「起きなさい。 私はあなたに寝ていいと言った覚えはありませんよ。」
前髪を強く引かれ、マサキは思わず顔をゆがめる。
見たくもない顔が見上げるとそこにあり、睨み付けるように寝起きの目は怒りの色を持った。
昨夜殴られた口角の傷から鉄の味がする。
それでも彼がロケット団という戦意を削るような相手を睨むことが出来るのは、1度戦った経験・・・自分を失いそうになったとき、救ってくれた少年たちのことをしっかり覚えていたからだった。
黒い髪をしたロケット団の幹部は、冷徹な微笑を浮かべるとマサキの肩に爪を立てる。
「なぜ怒るのですか? 私たちがいなくとも通信システムの強化はするつもりだったのでしょう?」
「・・・どういうつもりや。 いきなり乗り込んできてナナシマの通信システムを強化しろなんて・・・
お前ら、一体何が目的なんや?」
「それを知ったところで、あなた方には何の関係もないでしょう?
夏休みの宿題は急いで片付けた方がいいですよ。 ・・・ふふ、お友達と遊べる時間が少なくなってしまいますからねぇ・・・」
別室に連れて行かれたニシキの姿が脳裏をかすめ、マサキは奥歯を噛み締めた。
透明なケースにしまい込まれた『ルビー』と『サファイア』を叩き壊してしまいたい衝動に駆られる。
この2つがしっかりと働いているため、「エネルギーが足りない」などと言い訳が出来ないせいだ。
憎しみすらあるロケット団に協力せざるを得ない状況と、見張りの視線からくるストレスで胃がキリキリと痛む。
心が折れそうだ。 いっそ大暴れして自分もろとも相手の邪魔をしてやろうかという考えすら浮かび、慌ててマサキは頭を横に振った。
そんなことすればニシキに何をされるか分かったものじゃないし、作りかけのシステムは今自分の見張りについている男が完成させてしまうだろう。
1度システムを全て消去しようと指示されたのと別のプログラムを組んでいたとき、それに気がついて口の横に傷をつけたのは、その男なのだから。
「・・・警察は何してるんや・・・!」
モニターに向かいながらマサキは腹から絞り出すようにかすれた声を出す。
この状況で正常に稼動していられるポケモンセンターが信じられない。 1度警察官が立ち寄る姿も窓から見えたのに、何も怪しむことなく駐在所へと帰ってしまった。
職員に変装したロケット団と、それを怪しむことなく笑顔で接する小さなトレーナーたちの顔を思い浮かべ、マサキは顔をゆがめた。
その気になれば子供たちを人質に取られる可能性もあるのだ。 自分1人逆らうだけで連鎖的に悪い状況が重なっていく様を想像して、背筋が寒くなる。
フッと絞るような息を吐き出したとき、部屋の扉が2回、やや乱暴にノックされる音が響く。
目の端を上げると、マサキの側についていたロケット団の男は扉へと近寄り、鍵とノブを開けた。
途端、開いた扉の端から太いロープのようなものが伸びてきて、男の体を締め上げる。
「なっ・・・!?」
もう1人の見張りがすぐさま自分のポケモンを呼び出し相手へと殴りかかろうと試みる。
だが、その手が届く前に細い棒が顔の横に当たり、彼はそのまま気絶してずるずると床の上に倒れこんだ。
ずかずかと部屋に上がりこんできた男は、倒れたロケット団員を見るとポリポリと頬をかく。
「あ、あらら〜・・・やり過ぎちったかな? どうも加減とか分かんねーんだよな・・・」
「お、お前は・・・!」
「レッド!」
マサキの呼ぶ声にニッと笑って応えると、赤い服を着た男は左手をひゅっと音を鳴らして前に振った。
それに合わせて廊下を占拠するフシギバナのツルが叩きつけられる。 体ごと脳を揺さぶられ、縛り付けられたロケット団の意識が持つはずもない。 そのまま完全に気絶したのを見ると、レッドは背後のポケモンに締め付けるのを止めるよう指示を出し、本物のロープで部屋にいたロケット団2人をしばった。
「こいつら前にマサキん家襲った奴らだよな。 何でいんの?
つか、マサキ、お前ヒドイ顔してんじゃねーか。 一体何やってたんだよ?」
切羽詰った状況で笑い混じりに話す青年を見て、マサキはようやく自分が助かったのだということを実感した。
へなへなと足からチカラが抜け床に座り込む。
ロケット団が乗り込んできたときと同じように、ポケモンセンターの中は平穏を保ち、特に騒ぎらしい音も聞こえない。
入り口を見張っていたロケット団を殴り倒した木刀で肩をトントンと叩くと、レッドは腰に手を当てつつマサキへと向き直った。
「なんか遅くなっちまったみたいでわりーな。
グリーンの奴が「同じD.Dの仕事してるのにポケモンネットワークセンターの方から何の連絡もないのはおかしい」とか言うからさ、オレもおかしいとは思ってたのな。
けど、あいつらときたらさー、オレがいねーとなーんも出来ねーでやんの!
