どこにでもあるようなイヤホンで、マリンはラジオを聴いていた。
人の行き交うバトルフロンティア。 耳が割れそうなほどの最大音量で。
耳はふさがれていたが、2つの半月型の瞳は近付いてくる少年をちゃんと見ていた。
かなり怒っている様子。 それも、彼女の予想の範疇はんちゅう
怒りの対象が自分になることも知っていたので、それを受けて立つと、マリンはあえて笑顔で彼を迎えた。



「おかえりー。 どうだった?」
「どうもこうもなか! いっこも勝てんやなかか!
 あんたの指導どうなっとぅ? こんポケモン強いんやなかったんか!?」
予想通り怒っている。
頭の中のマニュアル通り、わりとひょうひょうとした態度でのぞむと、怒っている少年・・・エメラルドは一息ついてくれた。
「どうして負けたんだと思う?」
少しだけ間を置いてから、マリンはエメラルドへと尋ねた。
もう先ほどまでの、ちょっとつつけば爆発するほどの怒りはないが、エメラルドはまだ彼女のことを睨んでいる。
大きく息を吐いて、吸って、それから彼は口を開いた。
「だけん、言ったろう! こっちのレベルば弱かったと!
 どがしこ攻撃しようとすったりやなかかどれだけ攻撃しても全然ダメじゃないか!」
「防御寄りな子、渡したからね。
 3回の攻撃で減った体力がおよそ4分の1。 合ってる?」
「・・・! そぎゃんこつまで分かっとって、何で・・・!?」
マリンはエメラルドの口に人差し指を当てると、外に出るよう、手招いた。
彼女のペースに乗せられっぱなし。 エメラルドはそれがあまり気に入ってはいない。
だけど、彼女の指導によって、強くなっているのははっきりと分かっていたので、こういう時、エメラルドは逆らえなかった。
何より、学校の先生と違ってエメラルドが怒鳴りつけても殴ったり怒鳴り返してきたりということもなかったわけで。


エメラルドはマリンに関して不思議に思っていることがあった。
ポケモンのことを教えたり、バトルフロンティアの攻略法を教えたり、つまり物を教えるとき、必ずと言っていいほど細かく場所を選ぶのだ。
最初は企業秘密だから人に聞かれたくないのかと考えていたが、それにしては、たまにわざわざ人ごみの中を選んだりと、毎回バラバラの場所を選ぶ。
今日も、彼女は昼時人の行き交いやすい食堂の、隅っこのテーブルを選んでエメラルドを座らせた。
他にも空いている席はあったというのに何故そこを選んだのか、エメラルドには不可解で仕方がない。
そんな考えをよそに、マリンは目の前でノートパソコンを広げると大きくも小さくもないモニターをエメラルドへと向けた。
バックライトのついた画面に、枠の中に並べられたポケモンの名前と技、どのステータスが高いかなどが細かく記されている。
「これが今日のバトルトーナメントの参加ポケモン。 1番上はトレーナーの名前で、その横に書いてあるのは大体の作戦傾向ね。
 まぁ、先に言うと、勝てないポケモン渡したわけじゃないのよ。 計算上だけど、このポケモンに『どくどく』で攻撃して、あとは交代のタイミング外さなければ何とかなるし。
 戦いにくいポケモン渡したのは、キミのレベルと、戦い方の傾向を見るため。 いいデータ取れちゃった。」
「データ?」
少しムッとした様子でエメラルドが聞き返すと、マリンは強めにうなずいた。
これだけは自信がある。 そういった感じの表情だ。
「情報は大事だよ。 いざって時に「もし〜だったら」っていう迷いも消してくれるし、あらかじめ対策しておくことにもつながったりとかね。
 バトルフロンティアみたいに、ポケモン同士のレベルが近いバトルだと、なおさら重要になってくる。
 バトルの前から、もう戦いは始まってるみたいなもんだからね。」
「ばってん、卑怯くさくなかか? 向こうはこっちのこと、知らんのかもしれなかかろう?」
ピッ、と、音が鳴りそうなほど、きびきびとした動きで、ポニーテールの女ははエメラルドのことを指差した。
