「ゲーム終了ですね。 では、またの機会をお待ちしております・・・」
この季節になっても色の白いスタッフにそう言われ、追い出されるようにエメラルドは施設の外に出て行った。
振り返ると目つきの悪いハブネークが大口を開けて彼を見つめている。
別に実際そこにハブネークがいるわけではない。 バトルチューブは、そういう形の建物だ。
入るのにも抵抗があるのか、他の施設に比べ(特にバトルドームとは)人の入りが少ない建物を見ると、エメラルドは大きくため息をつき、肩を落とした。
とにかくここのゲームときたら、どく、やけど、こおり、嫌な状態異常のオンパレード。
ロクに身動きも取れないまま、実力を発揮できずに終わってしまうのだ。
「やっぱ、商店街の福引くらいや運がよかとは言えなかのかいな・・・
 2周も回れん・・・クリアしきる気配も見つからなか。」
ムシムシするバンダナの下をボリボリかくと、選択のミスを考えつつエメラルドはモンスターボールを空に放った。
運、うん、ウン。 何かのまじないのように同じ言葉が繰り返され、頭の中をグルグル回る。
鍛えられるなんて言われても、自分でどうこうできる問題じゃないのだ。 壁にでもぶつかったかのように鼻の辺りを押さえると、エメラルドは近くの植え込みの下に座り込む。




昼時の疲れたサラリーマンのようにくったりと肩を落とすと、エメラルドはモンスターボールを投げた。
出すのは、ケンタロスのウシヤマ。 よくテレビでやってるみたいに、ポケモンとの触れ合いとかやってれば何か思いつくこともあるかと思ってのことだ。(タマゴを除けばそれ以外にエメラルドがポケモンを持っていない、というのもあるが)
珍しくバトルもないのに外に出されたウシヤマは、不思議そうに辺りを見渡しながら、足のひづめでコツコツとアスファルトに音を鳴らす。
「・・・・・・」
ポケモンにどんな言葉をかければいいかなんて考えもつかず、エメラルドはひとまず手を差し出してみた。
特に大きなアクションもなく、ウシヤマはカポカポと音を鳴らしながら、のんびりした足取りで近づいてくる。
差し出された手に反応したわけではないようだ。 エメラルドの座る植え込みの草に口をつけると、それをむしゃむしゃとほおばり始めた。
慌ててエメラルドはそれを止めにかかる。
「こ、こら! 何やっとー!?」
止めようと角につかみかかると、ウシヤマは嫌がって頭を横に振る。
チカラも体格も違い過ぎる。 ロクにしがみつくことも出来ないまま、エメラルドは放り出され背中をアスファルトに打ち付けた。
熱くて、痛い。 声も上げられないまま強い呼吸で胸を上下させ、機嫌の悪いウシヤマを睨み付ける。
「ウシヤマ! 何やっとぅか!! 言うこと聞き!!」
怒鳴りかけると茶色い牛はエメラルドの方に振り返った。
前足で地面を蹴り、尻から突き出た3本の尻尾で自分の体をピシピシと叩く。 攻撃する前触れだ。
後ろにずれるように下がると、鼻息を荒くしてウシヤマはエメラルドの方へと突っ込んできた。
思わず悲鳴をあげ、エメラルドは顔の前で腕を交差させる。
だが、予想していた衝撃はこない。 そろそろと顔を上げると、目の前が虹色に染まっている。
ひらひらと動く『何か』が1つ、また1つと空へと飛んで行くと、その向こうでウシヤマが大人しく座っている姿がエメラルドの目に映った。
誰かと一緒にいる。 いつの間にか現れた誰かは、ひらひらしているものを手に取ると、エメラルドを見てクスクスと笑っていた。
「自分のポケモンもマトモに扱えないの? 変なトレーナー。」
恥ずかしさで顔が赤くなる。 悔しいが、ウシヤマを扱いきれていなかったのは事実だ。
目の前にいる、細身の少年は初めて会ったばかりであるはずのはずポケモンをあっさりとなつかせると、改めてエメラルドの方へと向き直る。
この強い日差しの中にいるには似合わないほど、色が薄い。 太陽の光で肌が透けそうなほどだ。
熱くないようにか薄手のふわふわしたシャツの前を少し開け、相手はエメラルドへと向かって細い手を差し出す。
「立ちなよ、みんな見てる。」
「お、おーきに・・・」
相手の手を借りて立ち上がると、エメラルドは背中に突いたドロを叩いて払った。
さっきまで自分のトレーナーに向かって攻撃しようとしていたケンタロスはすっかり大人しくなり、ひたいをなでられる手に嬉しそうに目を細めている。
少し面白くなさそうな顔をしたとき、くしゃりと足元で音を立てたものを見て、エメラルドは少しだけ目を見開いた。
なんてことはない、ただの紙だ。 器用に花や鳥の形に折られた紙が、地面を埋めるほどにばらまかれている。
一体いつの間にこんな量の紙がばらまかれたのだろうと疑問を持ちつつ、エメラルドは助けてくれた少年の方へと顔を向けた。


