船は真夜中すぎに到着した。
港はなく、海岸に船体をこすりつけるようにして着岸した船から、波で服のすそがぬれるのも気にせず降り立ったのは、まだ20にも満たない少年だった。
子供の社会進出が進む時代、この少年もまた、一端の仕事を持ち、他の大人たちと同様の権利と責任を持っていた。
少年、名をレッドと言った。


「・・・ブルー、いつだったっけか? 予定時刻。」
レッドは船に背を向けたまま、嫌というほどに星のちりばめられた空を見上げながら尋ねた。
「23時52分よ、だけど上空で待機しているレックウザの対応次第で、多少前後すると思うわ。」
返答した女性の顔は、モニターから発せられた光で青白く照らされていた。
エンジン音が止まり、船の操舵室から背の高い男性が1人、ゆっくりとした歩調でやってきて、ブルーという女性の脇から海岸へと降り立った。
パシャン、と、小さな波しぶきを立てると、背の高い男性は自分たちを乗せて来た船の方へと振り返り、小型のモニターを睨むようにするブルーへと声をかけた。
「島の中まで運んでやろうか?」
「えぇ、ありがとう、グリーン。」
モニターの電源を落とし、銀色のノート状の箱に持ち替えると、ブルーは背の高い男性が伸ばした腕へと飛び込む。
まだ若いとはいえ、大人とそう変わらない体格の彼女をらくらくと受け止めると、グリーンと呼ばれた男は足を水にひたしながら浜へと上陸した。
白い砂の上に女の人を降ろすと、背の高い男は肩を上下させてレッドへと視線を向ける。
「こーいう細かい気配りが出来ないから、いつまで経っても女にもてないんですねー、我がライバル君は。」
「んだよ、今年のバレンタインだってチョコもらったじゃねーかよ!」
「ほー? 俺の記憶が正しけりゃ、お前の家族と俺のねーちゃんと知り合い数人合わせても、8個しかもらえなかったと思ったんだけどな。
 他にも何かもらえたのですか、レッド君?」
「・・・商店街の、福引きで当てたアメ玉・・・・・・」
「2人とも、そこまでよ。 ちゃんとポケモンの体調を確認しておかないと、作戦に支障を来たされたら困るわ。」
フォローなどは全くせず、ブルーは島の中心へと向かって歩を進めながら言い放った。
特注した小型パソコンのモニターが発する光が、彼女の瞳を銀色に光らせる。
小さな島の奥へと進んでいくブルーの背を見つめながら、指先で6つのモンスターボールの表面をなでると、レッドはため息をついて歩き出した。




降り注ぐような星を吸い込むように、ゆっくりと息を呑むと、レッドはかぶっている帽子のツバを少し上げる。
グリーンとブルーは、その様子を見て眉を潜めた。
静か過ぎる島で、1歩ずつ進む足音が、いやにはっきりと耳の中に残る。
「らしくないな。 嬉しくないのか?
 見たこともないポケモンが目の前に現れるかもしれないっつーのに。」
「らしくねー・・・か、そうだな。 りぃ。」
予想外に謝られてしまい、グリーンはますます変な顔をになった。
ブルーの持つパソコンの画面が、2回点滅した。
変化に気付いた彼女は、無機質な機械が告げた異常を確認すると、目の前でボールを転がしているレッドへと顔を向ける。
「最近さ〜、わかんねーんだよな。 自分がやってることが、正しいのか、正しくないのか。
 オレは一生懸命やってんのにさ、な〜んか、空回ってるっつーか、裏目に出てるっつーか・・・
 10歳で旅に出て・・・もうずいぶん経つけど、オレ、ちったぁ成長してんのかな?」
「背が17センチ伸びたわ。」
「少なくともポケモンにナメられる回数は減ったな。」
優しいのかきびしいのか分からない言葉をかけられ、レッドは苦笑する。
顔は空を見上げたままだった。
腰から下げた時計が確実に時を重ねていくのを感じながら、ふぅ、と息を吐き出すと、小さなモンスターボールを1つ、手に取る。
レッドは、眉を潜めた。 それは、彼らだけが知っている、レッドの、戦うときの表情だった。
「あんま期待すんなよ。 オレ、前よりも弱くなってるかもしんないからさ。」
「勝ってくれなければ困るわ。」
ブルーは声に表情を込めずに言った。
それは、第3者の意見であり、彼女自身はレッドを追い詰めるようなことを言いたくはなかったからだ。

