる
 ひゅるるるるるると落ちていくオニを、レッドが悔しそうに見る

 しかし、クレトは能力とキューブという有利から・・・わずかでも「敵を侮っていた」ことに気づき、再び冷眼となった
 戦闘に余裕を持つ必要はなく、常に持てる全力で当たるべきだ
 この最終決戦で負けは許されない

 「ふきとばせ」

 交代を促すためのものではない、それにはおやトレーナーとの距離がありすぎる
 オオスバメが羽ばたかせたそれは、オニの自由落下の勢いを増させた
 不用意に近づくこともない、とどめの一撃だ

 「オニ―――っ!」

 ここまで粘ってくれたおかげでクレトから言葉を引き出し、考える時間が出来た
 レッドは「ありがとう、助かった」と労いの言葉を宙に向け、ピカのボールを手に持つ
 
 「(電気タイプか。だが)」

 「(ああ、わかってる)」

 飛行の弱点である電気タイプだが、あまりに距離がありすぎた
 確実に当てられる射程にはいない上、レッドもピカも跳躍を許されない状況下にある
 
 「ピカ!」

 レッドがボールを投げた
 ピカは出さず、そのままボールのまま
 思い切り助走を・勢いをつけて投げ飛ばした剛速球、ガイクの修行で鍛えた肩や腕力での渾身の一球だ

 クレトはあきれた、何を考えているのかと・・・
 むしろこんなものを投げてどうなる、というのだ
 こうしてボールに収めて投げればジャンプはしていない、けれど上空にいられる?
 技を放とうとピカがボールの外に出た瞬間、能力効果で地面に叩きつけられるだけだ

 無駄なあがきだ
 何人もこの空は侵せやしない―――


 「ッ!! オニ、もうひと踏ん張りしてくれ! オウムがえし!!」

 最早HPは尽きかけ、意識もない
 それでもオニはレッドの想いに応え、あちこちを打ちつけられ無残な状態の翼を大きく振りかぶった
 たた1度だけ、両翼を上空に向けて交差させる

 オオスバメの放ったふきとばしを、オオスバメに向ける


 だが、オオスバメと同様、距離がありすぎて本来の効果など出やしない
 まさに無駄としか、

 「?」

 地にいるレッドが笑っている
 空を見上げ、何か・・・・・・狙っt

 ビシ・ジジジジジジジジジジジッッと、クレトのオオスバメの身体にけいれんがはしる
 何が起きたのか、すぐにはわかりかねた


 何らかの技・・・けいれんからして電気タイプの技が、上空のオオスバメのところまで届いたようだ
 侮りを捨てた冷眼に映る閃光もなく、耳に届くほどの音もなく・・・一般的な電気技の予兆はなかった
 オニとの戦闘で少なからず消耗していたオオスバメはまひになり、揚力を失い始める

 ・・・それから何が起きたか、理解したらクレトは己を恨みたくなった

 レッドが上空へ投げた届かないピカ入りのボール
 あれをオニのふきとばしが起こす突風に乗せ、オオスバメの身体に当ててきたのだ
 どちらも無駄で無意味な行動に見えたが、2つが合わさり意味を成した

 クレトはほんのわずかに息を漏らす
 オオスバメはもう駄目だ、と判断したクレトは2体目の鳥ポケモンをボールから放つ

 狙い通りにオオスバメの身体に当たり、落ちながら地面へ戻ってくるボールをレッドが受け止め、改めてピカを地面に出した
 思い切りやりすぎたか、ピカは少し目を回していた
 レッドはごめん、とハハハと力なく謝る

 オオスバメをボールに戻したクレトは、それが収まっている掌を見た
 ただボールがぶつかったのではない、それだったらオオスバメは今も健在だった
 けいれん、まひも考えれば間違いなく電気タイプ・・・ピカの技を受けたのだ


 「・・・侵入者レッド、お前の手袋は確かR団で開発された絶縁グローブだったな」

 つまり、レッドはボール内にいるピカに予め10まんボルトなどの電気技の指示をし、それからボールを投げたのだ
 ボールのなかで電気を溜めることで、ボールの表面に数万ボルトの電流が流れる
 それをオオスバメにぶつけてきたのだ
 電流が流れるボールをつかみ、投げられたのは絶縁グローブがあってこそだ

 「おいうちはあがきではなく、我にふきとばしをさせる為か!」

 不意をついたおいうちに対処しようと、防御策としてふきとばしをしてくる可能性は充分にある
 オウムがえしは直前に受けた技でなければならない返し技、だからその効果の出ない範囲で一度受ける必要があったのだ
 
 「これで1対1、だ」

 顔を引き締めるレッドとピカが上空のクレトをにらむ
 クレトもすぅっと高揚を、血を、空気ごと冷やしていく

 跳べないレッドとピカに対する、クレトの2体目の鳥ポケモンは―――ピジョンだった





 To be continued・・・
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