「あ、今度は意外と早かったんだね。」
何かをパソコンに打ち込み続けていたマリンは、顔を上げるとエメラルドに向かってそう言った。
彼の隣には初めて見る主人に少し戸惑っている様子のストライク。
両手の大きなカマが特徴の、薄緑色の虫ポケモンだ。
「ニックネームは?」
「『カマタ』・・・」
少し照れるような素振りを見せながらエメラルドはくるくるとあちこちに目を向けているストライクの目を見た。
普通、ストライクならばもう少しりりしい表情をしている気もするが、エメラルドにはどうにも頼りないような気がしてならない。


「今度はどこ行くと?」
やることもないのか、エメラルドが身を乗り出すようにして尋ねると、マリンはちょっと目を見開いてニコリと笑って見せた。
「どこ行きたい?」
「えっ・・・」
尋ね返され、エメラルドの動きは止まった。
残っている施設は4つ。
『闘志』を試すバトルアリーナ、『勇気』を試すバトルピラミッド、『絆』を試すバトルパレス、それに『才能』を試すバトルタワー。
フロンティアパスに表示される説明を見ながらエメラルドは少し考え、入り口近くにある少し古びた雰囲気をかもしだす建物を指差した。
「ここ・・・」
画面に浮かぶ『バトルアリーナ』の文字を見てからマリンはほおづえをつき、少し考えるようにして薄く笑った。
「・・・キツイよ?」
体の横でエメラルドはこぶしを固める。
2匹目のポケモンが手に入った今、何と言われようとその決心を変えるつもりはなかった。






カントーから・・・とは言っても、ここもカントーなのですが、マサラタウンから、うんと遠く離れた5の島。
緩急の流れ、時の島。 どこまでもどこまでも白い砂浜が続きます。
とても昨日まで船が出られない状態だったとは思えないほど、海はぎ、風はおだやかです。
長い長い海岸線の上で、立ったり、しゃがんだり、時には走ったりしながら、ファイアは砂浜であるものを探していました。
マンキーのゼスや、ニョロゾのスーも一緒に手伝ってくれています。
だけど、ヒトカゲのセロだけはちょっぴり離れた場所でファイアのことを待っていました。
ちょっぴり可哀想な気もしましたが、ヒトカゲの尻尾でチリチリと燃えている炎は、どうしても暑いのです。

白い貝がらを拾うと、ファイアはそれを空いている右手に移しました。
ゼスは細い前足で砂浜を引っかいて、何かを探しています。
少し離れたところで、リーフは彼女の様子を見ていました。 熱い砂が靴の中に入り込まないよう、とんとんとつま先を地面に打ち付けます。
「・・・貝がら?」
・・・健気よねぇ。
アチチな砂浜にいられないナナは、やっぱり少し離れた木陰でファイアのことを見ていました。
青い空に向けて日傘を差した人が、1人、2人と砂浜に現れてきます。
「のん気なもんだよなぁ。」
海に入るでもなく、砂浜にしゃがみ込んでいるファイアをもの珍しそうに見ている人たちに目を向けて、リーフは言います。
「ナナシマってさぁ、船使わないと島同士の移動もままならないくらい本土から離れてるだろ?
 昔はさ、罪を犯した奴や政府にとって都合の悪い奴を閉じ込めておく監獄みたいなとこだったらしいぜ。
 それが今じゃ、お金持ちのお嬢様たちのリゾートビーチだもんなぁ・・・」
何か言いたげな様子のリーフをナナが横目で見ていると、少し遠くから赤と白のボールが飛んできました。
真っ白な表面が砂の上をこすると、優しい目をしたニドリーナがボールの中から飛び出し、リーフの方を見つめます。
熱い砂浜を気にすることのない、ゆっくりとした足取りで近付くと、水色のポケモンはチラリと後ろの方へと目を向けました。
それに合わせるようにリーフも視線を少しずらすと、その先にあるものを見て、顔を曇らせました。
グリーンが、自分のことを手招いていたからです。