「旅を始めたころ、オレはがむしゃらだったんだよ。
 ただ自分の信じた道を突き進んで、壁にぶつかっても、とことん戦い続ければいいだけだった。
 でも、前にクリスと戦ったとき、オレ、負けただろ? オレ、あの時ホッとしてたんだよ。
 な〜んでかしらねーけどさ、負けたはずなのに、ホッとしてたんだ。」
グリーンは手持ちの時計に目を向けた。 予定された時間は刻一刻と迫ってきている。
空を見上げると、目標物が確実に迫っているのに気付いた。
3人は顔を見合わせ、お互いに目と目で合図を送ると、それぞれ、自分の相棒たちの入ったモンスターボールを強く握りしめた。



「来るぞ!」
大気とのまさつで燃え上がったそれは、まっすぐにレッドたちの方向へと突き進んでいた。
衝突されてはひとたまりもない。
相手がどの位置に落ちてきてもいいよう、足にしっかりと回避の命令を送ると、3人は姿勢を低く構え、光の玉を睨んだ。

吹き降ろした風で、ブルーの長い髪が揺れた。
警戒していた物体は3人の頭の上を通り過ぎると、光で直線を描きながら夜の海へと墜落ついらくする。
激しい波の音と、水気を含んだ風で、空から降ってきた物体は海に落ちたのだとグリーンは悟った。
「レッド!」
「あぁ! ブルー、後方援護に回ってくれ。 ‘フラ’!!」
赤と白の球体が地面に打ち付けられ、大きな竜は召喚された。
若いトレーナーがその背に飛び乗ると、緑色の肌をしたポケモンは薄っぺらな地面を蹴り、墜落した『何か』に向かって一直線に飛ぶ。
被った帽子が吹き飛ばされないよう、しっかりと押さえると、レッドは目を細めて落ちてきた物体の場所を探す。
暗がりでほとんど視界は利かないが、波が多少荒れている以外は、特に変わったところは見られない。
「・・・レックウザとのバトルでやられちまったのか?
 ‘フラ’もう少し近づいて・・・」
指示が途中で止められたので、フライゴンは疑問の表情をレッドに向けた。
若い主人トレーナーはキャップを深く被ると、赤く光る瞳で海を睨みつけた。
暗い海の中で、ぼんやりとした光がゆらめき、空中の1人と1匹を見つめ返している。


「避けろ‘フラ’!!」
叫ぶような声に、グリーンとブルーは空を見上げた。
見えない筋のようなものがフライゴンの羽根を打ち抜き、空中に四散して消える。
「レッド!?」
「レッド!!」
足元のポケモンがボールへと戻った影響で空中に投げ出されたレッドは、真下の森へと落下を始める。
奥歯をかみしめると、レッドは手近な枝をつかみ、鉄棒を降りるように回転して着地のショックを和らげた。
両手のグローブに刺さった木の皮を払い、先ほどとは別のボールから小さな黄色いポケモンを呼び出すと、どこかに落ちたはずのフライゴンのモンスターボールを探しに行かせる。

「大丈夫か?」
グリーンは話しかけながら、動けないかもしれない友人をかばうため、周囲へと注意を向けた。
大きな背中へと向かってうなずくと、レッドは3つ目のモンスターボールを手に取る。
既に2人とも、攻撃してきた『何か』がすぐ側まで迫ってきていることを、肌で感じ取っていた。
「オレはヘーキだ。 けど、フラが一撃でやられるなんて・・・」
「・・・『捕獲』とか、悠長ゆうちょうなこと言ってられないかもしれないな。」
「・・・・・・・・・あぁ。」
ふくみを持たせた返事を出した瞬間、森の奥が白い光に包まれた。
何よりも先に、レッドはそれに反応し、左手にモンスターボールを持ったまま光の発せられた方向に向かって走り出す。
「レッド!?」
「‘ピカ’の『フラッシュ』だ! あっちで何かあったんだ!」

