「あ、ニシキさん?」
電話の向こうの声に、リーフは少しだけではあったが驚いていた。
いつもならついているはずのモニターが、灰色の画面のまま。
違和感と相手の顔が見えない不安を感じながらも、リーフは受話器を持ち直す。
その向こうから聞こえてくる声だけは、彼のよく知っているものだったから。
リーフ? 1人なのか?
「あ〜、うん。 何か・・・」
口元をごにょごにょさせながらリーフは答える。
グリーン君は?
「レッドに呼ばれたっつって、朝の便で5の島に戻ったよ。」
ファイアは?
「今朝から行方不明。 ナナも一緒にいなくなってるから、大丈夫だろうとは思うんだけどな。」
受話器の向こうからは、ニシキが何かを話すような声が聞こえたが、声が小さすぎてリーフにはまったく聞き取ることが出来なかった。
首をかしげて聞き返すと、少し慌てたような様子で電話向こうからニシキの声がする。
その話の内容とは、ごくごく単純ないつものお願い・・・の、はずだった。
じゃあ、今、リーフは6の島にいるんだね?
 実はね、ネットワークマシンを完成させるために必要なパーツとして、『てんのあな』にある『サファイア』という石が必要なんだ。
 忙しいところ悪いとは思うんだけど、取ってきてもらえないかい?

「あー、なんだ。 そんなこと? 楽勝楽勝!」
当然のように快諾すると、リーフはいつものように他愛もない話を取り交わして電話を切る。
他の誰かなら、この風のよどみに気付くことが出来たかもしれない。 だが、リーフはこの時、全く気付いていなかった。



受話器を置いた後ニシキは震えていた。
嫌な汗が顔を伝い、机の上に1滴、小さな水たまりを作る。
「リーフ・・・!」
絞るような声を出し、顔を真っ赤にしている彼へと向かい、黒服の男は笑った。
「気に病むことはない。 お前はこの世界のため、そしてこの男のためになることをやったのだ。」
銀色のナイフを向けられたマサキが、眉を潜めた。
痛々しげに口の横が紫色にれ上がり、シャツのところどころには泥らしい茶色いシミがついている。
肩をつかまれ、半強制的に立たされるとマサキは部屋の奥へと突き飛ばされる。
睨み付けた相手の胸元にある『R』マークは、扉に隠れてすぐに見えなくなった。
閉じ込められた小さな部屋の中で、ニシキの喉が「くっ」と音を鳴らす。


「・・・すまん、ニシキ。」
「いえ、マサキさんのせいじゃありませんよ。 ただ、心配なんです・・・リーフが・・・
 あいつには支えが必要なのに、僕は、リーフを裏切ってしまった・・・!」
強く握り締められたこぶしに爪が突き刺さる。
手のひらを傷つけないよう、マサキは彼の手を開かせると扉の外へと注意を向けた。
ひしひしと感じられるロケット団の気配は消えない。 はぁ、と息をつくと、マサキは窓の外を見つつ、声を上げる。
「まぁ、背ェあるけど子供やし・・・ケガせんとええんやけど・・・」
「いえ・・・チカラやバトルの腕のことじゃないんです。」
ニシキは細かく首を横に振ると、右手の人差し指を立てた。
それを口の前へと持っていき、ちょうど人が静かにするよう命じるときのポーズを作る。
「マサキさん、あなたにだけはお話します。
 その代わり・・・このことを、決して誰にも話さないで下さい。 何があっても、絶対に。」






海の家から白いサーフボードを借りると、リーフはそれを足場にテッポウオのミヤをつけて海の上を移動していた。
背中にしがみつくジョーを時折背負いなおし、ボーっと水平線の向こうを見つめている。
嵐のようだった昨日の夕立から一変して、空は雲ひとつない快晴。
浮かない顔でそれを見上げると、リーフは間違って海に着水してしまったハネッコの頭についている草をつかんで岸へと板をつかせる。
「・・・なぁんかさ、変な感じしね?」
右手につかんだハネッコを放り上げながらリーフが言うと、負ぶさったカメールのジョーは「?」な反応を見せた。
陸上では思うように動けないミヤをモンスターボールへと戻し、ごく普通に、散歩にでも行くような動作で歩き出しながらリーフは軽く肩を上下させる。
「のけ者にされてる感っつーか、何か隠してる気がするっつーか・・・すっきりしないんだよなぁ。
 あー、くそっ、ムカツク。 いっそこのまま旅にでも出ちまおうか?」
機嫌の悪そうなリーフを見て、ジョーはそろそろと彼の背中から降りながらゆっくりと首を引っ込める。
耳まで甲羅の中に埋まったカメールを見るとリーフはちょっと眉を上げ、鳥の羽根のようにも見える耳をくいっと引っ張った。
バタバタしている自分のポケモンを見て笑うと、ポケットに手を突っ込んでモンスターボールを取り出し自分の真上へと放り上げる。
緑色の小さな鳥がパタパタと羽ばたき、ジョーは目を瞬かせた。 水色の頭を軽く叩き、リーフは軽く肩をすくめる。
「分かってる、ジョーはD.Dやりたいんだろ?