少年はウシヤマの背中を軽く叩くと、周囲を軽く見渡すような動作をしてからエメラルドに目を向ける。
「キミは? どこから来たの?」
「あ、タカ・・・エメラルドばい。 ミシロから来よるとよ。」
ほんの少し、相手は驚いた様子だった。 だが、それもすぐに消え、先ほどまでと変わらぬ様子で少年は口元に手を当てる。
「そう、エメラルド。 ボクはリラ。
 キミって面白い喋り方するね、「きよるとよ」って・・・それ、何語?」
「方言ばい。 ミシロやこれが普通なんやけん。」
少し怒ったエメラルドの感情を察したのか、リラと名乗った少年はうなずくと笑うのを止めた。
ウシヤマを軽く押すと、元の持ち主のところへとコツコツ音を響かせ、歩かせる。
「怒った? だとしたら悪かったね。 キミの住んでるところで普通でも、他の場所に行くと変わって見えることもあるんだよ。
 そういえば、ここの・・・バトルチューブのブレーンも、相当変わり者らしいよ。 噂だけどさ。」
リラは自分の後ろにあるハブネーク型の建物を指して、そう言った。
情報交換は重要だ。 エメラルドはマリンにそう教わった。 だから、静かに耳をかたむける。
先ほどまでエメラルドが座っていた場所に腰を下ろすと、地面に散らばった花の形をした紙の1つを手にとって引き伸ばした。
「バトルフロンティアオープンから、1回も施設の外に出てないんだってさ。
 アザミだけじゃなくて、7つの施設をつかさどるブレーン全員、変わり者ばっかみたいだけどね。」
そう言う間にも、リラの手にあった紙は船の形へと変わっていた。
軽く手首を動かして、出来上がった船を彼は近くを流れる水路へと落とす。
水面に丸い波紋を作った船は、ゆっくりと水の流れに押されるようにしながら水路を下っていった。
小さな船が流れていく様子を見ながら、リラは気がついたように口を開く。
「確か、『運』を試すんだよね。 バトルチューブって。」
「試すって言ったって、絶対運のよか奴と悪い奴のいるやなかか。
 ダメな奴な、なんべんやろうとダメ。
 さっきなんか、どの部屋行くか迷ってたらスタッフの人に「どの道に行くのか迷っていらっしゃるんでしょうか?」とか聞かれたとよ。
 どんだけ人ばバカにしたら気がつく施設たい。」
「きっとその時、よっぽどオロオロしていたんだろうね。 エメラルド。」

クス、と笑うと、リラは足元にある別の紙を手に取った。
4つに裂くと、彼の手の中であっという間に小さな星が作られる。
「でも、そのゲーム・・・本当に運だけで成立してるのかな?」
出来上がったそれを光にかざしながらリラが言った言葉に、エメラルドは目を瞬かせた。
「イベントは先の内容が分からないだけで、チャレンジャーが入った瞬間に決まるわけじゃないから、もし先が分かってればもっと簡単に勝ち抜けるとボクは思うんだけど。」
「よぅ言うわ。 先の分からんけん、運に頼るしか・・・」
言いかけて、はっとエメラルドは口をつぐんだ。
バトルチューブも施設である以上、先の内容を知っている人間はいるのだ。
そしてそれは自分の近くにいるはず。 電気に打たれたように立ち上がると、エメラルドはウシヤマをボールへと戻す。


