朝。
平和な朝である。
サファイアは珍しく目覚ましがなる前に目を覚ました。 昨日の夜セットしたかどうか、イマイチ記憶がはっきりしないが。
ともかく、起きているのにいちいち音を鳴らされてもかなわない。 サファイアは目覚まし時計のスイッチを切る。
そのままサファイアは2度寝を始めた。 いや、始めようとした。
寝返りを打った腕が何かに当たり、寝ぼけたまま半目を開ける。
壁にしては柔らかいし、枕にしては高いものの正体は、すぐにわかった。 わかったけど、理解するのに時間を要した。
脳みそが地球外にぶっとぶ、心臓がダイナマイト張りに爆発する、顔が蒸発するほど熱くなる。






「るっ・・・・・・!? るるるるるるるぶるぶ、ルビーッッ!!?」
サファイアはベッドの上から転がり落ちた。
床に尻をつけたまま5メートルほど後退しようとするが、座敷机だの椅子だのなぎ倒しながら壁に背中を打ちつけて停止する。
2秒で壊滅的な状況になった部屋の音をうるさそうにしながら、ルビーはゆっくりと起き上がってまぶたの上をこすった。
眠そうに少し細められているのにも、うつむいた瞬間に肩にかかった髪がはらりと落ちていく動きにも、サファイアの胸は高鳴って。
「・・・なにぃ、もうちょっと静かに出来ない?」
ルビーは顔を上げると、何事もなかったかのように小さなあくびをした。
特別何かされたわけでもないが、服の乱れ1つないが、11歳の純情なサファイアには耐えられない。
「ら、どぎゃんこつ・・・!?」
舌をかみかみ尋ねると、ルビーは薄く目をまばたかせる。
「んー、ゆうべ家に帰ったのはいいんだけど、おじさんとおばさんがケンカしててさ。 気まずくて入れなかったから、こっち来たんだよ。
 だけど、博士からあんたどかしてベッド使っていいって言われたのに、サファイア珍しく早寝してっから・・・」
後半あたりからサファイアはほとんど聞いていなかった。
異変に気付いたルビーがサファイアに近寄り、目の前で手をひらひらさせてみるが、全く反応がない。
「あらー、気絶してる。」
本当にこれが神話に残るポケモン、カイオーガと対決した少年かなどと思いながら、ルビーはサファイアの上に毛布をかけ、1人でリビングへと降りていった。
ルビーは時計を見る。 朝の7時半、昨日ここに来た時間から考えてみれば、5時間半は寝られたことになる。
体調の回復にうってつけな一家に感謝すると、ルビーは上の騒ぎを少し気にしていたオダマキ博士に朝の挨拶をした。
大騒ぎの元はまだ寝ていると、半分ウソをついて。



せっかくの早起きが台無しになったサファイアは、ぐらぐらする頭を抱えながら階段を降りてきた。
リビングまで降りてきて、もっと我が目を疑った。
「な、なにしとんねん、ルビー・・・?」
「あ、おはよーサファイア。 見て分からないかい? 洗濯物手伝ってるんだよ。」
我が家になじみ過ぎだろう、と、サファイアは心の中でツッコんだ。
母親もナチュラルに手伝わせるなと、ツッコみたい。 あぁ、ツッコみたい。
「なんっ! でやっ! ね・・・」
「朝ごはん食べないのかい?」
「・・・食べます。」
多分一生勝てないだろうなぁと、サファイアはこの時悟った。
流され流され、ボソボソと朝食を口に運んでいると、外に干した洗濯物を満足げに見ながら、ルビーがサファイアの対面に座る。
あまりにも彼女が自分の顔をじっと見るものだから、思わずサファイアはハシを止める。
「食べないの?」と、聞かれ、今度は慌ててかきこんでむせかえった。
その様子を見て、ルビーはケラケラと笑う。
「サファイア、今日どっか行くの?」
赤みを帯びた瞳で見つめられて、サファイアの飲んでいるココアにぶくぶくと泡が立った。
「ばぼ、びょぶば、ばびゃぶびば、べぼぼぼびゃびゃぶべばび、びぼぶばべぼびばぶべ、ばばぶびび、びびょぶばぼぼっぼりばぶ。
(あの、今日はカナズミのデボンの社長のおっちゃんに仕事を頼まれたので、カナズミに行こうと思っとります。)」
「聞こえませーん。」
サファイアは少し飲み直すのがためらわらるココアから口を離すと、同じことをもう1回ルビーに言った。
「ふーん」とうなずくと、ルビーはギクシャクした動きで(着替えのため)自分の部屋に戻ろうとするサファイアに声をかける。
「ついてっていいかい?」
「モチのロンやすッ!」
2、3度階段をずり落ちそうになるサファイアを見て、ルビーは軽いため息をついた。
ホルダーから1個モンスターボールを取り出すと、上に放ってその場でメロディを呼び出す。
「きゅう?」と可愛らしい鳴き声を上げたチコリータを抱え上げると、ルビーは少し眉を潜めた。
「・・・やめちゃおっかなぁ、アイドル。」



ズダダダダダッ!!!