強い日差しに顔を焼ききられないよう、帽子のツバを深くするとリーフはしぶしぶグリーンのところへと歩きました。
「・・・何?」
「話しておきたいことがある。」
ナナは、グリーンと会話するリーフの様子を注意深く観察します。
彼は、グリーンの一言に身をこわばらせていました。
もっとよく見ようとナナが目を細めたとき、グリーンが口を開きます。
「身長160センチ前後、赤い帽子に赤い服、茶色に近い黒色の髪と瞳。」
「は?」
リーフは聞き返しました。
話の意図がさっぱりつかめません。
「1の島でファイアがロケット団が見たと言ったとき、姉貴・・・ナナミは、この条件に合うトレーナーを探していたんだ。
 あんな性格だけど、あいつは広いコネクションを持っていて、トレーナーの間じゃ顔が利く。 だからD.Dでは人事のことを任されていた。
 そこに、お前が現れた。」
リーフは改めて自分の格好を見直しました。
上から下まで、グリーンが言っていたものと一致しています。
この話を聞いて、リーフがあまり良く思わないことをグリーンは分かっていました。
それでも言っておきたかったのは、彼に、自分たちのことをもっと良く知って欲しかったからです。
言いにくそうな顔をして、グリーンは先を続けます。
「・・・リーフ。 その条件に一致するトレーナーが、もう1人いること、知っているか?」



何かに気付きそうになったとき、会話をさえぎるようにしてやってきた老人の姿にリーフとグリーンは同時に振り返った。
おかげでまとまりかけていた考えは吹っ飛ぶし、シリアスなムードも台無しだし、いいことは何1つとして発生しない。
ただ、汗だくだく、息も切れ切れ、今にも倒れそうなこの男を怒鳴りつけるほど彼も鬼ではなかった。
丁寧にたたまれたハンカチで顔の汗を拭うと、老人はグリーンの方へと向き直って、素早く息を整える。
「申し訳ありません、こちらにいるとお聞きしたもので・・・
 トレーナー・ポリスのグリーン様でございますね?
 わたくし、ナカムラ家の執事をしております、セバスチャンと申します。
 実は、まことに申し上げにくい話ではあるのですが、わたくしのお仕えするアキホ様が朝から行方不明でして・・・ご協力いただければ嬉しいのですが・・・」
「警察には言ったのか?」
グリーンは聞き返した。 確認するべきところは確認しておかなくてはならない。
「はい、ですが、行方不明になる少し前にアキホ様をお見かけしたのが、かえらずの穴の近くでしたので・・・」
「あ〜・・・、なるほどな。」
頭の後ろで手を組みながら、リーフはうなずいた。
「?」な顔でグリーンが振り向くと、特に何かを気にする様子は見せず、続きを口にする。
「大昔に、無実の罪で流されてきた奴が腹切ったって、この島じゃ割と有名な心霊スポット。
 本当に幽霊がでるかどうかは知ったこっちゃないけど、穴の近くはゴーストポケモンだらけ。」
「ポケモンを持たない普通の警察官は近寄れないっていうわけか・・・確かに、ポケモントレーナーが行くしかなさそうだな。」
声を聞いてハッと嫌そうな表情に戻ったリーフを見て、グリーンは少しだけ事情を察した。
何かを言い出さないうちに彼の肩を2回叩き、ファイアの位置を確認する。
硬い表情を作らないように注意し、ポケモンセンターのある方角を指しながらグリーンはリーフへと言った。
「じゃあ時間がなさそうだから、今からその「かえらずの穴」にアキホって人を探しに行ってくる。 姉貴が来たら、そう伝えといてくれ。
 ・・・あと、ファイアのこと、頼むぞリーフ。」
ナナの目に映るリーフは、固まっていた。
遠ざかっていく背中に向ける目が、かすかに震えている。
リーフは、いつ固まるともしれないゆっくりとした動きでファイアの方に視線を向けた。
グリーンとの会話も、走ってきた老人の姿にも気付くこともないまま、ファイアは貝がら取りに夢中になっている。
熱中症になるのではないかと考えたが、彼女のポケモンたちが手伝いをしながらも彼女のことを気に掛けていたので、何かあっても、対処出来るはず。
何か声を掛けた方がいいかとナナが立ち上がったとき、ファイアから顔を背け、リーフはどこかへと走り出す。
呼び止める暇もなかった。
風のように遠ざかっていく少年の行く先をナナが注意して見ていると、グリーンが向かっていった方向と、同じだ。