 手伝ってやるよ。 チャンピオンズリーグまでやることもねーしさ。」
それほど使われてはいない様子のモンスターボールを指先でいじりながら話すと、リーフは右手の指先を空へと掲げた。
指先にとまったネイティをジョーの頭の上に乗せ、少し困っている様子の彼の様子をしばし楽しむ。
ジョーの頭から小さな鳥をとりあげると、ちょこんと立っているとさかをピンと指で弾く。
「ジョーはあんまり顔合わせないだろ。 ウズとは、この『いせきのたに』で会ったんだ。
 ウズは神様の血を引いてるからな、いざってとき助けてくれるぞ。 ちゃんと仲良くしとくんだぞ、いいな?」
自分よりもずっと小さいポケモンにじっと見つめられて少々困惑気味ではあったが、ジョーはリーフの方を見るとうなずいてみせた。
それを見て満足そうに笑うと、リーフはネイティを片手にくっつけたまま伸びっぱなしの草が生える道を再び歩き始める。
リーフ自身はそれほど気にしていないようだったが、彼よりもはるかに背の低いジョーは自分の顔近くまでぼうぼうに伸びた草に苦戦し、なかなか前に進めない。
何か考え事をしているらしく、後ろを振り向かないリーフは少しアゴを上げ、何気ない調子で段々はぐれ始めている彼へと向かって話しかける。
「なぁ、ジョー? ウズもそうだけど、オレのポケモンたちってさ、みんなナナシマで捕まえた奴ばっかなんだよ。
 ポケモントレーナーとして生きてくって決めて、7の島でトシを捕まえて・・・ここには、こんなにすげー奴らがいるんだってこと、分からせてやりたくて・・・で、それからずっと、ナナシマにいるポケモンしか使わないって決めてたんだ。
 ま、だけどさ、お前ヨソモノだけど結構やるし、そのビクビクした態度はムカツクけど他のポケモンたちともうまくやってるし、まぁ、なんつーか、その・・・オレとも気が会うっつーか?
 だから、その・・・お前が良ければだけど、チャンピオンズリーグ・・・一緒に出ないか? ・・・って・・・」
振り返ってからリーフは話しかけている相手がいなくなっていることに気付いた。
正確に言えば、見えなくなっている・・・だけ。 綺麗にカメールの形にのけられている草を見ると、ため息をついてリーフは少しだけ戻る。


「おぃおぃ・・・しっかりしろよ、モタモタしてると置いてっちまうぞ?」
何とか立ち上がることは出来たようなので、わざわざ手を貸すことはないだろうとリーフは後ずさる。
3歩、4歩と行ったところで背中に何かがぶつかる。 岩にしても木にしても柔らかすぎる物体に疑問を持ちつつ振り向くと、2つの瞳に白衣を着た研究員らしき男の姿が映った。
ぎょっとしてリーフはその場から飛びのく。
ようやく追いついたジョーが不思議そうに見つめる中、研究員はリーフの様子を見て笑うと、彼が連れているカメールとネイティを見てから話しかけた。
「旅のトレーナーですか? この辺りには珍しいポケモンもいますからね、私のことは気にせず、どうぞ。」
「いや、どうぞっていうか・・・そもそも旅のトレーナーじゃないし・・・」
キャップの下からはみ出した髪をボリボリとかき、リーフは軽く首をすくめた。
特に気にすることもないか、といったそぶりを見せ、ジョーを呼ぶと研究員らしき男の横を通り抜ける。
微笑を浮かべ彼らのことを見送ると、白衣を着た男は握り締められた少年の手を丸いメガネに映す。
人知れず姿を消した男の姿は、谷に住むネイティにしか見られなかった。
振り向いて見えなくなった相手のことに気付くと、リーフは変わらない速度で歩きながら腕に軽くチカラを入れる。
「・・・ロケット団の気配だ。」
ジョーの羽根のような形をした耳が、ピクリと反応する。
「振り向くなよ、ジョー。 運悪く鉢合わせたらバトルになるだろうから、構えとけ。」
リーフの進路の取り方が変わっていた。 出来るだけ草むらを避け、視界が開けている場所を。
ピリピリとした空気におびえ、ジョーがリーフのズボンをつかむ。
いい加減自分のポケモンの性格も分かってきたし、こういう性分なのも分かっているけど、これは歩きにくくてしょうがない。
仕方なくジョーの甲羅を抱えると、そのまま歩き出す。
左手はふさがるし、重いし。 少し怒ったような様子で歩き続けるリーフは谷の上から鳴った草の音に反応し、警戒の構えを取った。
相手をよく見ようと目を細め、ふと肩のチカラを抜く。
ジョーほどではないがおびえている相手の様子に気付くと、リーフはふっと息を吐き、相手へと向け笑みを作った。




「マサオ? 何やってんだ、そんなとこで?」
切り立った地面のふちにしがみつくようにして自分の様子を見ていた少年は、ひょっこりと顔をのぞかせるとつぶらだった瞳をさらにまんまるにした。
「うわぁ、ホントにリーフだ。 ミスズが言ったとおり!
