その日、いつも以上に朝早く目が覚めて、体からずり落ちたケットのことに気付いても、リーフはそれを取りに行こうとしなかった。
海では朝食を求める鳥たちの鳴き声が響き、沖から帰ってきた船がかすかに鼓膜を震わせる。
窓から差し込む光は徐々に角度を変え、リーフの背中を熱く焦がしていく。
眠ろうとしても眠れず、ベッドに伏せたままヤドンも動き出す時間も過ぎた頃、しずかに、そしてはっきりと部屋の扉が叩かれた。
返事をする気力もなく眠ったフリをしていると、ノックの主はリーフの了承を得ないまま部屋へと侵入し、勝手にベッドの上に腰掛けた。
「リーフ。 起きろよ、今日は海も
レッドの声が聞こえ、背中を軽く叩かれた。
相手の方に視線も向けず、リーフはベッドに伏せたままつぶやくように声を出した。
「・・・ほっといてくれよ。」
「ほっとけないから、来たんだよ。 ほら、起きろよ。 カラダ弱っちまうぞ。」
嫌がるリーフを無理矢理起こすと、レッドは彼を自分の隣へと座らせた。
無気力にうなだれるリーフの背中を抱えるようにしながら、レッドは彼の背中を叩く。
「ミスズって子に話は聞いた。 仲間、遠くに行っちまったんだってな。」
「・・・何も知らないくせに。」
「聞かなきゃわかんねーな。 オレ、人の頭ン中読んだりできねーし。」
ギシリと音を立てると、レッドは指の関節をポキポキと鳴らす。
また自分の方を向こうとしないリーフを見ると、暖かい手を
「話、しよーぜ。」
泣きそうな顔でレッドの手を払いのけると、リーフは落ちていたケットをつかみ、その中に逃げ込んだ。
暑かろうに、息苦しさもあるだろうに、動こうとしない彼を見て眉を上げると、レッドは自分の場所をベッドの上から、部屋に置かれたイスの上へと移動させる。
ポケットから赤い箱を取り出し、フタを開けたり閉めたりしながら、変わらぬ口調で話す。
「ファイアさ、見つかったんだ。」
レッドがそう言うと、かすかにシーツが動いた。
「２の島の、お前んとこの道場に１人で行ったみたいだ。
きっと、何か思うところがあったんだろうな。 あいつが、自分からどっかに行くのなんて初めてのことだよ。
ついこないだまで、人の後ろちょこちょこついて回る、ヒナみたいな子だと思ってたんだけどなぁ・・・」
「子供が、大人の思うまんまの姿でいるなんて思うなよ。」
息苦しさも手伝って、リーフは包まったケットから顔を出した。
ちらりと、レッドの方へと目を向けると、何も言わず苦笑しているのがわかる。
またあの暑苦しい場所に戻るのも嫌で、枕を抱くと、レッドは何も言わず彼の言葉を待っていた。
相手の思うままになるものかとリーフはレッドが出て行くまで無言を貫き通すつもりでいたが、どれだけ時間が経っても、レッドはその場から動こうとしない。
時折、外の景色に目を向ける以外はイスから立ち上がることもなく、ただじっと、その場で座っている。
耐え切れなくなった。 リーフが喋りださない限り、彼はどちらかが倒れるまでその根競べを続けるつもりなのだ。
「・・・大人って、嫌いだ。」
「初めて会ったときも、そんなこと言ってたな。」
急かさないよう、レッドはゆっくり喋る。
寝転がったままだったが、気分も落ち着いてきたのか、それとも諦めたのか、次の言葉までにそれほど時間は要さなかった。
「自分の都合ばっかりで、ヒマな時じゃないと人の話も聞きやしない。 オレ、何度も説得したんだぜ？
今のレッドよりずっと長い時間かけて、何度も何度も・・・ なのに・・・また、壊れた。」
「・・・わかるよ。」
「何が！」
「お前は、悪くない。」
跳ね起きたリーフをしっかりと見つめ、レッドははっきりと言った。
「確かに、大人は身勝手で、ジコチューで、子供の言いたいこと何も聞いてくれやしないしな。」
レッドが立ち上がると、こり固まったヒザがパキパキと音を鳴らした。
座ったリーフがまた横にならないよう背中に手を回すと、抱きしめるように腕を回して、とんとんと軽く頭を叩く。
「気持ち悪ぃ、何してんだよ。」
「大人の仕事。」
余計なことをするな、と、腕を振り払うと、リーフはいぶかしんだ表情でレッドを見上げる。
「あんた・・・大人？」
「年は、な。」
レッドは苦笑した。
「年食うとさ、気付かないうちに周りに『大人になれ』って求められてんだ。
それが、仲間や、友達に頼られてて嬉しいときもあるし、お前が言うみたいに身勝手な大人から好き勝手言われることもあって・・・