強く強く降り注ぐ太陽は、ファイアの首をチリチリと焼いていきました。
熱くなった砂浜をかき分けて、貝がらを探します。 背中まで伸びた長い髪は、うつむきっぱなしのファイアの邪魔をしました。
砂まみれになることも気にせず、手の感触を頼りに砂浜を探していると、細い指先が、何か固いものに当たりました。
急いでそれをつかみ、顔の前で開きます。
小さな手の上にちょこんと乗った、真っ白な、つやつやと光る巻き貝の貝がらを見ると、ファイアはにっこりと笑いました。
すぐにそれを、反対側の手へと移します。
手のひらいっぱいの貝がらが、柔らかい肌に刺さります。 チクチクと痛む右手から砂を少しだけ落とすと、ファイアは突然、左手で首の後ろを押さえました。
「・・・・・・痛・・・」
顔をしかめるファイアの背中に、薄い影が差しました。
すっかり集中力の途切れてしまったファイアは、影のもとの方向へと向かって、太陽の方へと顔を上げます。
まぶしくて顔をしかめるファイアを、日傘を差した女の人が見下ろしていました。
金色のツヤツヤした髪をそっと白い手でかき上げると、物珍しそうな顔をしながら、女の人はファイアへと声を掛けます。
「何をしていらっしゃるの? そんな汚れた格好で・・・」
ファイアはシパシパと目を瞬かせました。 立ち上がると、少しめまいがします。
それほど背の高い人ではありませんでしたが、ファイアは女の人がとても大きいように感じました。
差している傘のせいでしょうか。 女の人の顔を見上げると、ファイアは右手にたくさん詰まった真っ白な貝がらを女の人へと見せます。
「レッドにあげるの。」
ナナが立ち上がりました。 女の人は「まぁ」と小さく声を上げながら、口元に手をあてます。
「とても素晴らしいアイディアだけど、それは無理よ。
 あなたみたいな子供を、ポケモンリーグ優勝者のあの人が相手にしてくれるわけないでしょう?」
「あげるの!」
・・・ファイア!!
熱い砂浜で足を焼きながらもナナは飛び出しました。
止めようとしましたが、間に合いません。 ファイアの方がずっとチカラが強いのです。
そのことに女の人は気付いていません。 ムキになるファイアを、クスクスと笑っています。
「それにあの人、もう19よ? そんな、ただ拾っただけの貝がらを、喜んでくれるわけないじゃない。
 気持ちがこもっていればなんて言っても、結局・・・」
黙って!!
女の人は驚いた顔をして振り向きました。 声をかけられた相手がポケモンだったからです。
既にセロは自分の意思で動くことが出来ません。
尻尾の炎が青白く燃え上がるのを見て、ナナが顔を引きつらせたとき、ファイアの後ろに黒い影が見えました。
とっさにファイアは攻撃の方向をそちらへと向けました。
金色の光が自分へと向けられていることに気がついたからです。
「‘セロ’!!」
「‘HUNTER’『HYPER BEAM』!!」
誰かがセロに向けて『はかいこうせん』を撃ったのだ。 そこまでしかナナは分かりませんでした。
爆風に吹き飛ばされて砂浜の上を転がりながらも、ナナは必死にファイアの方へと目を向けました。
感情を高ぶらせすぎたのか、かくっとチカラが抜けて倒れこむファイアを、女の人ではない誰かが抱きとめる光景がナナの瞳に映ります。