 ねぇリーフ、リーフこそどうして来たの? もしかしてポケモンの修行?」
「んなわきゃねーだろ、オレが修行するんなら、こんな人目につく場所は選ばねーよ。
 1番強い奴が1番強くなる方法は、誰に聞かれようがひーみーつ・・・」
人差し指を口元に当てると、リーフはパチンと片目を閉じて見せた。
「・・・だからな。」
「ちゃんと着地しろよ」と言うと、ハテナ顔のカメールの甲羅をしっかりとつかみ、大きく振り回した。
円盤投げのごとくカメールの丸い甲羅がガケの上へと飛んでいき、悲鳴にドップラー効果がかかる。
半泣きのジョーが草むらに弾むのをマサオが目を点にして見ている中、すいすいとロッククライミングのように壁のような地面を登ってくると、リーフはドロだらけの手をズボンに叩きつけた。
振り向いたマサオが急に背後に現れたリーフに驚き、胸元のニャースぬいぐるみをぎゅっと抱き寄せる。
「びっくりしたぁ・・・こんな高いガケ登れるんだ。
 リーフ、パワーアップしてるよ。 すごいね、ニャー!」
「へっへ、ま、オレに任せとけば大丈夫なんだよ! おっ、ミスズもいたのか!」
不思議そうに空から飛んできたカメールの顔に触れる少女を見て、リーフは声を上げた。
「なぁ、気になってたんだけど、お前らどうしてここに? 野生のポケモンだっているだろ?」
「リーフこそ・・・あたしたちは、昨日の研究員さんたちと一緒に『てんのあな』を調べに来たんだよ?
 何か、入り口が全然開かないらしくて、白衣の人たち、さっきから少し諦め気味みたいだけど・・・」
「ふーん・・・オレも『てんのあな』に用があんだよな。 その研究員?いなくなってくれれば少しやりやすいかもな。」
「リーフ!」
少し怒ったような声を出すミスズを気にも止めず、リーフがホルダーから外したモンスターボールをいじっていると、噂されていた研究員が近付いてきた。
そうなんじゃないかとは思っていたが、その集団の中に先ほど会った研究員らしき男の姿を見つけ、リーフは軽く眉を上げる。
「ミスズ君、マサオ君。 どうやら今日はこれ以上のことは分かりそうにない。
 我々はもう引きあげるが、君たちは・・・」
「あぁ〜、いーのいーの! こいつら、今からオレと遊びたいらしいから!
 オレ、一応トレーナーだしちゃんとこいつら町に返すから、あんたら先に帰ってて!」
ぐいとミスズの肩を引き寄せると、引きつった笑みを向けながらリーフは研究員っぽい男たちへと大声で言い放った。
内心では舌を出して、しっしっと手で追い払う仕草をおまけしたい。
ジョーをちゃんと立たせて自分が頼れる存在であることをアピールすると、研究員はリーフの実力を感じたのか、それともこの辺りのポケモンをなめているのか、納得したような様子で町の方へと歩き出した。
後ろ姿が遠くなると、リーフは本当に白衣の背中へと向かって舌を出した。 立ち上がって、ミスズのことも立ち上がらせると、すぐ近くに見えているツタに囲まれた人工物へと目を向けて、ふぅと小さな息をつく。



「じゃ、あの中探検しようぜ。 お前らある程度、あの集団から情報つかんでるんだろ?」
「えっ!?」
軽く言い放ったリーフに、マサオとミスズがそろって声を上げる。
「ちょっ、ちょっと待って! さっきあたしの話聞いたよね、あの人たちでも無理だったのにあたしたちみたいな子供がどうにか出来るはずないでしょ!?」
「そうだよ、リーフ! 中に入れないのにどうやって探検するの?」
「ヘーキヘーキ、このオレに出来ないことなんてなーい!