ぶつぶつと何かを言いながら考え込むエメラルドを見て、リラはクスリと笑った。
小さな紙をちまちまと折り曲げると、出来上がった小さなカエルの尻をぴょこんと弾く。
「何か思いついた?」
「・・・いけるかもしれん。 そうばい、あのマリンから聞いた話・・・!
 リラ、もう1度行ってくっと!」
腰の辺りでこぶしを強く握り締めると、相手の返事も聞かずエメラルドは再びハブネークの口へと飛び込んでいった。
くすくすと笑いながらその背中を見送ると、リラもゆっくりと立ち上がる。
弱く、冷たい風が吹く。 指先でその風をもてあそぶと、色の白い少年はバトルフロンティアのシンボルとも言える高い塔を指差した。
途端、風は強くなり、足元に散らばっていた紙の1つ1つをさらい、空へと舞い上げていく。
色とりどりの紙が飛んでいく様を見て、フロンティアを訪れていた人たちは何かのイベントかと一斉にそちらを振り向く。
だが、飛んだ紙の真下・・・バトルチューブの入り口には人もおらず、何も残されてはいなかった。
ただ1匹、風に取り残された紙のカエルがぴょこぴょこと飛び跳ねている以外は。




目の前のバトル状況に、チューブクイーン・アザミは絶句していた。
偶然とは思えない。 1匹目のポケモンは弱点を突かれ、2匹目のハガネールは今、ロクに攻撃を与えられないまま苦戦を強いられている。
いつだったかテレビ越しに見たのと同じように、相手の少女は赤い箱をパタンと閉じて、何かの覚悟を決めたような目でハガネールを睨む。
「トリ、攻撃!!」
「・・・くっ!」
憎しみすら込めて振り回した長い銀色の尾も、あっさりとかわされる。
潜った。 しかし、その一瞬の時間も休憩時間になどなりはしない。
巨大な鋼の蛇は地面を睨み、大きく体をくねらせた。 『じしん』を放つ前触れだ。 技の選択としては間違っていないはず、アザミは指示を出す手を大きく振った。
ぶれる視界の真ん中で、ただ少女の表情だけがアザミの心を揺らす。
「『じしん』よ、ハガネール!」
低い音が2人の耳をくすぐった。 ハイヒールが地面をつかみきれず、アザミはバランスを崩す。
これでいいのだ、これでいいはず。 そう思いつつ目の前に視線を向けた彼女は我が目を疑った。
「トリ!!」
地面に潜ったはずのヌオーがハガネールの鼻先に飛び出し、攻撃の手を上げる。
ギリギリと鋼のこすれる音と悲鳴が響き、冷たい水がアザミの頬を打つ。
自分のポケモンは倒れていない。 フェイントをかけられたのだ。 顔につけられた泥水を払いながらアザミは相手を睨んだ。
もうこの技しかない。 チッと舌打ちすると大きな動きで指示の手を振り、アザミは紫色に光る目でヌオーを射抜く。
「ハガネール、『だいばくはつ』!!」
はっきりした指示がなされると、相手の目がかすかに動いた。 ほとんど立ったまま指示を続けていた彼女に動きが現れる。
自分へと向かって接近してくる。 すぐにハガネールが爆発するはずなのに。 そう思って自分のポケモンを見上げると、アザミはすぐにハガネールの異変に気付いた。
指示した『だいはくはつ』を、繰り出すことが出来ないのだ。 相手のポケモンを見て、アザミはその原因に気付く。
「『しめりけ』・・・! しまった!」
「トリ、『じしん』。」
振り返ることなくチャレンジャーは指示を出した。
地面が揺れる。 ハガネールが繰り出したそれよりも数段強く。
全ポケモン中、1、2を争う大きさを誇るハガネールの体が、地響きを上げてフィールドへと沈む。
油断していた。 運を超えるチカラがあることをアザミは知らなかった。
観客なら誰もが注目するであろう背後の戦況を気にする様子もなく、揺らぐことのない視線で彼女・・・マリンは、自分のことを見つめている。