鼻先に伝う冷や汗をぬぐいながら走るレッドの足元で、黄色い球体のようなものが跳ねた。
レッドの目が見開かれ、赤い光がやや強くなる。
「‘ピカ’!?」
赤白のボールを抱えたまま、傷だらけで細かく震えるピカチュウを見て、レッドは叫んだ。
すぐに抱え上げようとしたが、強い攻撃の気配に、それを阻まれる。
動く右手でモンスターボールを真下に放つと、自らは交戦しやすい広い場所を探して走り出した。
だが、すぐに何かに足元を取られ、転倒する。
驚いて足元を見ると、赤と青の、ツタのようなものが足にからみついていた。
「『おいうち』、それに『まきつく』・・・? 何で・・・?」
疑問が解決しないうちに、レッドは引きずられ、地面に叩きつけられる。
むせかえりながらも攻撃の主を探すと、既に『それ』は眼前まで迫っていた。
人に似た形をしながらも、人ではあり得ない赤色をした、今までに確認されたことのない生物だった。
ポケモンかどうかも確認できない生物は、レッドの足にからめていたツタのようなものを解くと、そのツタを人の手のような形へと変化させる。
その矛先がレッドへと向くかと思った瞬間、フラとピカを攻撃してきた生物は全く別の方向から発射された水流によって押し流された。
カメックスに『ハイドロポンプ』の指示を出したブルーは、息を切らせるとその場に崩れこむ。
攻撃をしたはずの大きな亀のようなポケモンも、彼女と一緒に倒れ、赤と白のモンスターボールへと姿を変えた。
レッドは駆け寄ることも出来ず、驚いたように目を見開いてブルーらのいる方向へと向くと、既に彼女のメンバーは全滅し、 かろうじて体力の残っていたポケモンたちがブルーの周りを取り囲みながら、うなり声を上げている。



「・・・どういうことだよ、ブルー? 油断なんて、してなかったハズだろ?」
返事のないブルーに話しかけるのと同時に、少し離れた場所の草が揺れる音が聞こえる。
音のした方向に顔を向けると、ちょうどブルーのカメックスが『ハイドロポンプ』で攻撃した先。 レッドは一気に警戒心を高める。
「‘ラプ’、‘ユウ’!!」
2つのモンスターボールを同時に投げると、レッドはポケモンたちの名前を呼んだ。
長い首と大きな水色の体を持ったポケモン『ラプラス』と、人間の体の半分ほどの大きさしかない、茶色いトゲトゲのポケモン『サンドパン』は、 レッドの側へと寄って辺りを警戒し、いつでも指示に応えられるよう体にチカラを込める。
レッドの2つの赤い瞳は、煌々こうこうと光っていた。
突き出された左手が、暗い森の奥を指差す。 深く被られた帽子の下で眉を寄せると、レッドは思い切り息を吸い込んだ。
「‘ラプ’『れいとうビーム』!!」
黒い目を細めるとラプラスは大きく口を開き、レッドの指した方向へと冷気の固まりを発射した。
寸分たがわぬ正確さで白い光線は走り、何かにぶつかり弾け飛ぶ。
森の奥から『何か』が迫ってきたのを見て、サンドパンは低く身構えた。
姿を確認すると、レッドからの指示を待たずに爪を振り上げて向かっていく。
だが、その攻撃が届く前にユウの動きは止まった。  空中で停止すると、茶色いトゲトゲは何かに突き飛ばされたかのように吹き飛ばされ、ピカたちが倒れていた すぐそばの木に激突する。
「また・・・!
 くそっ、何なんだよ、あの技は!?」
6つ目のモンスターボールに伸ばした手が、謎の生物から伸びてきた触手のようなものに弾かれる。
指先は球体のつるつるした面をなぞり、ボールはホルダーから外された。
追って攻撃を仕掛けてきた触手に弾かれ、6つ目のボールは手の届かない遠くまで飛ばされる。 レッドは赤い瞳で睨むと舌打ちした。
「‘ハナ’!」
自力でモンスターボールから出られない旧友を助け出すため、赤い球体の落ちる先を目で追っていると、レッドの真後ろで高い悲鳴が響いた。
振り向いたレッドの瞳に、触手に首をからめられ、持ち上げられていくラプラスの姿が映る。


