〜更なる高みへ/019〜




 「お前はお前だ」


 ・・・・・・


 それは忘れかけていたこと


 ・・・・・・


 修行8日目

 朝食後、座禅・・・筋肉痛による脱落者3名
 座禅後、お勉強会・・・今日はサバイバル生活中の傷の手当ての仕方やロープワークについて

 昼食後
 ここ数日間は朝食後、座禅→お勉強会→能力者自身&ポケモンの基礎体力修行→個別筋トレの繰り返しだ
 毎日のハードな修行でもう身体もガタガタのはずなのだが、うまい3食の食事とたっぷりの睡眠で翌日には大方回復してしまう辺りが恐ろしい
 10代の若さ故とも言えるが、これじゃまるで人間版のポケモンセンターだと、レッドが笑えない冗談を言ったのもうなずける
 実際は筋トレなどはきちんと間を置いてやった方が効率は良いが、ガイクはむしろ様々な戦闘プログラムを叩き込むことを重視しているようだ
 確かに、普段の生活では危険な絶壁崖上りやわざわざケンタロスの群れへ飛び込むようなことはしない
 あらゆる状況での戦いを一通り体感させる、その理屈はわかっているのだが・・・・・・

 「・・・さて、行くか」

 「はぁーい・・・」

 もはや逆らっても無意味だと悟っているので、皆は素直に裏庭へついていった
 ただし、ブルーは居間でのんびりと紅茶をすすり、あまつさえ手まで振っている
 本来なら、ガイクもブルーの体調に合わせて他の皆も休ませたかったのだが、どうしても今日やらせておきたい修行があったのだ

 「今日の修行は何だ?」

 レッドが訊くと、ガイクは言った

 「ああ、海の方だ。満潮や干潮の具合からして、今日程海に棲むポケモン達の生態を知るチャンスはない」

 「・・・・・・え、まさか寒中水泳ですか?」

 ガイクの言葉にイエローがおずおず訊くと、「そこまではやらん」と残念そうに首を振った
 そして、「それともやるか?」と聞き返してきたので、皆は慌てて首を振った
 
 「しかし・・・気になるな」

 「?」

 ガイクはぼそりと言うが、他の皆にはどういう意味かわからない
 大方天気のこと等だろうと思ったが、レッド達は天気を読み取る力は持ち合わせていない
 島育ちのガイクだからこそ、何か感じることでもあるのだろう

 「・・・」

 ガイクは眉をひそめ、海に着くまでずっと空を気にしていた
 途中、ここで預かり中という『おてんきポケモン・ポワルン』を連れることにした
 天候によって姿形を変える特性は実際に各地の天気予報でも使われる・・・・・・ことはない
 何故なら、天気が変わる瞬間に姿形が変わるので・・・気づいた時には後の祭りというわけだ
 それでも連れて歩くというのだから、ガイクの『気になる度』はなかなか高いらしい

 「そこまで気にするンなら、修行なんてやめにすりゃあいいのに」

 「・・・確かにな。だが、修行や努力といったものはやれる時にやっておかんと後々に後悔するぞ」

 ゴールドにそう叱責すると、加えて「それと天気だけとは限らん」と言った
 ますますわけがわからなくなり、これはもはやガイクの勘としか言い様がないようだった
 せめて、その勘・・・悪い予感が当たらないようにと周りは思うしかなかった


 ・・・・・・


 「・・・おぉ〜、ジュゴンだ!」

 「あれも預かりポケモンですか?」

 「さてな。たまに野生ポケモンも混じるから、マーカーだけが頼りだ」

 ガイクの言う通り、今日は何だか海に棲むポケモン達の活動が活発になっていた
 いや、正確に言えば活動が活発になったというより、干潮や満潮の関係で普段の活動がよくわかるようになっていたと言うべきかもしれない
 美しい身体を存分に見せつけるように、ポケモン達は水面をばしゃんと跳ねた

 「ブルーさんも来れば良かったのに」

 「修行って感じじゃないもんな」

 イエローとレッドがのほほんと話していると、その間を何かが突き抜けていった
 ガキイィンと音と共に、砂浜とその後ろに切り立つ崖の一部が凍った
 ・・・・・・ジュゴンのオーロラビームだ