「さぁ、次のポケモンは?」
彼女の目を見たとき、アザミは完全に自分と相手の立場が逆転してしまっていることに気付いた。
あの強力なチカラを持った何かは、このバトルチューブに挑戦をしにきたわけではないのだ。 完全に、ただの通過点としか見られていない。
床に沈みそうなハガネールの巨体をモンスターボールへと戻すと、アザミは両手を上げた。
「もういい、あなたとは戦いたくないわ。」
そう言っても、すぐには戦いの構えを解かない。 マリンの態度を見て、さすがだ、とアザミは心の中で賞賛した。
ゆっくり歩くと挑戦者用のギブアップボタンを自分で押す。
音を上げて背後の扉が開かれたのを見ると、そこでようやく、チャレンジャーは自分に向けていた敵意をしまった。
「聞こえなかった? 試合を放棄するって言ったのよ。
 あなたと一緒にいると、私の運が奪われていく。 シンボルはあげるわ、だから出て行って。」
「・・・・・・そ。」
短くつぶやくと、マリンはアザミの手から金色のラックシンボルを受け取り、部屋から出て行った。
アザミは最後まで女王としての態度を崩さなかった。
分かってはいるのだ、自分の完敗だと。 相手が何をしたかも、それがどんなルールを利用したものなのかも。
ただ、それを悟られるのだけは嫌だった。 その1つのプライドを守るため、彼女は相手の姿が完全に見えなくなるまで胸を張り続け、目に宿した光を消さずにいた。
扉が閉まり、完全に人の気配がなくなるとアザミは奥の部屋へと走り、お気に入りのソファへと飛び込む。
強い風を受け、部屋に飾ったろうそくの炎は危なっかしく揺れ動いた。 丸いクッションへと顔を押し付けながら、アザミは肩を震わせる。
「近寄らないで。 放っておいて。」
扉の外に気配を感じ、アザミは声を上げる。
自分の部下だというのに、あのメイドたち(実際はフロンティアのスタッフ)はいつも言うことを聞かない。
軽く蝶番ちょうつがいをきしませ、今度もエプロン姿の少女は、そろそろと部屋の中まで侵入してきた。
「すみません・・・ですが、あの、もうすぐお昼ですので・・・たまにはアザミさまも一緒に外で食べたらどうかと思いまして・・・」
「いらないって言ったでしょう!!
 外に出たってロクなことなんかないんだから。 私の運は、闇を生きる蛇たちで支えられてるのよ!!」
怒鳴りつけると、戸口に立っていた少女はビクリと肩をすくませた。
「あの、あの、でも・・・ハブネークもアーボックも昼行性・・・」
「うるさいわね、いいから出て行って!!」
「すみません・・・あの、あと・・・」
まだ何かあるのか、と、アザミは紫色に光る瞳で相手を睨み付けた。
少女はビクリと体を震わせるが、気を取り直したように背筋を伸ばし、胸元のファイルをぎゅっと抱きしめる。
「まもなく、ここに到着しそうなチャレンジャーがいます。」
アザミの目が、妖しく光った。




何十キロと走りぬいた後のランナーのように、エメラルドはイベントのある部屋から飛び出すと大きく息をついて床の上に倒れこんだ。
チャレンジャーに肩入れしてはいけないとはいえ、相手は子供だ。
思わず不安になって、部屋に待機していたスタッフは四つんばいになって肩で息をしている少年へと駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか・・・? 辛いようでしたら、チャレンジを終了しても・・・」
「そぎゃんことしなかよ!
 せっかく11部屋目まで来よるんだ、絶対最後まで行ってやっと!」
ふらふらと立ち上がり、少年は腰のモンスターボールに手を当てた。
先の部屋に、扉が3つ。 ここでいつも迷うのだ、選択次第でポケモンが凍らされたり、逆に回復出来たりもするからだ。
「・・・お姉しゃん、こん先の部屋、どこが1番行きやすそうだと思うと?」
急に尋ねられ、スタッフは戸惑う。 そう言われて素直に教えられるわけもないからだ。
相手は子供だ。 こっちの心理が読まれることもない。
迷ったあげく、エプロンを身に着けた女性スタッフは3つある扉のうち、真ん中の扉を指差した。
「そ、そうですね・・・私は、真ん中の道・・・でしょうか。 ポケモンの匂いがするような気がするのですが・・・」
言ってからは彼女は心の中でそっとエメラルドに謝った。
その部屋の先にいるのは、強力なポケモンを連れたトレーナー。 こっちも仕事としてやっている以上、そう簡単にラクな道を教えるわけにもいかないのだ。
2、3度軽くうなずき、エメラルドは顔を上げた。 口元にうっすらと浮かぶ笑みに、女性スタッフは目を瞬かせる。
その理由を知る前に、少年は強くボールを握って、礼を言うと部屋の奥へと歩き出していった。
怪訝そうに眉を潜めるスタッフに、別の女性スタッフが近づき、耳打ちする。
「・・・ねぇ、あの子が出てきた部屋・・・トレーナー・・・いたっけ?」
「ッ!! やられたっ・・・!」
ヒントを聞くためにわざわざ演技までしていた、そのことに気付き、エメラルドと会話していた女性は思わず声を上げる。
当の本人はその様子を振り返ることもなく、さっさと彼女が指したのとは違う、右側の部屋へと踏み込んでいく。