着替えを済ませて2階から降りてきたサファイアは、階段から転がり落ちた。
「・・・大丈夫!?」
朝風呂に入れさせてもらい、ちょうど髪をかわかしていたルビーは、さすがに驚いてサファイアにかけよる。
サファイアとしては、それどころではなかった。 顔が真っ赤になって、脳内の回線が焼き切れそうな状態である。
少し開いたエリ(といっても首元が見える程度)に目が行き、慌てて顔を反らそうとして階段の手すりに額をぶつける。
ギクシャクした動きで何とか立ち上がると、ルビーは少しむっとしたような表情をして、サファイアの胸ぐらをつかみ、無理矢理自分の方に向かせた。
「ちょいと! 顔ぐらい見たらどうなんだい!
 集中力なさすぎなんだよ、しゃんとしな、しゃんと!」
「せやかて・・・ッ!」
何か言い返そうとして、サファイアは言葉に詰まった。
小さなため息をつき、ルビーはサファイアの手首をつかむ。 ちらりと時計を見ると、そのままサファイアを引きずるようにしてルビーは玄関へと向かって歩き出した。
「行こう、先方待たせちゃマズイでしょ。」
2人の影が動くと、新聞を見ているフリをしていたオダマキ博士は顔を上げた。
上目づかいに見上げる顔の下では、「郵便車襲撃犯いまだ捕まらず」の見出しが無駄に太く書かれている。
「行くと? 2人とも・・・」
「あ、はい! 夕方にはカントーに向かわなきゃならないんで、夕飯いらないです。」
急に標準語に戻ってルビーは明るく受け答えた。
食べていく気だったのか、と、サファイアは心の中でツッコむ。
「近頃物騒やけん、気をつけいよ。 2人ともホウエンでは有名人じゃけんのう。」
「気をつけます」と言うと、ルビーはにこやかに手を振って外へと飛び出した。
赤い翼が舞う。 2人が呼び出した大きな竜と小さな竜は、地面を蹴ると大きく翼を振って空へと飛び出した。
まとまりきらないルビーの髪が揺れる。
雲ひとつないこの空ならきっと、カナズミシティに着く頃には風が完全に乾かしてしまうだろう。



30分ほどでカナズミまで到着すると、ルビーとサファイアは街のはずれにポケモンたちを着地させた。
移動に一役買ってくれたボーマンダのフォルテをモンスターボールの中へとしまうと、ルビーはポシェットから取り出したブラシで髪をとかし、手早くまとめた上でバンダナを頭に巻きつける。
少し落ち着いてきたサファイアは大きく深呼吸をして、チルタリスのクウをモンスターボールに戻した。
ルビーに肩を叩かれると、言われずともそれがどういう意味かわかり、うなずいて街の方向に歩き出す。
1年前に歩いた石畳の感触は、今でも変わっていなかった。
街の入り口をかざる噴水の前でルビーがポケナビのマップを開いていると、通りの向こうから景色から少し浮いた白衣の男が走ってきて、2人は同時に顔を上げる。


「いたいた! 社長からもうすぐ2人がつく頃だから、探してきなさいって言われて、おじさんサファイア君のこと探してたんだよね〜。
 ルビーちゃんも一緒だったんだぁ、おじさんのこと覚えてるかなぁ?
 ほら、ほら、1年前、トウカの森でマグマ団に襲われそうになったところを助けてくれたよね?」
「・・・あぁ!」
ルビーは目の前にいる研究員を指差すと、声を上げた。
思い出すことが出来ずに首をかしげているサファイアに「ほら」という絶対的に理解不能な説明を加えると、彼女は相手へと向かってぺこりと頭を下げる。
研究員は顔をサファイアの方に向けると、肩から提げたカバンの中から書類を取り出し、サファイアに渡す。
「今日来てもらったのは、他でもない、サファイア君に新製品のモニターになってもらいたかったからなんだよね。
 実はね、デボンコーポレーションが社運を賭けて作った製品、ポケモンナビゲーター、略してポケナビに通信機能がついたんだよぉ。
 エントリーコール機能っていうんだけどね、ポケナビを持ったトレーナー同士が登録しあえば、電話回線を使ってその相手と通信することが出来るんだよ。
 サファイア君ポケナビ持ってなかったよね? この最新バージョンのポケナビを使ってみて、それで、感想を聞かせて欲しいんだ。」
「現物支給?」
すかさずルビーが研究員に尋ねる。
一瞬研究員は動きを止めたが、すぐに首を縦に振った。