 「余所見してると凍らされるぞ」

 「早く言え!」

 「早く言ってください!」

 周りをよく見ると先程より砂浜が広がり、同時にここにいる全員が襲われ始めた
 そういえばここは満潮時には沈んでしまう猫の額程の砂浜だった
 ということは、満潮時はこの砂浜も海のポケモン達のテリトリーなのだろう
 今日最大の干潮で潮が引き、いつものテリトリーが減り、更にそこへ侵入者とくれば襲ってきて当然かもしれない
 
 「くそぉ、海ン中から狙ってくんのは反則だろーが!」

 ゴールドは憤り、聞いてはくれないだろう海中に向けて叫んだ
 丁度良く濡れた砂浜はガチガチに凍り、足場は最悪・・・足は本当に凍りかけている
 ガイクは既に高みの見物を決め込んでおり、助言の類は一切アテには出来ないだろう
 
 「・・・・・・。とりあえず足場を溶かすとするか」

 グリーンの言葉と共に、レッドはデルビル、ゴールドはバクフーンを出し、その本人はリザードンを出した
 流石に鍛え上げられてきた炎ポケモン達の熱量は凄まじく、じゅわじゅわと周囲の氷が溶けていく
 だが、相手は水タイプのポケモンであるから、炎ポケモンは格好の標的となる
 案の定、『みずでっぽう』『みずのはどう』で狙い撃ちしてくる

 「『かえんほうしゃ』で押し返せ!」

 ゴールドの強気な指示にバクフーンは応え、真っ向から勝負を挑む
 勿論、不利なのは変わらないのだが、その果敢な態度に向こうの動きが鈍る 
まるでゴールドの闘志そのものな炎と熱い蒸気が辺り一面に拡がり、足場の氷の表面を溶かす

 そんな瞬間だった

 閃光と共にビッシャァアァァアアァンッと空を裂くような轟音が響いた
 思わず皆は頭を抱え、地面に伏せた
 どこかでかなり巨きな雷が落ちたのだろう、まだゴロゴロと轟いている
 あまりの迫力にか、先程までバトルしていた水ポケモン達もどこかへ行ってしまったようだ

 それからボタボタっと大粒の水滴が落ちてきたかと思うと、いきなり滝のような豪雨となった

 「うわっ」
 
 「ひでぇ雨だな・・・」

 ガイクの呟きも豪雨にうたれて地面に落ちてしまった
 ポワルンは既に『あめ』の状態になっていて、実は3人が炎タイプのポケモンを出した辺りから姿が変わり始めていた
 どうせ海の傍で水ポケモンと戦うのだから、そこそこの雨なら続けるつもりでいたのだ
 が、流石にここまで酷くなるとは思わなかった

 「この時分だ。雨は珍しくねぇが・・・幾ら何でも唐突すぎんな」

 「そ、それより皆いますかー?」

 イエローの叫びも尤もで、あまりの豪雨で互いの顔が識別出来ないのだ
 とりあえず皆が返事をしてはみるが、これもまた豪雨でかき消されてしまう 

 「戻るぞ! 足下に気をつけろっ」

 ガイクの張り上げた怒声はこの豪雨の中でも聞こえた、流石と言うべきか何と言うべきか・・・
 視界も何もが最悪だったが、ガイクのチリーンやヘラクロス達の誘導のおかげで急な階段も上ることが出来た
 まだ上空では雷が轟き、豪雨は益々激しさを増し、強い突風まで吹き荒れ始めた
 ガイクの悪い予感が大当たりしたわけだ、こういうものはよく当たるものと相場が決まっている
 普通に歩くのさえ困難な状況下で、やはり誰1人としてそう喋ることはなかった
 それでも、ガイクの家の明かりが見えた時は豪雨にかき消されながらも歓声を上げたものだ
 