 入り口が開かないならぶっ壊せばいいだろ、突き当たりだったら登ればいいし、それでもダメなら掘ってでも進みゃいいんだよ。
 それとも何か? お前らあいつらが出来ないこと同じように諦めて、ガキだチビだってバカにされててもいいのか?」
「諦めてもバカにする人いないと思うけど・・・」
そう言うミスズも、すでにリーフを止めることの方を諦めているといった感じだった。
地面に置いたはずの杖を手探りで探すと、それを使ってゆっくり歩き、誰が、一体何のために作ったのかも分からない建造物に手を突いた。
細い指先で、太陽に近い色をした石の壁に触れる。
「どこだったかな・・・扉があるってあの人たち言ってたと思うんだけど・・・」
「ミスズ、こっち!」
遠慮がちにマサオはミスズの手を弱く引っ張った。
バランスを崩すこともなく、それほど早くはないスピードで2人はそこだけ金属の貼り付けられた壁の前にやってくる。
規則的に点の突き出したその模様を見て、リーフは軽く目を見開かせる。
「これって・・・」
「似てるでしょ、『ともしびやま』にあった洞くつの中に。」
「な、じゃあじゃあ、ミスズ! お前ここに書かれてること読めるんじゃないのか!?
 そしたらフツーに中、入れるんじゃねえか?」
興奮した調子のリーフの声に、ミスズはちょっとだけ眉を上げた。
金属の板から飛び出している小さなプツプツに手を触れながら、小さなため息をつく。
「そう思ったんだけど、ほとんど意味のない言葉ばっかりで・・・
 あ、でもね、この辺・・・腰の辺りに小さい板みたいなのあるでしょ? それだけは一応単語だったよ、『いあいぎり』って。」
そう言うとミスズの白い指が鉄板にはめ込まれた小さな金色の板に触れた。
大人の親指ほどの大きさをしたそれの表面に、確かに5つ、点の組み合わせで書かれた読めない文字の組み合わせが刻まれている。
かがみこんで金色の板をなぞると、リーフは口元をゆるませる。
「『いあいぎり』って、そう書いてあるんだな?」
「うん・・・だけど、無理だよ。 あの人たちも自分のポケモンに『いあいぎり』で扉を切らせてたけど、びくともしなかったもん! ね、ニャー!」
「考えが甘いんだよ。 オレなら・・・出来る!」
自信たっぷりに言うと、リーフは取り付けていたモンスターボールを軽く上に放り上げた。
灰色の小さなポケモンが空中で飛び出し、背中の吸盤でリーフの腕へとくっつく。 かすかな重みを感じると、リーフは反対の手で足元から細い草を引き抜き、上へと放り投げた。
「狙い撃て、ジョー『みずでっぽう』!! ミヤ『れいとうビーム』!!」
急に指示されてあわてた様子のカメールはおろおろと視線をさ迷わせると、一瞬目を細めて宙を舞う細長い葉に向けて水を放った。
とても狙いすまされたとは言えない攻撃だったが、飛ばされた水は宙を舞う葉に当たると軽く弾け、空に小さな虹を作る。
それを見るとリーフは片腕を上げ、腕につけたテッポウオに攻撃の指示を出した。
灰色の冷気は少年の手をかすめると先ほどジョーが撃った草を貫き、細長い氷塊へと変える。
一仕事終えたミヤをモンスターボールの中へと戻すと、リーフは落ちてきた薄い色の煙を発する氷を手に取り、問題にされている鉄の板へと振り返って、笑った。
「冷たい! なに・・・もー、リーフ!」
「マサオ、ミスズと一緒に扉から離れろよ。 体パックリいっても知らないぞ!」
「え、えぇ!? リーフ、まさか『それ』で!? 無茶だよ!!」
そう言いながらも身の危険を感じたマサオはミスズの腰を引いて大急ぎで扉から遠ざかる。
凍りついた葉を握り締める手が赤くなりながらも、リーフは腰を低くして構えた。
目つきが変わる。 「ふっ!」と息を吐きながら長い腕を真横に振ると、高い音が響き、小さな金属の板は景気よくどこかへと弾き飛ばされていく。
自分の前で真一文字に切り裂かれ、轟音を上げながら競り上がっていく扉を見ながら、リーフはにっと笑った。
「じゃ、行くか!」
扉の向こうには、階段が連なっていた。




ニシキが言ったことが信じられず、マサキは自分の耳を疑ってコリコリとかいた。
