目にも止まらぬ速さでキーボードが叩かれていく。
徹夜明けで赤くなった目をこすりながら、ニシキは複雑なシステムと格闘し続けていた。
整えるヒマもなかった眉をピクリと動かすと、すぐさまマウスへと手を伸ばす。 打ち間違いに気付いたせいだ。
あっという間に間違えた場所を修正し、ため息をつきながら作業を再開しようとしたニシキの肩に、マサキは手を置いた。
「ニシキ、少し眠り。 無茶して変なトコ書き間違えたらシャレにならんで。」
「・・・あ、マサキさん。 ハハ、やっぱり張り切り過ぎですかね・・・?
リーダーが戻ってきて、いいところを見せたかったのかな。 ここには来ないと、分かってはいるんですけどね・・・」
「レッドなぁ・・・顔くらい見したってもええと思うんやけど。」
「仕方ないですよ。 病み上がりですし、あの人も色々あるんでしょう。 立場とか、目的も・・・
僕たちは僕たちの出来ることをやるしかないですよ。」
マサキがボサボサの頭をかくと、茶色い髪からフケが落ちた。 こちらも自分のことなど構っていられないのだろう、他にもいくつか衛生的とは言えない場所が見られる。
寄りかかるようにニシキの座る椅子に手を突き、モニターにクマのついた目を向ける。
「ホウエンとは、まだつながらんのか?」
今日何度目ともしれないエラー画面が表示された。
小さくため息をつくと、ニシキはイスの背もたれに寄りかかる。
支えになっていたマサキの手が外れると、ギシッというきしんだ音が静かな部屋に響いた。
「何度もシステムを見直してみたんですけど・・・どこにもおかしいところは見つからなくて。
マユミさんとも連絡がつかないんですよ。 本当にどうしちゃったんだろう・・・?」
ニシキがそう言って腕を組んだとき、プツン、と音を立ててパソコンの画面が消えた。
真っ青な顔をして、2人はその画面に見入る。 熱からコンピューターを守ろうとひっきりなしに動き続けていたファンの音も消え、一瞬、部屋の中は静寂に包まれる。
「停電・・・?」
先に声を上げたのはニシキだった。
立ち上がって、かけっぱなしにしていたエアコンに手を当てる。 多少の冷たさはあるが、風がこない。
ただの鉄くずと化したパソコンへと目をやると、部屋の入り口の方へと視線を向けているマサキが口を開く。
「どうしたんやろ。 非常電源が、かかっとらんのか?
・・・ニシキ、データのバックアップは?」
「大丈夫です、今朝ロムに保存しましたから。」
「ほんなら、ちょっと行って停電の原因聞いてくるな。 お前さんは、ここで待っとれよ。」
そう言ってマサキは受付へと行くため、温まり始めた部屋の扉を開けた。
ネットワークセンター全体に冷房はかかっていたはずなのだが、廊下に出るとむわっと湿気が立ち込める。
薄暗いやら蒸し暑いやらで歩く気があまりしなかったが、行くと言った手前行かなければならないだろうと歩き出した瞬間、マサキは背後に人の気配を感じ振り返った。
相手の顔を見る間もなく、抱きつけるほどまでに接近され『みぞおち』を思い切り殴られる。
うなるような声を上げながら、マサキはその場に崩れ落ちた。
もはや何も見ていない目を見てクッと笑うと、マサキを殴り倒した黒服の男は彼へと向かって話しかける。
「おや、9年ぶり・・・感動の再会ですね。
ポケモンシステムエンジニア、マサキ。 あなたは相当、運がいい。
我らの偉大なる功績を、2度もその目で見ることが出来るのだから・・・」
廊下に転がっている男を蹴飛ばすと、黒服の男は片手を上げた。
連なった部屋からそろいの黒い服を着た集団が現れ、気絶したマサキをニシキのいたそことは違う個室へと運んでいく。
男はついさっきマサキが出てきた部屋の扉に手をかけると、無造作にそれを開いた。
部屋の窓から差し込む光にさらされ、男のりんかく、目鼻立ちがはっきりしてくる。
決して悪くはない顔立ちだった。 整った眉に筋の通った鼻、つやのある黒い髪にもクセらしいものはない。
だが、男が部屋に入ってきた途端、ニシキの顔は引きつった。
それはきっと、男の服に刻まれた真っ赤なマークのせいだろう。 もしくは男の放つ、その冷徹な笑みのせいか。