今の今まで強い態度で話していたというのに、エメラルドは勢いに押されすっかり弱腰になる。
「キミの目的は、夏の間にバトルフロンティアの7施設全てを制覇してポケモントレーナーになること。
 もとより時間は限られてんの。 手段を選んでる場合?」
うっ、と、エメラルドは返答に詰まる。
「バトルファクトリーでポケモンバトルの基本的なやり方、一部を除いたポケモン同士の技の相性とかは体で覚えられたと思うけど、これからはトレーナーとトレーナーの戦いだからね。
 知識だけじゃ勝てない、情熱だけでも勝てない、どれだけポケモンと信頼し合ってても・・・トレーニング不足ならあっという間に蹴散らされるのがオチ。
 わかる? この世界を生き抜くためにはね、計算されたトレーニングと、きっちり練った作戦が重要になるの。」
あんたが考えてるほどトレーナーは甘くないんだー! とでも言いたげに、彼女は強い調子でまくしたてる。
すっかり及び腰のエメラルドに気付くと、気を落ち着けるために一呼吸置き、左肩からたすき掛けにしたポーチに手をやった。
赤と白、青と白、シックな黒に金のラインが入ったものなど、様々な色のモンスターボールが、テーブルの上に並ぶ。
マリンは赤い手帳のような機械をポーチから取り出すと、フタを開けてエメラルドへと手渡した。
「この中から2匹選んでちょーだい。
 後1匹はキミの持ってるケンタロス・・・『ウシヤマ』を入れて、そのメンバーでバトルトーナメントに出場しようか。
 もちろん、いきなり行くとかいうマネはしないよ? ストリートバトルで戦い方覚えてからね。」
エメラルドは赤い箱に表示されている文字をよくよく覗き込んでみた。
テーブルの上に並んでいるモンスターボールの中にいるのであろうポケモンの詳細が、バトルファクトリーで見たステータス画面とほぼ変わらない正確さで表示されている。
「タイプの相性はよく考えてね。 1匹「このポケモンが出てきたら負け」みたいな状況はシャレにならないから。」
「これ・・・」
無造作に転がったモンスターボールの1つを、エメラルドは手に取った。
青と白の2色に分けられ、青い面の中心に「S」のような模様の入ったボールの中で、あまり見ないポケモンがくるくると回転する。
赤い手帳はその詳細を表示した。 種族名は『スターミー』、ニックネームは『オット』。
対面に座る少女は、ゆっくりと首を縦に振る。
「オットね。 確かにそれならケンタロスの弱点、『かくとう』をカバー出来る。
 じゃあ、最後の1匹は何にすればいいと思う?
 バランスの整ったこの2匹に、一体、何が足りない?」
まるで、友達になぞなぞを投げかけるような調子でマリンはエメラルドへと向かって尋ねてきた。
だが、その質問にエメラルドは詰まる。
ケンタロスの持つノーマルタイプ自体、かくとう以外の弱点なんてない。 そこさえ防いでおけば、後は何とかなるんじゃないかと考えたからだ。
難しい顔をして悩む少年を見て、マリンはクスリと笑った。
ヒントを与えようとしたのか、軽く口を開きかけたとき、突然ポーチの中にある電話が音を鳴らし、彼女はそちらへと気を向ける。



「あ、テル兄? うん、元気元気。 今バトルドームやってるとこ。
 うん・・・うん・・・あ〜、そっちはちょーっと苦戦しそうかな〜。 いい対戦相手いなくってさ〜・・・
 ・・・えっ、ホント? やった、ありがとっ! うん、うん、わかった。 よろしく伝えとく。」
見たこともないような笑顔で彼女が話すもので、エメラルドはその様子を目を点にして見ているしかなかった。
電話を切って彼女が近付いてくるのを見ると、反射的に目をそらす。 何でかは自分でもよく分からないが。
反射的に頬にふれた指との温度差で、顔が熱くなっていることに気付く。
この原因不明の体調不良(?)に、少なからずエメラルドは混乱していた。
「おまたせ〜。 えっと、どこまで話してたっけ?