目が点。 一言で言えばそんな状態。
「・・・嘘なんかじゃありませんよ。」
一応、ニシキは付け加えておいた。 彼自身、リーフが『それ』をやってしまった時はそのまま心臓が止まって倒れるかと思ったほどだ。
傷だらけで、腕も片方折れて、それでも誇らしげに笑いながらやってきた彼を見たとき、自分はなんという少年を相手にしてしまったのだろうと。
「ありえん・・・生身で・・・ポケモンに挑みかかるなんて・・・」
「僕も最初、そう思いましたよ。 でも、その日リーフがあのガラガラのトシを捕まえてきたことは、確かなんです。」
凶暴なポケモンとして知られるガラガラを相手に、ポケモンも持たず1人で・・・考えただけでマサキの唇は震えた。
そんな人物が味方なのならば、心強くもある。 だが、ニシキはそうは思っていないようだった。
ぎゅっと目をつぶると、祈るように両手を組み合わせる。
「彼は、僕ら大人のことを良く思っていません。
 子供とポケモンとだけ付き合い続け・・・僕も、マトモに話してもらえるまで半年以上かかりました。
 心配なんです、もし・・・この戦いでリーフの信じるものが崩れてしまったとき、彼はどうなってしまうのかと・・・」
「子供・・・か。
 ニシキ、オレらって、一体いつ大人になったんやろうなぁ・・・」
空を仰ぐように顔を上げると、マサキの首筋からコキッとホネのすれる音が鳴った。
扉の外を支配する、ロケット団の気配はいまだ消えそうにない。




『迷宮』と呼ぶにふさわしい複雑な道が続いていた。
道がぐねぐね曲がりくねっていて方向感覚は狂うし、前後左右だけにとどまらず階段を使って上下にまで道が伸びている。
見たこともないような階段つきの十字路に突き当たったとき、リーフははぁとため息をついた。
「・・・まいったな、これ全部調べてたら日が暮れるぞ。」
「ね、ねぇ・・・帰ろうよ、リーフ! 出られなくなったら怖いよ。」
赤い服の端を引っ張りながら、マサオが悲鳴に近い声を上げる。
口をとんがらせながら、リーフはぬいぐるみにしがみつくようにした少年を見下ろして腰に手を当てた。
「何だよ、マサオだってこの遺跡の謎調べたいだろ?
 疲れたんならここで待ってろよ、オレがひとっ走り、先の様子見てきてやるからさ。」
「・・・ごめん。」
全く会話に参加していないと思っていたミスズが声を上げ、リーフとマサオは同時に目を見開かせる。
「あたしが歩くの遅いからだよね。 2人ともあたしの速さに合わせてくれてるせいで、時間かかっちゃって・・・
 リーフ、先・・・行ってていいよ。 あたし、マサオと一緒に先に帰ってるから・・・」
「ミスズ・・・」
重くなってしまった空気に、リーフは下唇をかみながらこめかみの辺りをかいた。 自分で吐いたため息すらも誰のものか分からなくなり、マサオの方に目を向ける。
彼も、どう声をかけたらいいか分からない、といった様子だった。
ロクに先の見えない階段の上に視線をさ迷わせ、遠慮がちに足踏みをする。
その足元で何かが光り、リーフは鼻をピクリと動かした。 ライトを動かし、はっきりとその『何か』を認識する。
「・・・マサオ、足どけろ!」
驚いたマサオは『何か』に乗った足をさらに強く踏み込んだ。
それ以上破壊活動(?)が続かないよう彼を持ち上げてどかすと、リーフは床にはめこまれた『何か』に近付き、ライトで照らす。
光を反射する汚れた金属板に目を細めながら口元をゆるませると、振り返ってミスズへと笑いかける。
「・・・点字! ミスズ、これ何て書いてあるんだ?」
「え? え・・・?」
リーフに引かれるままに床にしゃがみこむと、ミスズは規則的に点の打たれた金属板の上に手をはわせた。
表面についた泥を払うと、指先で1個ずつ、点の組み合わせを読み解いていく。
「・・・う、え。 『うえ』って書いてある。」
その答えを聞くと、リーフは唯一上りになっている正面の階段を照らした。
欲しかった玩具を手に入れた子供のような笑みを見せると、きょとんとしているミスズの肩を強く叩く。
「っしゃ! これで先に進めるぞ!