ふぅ、と息を吐くと、リーフは真昼だというのに薄暗い雰囲気をかもし出している小穴へと視線を戻した。
倒せないわけじゃないが、『あく』ポケモンも『むし』ポケモンも持っていないのだから、ゴーストタイプの相手は面倒くさい。
しかもほとんどのポケモンが浮いているから、地面タイプであるトシの技もほとんど効かないときたものだ。
リーフは乗り物にしてきた発泡スチロールのボードをアイテムボールの中へと戻すと、赤と白のモンスターボールを手に取った。
地面へと放ると、ゼニガメが大きく伸び上がって、キョロキョロと辺りを見渡す。
ゴーストポケモンの気配に気付いたのか、すぐ近くにある海を喜びもせずリーフのジーンズにはりつくようにしているジョーの頭を、リーフは軽く叩いた。
「頼むぜ、ジョー。 マトモにゴーストとやりあえるのお前だけなんだからな。」
ガーン、と、ジョーがショックを受ける音が響いた。
怖いっつーとるに(しかし通じない)、戦わす気なんかい、このトレーナー。(何故か関西弁)。
足にゼニガメをくっつけたまま、リーフは「かえらずの穴」へと歩く。
ここで行方不明になった人がいることも、リーフは知っていた。 だが、歩みは止めない。


日の光を通さない洞くつの中は、ひやんとした空気が流れていた。
焼け付くようだった外の日差しのことを考えれば天国とも思えるかもしれないが、それは静かに過ごせた場合限定。
ズボンに張り付いたジョーを引きはがすと、リーフは甲羅をつかんで自分のまん前に持ってくる。
「ジョー、『みずでっぽう』!」
モンスターボールに戻りたい気持ちがいっぱいのジョーと、いきなり現れてリーフたちのことを驚かそうとしていたゴースは同時に驚いた。
一瞬「ギャッ!」と叫んだ後に、ジョーは水を発射した。 ガス状のポケモンは細かい水に吹き飛ばされ、あわてて退散していく。
リーフは涙目で息を切らすジョーを見て大笑いすると、水色の頭をなでた。
「っはははは!! やるじゃんか、ジョー!
 だーいじょーぶだって、ゴーストポケモンって奴はにぎやかなのが苦手だから、大騒ぎしながら進めば寄ってこねーよ。」
ジョーは恨めしそうな目つきでリーフのことを見ると、洞くつの奥へと向かって大声で叫んだ。
薄暗い中で、何かがざわざわとうごめく音が反響する。
その音を怖がって、ジョーはくるくると巻いた尻尾を引っ込めながら後ずさりしたが、リーフはスタスタと歩いていってしまう。
奥に行くのもイヤだったが、置いて行かれるのはもっとイヤだった。
とてとてと情けない足音を鳴らしながらついていくと、ジョーはぴったりとリーフの足元にくっついた。
暗い道に足元の見えなくなったリーフが懐中電灯をつける、カチッという音が洞くつの中に反響する。
静かな足音を残して、軽く湿った洞くつの中に赤い服の少年と青い小さなポケモンが入り込んだ。
冷たい空気を飲み込みながら、リーフは足元の石を蹴飛ばした。
「進むコツがあるんだ。
 普通に歩いてたらあっという間に迷子になるけど、誰かが目印を残していってるから、それさえ知ってれば迷わない。
 ジョー、この部屋にこういうでかい石はいくつある?」
「こういう」の辺りで、リーフは蹴飛ばした石を2、3度踏んづける。
キョロキョロと周りを見渡す動作をした後、ゼニガメのジョーは3回鳴いた。
それを見るとリーフは深くうなずいて、自分の右を指差す。
「だったら3時の方角、東だ。 こういう風にサ、石の数が目印になってるワケ。
 だから、もしこういう石を見つけても、絶対動かしちゃだめなんだぞ。 分かったな、ジョー?」
コクンとうなずくゼニガメを見ると、リーフは自分で言った「3時の方向」へと向かって歩き出した。
寒くてクシャミが出そうだが、ひんやりとした空気で頭も冴えて、今はもうそんなに怒ってもいない。
ただ、問題が片付いたというわけでもないので、リーフは頭の後ろで手を組みながら少しずつ考えていた。
横目でジョーを見る。 いきなり顔面水鉄砲を食らったゴースから噂でも聞きつけたのか、遠巻きに自分たちのことを見るゴーストポケモンたちにおびえながらも、しっかりと自分の後についてきている。
「・・・だーいじょーぶ。 トシもミヤもウズもいるんだから、やられやしないさ。
 さっきはおどかして悪かったよ、ジョー。 お前らが裏切らない分だけ、オレ、お前らのこと信じてるからさ。」
リーフはちょいちょい、と、手でゼニガメを呼ぶ仕草を取った。
ぶつかりそうなほど近くに寄ると、ジョーは首をかしげる。 不思議そうな顔をしている自分のポケモンに笑うと、リーフは目の前に現れた次の石の数を指差して数え始めた。
今度は12個、北の方角だ。 左を指差すとリーフはズボンにくっつきそうなジョーの甲羅をポンと叩く。
「さー、行くぜ。 ちゃんと警戒してろよ。」
軽い口調で言った後、リーフは小声で「振り向くなよ。」と、付け足した。
警戒する黒い目が、視界の端でうごめくものをとらえる。
前に出てきたバカでかい2本足ヤドンではない、あれはもっと動きがロコツだったし、狙いは明らかにファイアの方だった。
得体の知れない不気味さを感じながらも、リーフは先へ先へと歩き続ける。
相手がジョーの『みずでっぽう』で攻撃できる射程内にいないからだ。
先に動けば、逃げられるか、誘い込まれて返り討ちにあうか、いずれにせよいい結果は出そうもない。