「そういうことになるね〜。」
がっくりと肩を落とすサファイアの肩を、ルビーはバンバンと叩く。
その手に握られたポケナビに気付くと、それを指差しながら研究員はルビーに聞いた。
「ルビーちゃんも1年前に社長があげたポケナビ、ちゃんと使ってくれてたんだねぇ。
 ついでだから、そっちの方もグレードアップしてもらうよう、おじさん、社長に頼んでみるよぉ。
 どうかなぁ、ルビーちゃん? 使ってみた感じ。」
質問を予想していなかったのか、ルビーは少し目を見開くと、すぐに笑顔を取り戻した。
「あぁ、重宝してるよ。 地図持ち歩くよりラクだしね。」
「そっかぁ、それはおじさん嬉しいよ〜。 他の機能はどうかなぁ?」
「他?」
ルビーは首をかしげる。
地図を見る以外でポケナビを使ったのは、身の危険を感じて飛び道具代わりにした1回だけだ。
「他って?」
「え、ほら、ほら、コンディション確認モードとか、トレーナーアイとか・・・」
「何だい、そりゃ?」
機械音痴のルビーのセリフに、研究員は泣き出した。
困りっぱなしのサファイアにすがりつくわ、すすり泣きなのにやたら声がでかいわで、通りを歩く人間が引きまくっている。 ドン引き。
「ふみぃ〜ん! ばびばび、まきゅぅ〜ん!」
「へぇ? 「ポケナビの素晴らしい機能は地図以外にもたくさんあるのに」?」
「みひょろりろん、しゅげげーっ!!」
「「この人は何度説明しても全然わかってくれない」?
 そら、しゃあないわ。 ルビーやし。」
研究員の意味不明な鳴き声を通訳したサファイアを、ルビーは『からてチョップ』で思い切り殴った。
ショックから立ち直れない研究員。 非常事態である。
なぜならば、バカでかい泣き声を聞きつけたご近所様がどんどん集まってきて謎のウワサ話が立ち昇っているからである。
困り果てたサファイアは研究員の頭を叩きながら、謎の呪文を唱える。
「ゅぃまぁねぬさのんふぞじ、ゅぃまぁねぬさのんふぞじ。」
「サファイア、何やってんの・・・」
「いや、あやしことば効くんかと思うて。」
あやしことばの効果があるのはハコガミ アヤノちゃんだけです、チャンピオン。
謎の言葉によって余計に怪しい状況を作り出してしまい、ますますヒートアップするご近所の噂話をどうしたものかと考えていると、コツコツと石畳の上を誰かが歩いてくる音がルビーの耳に届いた。
音の方向に顔を向け、ルビーは少し表情をゆるめた。
見覚えのある顔が、少し不思議そうな表情をしながらルビーとサファイアのことを見ている。



「あら、何をしてらっしゃるの?」
「ツツジ、・・・さん!」
「ツツジで結構。 私はあなたに負けたんだもの、トレーナーの世界では敗者より勝者の方が格上だわ。」
少しすねたように顔を背けると、買い物の袋を持った女の人はルビーに向けて言った。
相変わらず暑くないのかと尋ねたくなるような黒のワンピースを身にまとっているが、1年前と違い、彼女も少し背が伸びている。
研究員からサファイアを引き離すと、ルビーは話し込みそうだと日傘を差したツツジに向かい、ここへ来ることになった経緯を話す。
「・・・そう、デボンの仕事につられて来たわけね。
 相変わらずのようね、サファイア。 芸能界で活躍しているルビーさんとは大違いだわ。」
「・・・何でルビーがさん付けで、ワシが呼び捨てやねん。」
サファイアの必死のツッコミは、ものの見事に無視される。
用の済んだ研究員がいなくなったのを見ると、ツツジは自分の荷物の中からサファイアがもらったばかりのそれと同じものを取り出した。
「まぁ、いいですわ。 それより、エントリーコール機能が入ったのでしたら、2人とも、私のポケナビと通信いたしましょう。
 近頃物騒ですし、情報交換は必要ですわ。」
ルビーは自分のポケナビを取り出しながら(しかし操作はわからず、実際に通信させるのはサファイア)ツツジの顔を見る。
「物騒?」
ツツジはサファイアのポケナビを登録しながら、少し深刻な顔をしてうなずいた。
「えぇ、まだ一般には公表されていないのだけど、宇宙から飛来したポケモンが捕獲チームの手を逃れてこのホウエンのどこかにいるそうよ。
 ホウエンで確認されているのは1体だけらしいけど、捕獲に当たったトレーナーが何人か負傷したそうだから、お2人も充分注意した方がよろしくてよ。」
エントリーコールの登録がなされたポケナビを受け取りながら、ルビーは気付かれないようにサファイアの様子を見る。
1回だけそれとなく言ったが、隠し事がある時、奥歯をかみ締めるクセは直っていない。
笑顔を作ると、ルビーはポシェットにポケナビをしまいながらツツジに情報に対するお礼を言った。
デボンでの用事が終了した以上、やることもなくなり、ついでだから観光でもしていこうかとサファイアが少し考え始めたとき、街の大通りからどこかで見覚えのあるようなないような、イマイチ記憶のはっきりしない子供が走ってくる。