 そうかそうか、考えてみりゃ、昔の人だってライトもなしに真っ暗な中で右とか左とか分かるわけないもんな。
 ミスズ、やっぱお前必要だよ! 一緒に先進もうぜ!」
興奮した声を聞いて、ミスズの頬にぱっと赤みが差す。


「ひ、だ、り・・・左!」
「今度は右だよ。 リーフ、先の道、どんな感じ?」
自分が必要にされていると分かった途端生き生きしだしたミスズに、リーフもマサオも目を丸くするばかりだった。
壁の感触で分かれ道に来たと気付くやいなや、進んで点字のついた板を探しリーフたちに指示を出したり、質問をしたりするほど。
彼女が明るくなったのはいいが、あまりの変わりぶりに戸惑いを隠せないのか、マサオはずっと眉を潜め続けていた。
リーフとしては、この温度差を何とかしたいところではあるが、マサオもマサオであれで頑固なところもある。
解決方法の見つからないまま進み続けてきたとき、ふと、それまでなめらかとまで言えたミスズの手の動きが止まった。
「・・・下?」
小首をかしげたミスズに合わせるようにして、リーフは四方の階段を見渡す。
「下・・・って、どっちだ?」
下りの階段が、ない。 全ての階段は高い上りとなっており、自分たちはオケの底のような、低い場所にいることに気付かされた。
前後左右、均等に作られた部屋は、少し振り返っただけでも方向感覚が狂う。
少し不安にかられだしたリーフは、その場に座り込むと、中身の入っていないモンスターボールを手で転がした。
「行き止まり?」
「そう・・・みたい。」
腕組みをするとリーフは首をかしげ、考えだした。
光も入ってこない、狭い空間。 ストレスもたまってきたのか、マサオの機嫌は最悪的に悪くなっている。
リーフが何か思いつく時間もないまま、マサオは動き出し、床の上にある点字に指をすべらせているミスズの前に立った。
強く抱いたニャースのぬいぐるみに深いシワが寄る。 頼りない懐中電灯に照らされた真っ赤な顔に、リーフは眉を潜めざるを得なかった。
「ねぇ、帰ろうよミスズ! 夜になっちゃうよ!!」
「マサオ・・・? どうして? マサオだって『てんのあな』に行くの楽しみにしてたよね?」
「とにかく帰る! ねぇ・・・」
「・・・マサオ、じゃあ後1つ進んでからにしないか?」
提案するように1本指を立てると、リーフは向かい合う2人の方にライトを向け、微笑んだ。
不思議そうな顔をするミスズと、信じられないといった顔をしたマサオが対照的にリーフの目に映る。
「何言って・・・だって、先に進めないんでしょ!?」
「見つけた、道。」
ライトを持った手を下ろしてゆっくりと歩くと、リーフはミスズとマサオに1歩ずつ下がらせ、部屋の中央にある点字の書かれた金属の板に触れる。
自分の手元に光を当てながらひざまずき、ぐっと手を押し込むと、金属の板は石造りの床に沈みこみ、暗い地面の奥底へと消えていく。
静かに鳴り出した低い音が段々と大きくなっていった。
揺れながらゆっくりと穴を開いていく床を見つめ、息を呑んで、リーフは笑う。
「ほら、下への道だ。」
大きく開いた穴を見てリーフがそう言うと、なぜか悔しそうにマサオは唇をかんだ。
階段はない。 ライトで下を照らし、下にある部屋との距離を確認すると、リーフは軽く肩を回した。
「ミスズ、下まで3メートルくらい。 飛び降りるからしっかりつかまってろよ。
 マサオ、受け止めてやるから上から飛び降りてこい。 出来るよな?」
何か言おうとしたマサオをさえぎり、リーフはミスズを抱え、穴から飛び降りた。
小さく悲鳴が上がり、1秒としないうちに2本の足が床へとたどり着く。
深くしゃがみ込んで衝撃を吸収すると、ミスズを床の上に降ろし、部屋の中へとライトを向ける。
それほど広くはない部屋に似合わないほどの立派な台座。 その上で澄んだ青い光を放つ石を見つけ、リーフは息を呑んだ。
きっとこれが、ニシキの言っていたサファイアに違いない。
にんまりと笑うとリーフは今度は上になった穴に目を向けた。
「いいぞ、降りてこいよ!」
どこから落ちてきてもいいようにひざを軽くほぐすと、そう言った。
だが、10秒経ち、20秒経ち、1分経っても、マサオは一向に降りてくる様子がない。
それどころか、返事すら返ってくる様子がない。 少し不安になり、リーフは軽く眉を潜めると肩に乗せたネイティに指示を出した。
「ウズ、ちょっと行ってマサオの様子見てこいよ。」
小さくうなずくとウズと呼ばれたネイティは短い羽を羽ばたかせて穴としか言えない道を逆走し、上の階へと戻っていく。
真っ暗な部屋の中で小さく息をつきながらリーフが待ち構えていると、突如として何かが打ち付けられるような音が鳴り、足元で大きな音が鳴った。
明らかにマサオが落ちてきた音とは違う。



「リーフ! 何かいる!!」
ミスズの警告は一瞬遅れていた。
真上から降りかかってきた固い爪のようなものに襲われ、リーフは床の上を2、3度転がる。
衝撃で取り落としたライトから、明かりが消えた。
「くそっ! ウズ、『サイコキネシス』!!」
視界の利かない中、足元に手をはわせるとリーフの指が何か小さなものに触れる。
出された指示がウズに聞こえているのかも定かではなかった。
指先に触れたものをポケットへとしまうと、リーフはどこにいるかも分からない2人へと向かって大きく口を開く。
「ミスズ! マサオ! 相手につかまったらすぐ大声を上げろ!
