バトルフロンティアは血の気の多いトレーナーたちであふれかえっていた。
大きめに取られたバトルスペースが人で埋まるのはいつものこと、自分の実力を試したいトレーナーがより強いトレーナーを求めてところ構わずバトルを仕掛けたり、また、実力に自信のないトレーナーが自分より格下と思えるトレーナーにバトルをふっかけたり、そんなのは日常茶飯事だ。
そんな中にまぎれ込めば、当然のごとく争いに巻き込まれる。
子供だったり、目立つ格好をしていればなおさらだ。
エメラルドも例外ではなかった。
1週間目にして、いちいち迫ってくるトレーナーたちには慣れてきたが、それでもバトルを仕掛けられて「ポケモンを持っていないから出来ません」と返答するには、いまだに勇気が要った。
今日もまた、同じ会話が続く。



「いや、やけんオレはポケモン1匹も持ってなかよ。
 どんだけ頼まれてもポケモンバトルば出来んと。」
エメラルドが断っても断っても、聞いてくれない人もいる。
バトルフロンティア中の戦績は中央部のコンピューターを通してランキングホールで公表されている。
どんな形であれ、バトルファクトリーを21連勝で勝ち抜いたエメラルドに目がつけられるのも当然といえば当然のこと。
「嘘をつくな、嘘を! トレーナーでもない奴がフロンティアの施設を勝ち抜けるワケがないだろう!」
「やけん、オレが勝ち抜いたのはポケモンば使わなくてもよかバトルファクトリーで、オレはまだポケモンばもろうてなかんだってば。」
同じ説明をエメラルドは何回も繰り返した。 それでも分かってくれない人は分かってくれない。
彼が困り果てていると、横から黄色いものが飛んできて、エメラルドとトレーナーとを分けた。
突然乱入してきた黄色いポケモン・・・ピチューはすぐさま体の向きを変えると自分のトレーナーのところへと向かう。
間に入ったトレーナーは自分の長い髪に触れると、エメラルドへとしつこくバトルを申し込んでくるトレーナーを見上げ、にっこりと笑った。


「ひっどーい、こ〜んなちっちゃい子が嫌がってるのに無理矢理バトル申し込むなんて。
 おじさん、なんならあたしがバトルしてあげようか?」
前に立った少女は、フロンティアパスの中からトレーナーカードを抜き取ると、相手へと見せた。
その途端に、相手の顔が青くなる。 それを見て、やはりにっこりと笑う少女。
「あたしでよければ、ね。」
「い、いや・・・失礼しました!!」
逃げるようにその場を去るトレーナーを見て、彼女は少しだけ肩を落とした。
トレーナーカードをしまうと、そのままエメラルドへと振り返り、腕にしがみついている小さな黄色いポケモンの頭をなでる。
「そんな目立つ格好してるからだよ。」
何のことだか分からず、聞き返そうとしたエメラルドに、少女は続けて話す。
「やっぱ初心者なんだね。 ねぇ、少し話そうよ。
 ここじゃなんだし・・・とりあえず、あっちの方とか?」
そう言って少女は人気ひとけの少ないレストランの奥を指した。 今のところ特にやることもなく、エメラルドは特に疑うこともなく彼女についていく。
観葉植物の生えそろった南国風のレストランの、特に大きなシダ植物のそばにある席を彼女は選び、そこに腰掛けた。
この時間では仕事もなく暇そうにしていたウェイターに無難なジュースを注文し、机の上で手を組みながら、話は始まった。