近くまで来ても誰だったか思い出せない子供は、息を切らしながらツツジの近くまで来ると、服のすそを引っ張った。
普通なら怒りそうなものだが、ツツジは少し目を大きくしただけで特に目立った反応もない。
「あら、どうしたの?」
「ツツジ先生、街の北に暴れポケモンが・・・!
 今、大人が止めてるんだけど、全然歯が立たなくて・・・」
ルビーは少し驚いてから、口元に笑みを浮かべてサファイアをひじで突いた。
「・・・サファイアサファイア、ビジネスチャンス!」
「へ?」
一瞬面食らうと、サファイアはルビーの表情から言いたいことを何となく悟る。
もらったばかりのポケギアをリュックに取り付けて、代わりに右手にモンスターボールを持ち替えると、1歩前へと踏み出して話し込んでいるツツジに向かってちょぴっと胸を張った。
「手伝うたろか?」
きょとんと自分のことを見る2人に対して、サファイアは手にしたモンスターボールをぐっと握って見せた。
「安くしとくで¥」
「なんでも屋サファイア、頼まれれば庭掃除から災害救助までしゃかりき働きます!」
この非常事態にルビーまで一緒になって営業をするという異常さに、ツツジと彼女を呼びに来た子供は完全に言葉を失った。
だが、呆れている暇もなく頭を振って思考を正常に戻すと、ツツジは子供が指さした方へと走り出す。
追いかけてくる2人を振り返り、彼女は人差し指を突き出す。
「応援は要請します、ですが報酬は仕事次第で決めさせてもらいますわ!」
「だってさ、どうする?」
「構わん。 いい宣伝や!」




サファイアはホルダーからモンスターボールを取り出すと、両手に1個ずつ持って空中へと放り投げる。
そのうちの片方は空中で開かれる。 金色のポケモンが飛び出すと、薄い羽根を羽ばたかせながら、もう1つのボールを受け止めた。
「行きっ、‘チャチャ’!!」
先行させたテッカニンのチャチャをサファイアが見送ると、突然首根っこをつかまれて、持ち上げられた。
顔を上げると、いつの間にか出されていたバシャーモの肩に、ルビーがちょこんと座ってこちらのことを見ている。
人だかりが出来ているせいで、話されていた暴れポケモンのいる場所はすぐに見分けがついた。
ルビーはその外側でサファイアを降ろすと、少し高いところから騒ぎの中心を探し、バシャーモの跳躍力で一気に人山を飛び越える。
刺激はしないつもりだったが、既に来ていたトレーナーたちとやりあっていたポケモンは着地の音に驚き、攻撃の手をルビーへとむける。
見えない風のようなものが巻き上がり、乗っていたバシャーモごとルビーは吹き飛ばされる。
観衆の中に突っ込み、ルビーとバシャーモは止まった。 小さくうめき声を上げながらルビーは起き上がり、別のトレーナーと戦い始めるそのポケモンに目を向ける。
「ノズパス『とおせんぼう』!!」
割れた人波からツツジが走り出て、自分の足元ほどの灰色のポケモンを繰り出し、指示を出す。
突如として現れた岩が、暴れポケモンの行く手を阻んだ。 ツツジはさらに1歩前へと進み出ると、暴れポケモンと戦っていたトレーナーを退かせる。
「これ以上は先に進ませないわよ。 観念して・・・キャッ!?」
小さな足音に反応して、ポケモンは攻撃を放ってきた。 ルビーは思わず倒れているバシャーモにしがみつく。
彼女が見ている目の前で、細かく舞い上がった草花が光に包まれながら跡形もなく消え去った。
驚いてルビーが赤く光る目を見開かせていると、人ごみをかき分けてきたサファイアがそれに気付き、手の平で彼女の目をおおった。


「大丈夫か、ルビー?」
ルビーは少し驚いてからサファイアの手を外し、茶色い瞳を瞬かせる。
「あ、あぁ・・・‘イオン’はやられちゃったけど・・・」
思いの他顔が近くにあって、少しだけ胸が高鳴る。 だが、その感情に浸っていられるだけの時間はない。
サファイアの手を強くにぎると、ルビーは彼を暴れているポケモンの方へと向かせる。
ツツジとバトルを繰り広げている人のような形をしたポケモンを見ると、サファイアは驚きのあまり声を上げそうになった。
その口を、ルビーがすぐさま手でふさいで止める。
「しっ! ここで騒いだらマズイよ。」
「え、え!? せやかて、あのサーナイト・・・‘あい’やろ!?
 何でこんなとこいるねん、ミツル君は何しとんのん?」
ひたいがくっつくほどに顔を近づけると、ルビーはもう1度「しっ」とサファイアにクギを刺した。
肩に触れると、少し怒ったような顔をしながら彼女は、なおも戦い続けているポケモンに目を向ける。