 それまではその場でじっとして、なるべく音を立てるなよ!」
そう言う間にも、リーフの腕に熱い1本の線が引かれていった。
顔をしかめながら走り出すと、5歩と進まないうちに何かがリーフの足にひっかかり、彼を大きく転倒させる。
すりむいた鼻を気づかう余裕もなく、落ちているそれの形を確認すると、リーフはポケットに入れていた『何か』と照らし合わせ、1つの考えを導き出した。
「・・・懐中電灯・・・? じゃあ、こっちのちっこいのは電池か。
 っし! これで何とか戦えるな。」
すぐに右手の電池を懐中電灯の中に放り込むと、リーフはスイッチを入れ直し部屋の中を照らした。
邪魔をしようと飛びかかってきた相手の羽音に気付くと、すぐに方向を変え、持っている光を相手の顔へと向ける。
闇に目が慣れきっていたせいか、黒い鳥ポケモンはギャッと悲鳴を上げ、一目散に逃げ出した。
口元に笑みを浮かべると、リーフは再度部屋の中へと光を向ける。
出入り口である穴の真下にいる黒装束の男を見つけると、ライトを持つ手にチカラを込め、少しだけ鼻息を荒くする。
「卑怯なんだよ、影からコソコソ狙い撃つようなマネしやがって。」
「卑怯! それは素晴らしいほめ言葉ですね。 ありがたく受け取っておきましょう。」
男の顔を見ると、リーフは苦虫を噛み潰したような顔をした。
あからさまなまでにロケット団の服装だが、顔は、昼間出会ったあの研究員たちの1人だ。
もし、ミスズの目が見えていたなら、そのギラギラした目におびえていたかもしれない。
ロケット団は、ホルダーからモンスターボールを取り出すとそれを足元へと放ってみせる。
飛び出したサンドパンは茶色いトゲをかさかさと震わせ、リーフのことを威嚇した。
「いいのか? ダブルバトルは相当集中しないと指示が追いつかないぜ?」
「・・・お気楽な人だ。 我々がこのような場所に単独で入るなんてこと、あり得ませんよ。」
男が小さく息を吐いてリーフを指差すと、大きな音が部屋中に響き渡った。
リーフの出したトシと、相手のサンドパンの爪が交差し、ギリギリと音を立てる。
トシは手に持った大きく振り相手の爪を振り払うと、接近してきた黒い鳥ヤミカラスを威嚇し、自分へと近付かせないよう睨み付ける。
サンドパンが飛ばしてきた『どくばり』を打ち落とすとトシは大きく振りかぶって『ホネブーメラン』を放った。
太い骨が茶色いポケモンの後頭部を直撃する。 脳を揺さぶられたのかほとんど動けなくなったサンドパンを見てリーフが笑うと、なぜか、ロケット団も不気味に微笑んだ。
「これが、ダブルバトル? 2対1としか思えない状況ですが?」
「いるよ、お前の後ろに。」




軽くこぶしを握った瞬間、わずかに動き出したサンドパンが前へと吹っ飛び、モンスターボールの姿へと変わる。
驚く間もなく、部屋の中を飛び回っていたヤミカラスも目に見えないチカラに叩き落され、床をはねた。
小さな爪の音に、ロケット団の目が見開かれる。 軽く悲鳴を上げたミスズのひざに、その攻撃をしかけたネイティは乗っていた。
「バカな、ヤミカラスにエスパータイプの技は効かないはず・・・!