「あなたの登録しているトレーナーネームはエメラルド、で、合ってるよね?」
「知っとーと?」
「うん、知ってる。」
コテコテの方言をものともせず、少女は話を続ける。
「あたしはマリン。 カントーから来たポケモントレーナーなの。
 ある調査で、このバトルフロンティアを調べてるんだ。」
エメラルドは首をかしげた。 ずっと目を合わせていると睨んでいるような視線に射貫かれそうだ。
マリンと名乗った少女は、体の上をはい回る小さなポケモンと軽く遊ぶと、肩から提げたポシェットを開く。
「順を追って説明するね。
 このバトルフロンティアの施設には、それぞれフロンティアブレーンって呼ばれている施設のリーダーがいることは知ってるよね?
 そのブレーンの目が、バトル中に色が変わることがあるみたいなの。」
「あっ、ファクトリーヘッドのダツラ! バトル中に目が赤くなっとった!」
立ち上がってエメラルドが声を上げると、マリンは冷静な目をしてうなずいた。
右手の人差し指で、自分の目を指すと先を続ける。
「それは、神の目、神眼って呼ばれているもの。 ごく限られた一部の人間だけが使えて、ポケモンの能力を上げることが出来るらしいの。」
「何ね? フロンティアにはそげな奴らがゴロゴロしとーと?
 そしたら施設に勝ち抜けるわけがなかやなかか。」
「まー、とりあえず落ち着いて、落ち着いて。 相手が神眼でも勝てないわけじゃないし。
 バトルに必要なのは、あくまでバランス。 それに、戦略、判断力、なにより、ポケモンへの愛情! ポケモンの能力はその次だから。
 問題は、そういうことじゃないの。
 神眼を手に入れられる確率は、およそ10万分の1。 それも、10歳から20歳の間の、限られた短い期間しか瞳の色が変わることはないわけ。
 けど、ブレーンのほとんどが20代でしょ? 瞳の色が変わる年齢は、とっくに過ぎているはず。
 偶然ってこともありうるけど、そんな人間を7人も集めてこられるわけもない。 絶対にこのバトルフロンティアに原因があると思ってるの。」
言っている意味が段々わからなくなってきた。
困り果てた顔をしたエメラルドを見て、マリンは軽く苦笑した。
手のひらで机を叩き、彼の注意を自分の方へと向けさせる。
グラスに積み上げられた氷が、カランと音を立てて崩れた。
「とにかくっ! あたしはファクトリーヘッド以外のフロンティアブレーンもバトル中に瞳の色が変わるのか、それを確かめたいわけよ。
 で、その確認をキミにも協力してほしいわけ。 いーい?」
「は!?」
今度はあまりの急展開に、思わず聞き返す。
目を3回まばたかせると、目の前にいる彼女はポシェットから取り出したバッジのようなものを机の上に置いた。
自然と視線がそちらへと向く。 机にあるそれは、ただのバッジではないようだったが、エメラルドにはそれが何だか分からなかった。
「このバッジには超小型のカメラが内臓されてるの。
 キミがフロンティアブレーンと戦っているときに相手の瞳の色が変われば、神の子が持つ独特の波長をキャッチしてカメラが作動するから、うまく撮影できれば、それをこっちで解析して、このバトルフロンティアで何が起きているのか、調べることが出来るってわけ。」
「やけど、フロンティアブレーンの前には他の挑戦者もいるやなかか。
 オレの実力やと、そこまでたどりつけないんやなかと?」
「大丈夫! そこはアタシが強くしてあげるから。
 どうする? この話、乗ってみる?」









逃げなきゃ・・・早く、早く。
「あの人たち」と一緒にいちゃいけない。
「モモ! 早く!」
つないだ手の向こうで、ヒナは泣き叫ぶような声を出しました。
足が思うように動きません。 歯がカチカチと鳴り、1度噛んだ舌がじんじんとしびれ、血の味を感じさせました。
姿は見えませんが、あの真っ黒な服を着た人たちはもうそれほど遠くない場所まで迫ってきています。
声が聞こえました。 ヒナは、小さなモモの手をつかむと灰色のビルの階段を駆け上がります。
「あそこだ!」
男の人の声が聞こえ、ヒナははっと足元を見ました。
鉄板で作られたらせん階段は2人の足音をよく響かせ、黒い服の人たちに音で存在を知らせてしまったのです。
今から降りるわけにはいきません。 ぎゅっと唇を噛むと、ヒナは階段を駆け上がり屋上に隠れられる場所を探します。

大人と子供の体力の差でしょうか、黒い服の人たちは全く息が乱れていません。
追い詰められた2人は屋上の柵を越え、少しでも捕まらないよう男の人たちと距離を置きます。
「ずいぶんとまぁ・・・面倒なことを。 こちらが言うとおり大人しくしていれば、生きて返すくらいのことはしてさしあげたのに。」
「知らない! あたしたち、何も見てない!!」
わずかな望みをかけて叫んだ言葉も、男の人の嘲笑にかき消されました。
「残念ながら、私にはあなたの言葉を確認する時間などありませんからねぇ・・・
 疑わしきは罰せよ・・・残念ですが、ここでさよならです。」
男の人は何か、鉄の塊のようなものをふところから取り出しました。
真っ黒な目に体が震えます。 逃げようにも足がすくんで動けませんし、モモには走るチカラも残されていません。
にじむ視界に何度も目をこすりながら、ヒナはヒーローの姿を思い浮かべました。
「助けて・・・助けて、お兄ちゃん!!」
もちろん、来られないのも分かっています。 それでも叫ばずにはいられなかったのです。
黒い服の人は鉄の塊をモモの方に向けました。
ヒナの方がお姉ちゃんです。 何でもいいから、とにかくモモを守ろうと彼女が動いたとき、モモが、彼女がつかんでいた鉄の柵がパンッと高い音を立てました。
「モモ!?」
彼女の体がかたむき、どんどんヒナのもとから離れていきます。
必死でつないだ手にチカラを込めましたが、子供の握力では彼女を引き上げることなんて出来ません。
体ががくんと揺さぶられ、ヒナの足が屋上から離れます。
どんどん近づいてくる地面に、2人は声も上げられませんでした。 モモの背中に衝撃が走ります。
もう死んじゃうんだ、と、ヒナが目をつぶったとき、何か暖かな、ピンク色のものが2人を包みました。
天の羽衣のようなそれは光を放つと、2人をどこか遠いところへと連れて行きます。
モモとヒナがよく知った、いつも遊び場にしている合歓の木の前に2人を降ろすと、ピンク色の光は姿を変え、1匹のポケモンへと変化しました。