1歩ずつ後ろへ下がるニシキへと笑いかけながら、男はぞっとするほど温度の低い声で話しかける。
「お久しぶり、ロケット団です。」
バトルチューブを司る女王、アザミは頼りなげなろうそくの灯りが好きだった。
ゆらり、ゆらりと揺れるそれは閉め切った部屋の中、彼女の目の前を行ったりきたり。
お気に入りのソファの上に寝そべり、うっとりとまどろんだ表情でそれを見ていた彼女は、不意に強く揺れた炎を見て部屋の入り口を睨み付けた。
「入って来ないでと言ったじゃない! メイドたちは何をしているの!」
「無理を言って開けさせたんだ。 彼女らの責任ではない。」
バトルピラミッドキングの称号を持つジンダイは、そう言って扉を閉めた。
わずかな空気の揺らぎでも揺れる炎に不機嫌そうに顔をしかめ、アザミは整った長い髪を指先ですく。
「あなたと一緒にいると私の『運』が逃げるわ。
何しに来たの? お説教ならうんざりよ。」
「警告だ。 このバトルフロンティアを信じられんスピードでクリアしようとする奴がいる。」
暑そうに服の前を緩め、ジンダイは服のポケットから取り出したフロッピーを彼女に手渡す。
面倒くさそうにそれを受け取ると、アザミは長い足をさらに長く見せる高いハイヒールで立ち上がり、部屋の隅に置かれたパソコンにそれを差し込んだ。
ろうそくのそれとは違う、無機質な明かりが顔を照らす。 画面に表示されたのは、バトルフロンティアに登録されたトレーナーたちのリスト。
リズムを取るように画面を切り替えさせると、モニターには1人の女の顔と、その横に名前が表示された。 示された名前は『マリン』、他の情報は一切書かれていない。
「ダツラにヒース、コゴミもやられた。 俺のピラミッドの周りで何かコソコソ嗅ぎまわっていたらしいが・・・恐らくここも危ないだろう。」
フン、と鼻で笑うと、アザミはパソコンの画面を切ってジンダイとは逆の方向に歩き出した。
壁に飾ってあった折り鶴をつまみあげると、ダークレッドの口紅で、それに口づける。
「その子、知ってるわ。 確かに頭カチカチのダツラじゃ、勝てないのも当然かもね。」
「お前はどうなんだ。」
不機嫌そう・・・と、いうよりは、
赤く燃え上がる鳥を横にして、アザミは真っ赤な唇に舌をはわせた。
目元に、怪しげな紫色の光が宿る。
「さぁ? 実力なら彼女の方が上ね。 だけど、計算出来ないのが『運』だから。」
やれやれ、と、ジンダイは自分の頭をかいた。 しかし、彼女のこの性格も、ここの中では許されている。
バトルチューブクイーン、アザミ。 彼女はフロンティアブレーンの中で唯一、2つの色の神眼を持っていた。
ハブネーク Lv50 タイプ:どく もちもの:???
いばる かみくだく ??? ???
ツボツボ Lv50 タイプ:むし いわ もちもの:???
どくどく すなあらし まもる ???
ミロカロス Lv50 タイプ:みず もちもの:たべのこし
れいとうビーム ??? なみのり じこさいせい
「これが、バトルチューブクイーン、アザミのパーティ。
バトル形式はシングル。 運がよければ、バトル前にポケモンの体力を回復してもらえるみたい。
このゲームでは、トレーナーの『運』を試される。 1部屋置きに何種類かのイベントが仕掛けてあって、そのどれを選ぶかによって難易度が変わってくるって仕組み。
1ゲーム中、イベントが発生するのは7回。 回復は基本的にはないけど、そのイベント次第では回復してもらえるときもある。
全部じゃないけど、調べたイベントの種類はこっちに書いておいたから、ちゃんと目を通しておいてね。」
エメラルドをノートパソコンの前に座らせ、マリンは次に攻略する施設を説明した。
バトルドームのときもそうだったが、目の回りそうな情報量である。 紙に直してみればパソコンの説明書くらいあるんじゃないかというほどの。
これでも一部だというのだから、オドロキだ。 彼女自身は、この8倍はある量の情報を集め、自分で整頓しているらしい。 1度横からのぞいて、目まいを起こしたのを覚えている。
「『運』ば試すと?