「とにかく、あいつが警察の手に渡る前にこっちで捕まえよう。
 ミツル君の親戚やセンパイたちに聞けば、何か分かるかもしれない。」
サファイアはその意見に同意した。
ずっと様子を見ていたチャチャを呼び寄せ、先制するために持たせていたモンスターボールを回収する。
1番防御力の高いカナのモンスターボールに持ち替えると、立ち上がってツツジとやりあうサーナイトの様子を確認した。
ここに到着するまでに別のトレーナーとやり合ったのか、打撃痕が無数に残されている。
既に倒れていてもおかしくないが、それでも戦い続けている彼の眼に、サファイアは執念のようなものを感じた。
「でも、どうやって捕まえるんや? ほとんど気絶しかかっとって、ワシらのこと分かってないで。」
「大丈夫、あたいの声なら届く。
 サファイア、サポート頼むよ。」
「よし」と、小さく声を上げると、サファイアはずっとホバリングと続けていたテッカニンに、目で合図を送った。
一応あんまり無茶はしないようルビーに注意し、持っていたカナのモンスターボールをシロガネのそれに持ち替える。
いつでも助けに出られるようサファイアが構えると、彼の表情は変わった。
ルビーは大きく息を吐いて、精神を統一させる。 2人だけに判るタイミングを見るのには、相当な集中力を要した。



ツツジの攻撃が一瞬止まったのを見て、ルビーは地面を蹴った。
急に近づいてきた彼女に驚き、サーナイトが反射的に放った『10まんボルト』を、テッカニンのチャチャが『まもる』を使って止める。
「どいて!」
ルビーはツツジの腕をつかむと、自分の後ろへと引いた。
急なことに対応しきれなかった彼女はしりもちをつくが、文句を聞いていられる余裕もない。
怖い気持ちを押し殺して「あい」へと近づくと、ルビーは飛ぶようにしてその細い胴体にしがみついた。
「‘あい’!」
しっかりと上を向いて目を合わせ、歌を唄うのと同じ要領で、相手へと話しかける。
声をかけられると、サーナイトはビクンと体を震わせ、止まった。
体の周りを覆っていたチカラが解かれ、徐々に細い足が地面へとついてくる。
「ルビーだよ、わかるね?」
赤く光る瞳を見つめたまま、こっくりとうなずくと、サーナイトはその場に崩れ落ちて赤と白のモンスターボールへと姿を変えた。
白い地に、黒のマジックインキ。 もうほとんど消えかかっているボール表面の落書きを見ると、ルビーはその球体をつかみ、自分のポシェットの中へとしまう。
嫌な予感が腹の上を渦巻き、気分が悪くなってくる。
ルビーはサファイアに立たされたとき、初めて自分が小さく震えていることに気付いた。

「・・・悔しいけど、さすがだわ。 市役所に行って報奨金の手配を・・・」
「いらん。」
サファイアは、ツツジに対する返答を一言で片付けた。
何があったのかは知らないが、ルビーの動揺の仕方が普通ではない。
一刻も早くこの場を去ることを先決として、サファイアはチャチャをモンスターボールの中へと戻すと、彼女の手を引いて早足で歩き出した。
サファイアはルビーを落ち着かせられる場所を探していた。
2人とも1度テレビ画面に大写しになってしまっている以上、人の目は避けられない。
落ち着ける人、落ち着ける時間、落ち着ける場所。
その全てが、この街の中には、ない。