 「おぉーし、お前ら、さっさと中に入れ!」

 「ひぇーっ、助かったぁ!」

 「何なんスかぁ、この嵐!」

 ゴールドの言葉に、ガイクも「わからん」と言った

 「少なくとも、こんな大嵐がこの時期に4の島に来るなんざ聞いたことがねぇよ」

 「ん? ガイクは入らないのか?」

 開けるのが面倒臭い二重ドアだったが、この時ばかりは家の中まで風雨が入ってこないので助かった
 が、レッドの疑問の通り、ガイクは家の中には入ろうとしなかった

 「ああ。少し裏庭を見回ってくる」

 「気をつけて下さいね」

 イエローにそう言われ、ガイクは小さく頷き、吹き荒れる嵐の中を進んでいった 
 とそこに少し遅れて、家の中に通じるドアが勝手に開いた
 いや、ブルーと育て屋夫婦が山程のタオルを持ってそのドアを開けたのだった

 「凄い格好ね。はい、先ずはタオル」

 「助かった。サンキュな」

 とりあえずタオルを受け取ったが、これでは足りないどころか何の役にも立ちそうにない
 それを見越して、もう風呂が沸いていることと床に敷き詰められたタオルの道を通って2階のシャワー室へ直行するように勧めた
 
 「・・・じゃあ男は2階。女の子は風呂場へGO!」

 ブルーの決定にまた女子優先かと文句が出ると思ったのだが、今はそれどころじゃないらしい
 ばたばたと床を濡らさぬように敷かれまくったタオルの上を滑らないように走り、レッド達は2階へ上がっていった
 イエローとクリスは風呂場へ・・・・・・

 「・・・あら? クリスは?」

 「へ? あ、あれっ!?」

 イエローの傍にいるかと思ったクリスの姿がない、いや・・・そもそも一緒にこの家へ到達出来たのだろうか
 
 「・・・一緒じゃなかったの?」

 「ボクはそうだと思ってたんですけど・・・」

 どうやら途中で皆とはぐれてしまったようだ、豪雨で何もわからなかったこともあるだろう
 イエローが「ボク、捜してきます!」と再び嵐の中進むのをブルーと婆さんが止めた時だった
 また物凄い豪雨と突風と共に、二重ドアの扉が開いた

 「・・・ったく、何なんだこの雨は」

 「あ、ガイクさん!」

 思いのほか早かった、あまりの豪雨で見回りを一旦中断したのかもしれない

 「ガイク、クリスと一緒じゃないの!?」

 山程積まれたタオルに手を伸ばし、帽子を脱いで髪をがしがしと拭いていたガイクの手がぴくりと止まった

 「・・・戻ってないのか?」  

 「そうみたい。なんか、途中ではぐれたんじゃないかって・・・」

 ガイクはぎりっと歯軋りした、なんでもっとよく確認しておかなかったのかと
 この天候、もしはぐれたのがあの浜辺や海の近くだったら・・・・・・大いにありえることで最悪の話だ
 イエローが捜しに行こうとするのを抑え、ガイクはタオルを放り投げ慌ただしくまた裏庭へ駆け出していった
  
 
 ・・・・・・


 とりあえずざっとシャワーを浴び、身体を温めたレッド達が1階へ降りてきた
 そんな呑気な場合ではないことを、まだびしょ濡れのイエローやブルーが力説した
 クリス不在のことを聞くと、たまらず男子達はガイク同様嵐の中出ていこうとする
 それを抑えたのは育て屋夫婦で、この悪天候の中で無闇に探し回ろうとすれば逆に危険だと説いた
 故に、この裏庭を誰よりもよく知っているガイクに任せるべきだと主張したのだ
 確かにこの状況下なら、ミイラ取りがミイラになる可能性は極めて大きかった
 
 ただ、ガイクを信じて待つしかなかった
 同時に、何故、あのクリスがはぐれたのだろうかと・・・


 一方、ガイクは先程の浜辺に来ていた
 嵐の影響は海によく現れており、かなり高い波が押し寄せは引いていく
 もし、転落でもしたら・・・・・・二度と浮かび上がってはこないだろうと、そう思わせる程だった

 「クリーーーーースッ!」

 ガイクの大声もどんどん勢いと激しさが増す豪雨の中ではかき消されてしまう、そして返事はない
 うぷっと顔に思い切りかかる水の塊にガイクは顔を覆い、それでも叫び続けた

 「・・・チリーン! チャーレム!」

 ガイクは手段を変えた、エスパータイプのポケモンで思念や気配をたどるしかない
 出された2体のポケモンが必死に辺りを探るが、なかなか感じ取れないようだ
 もしかしたら、気絶などで意識を失っているのかもしれない・・・
 そうだとすれば、思考や思念では追えなくなる
ただでさえ目もまともに開けられない状態だというのに、これからどうしたらいいのか・・・・・・