 あ、そうそう、2匹ポケモン決まったんだったね。 じゃあ、とりあえずその2匹でストリートバトルに繰り出してみようか。
 トーナメントは元々2匹でのバトルだし、戦ってみればいいところも悪いところも分かるかもしれないからね。」
何だかよく分からないうちにうなずいてしまったエメラルドへと向かって、マリンはにっこりと笑いかけた。
「実際見て考えたほうが決めやすいだろうから」と言ってスターミーの『オット』を含む6匹をエメラルドへと手渡すと、昼食休憩を取るため、なんてことない足取りでカウンターへと向かって行った。
その後ろから、小さなものがちょこちょこと走り寄ってきて、彼女の肩にとまる。
ずっと存在を忘れていた、あのピチューだ。


昼食を終え、店の外へと出たエメラルドは、太陽のあまりのまぶしさに思わず手で目をおおった。
嫌な暑さ・・・と、言うのかどうかは分からないが、こんな真夏の昼日中、外に出れば当然汗もかくし、肌も焼ける。
西の空には高い雲がかかっている。 夕立になる可能性も高い。
午後からは自分の用事があるからと言って、エメラルドは7つのボールを持ったままメインストリートに放り出された。
相変わらず、人の行き交う通りは落ち着かない。
数が多すぎて目を合わすこともままならないし、何だかよく分からない理由で自分のことを見ている人は、自分が振り向いた途端、目を反らされてしまう。
そして、よほどの機会がない限り、好意が見つけられない。
いや、理屈はエメラルドにも分かっている。 ほとんどの人間が初対面同士であるわけだから、これだけ人数がいていちいち人に「こんにちは〜」「あら、お久しぶり、そういえばこの間○○がね〜」などと話していたら、時間がいくらあっても足りない。
だからと言って、理由もなしに目を反らされたらあんまり気分が良くない。
それと、もう1つ人ごみが好きになれない理由がエメラルドにはあった。
「オィ、トレーナーか? トレーナーだったら勝負頼まれたら断れねぇよなぁ?」
これである。 悪意がどこかしらに潜んでいるからだ。
御年9歳、身長高くも低くもなく、特別整った顔立ちとも言えない。 そんなコンプレックスを隠すかのような派手めな格好は、人ごみの中でも割と目につく。
それがトレーナーとなれば、勝ち数を稼ぎたい割と悪質な(効率がいいとも言えるが)トレーナーの格好のカモだ。
「さーっ! ポケモンバトルだ!
 野郎ども下がってろよ、巻き込まれても知らねぇぞ!!」
わざわざ大声を出して、自分たちがこれからバトルをするのだと周囲の人間に印象付ける。
相当手慣れているらしい。 これでは断れるわけがない。 元々断るつもりもなかったが。
今だなじまない、ウシヤマのモンスターボール。 自分はトレーナーだと言い聞かせ、ぐっとつかむと金属の震える音が響いた。
相手の方が実戦経験が自分の何10倍もあるのは間違いない。
きっと数え切れないほどの冒険の中をくぐってきてあろう太い腕からモンスターボールが放たれると、びゅっと鋭い音が鳴った。
古びたモンスターボールから開放された薄暗い色の犬のようなポケモンは、低く響く声で、うなり声を上げた。
グラエナ・・・ホウエン地方では比較的簡単に手に入るポケモンではあるが、ひとたび厳しく訓練されれば、そのフットワークと相手の戦意をそぐような声で充分脅威になりうるポケモンだ。
自分の手には少し大きなモンスターボールを、大きく振りかぶって投げつける。
地面を揺らすほどの重みを感じさせながら飛び出してきた3本尻尾の牛は、相手に負けじと低くうなった。
エメラルドは相手をけん制するように、右手のこぶしをグラエナへと向けた。
まだ慣れていないせいか、最初の攻撃をする瞬間、小さな指先はいつも震える。
「グラエナ、『かげぶんしん』!!」
「『あばれる』!!」
チカラ強い足取りで近付いてきたグラエナを振り払うように、ケンタロスは大きく身を振った。
3本の尻尾がグラエナの残像をかすめ、太い胴体がグラエナ本体の眉間を打つ。
2倍近くの体格差があったこともあり、意外とも思えるほど相手の体は遠くへと飛び、空気の割れるような悲鳴が響いた。
先手は打てた。 エメラルドは次の指示のために大きく息を吸い込む。
「『あばれる』!!」
言われるまでもないとばかりに、思うがままに大きな胴を振り回すと、その動きに巻き込まれたグラエナは地面を削るようにすべり、ぐったりと動かなくなった。
相手のトレーナーは顔を青くする。 だが、それも一瞬のこと。 すぐさま次のモンスターボールを手に取りエメラルドへと向かって投げつけてきた。