謎を多く残したまま、マリンと名乗った少女はエメラルドを連れてバトルフロンティア中を歩き回っていた。
いまだ状況を分かっていないエメラルドや、彼女が肩に乗せたポケモンを見て挑みかかってくるトレーナーを、相手の方も見ずにバトルして勝ってしまうのだから、油断ならない。
「基本的にバトルフロンティアのバトルは3対3、お互いに1匹ずつ出して戦うシングルバトルと、2匹ずつ出して戦うダブルバトルで受付は別になってるみたい。
 レベルごとにクラス分けされてるから、極端に違うレベルの相手と戦うってことは絶対にないけど、やっぱりある程度の実力は求められてるね。 レベル50以下のクラスは存在しないし。
 『ちきゅうなげ』!」
黄色い小さなポケモンは、相手のサワムラーが繰り出してきた蹴りを受け止めると、そのまま遠くへと投げ飛ばした。
呆然とする相手トレーナーを気にも止めず、彼女は講義を続けながら人ごみの中を歩き続ける。
表情1つ変えず、黄色いポケモンは彼女の背中を伝って肩へとよじ登った。
「キミが出るんなら、あたしはやっぱりレベル50クラスの方がいいと思うな。
 夏休みが終わる前に終了させたいんなら、レベルが低い場所を選ぶに越したことはないし、なにより、最初から目的を持って始められるんだから、計画的に育てることが出来るしね。
 バトルファクトリーを突破できたから、もう1匹目のポケモンは頼み終わったんだよね、どのポケモンを頼んだ?」
「ケ、ケンタロス・・・」
少々勢いに押されながら、エメラルドは返答した。
ふーんと声を上げながら大きくうなずくと、口の端を上げながらマリンは視線をエメラルドの方へと向ける。
「いいね。 強いし、使いやすいポケモンだよ。」
顔全部を自分の方へと向かせようとしない彼女の後ろ髪を、エメラルドは見ていた。
後ろでひとつにまとめられた長い髪は、歩くリズムに合わせて揺れながら光を放っている。
どうもマリンは何かを隠している様子だったが、エメラルドがそれを聞いたところで話してくれるはずもないので、尋ねることはしなかった。
既にトレーナーになる手段をどうこう言っていられる状況ではなくなっている。 エメラルドとしては、自分が強くなれればそれでよかった。
「とりあえず1匹だけじゃ戦えないし、新しくポケモンを捕まえに行く時間もないだろうから、3匹目のポケモンを捕まえるまでは、あたしのポケモンを貸したげる。
 その間に、キミ自身のポケモンを強くして、同時にキミ自身のトレーナーとしてのレベルも上げていく。 いい?」
「よかけど・・・
 同時にバトルフロンティアの施設も攻略しなきゃならなかやろう?
 一体次はどこに行けばよかね?」
マリンは立ち止まると、目の前にそびえたつ大きな建物を見上げた。
派手な赤い色で飾られた丸い形のそれは、足元から見上げるエメラルドたちを威嚇する。
「トレーナーの戦略を試す場所、バトルドーム。
 バトル形式は、『バトルトーナメント』!」








ぼんやりと、かすみのかかったような世界を見ていた。
グリーンは祖父であるオーキド博士に手を引かれ、柔らかいじゅうたんの上を早足で歩いている。
その時に話しかけてきた人間の顔を、グリーンはもう覚えていない。
ただ、その時の会話の内容だけは、やけにはっきりと彼の頭の中に残っていた。
「博士、『モンスターズ生態理論』の受賞、おめでとうございます。」
「ありがとう。」
オーキド博士は話しかけてきた男に、にこやかに返事をする。
その時にグリーンは相手の顔を少しだけ見たが、かすかにメガネをかけていたような記憶があるだけで、既に姿かたちをはっきりさせるには、時が経ち過ぎていた。
グリーンはすぐに目をそらしたが、その男はその時にグリーンの存在に気付いたようだった。
軽くかがみこむと、視線を自分へと向け、すぐにオーキド博士の方へと戻す。
「お孫さんですか?」
「あぁ。 ほらグリーン、あいさつしなさい。」
腕を引かれ、グリーンは相手の目も見ず、頭だけを軽く下げる。
相手の男は「きっと博士に似て立派な人物になるのでしょうね。」と、心にもないであろうことを口にしていた。
こんな反応では、ただの人見知りする子供にしか見えなかっただろうに。

あぁ、そうだ。
ポケモンリーグに出たときですら、二言目には「博士の孫」。
いっそレッドになり代われたらと考えたときもあったっけな。

金色の糸のような光がまぶたの奥に入り込み、グリーンは座り込んでいたソファから起き上がった。
いつの間にか眠っていたらしい。 口の奥が乾いた感覚を直そうとつばきを飲み込み、突っ立った髪をがしがしとかいて意識を覚醒させる。
ブランケットをかけてくれたのは姉のナナミだろうか。 床の上へとずり落ちたそれを、丁寧にたたんでソファの上に置くと、グリーンは立ち上がった。
大きく息を吸うと、都会の空気よりもここの方が澄んでいることがはっきりとわかって、その流れで、グリーンはつけっぱなしだったモニターに目を落とす。
自分が眠る前と全く変化していないそれを見ると、グリーンは、