 そう思った時だった、崖下の暗く激しい海面で何かが光った気がした
 それは一瞬だけだったが、灯台などの人工的な光ではないようだ
 ガイクはヘラクロスを出し、無謀にも崖下へ飛び降りた
 大波にさらわれ呑み込まれつつも、ガイクは光が見えた方へ潜水しながら泳いでいく
  
 「(・・・こういう時程、水面下は穏やかなもんだ)」

 だが、ナナシマ特有の潮流には気をつけなければならない・・・下手すれば海の藻屑だ
 慎重に、暗い水中をもう一度見回してみる
 そして、また水中で何かが光った
 ランターンかチョンチーかと思ったが、どうもそれらとは違う光らしい
 そのまま泳ぎ進んでいくと、目の前に何かが見えた

 「(あれは・・・)」

 ガイクは目を疑った、それはクリスだった
 潮流に身を委ね、今にも外海へ流されてしまいそうな・・・危うい位置にいた
 更に泳ぐ腕や足に力を込め、ぐいぐいと海中を進む
 それから、浮き沈みするクリスの腕を取った

 「(気ィ失ってやがる・・・のか?)」

 こうして海に落ちたからなのか、それとも落ちる前から意識を失っていたのか・・・
 もし後者だとしたら、何が原因で・・・・・・水ポケモンに不意をつかれ攻撃された所為だろうか
 ともかく、早い内に海上に上がらなくてはと・・・ガイクは足をばたつかせた

 「ぷぁっ」

 ぐったりとしたクリスを抱え、ガイクは海上へ出た

 「おい、大丈夫か!?」

 ・・・あの状況でもそう水を飲んでいるわけでは無さそうだった
 だが、それでなくとも急激な体温の低下は危うい
 2人の姿を確認したヘラクロスが傍まで寄り、クリスを抱えていない方の伸ばしたガイクの腕を取った
 本来ならニョロボンに救助を頼めば良かったのだが、あいにく陸の上のこの突風で大木が倒れかけている池の方を見ている
 流石に服に水をたっぷり吸った2人を持ち上げるのはヘラクロスでも困難なようだった
 が、それでも出来ない程やわな鍛え方をしているではない
 ガイクはしっかりとクリスの身体とヘラクロスの腕を掴んだ時だった
 またしても海上に、淡い発光体が現れた
 まるでそこだけ嵐が静まっているかのような穏やかな空間、その中心にいるそれから放たれる薄い青の高貴なる輝きは水晶そのもの・・・

 「お前は・・・・・・」

 ガイクが声を発した瞬間、それは姿を消した
 ゴロゴロと轟く雷雲を見上げ、それから再びあれがいた方を見た
 とその瞬間、大波が一気に押し寄せた所為でガイクは流されかけた
 何とか呑み込まれるのをこらえつつ、その後、腕を取ってヘラクロスに崖の上まで運んで貰った