・・・間に合わなかった・・・!
ぐったりとしているモモを見て、ヒナは目を見開きました。 いつも悩まされている泣き声すらも、聞こえません。
「モモ、モモ!?」
動かさないで! 首の骨を折ってる。
ビクンと肩を震わせ、ヒナは止まりました。
赤くて、生温かい液体が手のひらを伝わっていきます。
どうしたらいいか分からなくなりました。 ヒナはケガしない方法は知っていても、ケガしたときどうすればいいかなんて知らなかったのです。
頭の中がぐちゃぐちゃになって、泣き出しそうな顔でモモのことを見つめたとき、大きな鳥の羽音が頭の上から降ってきました。
見上げると、赤、青、黄色、3色の鳥が空から舞い降りてきます。
1番初めに降り立った青い鳥は、モモとヒナのことを見つめると、こう言いました。
すまない・・・私たちのことで、無関係な君たちを巻き込んでしまった。
黄色い鳥がモモを見つめ、バチバチと音を鳴らします。
ほぉ、見上げたものだ! この娘、死の淵に立ってなお、生きることを諦めていない。
メラメラと燃える翼を持つ赤い鳥は、2人の目と鼻の先まで近づくと優しい目をしました。
助けましょう。 この先どんなことが待っていようとも、今終わっていい命なんてありはしないのです。
そう言うと、他の2羽の鳥も大きくうなずきました。
3羽の鳥が何かに祈るように目をつむると、モモの体から白い光が放たれます。
嬉しくて、怖い儀式。 まぶしくてヒナは目を細めました。




「・・・ヒナっ!!」
助けを求めようとした自分の叫び声で、ファイアは目を覚ましてしまいました。 トクトクという自分の心臓の音が、耳の奥で渦巻いています。
まだ空は暗く、ポケモンたちも眠っている時間です。
うつむいて、顔の前にかかってきた長い髪を見つめながらファイアは目をこすりました。
目を閉じるとまた知らない誰かに追いかけられそうで、怖くて眠れません。
ここにはファイアを守りながら絵本を読んでくれる人も、ミルクを温めてくれる人もいないのです。
いるのはただ、ポケモンだけ。 ファイアは心細くなって、サイドボードに並べてあるモンスターボールの1つをぎゅっと握りました。
途端、ボールが割れ、ヒトカゲのセロが眠そうな顔をしてファイアのことを見上げます。
間違って開閉スイッチを押してしまったせいなのですが、ファイアにはそんなこと関係ありませんでした。 ぎゅっとセロの体に腕を回すと、チカラいっぱい抱きしめます。
突然呼び出され、泣きつかれたセロは戸惑っていました。
ひとまず尻尾の炎でファイアがヤケドしないように気をつけながら、彼女が泣き止むのを待ちます。
5分と少しして、ファイアはセロのことを離してくれましたが、まだ不安そうな顔をしています。
「気分直しに外行こうよ」セロはそう言いました。
通じたのか、たまたまファイアが同じ気持ちだったのかは分かりません。 ですが、彼女はセロの思っていたタイミングで、服を着替え、白い帽子を手に取りました。



外に行ったファイアが真っ先に驚いたのは、空いっぱいにキラキラ光っている星たちでした。
「うわぁ・・・」
マサラタウンもきれいな町ですが、これだけたくさんの星は今まで見たことがありません。
ファイアは流れ星を探して歩き始めました。 手ですくえそうなくらいたくさんあるのだから、1つくらい落ちてくるのではないかと思いました。
ですが、そう簡単に星は落ちてきません。 落ちたら燃え尽きてしまうのだから、星だってそう簡単に流れたくないのです。
少しがっかりしながら歩いていると、ファイアは立ち止まっていた男の人の背中にぶつかりました。 前を全然見ていなかったせいです。
セロが慌ててファイアを助けに行くと、男の人はゆっくりとファイアの方へと顔を向けました。
「こんにちは。」
ファイアが言いました。
「こんばんは。」
男の人は返事をしました。
ファイアは、自分の前にいるその人を灰色の瞳でじっと見上げていました。
お気に入りの白い帽子を目深に被っていますが、すでに日も暮れていて、あまりその機能は果たされてはいません。
その人は、寒くないように自分の上着をファイアにかけてくれました。
しゃがみこんで視線をファイアの高さに合わせると、ファイアを連れてきた人は、ファイアの瞳を覗き込みながら尋ねます。
「お前が、ファイアか。」
「うん。」
ファイアが答えると、肩にかかっていた長い髪の毛がぱらりと落ちました。
目の前にいる人が少し息を吐いてから、ファイアに何かを言うと、途端、ファイアの大きな目が輝きました。
とても嬉しそうに、ファイアはうなずきます。 それを見ると、名前も知らないその人は、ファイアの小さな手を取って歩き出しました。
何も疑わず、ファイアはその人についていきました。
その頃、ポケモンセンターの中にいるグリーンやナナミさん、リーフたちが、必死でファイアのことを探していることも知らずに。