「ジャーイアントッ、スイーング!!」
ゼニガメのジョーは前足をバタバタと泳がせていた。 後ろからつけてきている何かは、一体何事かと自分の目を疑っていることだろう。
普通トレーナーが自分のポケモンにマ○オの技をかけるだろうか? いや、しない。
「ほい、キーのみ。」
自分で混乱させたゼニガメにキーのみを与えて回復させる。 なんとも無意味な。
よたよたと歩いて壁によりかかったジョーの様子を見ようと、リーフはしゃがみ込む。
ゼニガメがピンク色の木の実を口に含んだ瞬間、リーフはジョーを抱えて、息を潜めた。
「?」な顔で見上げてくるジョーが鳴き声をあげないよう、口をそっとふさぐ。
「・・・ここが、最後の部屋なんだ。」
声を潜めながらリーフは言った。
「姿が見えなきゃ、そのうち不自然に思って近付いてくるだろうから、その時迎え撃つぞ。」
「えー」と、ジョーは複雑な顔を浮かべた。 何だかよく分からない奴と戦うのもイヤだし、隠れるために甲羅つかまれて3回転させられたのも不服だし。
チラチラと懐中電灯の光を揺らしながら、リーフは息を潜める。
だが、リーフの目論見もくろみは意外な形で外れてしまう。
近付いてくる足音が、大きすぎる。 事情を知らない誰かによって、邪魔が入ったのだ。

邪魔者はリーフのすぐ横を通り過ぎてから、そこが行き止まりなことに気がついた。
困ったように岩の壁を見てから、振り返ってリーフの存在に気付く。
何も言わずに黒い球体を投げてきたのでリーフは一瞬警戒したが、地面を弾んだモンスターボールはカラだった。
真っ黒なモンスターボールを拾い上げ、放り投げて帰そうとすると、走りこんできた女の人は眉を吊り上げながらリーフを持っている日傘で指した。
「そ、そこのあなた! 褒美はいくらでも差し上げますから、あのポケモンを何とかなさい!」
「・・・?」
頭に疑問符を浮かべながらリーフが振り向くと、真上を真っ黒な物体が通り過ぎ、リーフのかぶっているキャップを叩き落とした。
目を見開きながらキャップを拾うと、真っ黒な物体は振り向き、キャタキャタと笑った。
リーフが耳をふさぐと、直後にポケモンは耳をつんざくような大きな声を上げる。
人の泣き叫ぶような、恐ろしい声に圧倒され、ジョーは完全に腰が引けた状態でリーフにしがみついた。
「ビビるなビビるな。 よなきポケモンの『ムウマ』だよ。
 ああやって人のことを驚かすのが大好きなんだ。 たいしたこたないから、怖がる必要ねーぞ。」
また飛ばされないよう、帽子を深く被りなおしながらリーフはジョーの甲羅を叩いた。
周囲に視線をやって、今自分が置かれている状況を確認する。 足場が悪く、決していい状態とはいえない。
苦虫をかみつぶしたような顔をしたとき、すぐに『それ』はやってきた。
ムウマではない。 とっさにジョーを抱えて横に飛び退くと、リーフの手から懐中電灯が落ちて、地面の上を転がる。