地面を跳ねたモンスターボールは2つに分かれ、ケンタロスよりも大きな人間に近い形をしたポケモンを召喚する。
大きなポケモンは「しこ」を踏むと恐らくエメラルドの顔よりも大きな手をケンタロスへと向けた。
セオリー通り、弱点を突いてきた。 ハリテヤマという、かくとうタイプのポケモンだ。
エメラルドはすぐさまマリンに受け取ったモンスターボールに手を当てる。
「ハリテヤマ、『ねこだまし』!!」
「行けッ、オット!!」
相手の先回りをし、エメラルドはポケモンを交代する。
それまでウシヤマのいた場所に現れた紫色の星型のポケモンはハリテヤマの攻撃を受けるが、それほど大きなダメージにはなっていない。
ケンタロスよりも更に小さなサイズのポケモンに切り替わったにも関わらず、エメラルドは強気だった。
「『サイコキネシス』!!」
指示を受けると、スターミーはすぐさま動き、目には見えない衝撃波を相手へと向け発射した。
2メートルを越すハリテヤマの体が一瞬浮いたかと思うと、一気に花も緑も枯れ木もある植え込みへと突っ込んでいく。
崩れかけた木々を見ても分かるように物理的にもダメージが入っているが、それは問題ではなかった。 ダメージは、ハリテヤマの内面を崩すように働いていたのだから。
トレーナーの呼びかけも空しく、1度荒い息をついたハリテヤマは、その場でモンスターボールの中へと戻っていってしまう。


逃げるように去っていった名前も知らないトレーナーの背中を見送ると、エメラルドはスターミーの『オット』をモンスターボールの中へとしまった。
ここ数日、エメラルドは確実に勝ち数をかせいでいる。 その事実に満足し、大きく胸を張ったとき、彼はこちらのことを見ている1人の少女がいることに気付く。
少女は目が合うと、にこりと微笑んだ。 可愛い。 エメラルドの胸がちょっとだけ大きく波打つ。
肩くらいまで伸びた茶色い髪をいじりながら、臆することもなく少女はエメラルドのことを見続けている。
エメラルドはその場で立ち尽くす。 他の人とほとんど変わらない面立ちをしているのに、まるで、太陽から色をもらったような、鮮やかな金色の瞳。
震えるような感覚を感じながら、なおもエメラルドが相手のことを見ていると、少女は先に動いた。
赤と白の球体がエメラルドへと向けられる。
それがモンスターボールだと認識するのに時間を食っている間に、少女はそれを地面へと打ちつけていた。
一瞬影のようなものが視界をよぎるが、あっという間に姿が見えなくなってエメラルドは相手の姿を探す。
パニクってはいたが、それが宣戦布告だと受け取るには充分時間が経ちすぎた。
空気の振動へと向かってエメラルドはモンスターボールを投げる。
早くも今日2回目の出番が来たウシヤマの姿を見つけると、姿の見えないポケモンは一直線にそちらへと向かってきた。
3本の尻尾で自分の体をピシピシと叩くと、ウシヤマは相手を威嚇いかくする。
一瞬ひるんだ相手のポケモンは、あまりのスピードに見えなくなっていた姿を見せた。
全身金色に近い光を放つ、2枚の羽根を持った虫ポケモンだ。
「ウシヤマ『あばれる』!!」
指示を受け、ケンタロスは一瞬動きの止まった虫ポケモンにひづめを振り上げる。
完全に的を突いたと思った足が振り下ろされる直前、少女が何かをしているのが見える。
小さな指が動かされたかと思った瞬間、虫ポケモンは自分の周りに緑色のまくのようなものを作り出し、自らの身を守った。
ウシヤマは相手の虫ポケモンを組み伏せてはいるが、決定的なダメージが与えられない。
ギシ、と何かがきしむような音が聞こえたとき、相手の少女は腕と手を動かした。
「うわ!」
強い風が巻き起こり、100キロを越すケンタロスの巨体が横に傾く。
ウシヤマが横倒しになった体を持ち上げるのと同時に、少女の方は別のモンスターボールを手に取り、自分の真上へと向かって放り投げていた。
「追い! 『あばれる』!!」
地響きを上げ、ケンタロスは敵へと向かって走る。
相手のポケモンが緑色に光る防御を解くと、地面に落ちていたホコリが舞い上がった。
高速で羽根を動かし、相手の虫ポケモンは少女が投げたモンスターボールへと向かって飛び、自分の体を白く光らせた。
モンスターボールへと変わる直前、相手のポケモンは淡く光る円筒形の物体へと姿を変える。
あいたしまった、『バトンタッチ』・・・!」
地面へとついたモンスターボールが、落ちてきた「バトン」を受け止める。
もはやこれから攻撃する相手のことなど見ていないケンタロスは、チカラのこもりにこもった足を振り下ろす。