・・・まぁ、なんつーのかな。 オレみたいのでも、トレーナー・ポリス入っちゃうんだぜ？ 笑っちまうだろ？
いつのまにかさ、変わってるんだよな。 オレの周りで・・・世界がぐるぐる。」
自分の体の前で両手の指をぐるぐると回して見せたレッドを見て、リーフは彼から目をそらした。
再び、沈黙の時間が続く。
寝ぐせのついた髪に触れると、リーフは口をとがらせ、遊ばせていた手をひざに置いた。
「・・・リーダー。」
自分のことを初めて役名で呼ばれたことに対して驚き、レッドは目を見開かせる。
相変わらず目を合わせようともしなかったが、今度ははっきりと、彼、リーフは相手へと向かって話していた。
「言ってなかったことがあるんだ。
２週間くらい前、４の島でロケット団と戦ったとき・・・オレ、見てた。 子供のロケット団。
ヘルガーを使って、他の団員たちより少し離れたところでデオキシスと戦ってた。
そいつ、マサオと同じくらいの年頃で、言ったら・・・あいつが、疑われるんじゃないかと思って・・・つっても・・・同じ、ことだよな。 マサオのやつ、ロケット団だったんだから・・・」
「その・・・子供のロケット団に、見覚えはなかったんだな？」
小さくうなずいたリーフを見て、レッドは少し考え込むようなポーズを取った。
「・・・そのこと、グリーンとブルーにも言っていいか？」
「もう、意味ねーし。」
「オレたちにはあるんだよ。」
メモを取り出すと、レッドはその上にボールペンで文字を走らせる。
ぼぉっとした瞳でその様子を見ていると、不意にレッドは振り向き、リーフに向かって微笑した。
今しがた何かを書いた紙を渡し、ほとんどチカラの入っていない手を握る。
「明日は海が荒れるらしいから、月曜。 この場所に行って、会ってきてほしい奴がいるんだ。 細かいことは紙に書いておいたから。
ブルーは本調子じゃねーし、グリーンだけじゃ不安だし・・・
リーフ、まだお前のチカラが必要なんだ。 もうちょっとだけ、頑張ってもらえねーか？」
四つ折にされた紙を開くと、リーフはしゃがみ込んで自分を見上げるレッドに視線を合わせた。
「・・・『７の島』だったら、今日の夕方からでも船が出てるぞ。」
「今日はまだ、ぐちゃぐちゃに整理がつかないだろ？
まとめて休みってことにしとくから、今のうちにガス抜いておけよ。」
憑き物でも払うかのように軽くリーフの背中を叩くと、レッドは体中の骨をポキポキ鳴らしながら部屋の外へと出て行った。
１人になった部屋は風の音も聞こえず、ただ、静かで、リーフは着替えることもせず、チカラが抜けたように壁に寄りかかる。
開かれたままひざに置かれた紙の文字が、１つ、にじんだ。
ポケットにしまったポケギアがチカチカと光り、グリーンはチッと舌打ちした。
先導するブルーに立ち止まるよう言い、点滅を続けるそれを引っ張り出す。
「・・・この、宇宙天文学的単細胞！！ 作戦中と知ってかけてくるバカがいるか！？」
わんわんと部屋中に響く声に、ブルーは耳をふさいだ。
はぁとため息をつくと、グリーンはポケギアを持ち直す。
相手の話を聞き、辺りを見渡した。 空の
「あぁ、もぬけの殻だ。 一応警戒してるが、この分じゃロケット団どころか、手がかり１個つかめるかどうか・・・
ん？ あぁ・・・」
立ち止まるとグリーンは相手の話にしばし耳をかたむけ、やがて、眉を潜める。
「細かい説明めんどくさいから、信じろ。」
受話器の向こう側へとそう言うと、相手はますます間の抜けた声をあげた。
ただ電話するだけで立っていられないほど体力の落ちた自分に、信じられない気持ちもあった。
それを考えていられる状況でもないので、とにかく淡々と、ブルーをまねるようにレッドは言葉を続けるのだが。
「リーフが見たロケット団の中に、子供が混じってたらしいんだ。
ここに来るまで全然動いてなかったロケット団が、どうやって人を集めたのかとか、疑問はあるけど、
１個、思いついたことがある。」
言葉のはっきりしなくなってきた彼に、グリーンは返事を催促した。
だが、息が上がり、とても話していられる状況ではない。
ずるずると電話台にしがみつくように落ちていくと、レッドは誰かに腕をつかまれ、支えられる。
見上げた先に目の下を赤くした少年の姿を見ると、少しだけ微笑んで、Ｄ．Ｄのリーダーは受話器を握りなおした。
「わり、限界みたいだ。 グリーン、今言ったことブルーに言ってみろよ、あいつなら何か思いつくこと、あるだろ。」
「あ、おぃ！？」