 一体・・・一体何を!?」
「ひーみーつ。」
人差し指を口の前で立てると、リーフは好戦的な瞳で相手を睨む。
捕まえて警察にでも引きずり出そうと指示を出す手を上げたとき、突然天井の穴から白い何かが降ってきてリーフに向かって攻撃を仕掛けてきた。
はっきりした攻撃ではなかったが、目の前で打ち鳴らされた音と風に、リーフは一瞬目をつぶる。
そのスキに鳴ったカチリという音を聞いて、息が止まったような状態のまま、彼の動きは停止した。
「・・・だから、帰ろうって何度も言ったのに。
 いっつもいっつも、リーフは人の言うこと聞かないよね、ニャー?」
手に取った青い宝石を宙に放りながら、その少年は呆れたような声で降りてきたニャースへと話しかける。
「・・・マサオ? お前、何やって・・・」
冷たい目に、背筋が凍りつく思いをした。
見知ったはずの彼は、汚いものでも見るかのような目つきでリーフのことを見ると、とても子供とは思えない声で口を開く。
「ワタリの言うとおり、キミって本当にお気楽だね。
 利用してたんだよ、最初から。 ポケモンの腕もあるリーフとなら、島中どこへでも行かれたからね。」
リーフの動きが止まる。
それまでずっと一緒に動き続けていたマサオと、その手に持ったサファイアを交互に見比べ、時折何か言おうと口を開きもするが、声は出てこない。
しなやかに歩くニャースと、よろめきながら羽ばたくヤミカラスを自分の側へと近づけると、マサオはリーフに背を向けて淡々と喋り続けた。
「好都合だったよ。 リーフはナナシマの自然を愛していたし、キミが嫌っている大人たちからは、信用もあった。
 誰もボクたちのことを疑わなかったんだ。
 それに・・・ふふ、リーフはバカみたいにボクたちのことを信じていたしね。」
冷たい笑みを見せピクリと動いたマサオの眉に、リーフの中で何かが崩れる音が響いた。
まるでそうしろと命じられた機械のように腕を振ると、トシがマサオの連れているポケモン目掛け太い骨を振り下ろす。
ヤミカラスの放った緑色の板でそれを受け止めると、マサオはふっと息を吐き、1歩ずつ前へと動いた。
「バトル? いいよ、どうせリーフの方が強いし、経験もあるし、勝つんだろうね。
 そしてボクらロケット団を監獄に送り込んで、めでたしめでたしだ。 キミはキミの嫌っている大人たちから、ますます深い信頼を得ることになるだろうね。」
「何で・・・何でなんだよ、マサオ!!
 オレたち仲間だろ!? どうして・・・ッ!」
「『何で』? 『どうして』? ・・・おかしいね、リーフ。 キミが特に嫌ってた言葉じゃないか。
 仲間なら、余計な詮索はしないんじゃなかったの? 混乱して、自分のルールも忘れちゃったのかな?」
宙をさ迷っていた手が細かく震え、チカラなく体の横にたれた。
足音が2つ分響き、恐らく出口として作られたのであろう階段をゆっくりと上っていく。
何も言うことが出来ず、何もすることが出来ず、リーフはうつむいたまま、ただ彼らの足音だけを聞き流していた。
かすかに響く足音も聞こえなくなってきた頃、ミスズはそっと、床の上に手をはわせ、リーフの居場所を探る。
方向も分からず、1度頭を壁にぶつけた後、小さな鳥に指先が触れた。
1歩だけ飛ぶと、小さな鳥はその場で止まり、少年の場所を探る彼女をじっと見つめる。
少女の指が自分に触れると、また、1歩。 そのポケモンが自分を誘導しているのだと彼女が気付いたのは、その時だった。




ドロだらけになったミスズの指が鼻先に触れると、ようやくリーフは小さな動きを見せた。
ぼんやりした目で彼女のことを見つめ、深く、息を吐く。
「リーフ・・・」
「うるさい。」
つぶやくように言うと、リーフはミスズから顔をそむけた。
絞るような息づかいがこだまし、切れた腕から流れた血が、さびた鉄の匂いとなって2人の鼻をつく。
ミスズは、少しすりむいた指先をなめると、うつむき、どこにいるか分からなくなりかけたリーフへと向かって話しかける。
「リーフ・・・あたし、嬉しかったんだよ。 リーフが仲間に入れてくれて。
 目が見えないせいで、走ったり出来なかったし、綺麗なものを見ても何も感じることも出来ない。 友達、全然出来なかったあたしを、リーフは、何も聞かずに迎えてくれて・・・
 ちょっと無茶なとこもあるけど、色んなとこ連れてってくれて・・・景色なんて分からないのに。 けど、それがすごく嬉しかった。
 だから、リーフ・・・」
「・・・信じてたんだ。」
小さくつぶやいたリーフの言葉に、ミスズは顔を上げた。
「ミスズのことも、マサオのことも、オレは心から信じてた!!
 なのに、また裏切られたんだ!! 本気で信じてたのに・・・また・・・!」
何か言いかけたリーフの頬に、鈍い痛みが走った。
言葉も出ず、正面を向く。 転がったライトの光に照らされて、こぶしを握ったガラガラはまぶしそうにリーフのことを見つめていた。
ジリジリと痛むほおを押さえながらうつむくと、リーフは立ち上がった。


「帰ろうか。」
歩き出すトシがかつぐホネに、ネイティのウズがちょこんと乗っかった。
リーフはミスズの手を引き、出口に向かう階段を1歩ずつ上る。
背にした石造りの部屋には、何も残されていなかった。