だが、命中するはずの攻撃は相手のポケモンをすり抜け、アスファルトの地面を削った。
抜け出るようにケンタロスから遠ざかった茶色いポケモンは、体を反転させ、エメラルドの方へと向き直る。
「あっ、ヌケニン・・・!」
エメラルドは止まった。 ヌケニンの持つ特性「ふしぎなまもり(こうかばつぐんしかきかない)」で、ケンタロスの攻撃が効かない。
かといってスターミーの技も、ヌケニンの弱点を突けない。
自分のパーティの弱点にエメラルドは気付いてしまった。 相性が悪いというのは『相手の攻撃で自分のポケモンがやられてしまうことだけを指すのではない』のだ。

「まずか、勝てん・・・」
エメラルドは焦りながら、オットを除く残り5匹分のモンスターボールを探った。
指先が熱くなる。 普段停止させているような脳を総動員して、バトルファクトリーで得た『知識』を総動員させて、相手に勝てるポケモンを探す。
パチンと金属が跳ねる音が響いた。 考えるよりも先に体が動き、赤と白のモンスターボールが地面へと打ちつけられる。
低いうなり声に、体の芯が震えだしていた。
黒い体から発せられる熱に、鼻の頭がチリチリと焼けていく。
「ヘ、ヘルガー・・・ノイン『かえんほうしゃ』!!」
長い4本の足を持ったポケモンは後ろに1回転して相手との距離を取り、吐きつけるための炎を口の中にためこむ。
指示を出そうとしたのか、相手の少女も小さな腕を素早く動かした。 しかし、途中で何かに気付くと、今まさに攻撃しようとしていたヌケニンの前に立ち、バトルを中断させる。
目の前に人が出てきたことで驚き、どちらともつかない方向に『ぎんいろのかぜ』を打ち出したヌケニンは、さらに乱入してきた茶色いポケモンに殴り飛ばされた。
恐らく状況を理解することも出来なかったのだろう、少し先で転がったまま、動かない。
茶色いポケモンは足をじたばたさせたまま、緑色の丸い玉がついた腕を振り回す。
状況が急変し、使わなくなった炎をヘルガーは横に吐き出した。 横目でエメラルドを見て、次の指示を待っている。




倒れてしまったヌケニンをモンスターボールに戻している少女は、金色の瞳をぱちくりさせているのが分かった。
その様子をエメラルドがボーっと見ていたのかというと、ボーっと見ていたわけだ。
テンションが上がってきたと思ったところで、ワケの分からないポケモンに邪魔されてしまったわけだから、このハイテンションは行き場がない。
「・・・木・・・? ・・・木?」
自分と相手の間に立つポケモン(動くから多分ポケモンだろう)を見て、エメラルドは一字の感想を述べた。
見た目植物っぽいけど、妙にくねくね動きまくっている。 スキだらけのような顔してるけど、頭のツノ(のようなところ)から心なしか湯気が上ってるような気もするし。
そもそもフロンティアに来た誰かのポケモンなのか、野生のポケモンなのかの区別もつかない。
どうしたらいいのか分からず先ほど言ったように、ただボーっとしていると、植物っぽい茶色のポケモンはエメラルドの横にいたヘルガーのノイン目掛け、突進してきた。
「・・・っ! ノイン、『かえんほうしゃ』!!」
急に近付いてきたポケモンにパニクって、エメラルドはワケも分からないまま隣にいるポケモンへと指示を出した。
それきたとばかりに、ヘルガーは赤黒い炎を相手のポケモンへと向ける。
だが、茶色いポケモンの勢いは止まらなかった。 炎を受けたままヘルガーへと近付き、腕についた緑色の玉で彼を思い切り跳ね飛ばす。
1メートルあるかないかの距離で茶色いポケモンが立ち止まり、エメラルドは完全に動けなくなった。
ポケモンを出して戦おうにも、完全に足がすくんでしまって全身が言うことを聞かない。
茶色いポケモンは完全に我を見失っている。
緑色の玉が自分へと向けられ、もうダメだ、と目をつぶったとき、エメラルドは大きな何かに抱きかかえられた。


「コハク、そのまま飛んで!!」
エメラルドは地面に背中を向けたまま、思い切り遠くまで吹っ飛ばされた。
ぐるぐるしたまま目を開くと、光の中に溶け込んでいくような茶色いポニーテールがふわりと揺れている。 マリンだ。
「ルル、『にどげり』!!」
自分を抱きかかえた『何か』は、今まで対戦していた少女だった。 よくよく顔を見るヒマもなく、エメラルドは動き出した黄色い線を目で追う。
全身トゲだらけの大きな耳のポケモンは、残像が残るほどのスピードで茶色いポケモンへと接近すると、後ろ足で相手の腕を2回蹴り上げる。