 「助かった。・・・おい、クリス、クリス」

 ぺしぺしと頬を軽く叩くが、反応は返ってこない
 水は飲んでいないのはわかっていたが、それでも不思議だった
 やはり、あの発光体がクリスを救ったのだろうか・・・
 
 「・・・と、今はそんなこと考えてる場合じゃねぇか」

 今から抱えて走って家に向かっても、この天候ではおよそ10分近くはかかるだろう
 氷のように冷たくなった身体を、一刻も早く暖の取れる家まで運ばないと危険だ

 「・・・チリーン、『テレポート』だ」

 ガイクの言葉と同時に、周りにいたポケモン達も含めて、2人の姿が消えた


 ・・・・・・


 「・・・ぅわ、また光った」

 激しい閃光と共に衝撃に近い音量が辺りに響いた、相当近くに落ちたのかもしれない
 皆は温かな飲み物を手に、ガイクとクリスが帰ってくるのを居間で待っていた

 『酷い嵐だ。2人共大丈夫かな?』
 
 「あ、シショー、いたんスか」

 ドスッと心に刺さる言葉に、『どーせ影が薄いですよ』とすねてしまった
 グリーンはことりとマグカップを置き、言った

 「・・・妙な話だとは思わないか?」

 この話のふりの方が、余程妙だとは思ったが、とりあえずこの嵐のことだろう

 「天候なんて、それこそ生き物みたいなもんだろ。時季がはずれていようが何だろうが、嵐は来るもんだと思うけどな」

 「嵐が先じゃない。雷が先だった」

 「どっちが先だっていいんじゃないんスか?」
  
 ゴールドの言うことも尤もだが、グリーンはそれで片づけたくないらしい
 ブルーは「あ」と小さく言ってから、更に続けて言った

 「・・・・・・もしかして、自然現象じゃないとか?」

 「可能性の話だが、そういうことだ。そして俺は、放電の際に起こる音に似た羽ばたきを聞いた気がする」

 『・・・もしかして・・・』

 シショーの言葉にグリーンが頷いた

 「ああ、この雷・・・伝説の鳥ポケモンが1体、サンダーの可能性が高いと見ている」

 「え、この大嵐が・・・!!?」

 「でも、『かみなり』は電気エネルギーを直接ぶつける技じゃない。本来、雷雲なんか必要ないわよ」

 「だが、雷が先だったのは事実だ。もしかすると、サンダーが雷雲を呼んだのかもしれん」

 『何の為に?』

 「誰かがそこまで怒らせた、そうだろ? グリーン」

 レッドの言葉に皆が複雑な顔をした、もしそうだとしたら・・・・・・サンダーは追われているのか
 あの組織か、少なくともサンダーを本気にさせるような相手によって

 「まぁ、サンダーが『あまごい』かそれに似た力がないとそこまでは出来んかもしれんがな」

 「あー、でも結局推測の域を出ないのよねぇ・・・」

 ブルーがため息を吐いたと同時に、裏庭の扉が慌ただしくガタバタンッと開いた音がした
 皆ははじけるようにそこへ小走りで行くと、案の定ガイクがクリスを抱えていた

 「クリス!」

 「水は飲んでないが、海水と天候で身体が冷え切ってる。即行に風呂だ。婆ちゃん、ブルー、イエロー、手伝ってくれ」

 ガイクはバシャバシャと水の塊のような服で、小走りで風呂場へ向かう
 イエローとブルーは頷き合い、ガイクの後に続いた

 「お、俺達は・・・!?」

 「医者は呼ばなくて良いのか?」

 『い、いや、もう任せておくしか・・・』

 シショーの言葉の通りだ、何らかの処置が出来ない以上、その処置が出来る者に任せるしかない  
 残された男子達はクリス達が入っていった風呂の方を見た・・・・・・


 ・・・・・・

 
 「服は?」

 「上着だけ脱がせばいい。とにかく、冷えた身体を温めるんだ!」

 青くぐったりとした表情を見せるクリスに、ガイクを中心とした場はばたばたしていた
 風呂は先程入れたばかりなのでまだ熱い、イエローはシャワーノズルを手に取りザァッと丁度良さそうな湯に調節しようとした 
 
 その時、その音の所為か、クリスがうっすらと目を開けた
気がついたようだ、皆はほっと安堵した

 「・・・・・・ん・・・」

 「おお、気がついたんじゃな」

 育て屋婆さんがそう声をかけると、クリスは酷くだるそうに手を動かした
 まだ手がかじかんでいるようで、ぎゅっとブルーはその手を握ってやった

 「大丈夫。すぐに温まるからね」

 「・・・・・・・・・」

 ざあぁあぁああぁぁあぁぁぁあぁあああぁぁああぁぁあぁあぁぁあぁぁあぁあ・・・

 「湯加減の方はどうだ、イエロー」

 「ばっちりだと思います。ちょっと熱いぐらい」

 ざぁあぁぁあぁぁああぁぁああぁぁぁあぁぁあぁぁああぁあああぁぁあぁあぁ・・・

 「・・・・・・いや・・・」

 クリスが冷え切った身体を必死に動かし、ブルーの手を振り払った

 「ク、クリス・・・?」

 ざあぁぁぁあぁああぁぁああぁぁあぁぁあぁあぁあぁあぁぁぁああああぁぁあ・・・
 
 クリスの中の何かがぶつんと切れた音がした

 「ぃ、やあぁぁあああっぁぁぁああぁぁぁぁあぁあぁぁっぁぁぁあああああぁっぁぁあぁあぁぁぁあああぁぁあああッ!!!!!」

 クリスは今まで聞いたことの無い程の悲鳴というより叫び声を張り上げ、ブルーを無理矢理乗り越え逃げようともがき始めた
 あっけにとられた周りだが、その行動の異常さにブルーがしっかりクリスを抱きとめた