モニター越しにエメラルドの様子を見ながら、アザミはクスクスと笑った。
「へぇ、よくダマすじゃない。 『運』よく気付いた・・・とでも、言いたいのかしら。
 そこのメイド、この子が挑戦しているランクは?」
「はい、アンダー50・・・下位のレベルです。 それと、私たちはメイドではなくバトルフロンティアのスタッフ・・・」
「どっちでもいいわ。 私のポケモンを用意して。
 2回連続で挑戦者に負けるなんて、フロンティアブレーンの名折れよ。」
コツコツと高いヒールの音を響かせながら、アザミはバトルの準備をするため1度自室の奥へと引きこもった。
頭を下げ、エプロン姿の若い女性スタッフはレベルに合わせたポケモンを取りにシステムルームへと走る。
ワガママともとれるアザミの態度を、彼女たちは怒ってなどいなかった。 むしろ喜んですらいる。
彼女こそ女王なのだ。 運と、実力があるからこそ、この施設のトップとして光臨している。
モニター越しの挑戦者を見て、彼女は少しだけ勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
本来、チューブクイーンとのバトル直前には全ポケモンの回復が行われるが、彼が通過していく部屋にはそれがない。
彼の『運』が尽きたのだ。 そう結論付け、3つのモンスターボールを並べる。
『運』を試すこの施設で、人為的ミスがあってはならない。 慎重にボールを固定すると、メイドと言われたスタッフは最後のバトルルームへと、今度はゆっくりと歩き出した。




「・・・残念でしたね、他の部屋でしたらポケモンの回復が行えたのですが・・・」
口ではそう言いつつも、どこか嬉しそうに見えるスタッフの表情を見て、エメラルドはきゅっとこぶしを握った。
制限時間はない。 一息つくと、エメラルドは最初に出すポケモンを持って歩き出す。
開く扉は、ひどく重く感じられた。
2つの戸の間からもれる光に目を細め、エメラルドは、先に待つチューブクイーンに視線を向ける。
「・・・あぁ、あんたね。 エニシダが言っていた・・・」
ここまでする必要があるのかというまでに豪華なイスに座った女性がそう言って、彼の鼻はピクリと動く。
今までの施設とは違う、妙に色の配置がかたよった部屋を見渡しているとバンダナにつけたバッジが、ピピ、と、小さな音を鳴らした。
慌てて彼女の方へ顔を向ける。 今までに見たことのない紫色の光が、彼女の瞳から発せられている。
「悪いけど、負ける気がしないわね。 ・・・手加減なんか、しないけど。」
刺さるような殺気を感じ、思わずエメラルドは身を震わせた。
汗だらけのまま投げられたモンスターボールは上手く着地せず、地面を1度弾むと違和感のあるタイミングで開かれる。
相手を威嚇しながらもよろめいたケンタロスを見て、アザミは口元をゆるませる。
既にウシヤマはボロボロだ。 ここまでのバトルで体力は半分近く減り、途中で受けた『どく』でじりじりと体力を減らされ続けている。
アザミが小さなボールを天に向かって掲げると、淡い光から飛び出したヘビのようなポケモンが彼女の周りをはいずりまわった。
この建物の原型だろう、ハブネークだ。 でるように黒いそれの鼻先をなでると、ハブネークは体をくねらせながらエメラルドの方へ迫ってくる。
「行きなさい、‘ハブネーク’」
他のトレーナーとは違う静かな声に、エメラルドは背筋を震わせた。
くねくねと不規則な動きでハブネークが近づいてくるたび、相手の刃のような尻尾が地面にこすれ、カリカリと音を立てる。
きゅっと唇を噛むと、エメラルドは指示を出す手を前へ突き出した。
バトル開始の合図となるブザーが、勢いよく、鳴る。
「ウシヤマ! 『からげんき』!!」
悲鳴にも似た鈍い鳴き声を上げながらエメラルドのケンタロスはハブネークへと突進し、大きな体を相手へと叩きつける。
ギィッという声が上がり、3メートル近い巨大な体が地面をこする。 毒の染みた尻尾が黒い模様を作るのを見ながら、アザミは赤い唇にぺろっと舌をはわせた。
「『いばる』。」
細く息の吐かれる音とともに、ハブネークは体勢を立て直し相手へと赤い目を向ける。
毒が体に回っているとはいえ興奮して落ち着きのなかったウシヤマの動きが、一瞬止まる。 次の瞬間、ウシヤマはエメラルドの指示なしに相手へと向かって走り出した。
直線的な動きは相手にも見抜かれやすく、かなりのダメージを負っているはずのハブネークにも簡単に避けられてしまう。
そのまま壁に激突したウシヤマを指差し、アザミはほとんど表情を変えることもせず、つぶやくように技の名前を言い放った。
「‘ハブネーク’『ギガドレイン』。」
ごつごつした背中から緑色の光が抜き取られ、ハブネークへと吸収される。
元々弱っていたということもあり、ウシヤマはそのまま床の上へと倒れ、動けなくなった。
少しの間、エメラルドは固まっていたが、うろうろとさ迷わせていた目にチカラを取り戻すと『ひんし』状態のウシヤマをモンスターボールの中へと戻す。
「保険をかけておくなんて、凡人の考えそうなことね。
 そんなせこい戦い方じゃ、あなた、一生トレーナーにはなれない。 なれたとしても、やっていけない。
 ポケモンバトルは勝つか負けるか2つに1つ・・・『運』にも恵まれないとね。」
落ち着きを取り戻しかけていたエメラルドの心に、再びざわざわとした動揺が広がる。
タイミングをはかり損ね、出すはずだったモンスターボールを腰の辺りでさ迷わせていると、ほとんど動きのなかったアザミがクスリと笑いをもらした。
「・・・好きよ、その目。 お兄さんそっくりで。」
「ッ!」
言われたくなかった一言を言われ、エメラルドの胸はカッと熱くなった。
ぐっと潰れそうなほどにモンスターボールを強く握り、後のことを考えることも忘れ、相手に向かって投げつける。
そのまますぐにもう1つのボールを手に取ったのを見てアザミは口元だけで笑った。
氷漬けになったポケモンを出したのが、ただのヤケではないことに気付いてしまったからだ。