驚いて茶色いポケモンの動きが一瞬止まるやいなや、マリンは相手の方へと向かって全力で走り出した。
それを相手が見逃しているはずがない。 すぐさま攻撃行動へと移ろうとする茶色いポケモンを見て、エメラルドは思わず目をおおいたくなる衝動にかられる。
「危なか!」
ふっと息を吐くと、マリンは振り回された緑色の玉の下をかいくぐり、相手のポケモンとの距離をさらに詰めた。
何かを手のひらにつけ、相手の顔をべたりと叩く。
すると、あれだけ暴れていた茶色いポケモンは、大人しくなった。
細い指の間で、やっぱりスキだらけに見える目をパチパチさせて、何事かといった感じで辺りをキョロキョロと見回す。

ぽんぽん、と、軽く茶色いポケモンを叩くと、マリンは半月型の瞳を相手へと向け、にっこりと笑った。
「よーし、いい子だ、ウソッキー。
 もう暴れちゃだめだよ〜、野生へお帰り。」
マリンが小さくうなずくのを見ると、ウソッキーと呼ばれた茶色いポケモンはにこりと笑い、茂みの奥へと消えていった。
ガサガサと音を鳴らす低い樹木の音を聞きながら、彼女は足元に寄ってきたノインと「ルル」と呼んだ黄色いポケモンの頭をなでる。
「大丈夫だった? ケガない?」
長いポニーテールを流しながら振り向くと、マリンはエメラルドへと尋ねた。
エメラルドはとりあえずうなずく。
自分のことを助けてくれた金色の瞳の少女は、身をよじって彼女の方へと顔を向けると、ぱっと顔を輝かせた。
「ありがとう、コハク。 あたしがマリン、わかる?」
「うん!」
エメラルドの前にいる少女は大きく頭を上下に振って、彼女の質問に返答した。 マリンのそれよりも、もっと明るい色の髪が、ふわりと揺れる。
「え、な、知っとっとー?」
目を白黒させながら、エメラルドはマリンへと向かって尋ねる。
「うん、この子はコハク。 キミを強くするために、遠くから来てもらったの。」
簡単な紹介に合わせ、コハクという少女はぺこっとエメラルドに頭を下げる。
一瞬、エメラルドの頭にマリンが電話に向かって言った「テル兄」というフレーズがよぎった。
だが、どこをどうやっても目の前にいる彼女とも今のマリンの態度とも結びつかない。
余計な考えを頭の中から払うと、エメラルドはコハクという茶色い髪の少女と手を交わし、マリンの方へと再び顔を向けた。
「そういや、どこ行っとったと? そげなポケモン連れて・・・」
え? と一瞬、目を瞬かせると、マリンは足元にいる黄色いポケモンを見て「あぁ」とうなずいた。
「この子は、サンダースのルル! タマゴから孵して育てた大事なポケモンなんだよ。
 あぁ、あとね、キミにもうちょっと危機感持ってもらわなきゃって思って・・・ホラ!」
マリンは自分のフロンティアパスを開くと、エメラルドへと向けて見せた。
昨日まで確かにただのくぼみだった場所に、金色に輝く「T」マークのシンボルがはめ込まれている。
あっけに取られ声も出ずにいるエメラルドの前でそのフロンティアパスを閉じると、マリンは茶色い半月形の瞳を強く光らせた。
「夏は短いよ。 キミも、頑張らなきゃね。」




同じ頃、バトルドームの裏側では小地震かと思えるような轟音が響いていた。
消火栓と書かれた赤い鉄板が、ものの見事にひしゃげている。
背の高い男はそこから目をそらし、発散しきれずにいる怒りをぶつけようと無造作に置かれていたモニターに手をつけた。
「そのくらいにしておけ、ヒース。
 お前が負けるたびに物を壊されるのでは、エニシダオーナーも身が持つまい。」
「ジンダイ・・・何をしに来た! あんたのバトルピラミッドは反対側だろ!」
背の高い、それでも他の人と代わり映えのしない格好をした男は、自分をたしなめた浅黒い肌の男へと向かって怒鳴りかけた。
服まで日焼けした、冒険者か調査員のような格好をした男は、少しうつむいて南東の方角を親指で指す。
「アザミがまた閉じこもっているらしくてな。 様子を見に来たところだ。
 ヒース、我々にチカラを与えてくれたオーナーに対する恩を、忘れたわけではあるまいな?」
日に焼けた男が太い眉を潜めて尋ねると、ヒースと呼ばれた、背の高い男は彼から目をそらした。
「チッ・・・わかってるよ。
 エニシダオーナーに拾われなきゃ、ボクは売れない美容師のままだったし、あんただって・・・ロクに冒険に出ることも出来ないただの会社員のままだった。」
「分かったなら、明日からはきちんと仕事を続けるのだな。
 形が違うとはいえ、我々がやっているのはポケモンバトルなのだ。
 勝つこともあれば、負けることもある。」
「そう! それなんだよジンダイ!