「げ・・・ワタッコ・・・!」
攻撃してきたポケモンを見て、リーフはロコツに嫌そうな顔をする。
何が嫌って、相性が悪いのだ。 ある程度なら攻撃出来なくはないが、スピードで上回れたらまず勝ち目はない。
そしてこのワタッコは、その『嫌な条件』を完全に満たしていた。
足を地面につけることなく方向転換すると、飛び退いたリーフの後をピッタリとついてくる。
帽子のツバを蹴って真上へと飛び上がると、小さく息を吸い込む姿が見えた。 とっさにリーフは背中のリュックに手を回し、アイテムボールを引っ張り出す。
「ジョー、『エフェクトガード』だ! 飲め!」
真上から降り注いだ粉をかぶらないように口に手を当て、リーフはジョーを抱えたまま体を丸めて小さくなった。
だが予想していた攻撃が来ず、リーフは顔を上げる。
途端、真上から緑色の光線が降ってきて右ヒザと左ヒザの間を貫通した。 焼け焦げて煙をあげる土を見て、リーフは青筋を立てる。
「・・・マジかよ。」
『ねむりごな』から『ソーラービーム』へ。 攻撃を切り替える早さと命中精度の高さ。
加えてこの場所と相性の悪さを考えれば・・・リーフの中で勝ち目はどんどん低くなっていく。
体勢を立て直そうと立ち上がると、薄暗い洞くつの中を照らしていた光が動いた。
後ろにいた女の人が震えだす。 ゴーストポケモンによる恐怖ではない。
ジョーをしっかりと抱えなおすと、リーフは部屋の入り口を睨みつけた。
リーフが取り落とした懐中電灯を拾い上げた黒い服に身を包んだ人間が、金色の目でリーフのことを見る。
カチリという音が鳴って、かすかに灯っていた明かりが消えた。
一瞬視界を失った瞬間、リーフの真後ろで鈍い音が響き、何かの倒れるような音が耳についた。