唐突に切れた電話に、グリーンは混乱した面持ちでポケギアを見つめていた。
それほど辛くもないのか、それとも無理をしているのか、壁に寄りかかりもせず話が終わるのを待っていたブルーが軽く動き出す。
「リーダー、何て？」
「何か・・・子供のロケット団がいるとか言って・・・何言ってんだ、あいつ？」
元のポケットにポケギアをしまいながら、グリーンは首をかしげる。
「ロケット団同士が結婚でもしたのかしら？」
「ばかばかしい！ そんな愛と平和の集団じゃねーだろ、あいつらは。
それより、さっさとこの中調べて帰ろうぜ。 どうせ何も出てこないだろうし・・・」
「でも作戦中にかけてくるくらいだから、きっと何か意味が・・・」
「あ〜、ないない。 学校のテストで、解答欄に落書きするような奴だぞ？ あいつは。」
グリーンはしっしと手を振った。 体を揺らすように１歩歩いてから、立ち止まる。
ずいぶん離れているはずのブルーの足音が聞こえてこなかったからだ。
また、彼女の悪いクセだ。 振り返ると、グリーンはため息をついた。
１度考えだすと周りが全く見えなくなる。 そのせいでトラブルが起きたことなど、１度や２度じゃない。
「ほら、行くぞ。 遅くなるとあのじいさんうるさいだろうが。」
自分が所有している倉庫が変な集団に占拠された、と騒いでいた島の老人のことを思い出し、グリーンはまた気が重くなった。
だが、言ってもブルーは動かない。 ため息混じりに首を横に振り、彼女を無理矢理でも連れて行こうと歩きかけたとき、彼女は口を開いた。
「グリーン、ここは・・・ナナシマよね。」
何を言っているんだという顔をしたグリーンに、ブルーは顔を上げる。
「あなたたちの話では、４の島に来てたロケット団は２０人を超していたのよね。
陸から切り離された孤島で、どうやってそれだけの人数が潜み、生き延びていたのかしら？
島の人たちの話では、怪しい人間はいなかったのよね。」
「あぁ、親子連れの観光客しか見ないって・・・あ・・・！」
頭をよぎった考えに動きを止めたグリーンとは対称的に、今度はブルーが動き出した。
どこか仕方なくという感じもあった先ほどとは違い、はっきりと、ロケット団の手がかりを探し家捜しを続ける。
「・・・許せない、自分たちの隠れミノに何の罪も無い子供たちを使うなんて・・・！！」
ぎゅ、と、指先を固くすぼめたブルーを横目に、グリーンはまだ調べていないはずの扉へと手をかけた。
確かに、相手が子供を抱え込んでいるとなると厄介だ。 下手に手を上げることも出来なくなるし、人質にでもとられたら自分たち３人じゃ手の打ちようがなくなる。
笑えない事態が頭をよぎり、頭を振ってそれを否定すると、ふと、グリーンは部屋へ踏み込みかけた足を止めた。
この部屋だけ、他と様子が違う。 眉を潜めながら、グリーンはブルーのことを呼ぶ。
「・・・ブルー。」
「なに？」
「この部屋・・・」
首をかしげながら、ブルーはグリーンのうながすまま、その部屋の中へと足を踏み入れた。
数歩もしないうちに彼女の足は止まり、銀色の目が見開かれる。
かすかに『ろう』の匂いがする部屋は、片付けが間に合わなかったのか、人がいたという証拠がはっきりと残されたままだった。
「・・・レッドの話がなければ、『倉庫にロケット団がいたという痕跡は残されていなかった』で済ますとこなんだけどな。」
内鍵しかついていないノブをガチャガチャと回しながら、グリーンはため息混じりにそう言った。
目をこすってみても、事実は変わらない。 コンクリート張りの倉庫の中、その部屋だけが暖かい色の壁紙が貼られ、床には寒くないようご丁寧に床と離した状態でじゅうたんが敷かれている。
「まるで、保育園ね。」
置き去りにされたおもちゃを拾い上げながら、ブルーはつぶやいた。
どう考えても閉じ込められていたようには見えない。 ボロボロになるまで使い込まれたぬいぐるみを見て、彼女はため息をつく。
クレヨンで描かれた壁の落書きを指でなぞるブルーを横目に、グリーンは足元に落ちていた長い髪の毛に気付き、それを拾い上げた。
誰かに踏まれ、じゅうたんに食い込んでいた細くて長い、栗色の毛。 恐らく、ファイアのものだろう。
そのことを伝えようとブルーの方へと顔を向けると、色白な彼女の肌が、ひどく青ざめていることに気付いた。
『誰か』の絵に書かれた下手くそな文字を見ながら、小刻みに震えている。
「ちょぉ〜っと、リラ！ 聞いてる？」