「戻れオット!! 行けっ、ノイン!!」
エメラルドからの指示が出た直後、アザミは無言のままボールの消える場所を指差した。
シュルシュルと音を立てながら深手を負ったハブネークは飛んできたモンスターボールへと狙いを定める。
「『どくどくのキバ』。」
開かれたモンスターボールから影が現れた瞬間、アザミは指示を出す。
初めて来たばかりの場所を確認もしていないカイリキーに、その攻撃を避けていられる余裕はなかった。 相手が向けた牙の直撃を受けると、灰色の皮膚に赤紫色の生々しい痕が残る。
氷の解けたスターミーのモンスターボールを持ったまま、エメラルドは相手を指す。
「ノイン『ちきゅうなげ』!!」
「‘ハブネーク’『ギガドレイン』。」
強い毒のしたたる牙を向け自分を取り囲むハブネークへと向かって、カイリキーは固く握ったこぶしを振り上げた。
一瞬攻撃するような素振りを見せたが、ウシヤマとの戦いのダメージもありハブネークは吹き飛ばされ、2、3度フィールドをバウンドして動かなくなる。
床へと伏せた黒ヘビをモンスターボールへと戻すと、アザミはその赤白の球体に軽く口付けた。
広がっていく冷気が2人の足をなでる。
アザミは伸びをするように頭の後ろで腕を組んだ。 その様子を瞳に映している間に、次のポケモンは繰り出されていく。
「‘ミロカロス’『なみのり』。」
「戻れ、ノイン!!」
あわてたようにエメラルドは臨戦態勢のカイリキーに手を向けた。
反対の手で握り締めていたモンスターボールを代わりに投げる。 新しく出てきたスターミーのオットは『なみのり』攻撃をモロに受けるが、大きなダメージは受けていないようだ。 先ほどまで凍り付いていた紫色の星は元気そうにくるくると回る。
「オット『10まんボルト』!!」
指示を受けるとオットはクルクルと回転し、発生した電撃を白くうねるヘビのようなポケモンへと向け放った。
相手も水タイプ、充分な威力を持った攻撃を受け、ミロカロスは苦しそうに身もだえる。
だが、アザミに動揺はなかった。 冷静な目でエメラルドとオットのことを睨むと、細い腕をすっと前へと上げる。