「‘Harvest’『にほんばれ』。」
リーフのことを攻撃してきたワタッコが光を放ち、暗かった洞くつに明かりが灯る。
急なことについていけず、目をシパシパと瞬かせたリーフのそばで、先ほど駆け込んできた女の人が倒れている姿を見つける。
カツン、と、1歩だけ足を踏み出す音に飛び上がり、リーフは音の方向に目を向ける。
3の島でやり合ったロケット団員が数人の男たちを連れてたたずんでいるのを見て、赤い帽子の少年は息を呑んだ。
あまりのスキのなさにリーフが動けずにいると、金の目のロケット団は後ろに向けてアゴを軽く動かした。
「この男です。」
「・・・そうか。」
空気を震わす低い声に、ジョーがぎゅっとリーフの服にしがみつく。
その男は、闇の中から浮き出るようにしてやってきた。 リーフや、他のロケット団員たちよりもはるかに年上の、目つきの鋭い男。
両腕に毛布に包まれた何かを抱えていて、リーフはそれに目を奪われる。
「・・・ファイア!?」
「動くな。」
鋭い目つきの男は低い声でそう言うと、リーフの胸にサイドンのツノを突きつけた。
いつポケモンを出したのかすら、気付けなかった。 極度のプレッシャーに、気が狂いそうになる。
「・・・な、何なんだよ、お前ら!
 ナナシマうろついたり、デオキシスがどうとか・・・ファイアどうする気なんだよ、そうだよ、ファイア返せよ!!」
「ふ・・・アテが外れたようだ。 替え玉とは・・・やってくれる。」
「替え玉・・・?」
自分の質問に答えていないことにリーフはすぐに気付けた。
同時に、嫌な予感も頭をよぎる。 すぐにでも状況を好転させたいが、モンスターボールに触れる時間すら自分には与えられていない。
ジョーを抱える手にチカラを込めて、1歩、また1歩と後ろへと下がる。
トン、と、冷たい岩の壁に背中がつくと、同時に胸がチクリと痛んだ。
心情的なものではない、サイドンの鋭いツノがギリギリまで近づけられているからだ。 今、ツノを回転させられれば、間違いなく命を落とす。
密接しているジョーが、リーフの体が震えだしたことに気付く。
ドリルのようなくぼみがついたサイドンのツノを右手でつかむと、リーフは相手のことを睨み付けた。
「ざっけんなよ・・・! おめーらのことなんて知ったこっちゃねぇ!
 ファイアを返せ! 人さらい! 悪人! おたんこなす!!」
クッと笑い声を上げて、ファイアを抱えた男は一瞬リーフから視線をそらした。
その瞬間を狙ってジョーが『みずでっぽう』をサイドンへと発射する。 だが、サイドンは体をそらして攻撃を避け、リーフから少し離れたところで構えなおした。
他のロケット団員たちもモンスターボールを構え始め、再び硬直した状態が続く。
「クク、威勢がいいな。 そういう子供ガキも、嫌いではない。
 そうだな・・・私に勝てれば、この娘とお前を無事に帰すことを、約束してやってもいいが?」
「ボス!」
周囲を取り囲むようにしていた団員の中から、浮き出るようにして声が上がった。
一瞥しただけでその集団を大人しくさせると、ボスと呼ばれた男は岩をも射抜きそうな目つきで、リーフの抱えているジョーを睨む。
「ただし、マトモなポケモンバトルになると思うな。」
「・・・後ろのブアイソウよりは、話分かるじゃねぇか。 その言葉、後悔すんなよ?」
無愛想と言われた金の目のロケット団がピクリと動いた。
先ほどとは少し目つきの違うジョーを地面の上へと降ろすと、リーフは祈るような仕草で両手を組んで、指先に血を巡らせる。
男は自分の後ろに向かってモンスターボールを投げる。 出てきたのは、おやこポケモン『ガルーラ』。
ずっと自分で抱えていたファイアを毛布ごとそのポケモンに預けると、男はよく使い込まれたモンスターボールを手にした。
最初からポケモンを入れ替えてくるつもりらしい。 全く別のモンスターボールを手にしながら、リーフは相手の動きを出来るだけ予測できるよう、頭を働かせる。
男がモンスターボールを投げると、空気の切れる音がした。
紫色の皮膚を持った怪獣のようなポケモンが姿を現すと、リーフは、警戒と驚きの入り混じった表情でそのポケモンに見入る。
「・・・ニドキング!」
「珍しくもあるまい?」
相手が指先を自分に突きつけてくると、リーフはホルダーからモンスターボールをひったくった。
地面へと振り下ろすとジョーを別の方向へと向かって走らせる。