 「ちょ、どうしたの!? クリス、落ち着いて!」

 「え、え、ボ、ボク何かしましたか?」

 「おい、クリス、落ち着け、何か海中で見たのか!!?」

 ガイクの脳裏をよぎったのはあの発光体だが、クリスの脳裏を支配しているのはそれとは別のものだった
 
 「来ないでください! 来ないでください! 来ないで、来ないでぇえぇぇぇえぇえッ・・・!!!」

 クリスは半狂乱に泣き叫び、更にもがき何かから逃れようとしている
 ブルーは呆然と声も出ず、婆さんは必死に落ち着くように説き、イエローはおろおろしている
 それから、クリスのただならぬ声を聞きつけた男子達も風呂場へ入ってきた
 勿論、その光景に開いた口が塞がらないというか、どう対処したらいいのかわからないといった面々だった
 ただ1人、どこか離れた位置に立っていた・・・・・・ガイクは冷静にクリスの動きを観察した
 
 そして気づいた、クリスが逃れようとしているものを

 「イエロー、シャワーだ! シャワーを止めろッ!!」

 「え? ぇ、へ・・・?」

 おろおろとしているイエローを押し退け、ガイクは風呂場へ飛び込み、ぎゅっと蛇口の栓を閉めた 
 それでもクリスの絶叫は止まらない、ガイクは皆を指差し更に怒鳴った

 「ブルー、婆ちゃん、お前らでもいいッ! クリスをここから離れさせろ!」

 「え、でも風呂は・・・」

 「風呂なんかどうでもいい! 居間まで運ぶんだ!」

 ガイクの剣幕に皆が気圧されるが、レッドとグリーンがクリスを抑えて運び出した
 その後を追うようにガイクは風呂場から出るのを見て、皆は慌ただしくそこから同じ様に離れていった
 
 ぴしゃんと水音がした


 ・・・・・・


 それから1時間後、ガイクがクリスのいる部屋から出てきた

 居間へ運び、もがくクリスに『さいみんじゅつ』と『アロマセラピー』をかけた
 それで大人しくなったクリスの身体を一通りタオルで拭き、育て屋婆さんに頼んで服を着替えさせ、部屋に寝かせてきたのだ

 「・・・クリスは?」

 「よく技が効いてる。しばらくは平気だろう」

 「ガイク。クリスはどうしたんだ?」

 レッドの言葉に、ガイクはゆっくりと言葉を発した

 「簡単に言えば、お湯恐怖症・・・とでも言えばいいんだかな」

 「お湯・・・恐怖症?」

 「ああ、あの時、クリスはイエローの持っていたお湯の出るシャワーに怯えてた。それに合わせて出た湯気にも、な」

 それに気づいたからこそ、ガイクはクリスを風呂場から離したのだった
 そして、その推測は当たっていた
 
 「誰だって火傷するような湯は被りたくねぇもんだろうが、風呂の湯まで怖がるとなれば異常だ。
 何でも良い・・・心当たり、あるか?」

 「ある」

 レッドは言った

 「『水タイプの技を総て熱湯に変える』トレーナー能力者がいた。
 クリスはそいつと戦って、全身に大火傷を負ったんだ。
 決め技は『あまごい』による熱湯と蒸気の雨、規模こそ違うが間違いなく風呂場やそのシャワーと被る。
 傷はもう完治・・・してもらったんだそうだ、同じ組織の連中に・・・」