そぎゃんもの人によって違うとるんやけん、出来なか人は出来なかんやなかか?」
「そう思う? ところがね、『運』も、きたえ方によっては強くすることが出来るんだな、これが。」
疑いの意を込めて、エメラルドは眉を潜め、首をかしげて見せた。
得意げ(エメラルドにはそう見えた)な顔をすると、マリンは肩からさげたポーチから小銭入れを取り出し、硬貨を自分の手にじゃらじゃらと乗せる。
「ちょうど10枚あるんだけど・・・これ全部自分の上に投げたら、普通1枚か2枚は当たるよね?」
手の上に山積みになったコインを見て、エメラルドはうなずいた。 親指ほどの小さなものから、1番大きな種類のコインまでそろっている。
渡されると、冷え切った金属がひやんと手の平を転がる。
「あっちで後ろ向いてるから、それあたしの上に向かって投げてみて。」
そういうとマリンは数歩移動した先の植え込みの近くで立ち止まった。
目をパチパチさせながら、エメラルドは手の中にあるコインと後ろ向きで立ったままの少女とを見比べる。
コインに何か仕掛けがあるわけでもなさそうだし、彼女がポケモンを出すような気配もない。
ハテナを浮かべながらエメラルドが空高くへと向かって10枚のコインを投げると、それらは高い音を上げながら宙を舞った。
ふと目を開いた先に波の作り出す太陽のような模様を見つけて、リーフは自分が今まで眠っていたことを思い出した。
船のエンジンが発生させる細かい振動で、朝の便はどうしても眠くなる。
どうせやることもないのだから、それでもいいのだが。
リーフは通路側に目を向ける気はしなかった。
ぶすっとふて腐れた顔で窓の外だけを見ていると、隣席のグリーンが閉じていたはずのまぶたを開く。
「顔も見たくないほど俺のことが嫌いか?」
笑い混じりで言ったグリーンの声を聞くと、リーフはチラリと横目で彼のことを見て、当てつけるように鼻息を鳴らす。
「あんたの頭見てると、心臓に剣山が張っつきそうなんだよ。」
「・・・ククッ、そりゃそうだろうな。 んな目の前のモン全部ぶっ壊しそうな顔してたら、楽しむもんも楽しめねぇだろ。」
笑い混じりに言ったグリーンを、リーフは一瞬だけ横目で見る。
その一瞬だけでも目が合ってしまったことを、リーフはかなり不快に感じていた。
突っ立った髪をぐしゃぐしゃとかくと、グリーンはイスの背もたれに体を預け、低い声を使ってリーフへと話しかける。
「別にお前にどう思われようが気にはしないが、1個だけ、伝えとくぞ。
俺は、お前の敵じゃない。」
軽い調子で言ったグリーンの肩を、船員の1人がトントンと叩く。
ツンツン頭に刺さらないようにしながらひそひそと耳打ちすると、グリーンの顔つきが少し変わった。
「・・・害はないと思うから、放っておいて下さい。」
「はぁ・・・」
一応、口では了承しつつも、船員は困った顔をしていた。
チラリと後ろの方を見る。
「じょおうは変装スパイにしてさしあげるのでございますわ。」
そこには、コートを着込んではいるが、明らかに人間ではあり得ないピンク色の肌をした2メートル以上ある2本足の巨大生物が、階下の船室をジロジロとのぞいていた。
「物事には全て前兆がある、だから、それを読むことが出来たならそれに対する防御行動を取ることも出来る。
空から物が落ちてきてぶつかったとしても、石にけつまずいて転んだとしても、決して『運が悪い』わけじゃ、ないんだよ。」
目を丸くしたままエメラルドは固まっていた。 投げたコインは10枚中9枚が彼女のポーチへと収まり、1枚は弾かれて乳母車の中に落ちそうになったところを、彼女がキャッチ。
運がいいとか悪いとか、そういうレベルを超えてしまっている。 言うならば、奇跡だ。
乳母車の中ですやすやと眠る小さな子供ににこりと笑いかけると、手に取ったコインをポーチの中へと戻し、マリンはエメラルドの前にあるパソコンのキーボードをカタカタと叩いた。
画面が切り替わり、何種類ものポケモンのデータが表示される。
「バトル形式が変わることによって必要になるポケモンの種類も変わるだろうから、この中から選んでいってね。
チューブの中は状態異常を引き起こす仕掛けも多いみたい。 場合によっては・・・ウシヤマをメンバーから外すことも必要かもしれないよ。」
そう言った彼女の言葉を受けて、エメラルドは唯一持っているモンスターボールに目を落とした。
ひざに抱いたタマゴを直し、かすかに傷のついた表面を見つめ続ける彼の様子を気にすることもなく、マリンは言葉を続ける。
「ここからはあたし何も言わないから、自分が必要と思える分だけデータに目を通しておいて。
一応明日ってことにしておくけど、いけそうだと思ったら今日からバトルゲームに参加してきて大丈夫だよ。」