「『ミラーコート』。」
静かなその声が耳に届くと、あれほど苦しんでいたのが嘘のようにミロカロスは体勢を立て直し、自らの体を青く光らせた。
オットが放った電撃が光に吸い込まれる。 怒りを込めた瞳でスターミーのことをキッと睨み付けたミロカロスは、電撃をたっぷりと含んだ青い光を壁状に変化させた。
吸い込まれたダメージが光のチカラで増加され、攻撃したオットを貫く。
予期せぬ攻撃を受け、なす術もなく紫色の星はフィールドの上に紫色の体を横たえる。
相手の攻撃を予測出来ていなかったのはオットだけではなかった。 呆然と倒れたポケモンを見つめていたエメラルドに、アザミは軽く首をすくめて見せる。
「分からないわ、どうしてそこまでトレーナーになりたがるのか・・・
 外に出たらどんな危険があるか分からないのに。 身を守るためだけに、わざわざ自分の運を使い果たすなんて、くだらない・・・ねぇ、そうでしょう?」
先ほど出したノインのボールを投げようとしていたエメラルドの手が止まった。
「・・・ずっと、ここにいると?」
「だって、必要ないじゃない。 外の方が危険も、面倒なことも多いし・・・あなただってそうでしょう?
 外に出て、人と話すごとに『田舎者』とか言われて・・・嫌な目にも遭っているんじゃない?」
昼間会った少年のことを思い出して、エメラルドは黙り込んだ。
バカにされているわけじゃない、少なくとも1回以上、似たような目に遭った口調だ。
『ひんし』のスターミーをホルダーへと戻し、ズボンの端をぎゅっと握り、エメラルドは顔を上げる。
「ばってん、外に出なきゃ何も見れんやなかか!!
 トレーナーに・・・トレーナーにならんと、ミシロから出ることもでけんとよ!
 やから、俺はポケモントレーナーになるばい! 絶対、絶対に!!」



少しひるんだようにアザミが目を見開いたのと同時に、エメラルドは最後のモンスターボールを投げた。
先ほどハブネークに攻撃された体をかばうようにしながら、カイリキーのノインは血走った目でミロカロスのことを睨み付ける。
「ノイン!!」
鼓膜が破裂するのではないかというほどの大声を出したエメラルドに、今度はアザミが驚かされる番だった。
思わず呼吸が乱れる。 指示に出す手は、素早く上げられた。
「‘ミロカロス’『じこさいせい』!」
「『かわらわり』!!」
先ほどスターミーから受けた攻撃を技によって回復させようとするミロカロスの体に、カイリキーの4本の腕が向けられる。
技を出したのはミロカロスの方が先だった。 しかし、死に物狂いで相手を倒そうと鼻息を荒くするノインの攻撃に数メートル近く吹き飛ばされ、回復する前よりも更にひどい傷を受けている。
これにはアザミも焦った。 相手を苦しめるはずの毒が、逆にカイリキーの戦意をかきたててしまっていて、回復が間に合わない。
「‘ミロカロス’『なみのり』!!」
「ノイン『かわらわり』!!」
骨を砕くような鈍い音が響き渡ると、白いポケモンの動きが止まった。
攻撃に使われた水がゆっくりと引いていく。 それと同時に、ミロカロスの大きな体がフィールドに沈み、しぶきを上げた。
一瞬、アザミは呆然とその場に立ち尽くしているようだった。 だがすぐに眉を吊り上げると、フィールドへと手を向けミロカロスをモンスターボールへと戻す。
もう彼女に、バトル開始時のような冷静さは見られなかった。
最初の不気味さとは違う恐れが背筋を伝うが、目の前で大きく息を切らしているカイリキーの姿に、エメラルドは気を取り直す。
アザミは今までのポケモンとは違う、穴の空いた土器のようなポケモンを呼び出してきた。
動く様子もなく、エメラルドは首をかしげる。 すると、土器に空いた穴から顔や触手が伸び、一応しっかりとしたポケモンの形となった。 納得すると同時に、その穴から伸びた相手ポケモンののん気過ぎる顔に油断しないよう、エメラルドは気を引き締めなおす。
「‘ツボツボ’行きなさい!」
強い口調で指示が与えられると、ずいぶんと張り切った様子でツボツボと呼ばれたポケモンは前へと飛び出した。
丸っこい体に空いた穴から飛び出した触手をにょろにょろと動かすと、少なからず水を含んでいたはずの床にしかれた砂がざわざわと音を立てて舞い上がりだす。
「『すなあらし』!!」
チューブクイーンは低い声で命令した。
舞い上がった砂は風とともに暴れだし、ノインやエメラルドの肌に容赦なく襲い掛かる。
「くっ」と喉の奥で音を鳴らすと、エメラルドは砂から守るべく目を細め、大きく腕を振った。
しゃがみ込むようにして構えていたノインの目がギラリと光る。
「『きあいパンチ』!!」
弓を弾くように勢いよく飛び出したカイリキーは、深くしゃがみ込むと、ほとんど動けないツボツボへと向かって腕を振り下ろした。
悲鳴が上がり、ツボツボの体を守る丸いカラにヒビが入る。
驚いているアザミに次の指示を行う時間は与えられなかった。 すぐさま攻撃したのと反対の腕を振り上げると、ノインはエメラルドの指示と同時に灰色の腕で、思い切り攻撃する。
「ノインッ、『かわらわり』!!」
とっさにツボツボが防御に回した触手ごと、ノインはチカラのこもった腕を振り切った。
地面にへばりつくことも出来ずにツボツボは吹き飛ばされ、アザミの真後ろの壁に当たる。
ごとり、と、何か重いものの落ちる音がした。
さらさらと落ちていく砂を横にしながら、ゆっくりとアザミが振り向くと、ボロボロのカラの中で気を失ったツボツボが足元に転がっている。