こぶしで、壁を叩いた。

「・・・ったく、もう10日目だぞ。 いつまで寝てるつもりなんだ、あいつは・・・!」
自分でやっていることの無意味さに気付き、グリーンは手の甲に目を落としながらため息をつく。
あいつというのは、8年前と少し前に彼と戦った相手、レッドのことを指すのであり、グリーンにとっては、本気でぶつかりあえるライバルであり、思う存分話せる友でもあった。
ポケモンリーグで勝敗を決した1週間後、何の前触れもなく家に押し入ってきて「ポケモンバトルしよう」とせがみたて、止めるのも聞かずにバトルして、挙句の果てに負けて、翌日になってリターンマッチを申し込んできた。
半分本気で怒りながら昨日のことを忘れたのか、と、彼に怒鳴りかけたときに、
「昨日は昨日、今日は今日だろ?」と、しれっと彼が言ったセリフは、今も忘れていない。
グリーンは机の上に並べていたモンスターボールの1つを手に取ると、ゆがんだ笑みを作った。
ファイアが手に入れたヒトカゲが進化すれば、リザードンになる。
かつて、自分がパートナーとして使っていたポケモンだ。 強いところも弱いところも熟知している自分は、その扱いを指導しなくてはならない。
まるで自分を皮肉っているような今の状況に苦笑いを浮かべつつ、グリーンは6つのモンスターボールをホルダーにはめると、誰もいないその部屋を後にした。
自分以外のチームに組み込まれている面々は、ポケモンセンターのロビーで、それぞれ自分のするべきことをやっていた。
リーフとファイアは夕方からのラジオに夢中だし、ナナミは電話回線でニシキと連絡を取りながら、書類の整理を忙しそうにやっている。
彼女を手伝おうと思ったが、そのやり方も知らず、仕方なくグリーンは小さな機械に向かい合っている子供2人の横に腰掛けた。
その途端に、ファイアの顔がパッと輝き、リーフの表情が意地悪そうに変化する。



「出ったー、不審者3号。」
思いきりからかいを込めたリーフの言葉に、グリーンは怒ることすら出来なかった。
昨日あの後、島の人から不審がられていたのは事実で。
理由を聞いたらリーフに「挨拶もしないんじゃ怪しがられて当然だろ」と、当たり前のように返されてしまったわけで。
都会育ちのグリーンからしてみれば、見ず知らずの相手にいちいち挨拶する習慣こそなかったわけだが、郷に入っては郷に従えという言葉がある以上、逆らうことも出来ずなんとなくリーフ優勢のまま、今を迎えているわけである。
いつのまにか部屋の中でも被る機会が増えてきたリーフの上着と帽子が、妙に様になっていて、その姿が親友の姿と重なり、グリーンは自分に嫌気感じてきた。
「お前、何者だ?」
「え?」
ラジオの音を聞くのに夢中になっていたリーフは、その質問を聞くと顔を上げた。
だが、すぐさま顔を背けると、またラジオの方に夢中になる。
「後にしてくんね? 今こっち聞いてんの。」
「もう番組終わるだろうが。」
少しむっとしながらグリーンがリーフの肩をつかんで無理矢理自分の方へと向かせようとすると、リーフは手の甲でそれを払った。
一瞬だけ怒ったような表情をしてグリーンを睨むが、すぐに眉を上げると、唇の間から舌を出して笑みを向ける。
「ひーみーつ。
 ・・・あー! 番組終わっちまった! ファイア、今日のあいことば何だったか聞いてたか?」
「ポッポのまゆげ。」
「っしゃ! よく覚えてた、ファイアえらい!」
ほめられて単純に嬉しそうにしているファイアを見て、グリーンは肩を落とす。
その言葉を覚えるのに何の意味があるというのか、彼には理解しがたい。
はぐらかされた質問を問いただそうとリーフの方を見るが、その一瞬のスキを突いて既に彼はファイアとともに逃げ出していた。
ポケモンセンターの入り口で、立ち止まって誰かを見つめている。
2歩後ろに下がって入ってきた誰かを中へと通すと、その人物はセンターの受付の方へとあまり力強くはない足取りで歩いていき、職員へと詰め寄った。


「あの、今日の夕方到着した便に娘の姿がなかったんですが、どうしたんでしょう?
 すみませんが、乗船記録を見せてもらえませんか?」
「お客様、すみません、こちらでは乗船の記録は取り扱ってないんですよ。
 船舶会社の方に問い合わせましょうか?」
「お願いします。」
ぺこぺこと頭を下げる男に、リーフはそっと近付いた。
顔をのぞきこむと、少しだけ表情が変わる。
「あー、やっぱりマヨのおじさん! どうしちゃったんだよ、ポケモンセンターに来るなんて。
 そういやさ、マヨ元気?」
中年の男はリーフの存在に気付くと、驚いたように大きくのけぞった。
顔を輝かせると、少し太めの腕でリーフの肩をバンバンと叩く。
「リーフ、リーフか!? 戻ってきてたのか、いやぁ、ずいぶんと大きくなったなぁ!!」
「おじさんも少し貫禄かんろく出てきたんじゃね? マヨはどうしてる? 元気にしてるか?」
マヨ、という単語を聞くと、中年男の顔が青ざめた。
頭を抱えてその場でうずくまりそうな体勢で悩みこむ。
「あぁ・・・そうだ、マヨが昨日から行方不明なんだった・・・!!
 きのみを取りに行くといって3の島にいる友達のところに遊びに行ったんだが、今日の便で帰ってくるはずだったのに、船の中にいないんだよ・・・!
 相手方の方に電話もしてみたが、とっくに帰ったって言うし・・・!」
「あの、お客様? やはり、搭乗記録の方にもそのような方が乗っていらしたという記録はないと・・・」
「そうですか・・・お手数おかけしました。」
はぁっとため息をつくと、男は泣きそうな顔をして今度こそうずくまった。
リーフはしゃがみこんで彼に視線を合わせると、少し考えるようにしてから口を開く。