 「医者の話に依れば、その記憶は失くなっていると・・・・・・・いや、精神的外傷としては残り、クリスは今も病んでいたんだな」

 精神的外傷、すなわちトラウマだ
 いくら肉体的な傷は完治しても、あれ程の火傷を負わされた衝撃は今もなお治ってはいなかった

 今思えば、不自然なまでに風呂に入るのを避けていたのは当然だった
 「後から入る」「先に入っていてください」、他の女性と一緒に入らなかったわけだ
 その反応から恐らく、ある程度の自覚症状はあったものと思われる
 風呂に入らない代わりに、多分、クリスは夜中にこっそり水で濡らしたタオルか何かで身体を拭くかして誤魔化していたのだろう
 だが、それだけではどうしても体臭が気になってしまう・・・だからこそ、香水を付けた
 最初はおしゃれも兼ねての微々たるものだったが、日は経てども一向に湯に近づけない・・・その恐怖を克服出来なかった
 風呂に入れない日が続き、故に段々とその香水をつける量が増えてしまったが、その頃には皆の香水に対する嗅覚も麻痺してきた
 ただ1人、レッドを除いて
 ここに来てから鼻が詰まりっぱなしだった彼は、体臭を気にするクリスにとって実に近づきやすい存在だったと言える
 だが、それは鼻づまりの完治と同時に気づかれてしまった

 勿論、クリスは必死で克服しようと様々な本を熟読した
 しかし、どうしても治らなかった・・・・・・限界があった

 そして、今日のこと
 ゴールド達の炎ポケモンと水ポケモンのぶつかり合いで生まれた熱い蒸気
 空が割れるかと思う程の雷鳴の後に訪れた豪雨

 総ての出来事が、クリスにあの日のことを生々しく思い出させてしまった
 皆が豪雨から避難し、家へ戻る時には、あまりのフラッシュバックに・・・クリスはその場で意識を失った
 それから大波にクリスは呑み込まれ、海中へと引きずりこまれた
 
 ・・・・・・現在、クリスはガイクの家の一室で眠りに就いている
 少なくとも今は、何もかも忘れ、久し振りに穏やかに寝ているに違いなかった


 「・・・もっと・・・早く気づいていれば・・・」

 ぎゅっとブルーは拳を固めた、うつむいた顔は見ることは出来なかった
 ただ、皆はしんと押し黙っていた
 誰もが誰も、互いにかけてやれる言葉が出てこなかった・・・

 「・・・・・・これからクリスはどうなるんスか?」

 ゴールドは聞いた

 「わからん。本人がその恐怖を乗り越える時まで、周りが支えてやる他無い」

 「でも、それじゃクリスさんは・・・」

 イエローは言葉を呑み込んだ、やはり信じるしか為す術はないのか
 クリスの心は決して弱くない、むしろ1人でそれに立ち向かう努力を陰ながらしてきた
 しかし、そう一朝一夕で出来ることでもなかった・・・・・・恐怖の元があまりにも近しい存在過ぎた

 「方法はある」

 ガイクの言葉に、ブルーは答えた

 「・・・わかってる。『さいみんじゅつ』と『ふういん』みたいな技を複数併用して、記憶を封じ込めるのね?」 

 「何の解決にもならんが、今はそうするしかない」

 「乗り越えなければ意味が無いのだろう? いいのか?」

 「・・・・・・アタシも鳥恐怖症だった。でも、そんなことで忘れちゃ駄目。乗り越えるのに時間はかなりかかったけど、それでも元凶のホウオウを直視出来るまでに克服したわ」

 「でも」とブルーは言った

 「クリスは・・・・・・それに比べるとあまりにも重すぎる」

 人の痛みに重いも軽いも無いが、クリスは半生半死に陥るまでに・・・・・・

 「だが、記憶を封じ込めるのは逆に危険だ。抑えつけていた分だけ、それに対する恐怖が倍増する可能性もある。
 その時、下手すれば・・・・・・」

 「本人が決めればいい」

 レッドは言った

 「次、起きた時に、本人に聞こう。話はそれからだ」

 ポンと膝を打って、レッドはクリスのいる部屋に行った
 皆はただ黙っている、押し黙って・・・それを見送った


 どうすればいい
 どうしようもない
 どうかしたい
 どうもできない


 豪雨は未だにやまず、その音はいつまでも耳の中に残り、皆の脳内で反響し続けた


 ・・・・・・


 それは忘れかけていたこと


 これは戦争だったということ


 もう後戻りの出来ない・・・戦争だったいうことを・・・


 

 
 To be continued…

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