勝者、エメラルド。
バトルゲーム、28部屋目クリアです。 お疲れ様でした。

フィールドに取り付けられたスピーカーから無機質な声が流れると、疲れが出たのかエメラルドはその場に座り込んだ。
何とか立っていたノインも限界が来たらしく、地面にヒザをつけるとトレーナーからの指示なしにモンスターボールの中へと戻って、勝手に休憩を始めだす。
しばらく呆然としていたアザミは、しばらく額に手を当ててから倒れているツボツボに目を向けた。
抱き上げると、ツボツボは上手く開かない目をパチパチさせて、触手でアザミの顔に触れる。 くすぐったさに目を細めると、アザミは一応というつもりで用意してきた銀色のシンボルをポケットから取り出し、エメラルドへと向けた。
「ラックシンボル・・・受け取ったなら、さっさと出て行ってくれる?
 私、疲れてるの。 昼食もまだ取ってないし・・・」
むっとしたように顔をしかめると、エメラルドは何か言い返そうとして止めた。
疲れているのは自分も同じだ。 受け渡されたシンボルをフロンティアパスにはめこむと、床に落ちたノインのボールを拾い、言われたとおりに施設の外に向かって足を進めていく。




チャレンジャーのいなくなったバトルフィールドに1人たたずむチューブクイーンに、朝話しかけたスタッフは掛ける言葉が見つからずにいた。
今までほぼ無敗を誇ってきた彼女が、1日に2人も、それも1人は初心者に負けたのだ。
恐らくプライドはズタズタ、話しかければどんな言葉が返ってくるか想像もつかない。
それでも、傷ついたポケモンの回復はしなくてはならない。 彼女は勇気を振り絞って扉を開けた。
足音を潜めるようにしながらも近づいていくと、アザミは彼女の気配に気付き、顔を上げる。
じゃれつくように触手をくねらせていたツボツボを抱えなおすと、チューブクイーンは目を細め、女性スタッフはそれに少しだけ驚きの表情を見せた。
「あ、あの・・・アザミさま・・・」
「ねぇ・・・」
静寂にかき消えそうな声を女性スタッフは聞き取った。
無言で先をうながすと、アザミは顔を上げ、ツボツボをモンスターボールへと戻して立ち上がる。
「バトルフロンティアで、美味しい店ってどこかしら?
 ちょっと食べてきたいんだけど、1人で行ってもつまらないから、あなた、付き合ってくれる?」
一瞬、エプロン姿のスタッフは戸惑ったが、すぐに首を大きく振った。
「はっ、はい! 喜んで!」
すぐにアザミからモンスターボールを受け取ると、彼女は小走りに回復室の方へと向かっていった。
何もそこまで急がなくてもいいのにと思いつつ、アザミは日差しから肌を守る上着を、クロゼットから引き出す。
上着にはうっすらとホコリが積もっていた。 叩いてそれを払い、アザミは天井を見上げる。
もう何日も空など見上げていない。
太陽がさんさんと輝く今日の空は、きっと、彼女にはまぶしい。