「探してきてやろうか? なぁ、グリーン! お前ら警察だろ?
 市民の安全と平和を守るのも警察の仕事なんだろ?」
「何度言わせる気だ、俺たちはトレーナー・ポリス! ポケモンが関連している事件の捜査をするのが仕事なんだ!
 大体、今回来てるのは特殊に編成されたチームで・・・!」
「行ってらっしゃい。」
グリーンは押し黙った。 振り返ってもナナミが書類の整理を続けているだけで、他には誰もいない。
ナナミは視線を合わせようともせず、淡々と紙の束を振り分けながら言葉を続けた。
「あらいけない、今日の船はもうなかったわね。
 明日、朝一の便でこの3人を向かわせますので、それでよろしければ、探すのお手伝いしますよ。」
「あ、ありがとうございます! 向こうの警察の方にもそう言っておきますので!」
「いえ、警察にはこちらから言っておきますので、大丈夫ですよ。」
指名された3人に有無を言わさず、ナナミは手早くキーボードを打った。
プリンターから吐き出されたチケットを手に取ると、男が出て行ったタイミングを見計らって、ファイアとリーフとグリーンにそれぞれ1枚ずつ渡す。
「じゃあ、よろしく。」
元気よく返事をしたファイアとリーフに精気を奪われたかのように、グリーンはしなびていった。




白いベッドの上で、レッドは目を覚ました。
依然として意識は混濁したままで、思考回路はほとんど働かず、かろうじて指先を動かせる程度。
それでも気力を振り絞り、起き上がって動こうとすると、細い手に肩を押され、レッドはベッドの上へと押し戻された。
「ダメよ、ちゃんと寝ていなさい。」
「ぶ、るぅ・・・?」
独特の銀色の目を見て、はっきりしない頭でそれが誰だかを認識する。
目の前にいる誰かは確かにうなずくと、レッドの肩から手を離した。
ぼんやりとした色合いで、彼女が旅の服装をしていることに気付く。 ベッドの上でほとんど身動きの取れないまま、レッドはそばにいる人間に向かって声を上げた。
「オレ、どうして・・・」
「あの謎の生命体とのバトルで倒れて、運ばれたそうよ。
 10日間、ずっと眠り続けていたの。 命も危なかったらしいわ。」
「・・・とおか・・・10日!?」
急に意識が覚醒し、レッドは飛び起きた。
途端に体中を引き裂かれるような痛みが走り、うめきごえと共にうずくまる。
「ホラ、だから言ったでしょう? まだ回復しきっていないのよ、寝てなさいよ。」
「んな場合じゃねーだろ!? あのポケモン、オレ倒せなかったんだ!
 それだけじゃない、あいつに能力チカラも奪われて・・・! ブルー、グリーンはどうした!? マサラにいるモモとヒナは!?」
「落ち着きなさい! グリーンもあの2人も無事よ!
 今、リーダーがいなくてD.Dは動けずにいるの。 何があったの、話してちょうだい。」
心臓が強く動き、レッドは胸を押さえた。
脈打ち方がいつもと違う。 全力疾走したあとのそれのような。 ひどい疲労感が体を襲い、思うように動かすことが出来ない。
自分の体を見下ろしながら、レッドは体の横に置いた手を握り締めた。
震える自分の息づかいを感じながら、レッドは隣に座るブルーに視線を向ける。
なんだか、自分がひどく頼りない存在のような気がして、悔しさからレッドは1度奥歯をかみ締めた。
「ブルー、行くんだろ、ナナシマ・・・」
「船は1本ずらすわ。 私もすぐにやられてて、あなた以外、チームの誰もあのポケモンの姿を見ていないの。」
腕をつかんだレッドの手の熱さに、ブルーは身震いした。
自分を見つめてくるレッドの目は、真剣そのものだ。
「じゃあ今からオレが言うこと、全部書き留めてグリーンに伝えてくれ。
 急がないと、モモが危ないんだ!」