耳からイヤホンを引っこ抜かれると、痛そうに顔をしかめて少年は自分を怒鳴りつけた相手に目を向けた。
「いいとこだったのに・・・」
「会議中！」
しぶしぶといった様子でイヤホンをもう片方の耳からも外すと、集まった７人の面々に顔を向け、クスッと笑いをもらす。
ヒースが露骨に嫌な顔をしてみせる。 それでも彼は、それを気にする様子もなく言ってのけた。
「一応聞いてたけどさ、話全然進んでないよね？
ブレーンの立場を任されているっていっても、たかがアミューズメントなんだし、別に気にすることないんじゃないの？
いつかは負けて当たり前なんだから、チャレンジャーの１人２人・・・」
「ふんっ、『才能』のある人は言うことが違うね！
『いつか負けて当たり前』？ そういう自分は一敗もしたことがないくせに。」
「負けていることが問題ではない。 その女が、このバトルフロンティアに探りを入れているという事実が、問題になっているんだ。」
隠す様子もなくトゲのある言葉をぶつけたヒースをさえぎるように、ジンダイが言葉を継ぎ、状況をまとめる。
名残惜しそうに大音量を上げるラジオの電源を切ると、リラと呼ばれた少年は頬杖をついた。
闇に隠れるようだったアザミの顔が、軽く揺れる。
「・・・法に任せておけばいいじゃない。 不安なら、捕まえてしまえばどう？」
「無理だ。 建造物侵入はおろか、自分のポケモンを忍び込ませた様子もない。
データがハッキングされていることを証明出来るなら別だが、今の段階で捕まえる・・・というのは不可能だろう。」
そう答えるのは、バトルファクトリーのダツラ。
最年長であり、バトルパレスを任されているウコンは自分の長いヒゲをなでまわしている。
バトルアリーナのキャプテンを名乗るコゴミという女は、何かを思いついたように人差し指を突き出した。
「ねぇねぇ、いっそあの女ラチっちゃうってのはどーお？
向こうの動きに惑わされてオロオロしてるのも、めんどくさいしムカつくっしょ？」
「バカか、そんなことしたらあっという間に警察がきてこのバトルフロンティアごと取り調べられるだろうが。」
ダツラの言葉に、コゴミはつまらなそうに舌を出した。
考えるのが面倒くさくなってきたのか、適当なところに座ると彼女はくるくると巻かれた髪を指ですく。
黙って話を聞いていたのかと思いきや、寝息の聞こえ始めたウコンを横目に見てリラはため息をつく。
イスを鳴らして立ち上がると彼は、話し合いとは違う刺激を求めて外へと続く扉へと手をかけた。
「どこ行くの、リラ？」
「外の方が面白そうなんだ。」
簡潔に答えると、クスリと音を立ててアザミが笑った。
「同感。」
重い音を立てて、部屋と外とをつなぐ小さな扉は閉じられた。
５人に減ったフロンティアブレーンたちは、あまり面白くなさそうな表情で外の世界へと、目を向ける。
新着メール １件
サファイアはメール画面の前で停止していた。
仕事のメールじゃない。 脅迫文・・・と、言った方が近い気がしていた。
さっさと削除してなかったことにしようとしたが、考え直し、もう１度ゴミ箱からメールを拾って開いてみる。
招待状
ポケモンリーグチャンピオン、サファイア様。
突然のメール、失礼します。
このたび、あなたをポケモントレーナー最高の施設『バトルフロンティア』に招待することが決定致しました！
７つの建物で、あなたのトレーナーとしての様々な能力が試されます。
普段とは一味違う、様々な趣向をこらしたポケモンバトルをお楽しみ下さい。
貴仁様同様、我々はあなたを歓迎致します。
株式会社バトルフロンティア 総取締役
帽子を外した下の頭を、サファイアはボリボリとかいた。
「・・・あの、どアホ・・・」
ため息をつくと、サファイアは階下を見下ろした。
母親に相談して・・・いやいや、相手にしてくれそうにない。 父親に相談・・・もっとダメだ、もうすぐ学会だと言っていたのに弟が誘拐されたなんて言われたら、錯乱してとんでもないことになるかもしれない。
相談相手もいない自分の境遇を呪いつつ、サファイアは立ち上がると机の中を探り出した。
いつだったかハギ老人から送られてきた、連絡線タイムドリップ号のチケット。
どうせホエルオーのダイダイに乗せていってもらえるからと使う予定のなかったそれを真新しいリュックに突っ込むと、サファイアは１年前、自分がそうしていたように旅の荷物をまとめ始めた。
文句混じりの出発は、あの時と同じだ。
そう思うと、苦笑がもれた。