「珍しくはねーけど、特別なんだよ。 ミヤ、『きあいだめ』!!」
「ニドキング『メガホーン』!!」
目に見えないところで集中を始めるテッポウオに対し、ニドキングは攻撃を当てるために突進を始める。
大型のポケモンにしては早いが、攻撃が到達するまでに一瞬の間があった。 その間にミヤは体を若干横にずらす。
大振りされた攻撃は外れ、硬いはずの地面をいとも簡単に吹き飛ばした。
巻き込まれて飛ばされながらも、ミヤは狙いをニドキングへと集中させる。
「『サイケこうせん』!!」
指示が出ると、すぐさまミヤは体を回転させ、虹色に光る光線を相手へと向けて発射した。
バランスを崩していたせいか、『サイケこうせん』はニドキングが持つ鎧のような皮膚を1個破壊しただけで、後は地面にぶつかって消滅する。
攻撃直後のスキを、相手が見逃さないはずがなかった。 飛び出してきたニドキングのツノは、容赦なくテッポウオの体の中心を狙ってくる。
「『つのドリル』。」
大きな音が響き、赤と白のモンスターボールが地面へと落ちる。
奥歯を強くかみながらリーフはそれを拾い上げると、新たにモンスターボールを相手へと向かって投げつけた。
リーフが指示を出そうとする前にリーフとニドキングの間に小さなポケモンが割って入り、相手へと向かって大きく口を開けた。
「・・・ジョー!?」
リーフの叫ぶ声も、攻撃の音にかき消される。
ただし、それは相手の『つのドリル』ではなかった。 目の前に広がった水しぶきを見るのと同時に、リーフは反動で飛ばされてきたジョーの甲羅をモロに食らう。
弾き飛ばされ、壁に頭を打ち付けたリーフはそのまま気絶した。
何が起きたのかイマイチ分かっておらず、しばらく沈黙を続けていたロケット団から、1つの声が上がる。 子供の声だった。
「どうします?」
「連れて行け、このガキもだ。」
ロケット団のボスはリーフを指してそう言うと、ガルーラからファイアを受け取り、再び両腕で抱え上げた。
金目の男がリーフを担ぎ上げ、洞窟を出て行く様子を、その男は目で追っていく。
ファイアは120cmあるかないかの小さな少女だ、他の部下に任せようと思えばいくらでも任せられる。
だが、ロケット団のボスがそうしないのには、ある理由があった。




迷いに迷った挙句、「かえらずの穴」の一番奥で目的のアキホという女性を見つけたグリーンが外に出られたのは、夕方近くになってからのことだった。
いくら揺すっても起きない彼女を背負って洞くつを脱出するのは、決してラクなことではなく(思うように身動きが取れず『あなぬけのひも』も使えなかった)、予定していた時刻を大幅に過ぎてしまっている。
早く届けてポケモンセンターに戻ろう。 グリーンは少し焦っていた。
だが、「かえらずの穴」から出た途端見えた光景は、その考えを一瞬で吹き飛ばすだけの効力を持っていた。


「・・・・・・」
あまりの驚きに、グリーンは言葉を失っていた。 恐らく、人生の中でこれ以上驚くことはないだろうというほどに。
今、自分の目の前にあるのは海、それはいい。 その向こうにある浜、そう、ゴージャスリゾート。
確かに出発前には、右から左まで延々と白い浜が続いていたはずだ。
一体何が起きたら『浜の長さが半分になって』しまうのか。 目をこすって、それが夢ではないことを確認していると、沖の方からか細い悲鳴が聞こえ、グリーンは我に返った。
「・・・バジル!」
何が何だかよく分からないままキングドラを呼び出し、グリーンはアキホを背負ったまま悲鳴の主のところへと向かう。
すぐにそれは見つかった。 浜からわずかに離れた・・・正確に言えば、グリーンが見たときはゴージャスリゾート『だった』場所で、足を水にぬらしながら震えている絵描きを見つけ、接近する。
地面から突き出すようにして置かれていた岩を背に絵を描いていたらしく、画材やらキャンパスやらは岩の上に避難されている。
わずかに残った砂地の上に立ち、半泣きのまま救助を待っていた女絵描きはグリーンが来たことに気付くと「ひぃ〜ん」と情けないとも取れる声を上げ泣き出した。
足のつくところまでキングドラを走らせると、グリーンは足を水につけ絵描きのもとへと歩く。
話が出来るほどまでに近付いたとき、背負っていたアキホが目を覚ました。
悲鳴が上がり、背中を叩かれる。 震えていた絵描きに胸ぐらをつかまれるのも、ほぼ同時だった。
「・・・いやあぁぁっ!! セバスチャン! セバスチャンはどこなの!?」
「たたっ、助けて!! 出たの、あたし見ちゃったのよぉ・・・!!」
「!? な、何だ!? 落ち着け、暴れるな!
 一体、何が出たっつーんだ!?」
グリーンが尋ねると、2人からは同時に同じ答えが帰ってくる。
それは、あまりに予想外で、あまりに、予想通りすぎるものだった。



「化け物!!」