「ふぃっ!!」
「来るな‘サン’!!」
強い声が響くと、木陰に隠れていたポケモンは立ち止まった。
レッドは相手の攻撃で割れ落ちたサンドパンの爪を拾い、赤いポケモンらしき生物へと向かって構える。
「お前が倒れたら誰がピカのことを守るんだ。 いいか、絶対に出てくるな。
 グリーンが来たら合流するんだ、今起きてるこのことを、ナナシマにいるはずのあいつらに知らせてくれ。」
長い前髪の間から、レッドが赤い瞳で未知の生物を睨み付けると、小さな島の森全体がざわめいた。
「なめんなよ。 オレだって8年、無駄にダラダラ過ごしてきたワケじゃねーんだよ。
 自分のポケモン守れもしねーんじゃ、トレーナー名乗れねえっつーの!!」


レッドの瞳は赤々と輝いた。 蹴りだした地面が削られ、土くれが飛び交う。
拾い上げた爪をしっかりと握り締め、レッドはもがくラプラスとそれを締め上げる謎の生命体との間に踏み込んだ。
大きなポケモンの首に巻きつく触手に狙いを定めると、強く持った爪で、赤いツタのような腕に一撃を加える。
人間のチカラだけで、そう大きなダメージが与えられる訳もなかったが、一瞬だけ触手がゆるみ、ラプは未知の生物から開放された。
「‘ラプ’『れいとうビーム』!!」
腰を落とすと、レッドは赤い瞳で相手を見据え、指示を出した。
解放されたラプラスは、すぐさまレッドの指示に応え、大きく口を開き、強力な冷気の固まりを相手へと発射する。
赤い色をした謎の生命体は、真正面から冷気を浴び、腕の先から凍り付いていく。
白い冷気が透明な氷へと変わり、相手が動かなくなったのを見ると、レッドはホッと息をついた。
モンスターボールを取り出すため、背負いっぱなしだったバックに手を伸ばす。
用意していたそれを手にした瞬間、レッドの体は弓なりに跳ね、夜露を乗せた草の上に横たわった。
胸元から伸びた光が、目の前で凍り付いている生物の胸についた水晶のような物体に、吸い込まれて、消える。






気絶したブルーを船に乗せ、レッドの応援をするつもりで戻ってきたグリーンは、その光景を見て絶句した。
無敵とも言われた、かつてのポケモンリーグチャンピオンのメンバーが、ほぼ全滅。
それも、何故か無事だったエーフィを除けば、全てが強制的にモンスターボールの中にしまわれている。 これは、そのポケモンの生命が危ぶまれているという意味を持つ。
散乱したモンスターボールの中に横たわるレッドへと駆け寄り、グリーンはその体を抱き上げた。
目立った外傷こそないが、ぐったりとしていて顔から生気が感じられない。
「・・・どういうことだよ。 説明しろよ、オィ・・・」
怒りのこもった声を出しても、目を固く閉じたままの友人は答えない。
やり場のない感情はふくれ、はけ口を求めて暴れまわった。 目の前にいる紫色のポケモンの尻尾が揺れただけで、爆発するほどに。

「オィ、お前レッドのポケモンだろう!? どうして助けなかった!?」
エーフィの『サン』は体をすくませると、グリーンから目をそらした。
その瞬間、グリーンは自分の言ったことに対して激しく後悔を覚える。 8年以上レッドと付き合ってきたこのポケモンが、レッドのことを見捨てるなどということはあり得ないのだから。
「悪い、お前の気持ち考えてなかった。」
すぐに謝るが、エーフィは顔を伏せたまま、散らばったモンスターボールを拾ってグリーンの前に落とした。
空のモンスターボールとポケモンの入ったボールとの見分けがつかず、グリーンはひとまず全てのボールをレッドのバッグの中につめこみ、ぐったりしたレッドを肩に担いで立ち上がる。
サンは太い木の真下にある茂みの中から、モンスターボールを抱えたピカチュウをくわえて再び戻ってきた。
船に戻ることを伝え、急ぎ目の歩調で海岸へと向かう。
賢いポケモンは、ピカチュウの首根っこをくわえ直し、しっかりとその後をついてきた。