 今日タクティクスシンボルを奪っていった、あの女! 明らかにボクに勝つことだけを狙ってやがったんだ!
 あり得ないよ! おとりに使うためだけにたった1匹で勝ち上がってくるなんて!」

「『戦略タクティクス』のヒースが、『戦略』にしてやられたっつーわけだな。」
「ダツラ!」
背後で腕組みしながら自分たちのことを見ていた無精ヒゲの男を、ヒースはそう呼んだ。
うっすらと赤く光る瞳を向けながら、ダツラという男は2人の方へと歩いていく。
太い眉を寄せるようにしながら、ジンダイはダツラのことを見る。
「仕事は終わったのか?」
「あぁ、まだ人は残っちゃいるが、あの様子じゃオレのトコまでは来れねぇ。
 ヒース、お前を負かしたっつーその女、『マリン』って、名乗ってなかったか?
 ガキくせぇ顔した、髪を後ろで束ねてる女だ。」
簡単に言ってのけた特徴に対し、ヒースは大きくうなずいてみせる。
「そうそう! そいつだよ!」
「ジンダイ、気をつけろ。 その女、お前のバトルピラミッドをこそこそかぎまわってたみたいだぜ。
 いや、ピラミッドだけじゃねぇ・・・考えてみりゃ、オレを呼びにわざわざバトルファクトリーの外に出たのも、関係者しか通れない道に入るための作戦だったんだ。」
「バトルピラミッドにバトルファクトリー、バトルドームもか・・・
 これは、バトルフロンティア全体を探られてると見て、間違いないだろうな。」
「でも! そうまでして調べたいことって一体何だい?
 仮に全部の施設を制覇されたとしても、得られるものなんて、たかが知れて・・・」
「いや、制覇が目的じゃねぇ。」
ヒースの出した仮説をあっさり否定し、ダツラは彼の顔を指さした。
ジンダイもその意見にうなずく。
厳しい顔をしてヒースの方を見ると、低い声で彼はヒースに尋ね返した。
「ヒース、我々が暴かれて1番困るものといえば、何だ?」
そう言った途端、背の高い男の顔は青ざめた。
白い顔に埋まっている瞳が、淡く緑色に光る。
「・・・まさか、『神眼』・・・!?」
ダツラは今度は否定しなかった。
代わりに背にしていた壁から体を離すと、バトルドームの外に体を向けた。
「・・・他のフロンティアブレーンたちにも知らせておいた方がいいだろうな。
 今、この事実をいたずらに調べられ、マスコミにでも発表されたら危険なことになる。」
「あぁ。 オレはコゴミに知らせてくる。
 おっさんはウコンのじじいと、あと、アザミのとこに言付けでもしておいてくれ。」
「リラはどうする?」
「ヒース、お前化粧落としてるっつーことは今日はヒマなんだろ? お前が行けよ、ここから1番近いしよ。」
「ちょっと待ってよ! ボクあいつ嫌い!」
「いい年してガキのワガママみたいなこと言ってんじゃねーよ。
 じゃ、頼んだぜ。」
相手に背を向けながら手を振ると、ダツラはさっさとバトルドームの外へと出て行った。
ジンダイもうなずき、伝言をするためか急ぎ足でその場を去っていく。
残されたヒースは、うなるようにしながら、2人が出て行った扉を睨みつける。
何かの壊れるような音が、その日、もう1度だけバトルドームの中に響き渡った。








「聞け!」
「聞かない。」
「じゃあ、聞かなくてもいいから話せ!」
「言わない。」
モニター越しに騒ぎを聞いていたニシキは目を点にしていた。
ジムリーダーとガキ大将。 近いようでやっぱり違う2人が、終わりの見えない押し問答。
一応形だけ電話の前にいるナナミさんも、どちらかというと、そちらに意識が集中しているようだ。 あまり話の焦点が合っていない。
ハハッ・・・すごい騒ぎですねぇ・・・
「ごめんなさい、昨日から2人ともあんな調子で・・・
 ちょっと質問しようとしただけなんですけど、何だかリーフ君、ムキになっちゃってるみたいで・・・」
他人事のような会話が交わされているうちに、リーフはグリーンのもとから逃げ出した。
グリーンはため息をつくと、走ったわけでもないのに肩で息をしながらナナミのいる電話口へと戻ってくる。
「・・・ったく、あのガキ・・・!」
苦労しているみたいですね。
「わっけわかんねーよ! 森でロケット団を見たみたいな話してたから、人相聞きに行っただけだっつーのに、まるで人を信用してねー顔でシカトしやがって!
 俺が一体何したんだっつーの!」
まぁまぁ、落ち着いて。 リーフも・・・あいつも、色々と『理由わけあり』なんですよ。
 僕もあいつと仲良くなれるまで、ずいぶん苦労しましたからね。
 まぁ、バトルの腕は保証しますから、とりあえずチームの中に置いてやって下さい。 僕の方からお願いします。

チッと舌打ちすると、リーフが飛び出していった先に目を向ける。
単純な意地ではないのは話の調子からして想像がついている。 帰ってきたら、もう1度チャレンジしてみよう、グリーンはそう心の中で決めておいた。



全力で走ったせいか、リーフも歩きながら、息を切らしていた。
空気はよどんでいるわけではないが、ここ数日の猛暑続きで、どんよりと重い。
深呼吸でもしようと顔を上げると、ほんのりと青以外の色がひかれ始めている空に、強く光る星を見つける。
「いちばんぼーしー、みーっけたー!」
一瞬、リーフは自分が喋ったのかと思った。 だが、自分の声じゃないし、聞こえてきた方向も違う。
一体誰かと辺りを見渡してみると、公園のブランコに座ったままいとおしそうに空を見上げているファイアと、目が合った。
「リーフだ!」
指を差された意味はあまりよく分からなかったけど、リーフはとりあえずうなずいた。
となりのブランコは彼女のポケモンたちに占領されている。 割とゆっくりした速度で歩くと、リーフはブランコを囲ってあるペンキで彩られたパイプに腰掛けた。
ため息をつくと、ファイアは不思議そうな顔をしてこちらのことを見ている。
「嫌だよなぁ、大人って。 自分のことばっかりでさ。」
自分のことを見る視線が、1個増えた。 ムチュールのナナだ。
ブランコの鎖を両手で揺らすと、ファイアはまっすぐリーフのことを見ながら口を動かす。
「ファイアは、早く大人になりたい。」
「はぁ? 何で?
 いいことないじゃん。 ワケわかんねぇルールとか、見栄とかばっか気にしてさぁ。」
少しリーフの口調が強まったが、ファイアはそれほど表情も変えず、ブランコをこぎだした。
あまり上手くこげないのか、彼女の座った椅子はほとんど弧を描いていない。
「ファイアは、早く大人になって、ヒナとね、ポケモンリーグやるの。」
「いや、別にそれ大人子供関係ねーだろ?
 お前だってバッジ集めればポケモンリーグ出られるしさ。」
リーフは首をかしげる。
「・・・なぁ、ヒナって、誰?」
「ヒナはねぇ・・・」
ファイア! 言っちゃいけない!
何かを言いかけたファイアを、ナナはブランコから降りて強く押しとどめる。
わずかにリーフの眉が潜められたのを見たのは、ナナだけだった。
自分にはわからない事情があるのはリーフも薄々感づいていた。 だが、こうはっきり拒まれた今、のけものにされたような気分がして、リーフは笑えなかった。
もちろん、相手にわかるほどの変化は見せなかったが。
「ポケモンリーグねぇ・・・そんなにいいもんか?」
「やるの!」
「そんだけムキになるんだったら、相当出たいんだろうな、リーグ。」
ブランコを降りて近付いてくるファイアを見つつ、独り言のようにリーフはつぶやいた。
立ち上がろうと手にチカラを込めたとき、それまで自分の体温の移っていたパイプが、急に冷え始める。
驚いて、リーフは椅子代わりにしていたパイプからずり落ちかけた。
かろうじてギリギリのバランスで立ち上がると、いつの間にか遊ぶのをやめていたポケモンたちの中心にいるナナが、こちらをじっと見つめていることに気付く。
リーフ、ファイアがポケモンリーグに出るにはね、ここでの仕事を成功させなくちゃいけないの。
 協力、してくれる?