敵の規模がどうだとか、背後から襲撃されたらどうだとか、権利関係がどうの状況が何だって・・・んな面倒くせーことやってられるかっつーの!
けどビビッたな。 マジでロケット団だし。
話には聞いちゃいたけど、ホントにいるとは思わなかったよ・・・」
「・・・せや! ニシキ!! あいつは無事なんか!?」
「おーちーつけって! 反対側の部屋にいたからブルーが助けに向かったよ。
他の奴らも多分グリーンにやられてる頃じゃねーかな? あいつの方がこそこそやるっつーのは得意だしさ。」
「誰がこそこそだ!」
「あいたっ!」
背後から殴られ、レッドは後頭部を押さえてうずくまった。
後ろで握りこぶしを作っているグリーンは鼻息も荒く、額に汗がにじみ、ここに来るまで相当な苦労を強いられたことが感じられる。
「ハハ・・・変わらんなぁ、2人とも・・・」
「マサキこそ! あれから8年も経ってんだから相当なおっさんになってると思ってたよ。
つか、
迷うことなく差し出された手を、マサキは握り返す。
「かめへんって! 一緒に危ないとこ潜り抜けた仲やないか!
信じてたでレッド! あんさんなら絶対助けに来てくれるってな!」
目の前で展開されるベタな友情物語にグリーンはやれやれと肩をすくめた。
使っていたモンスターボールを持ち直す。 ぐるっと円になるよう廊下で囲まれていた館内を1周してきたが、最初にニシキを救出するために残ったブルーもそろそろ手伝わなくてはならない。
妙な責任感でグリーンが部屋を出ると、騒ぎにならないよう出来るだけ静かにしていたはずのセンター内に激しく、何かを叩きつけるような音が響く。
思わず体を震わせ、グリーンは音の元へと走る。 モンスターボールを片手に。
応援として来たロケット団との交戦が1番の心配事ではあったが、その場所に辿り着いたとき目の前にあった光景は彼の想像を超えていた。
普段大人しいブルーが捕らえたロケット団の胸ぐらをつかんで、物凄い形相で睨み付けている。
近くにあった床のへこみから先ほどの音も彼女が出したものだということが分かる。 思わず壁を背にして気配を潜め、グリーンは中の様子をうかがった。
相手の心に恐怖という感情が浮かんでいることをブルーは知っていた。
自分がやっていることが違法であるということも。 知らずにいたら、どれだけ気がラクだったろうと一瞬だけ考え、すぐにその考えを打ち消す。
罪は罪、しっかりと認識していなくてはならない。 眉を吊り上げるとブルーはロケット団へと向かってもう1度同じ質問を繰り返す。
「もう1度聞くわ。 あなたたちのボスの名前を言いなさい。
さもなくば今の攻撃、今度はあなた自身に当てるわよ!」
しばられたロケット団員はひくっと喉を鳴らした。
床のタイルを粉々に砕いたのにも関わらず、攻撃したカメックスのこぶしには傷1つついていない。
言わなければ、本当に彼女は自分を攻撃するかもしれない。 そう思いつつも団員は口を閉ざし続けた。
こんな小娘に、自分たちの思想を邪魔されてなるものか。 震えるように足にチカラを込めると途端、団員の意識が薄らいでいく。
驚きながらブルーの方へ目を向ける。 彼女ではない、原因はその後ろだ。 いつの間にか呼び出されていた、見覚えのないバリヤード。
「悪いわね、2重に作戦を仕掛けさせてもらったわ。
さぁ、言うのよ。 あなたたちのボスは、一体何という名前?」
「・・・く・・・サカキ・・・さま・・・」
白目を向いた団員の口から、吸い出されるかのように人の名前がつむがれる。
それを聞くと、ブルーは後ろにいるポケモンに向かってパチンと指を鳴らした。
ゆらゆらと動いていた腕が下ろされると、ロケット団員は糸の切れた操り人形のように床の上に崩れる。
質問の答えを聞いてなお、ブルーは疑問を
「・・・おじさま・・・・・・」
ため息をついて、ブルーはつぶやく。
この事実をシルバーに知らせるべきなのだろうか。 行方不明の彼の父親が、ロケット団の首領かもしれないと。
確認は取らなくてはならない。 だが、もし自分の考えが合っていたときのことを考えると、ブルーは恐ろしくて仕方なかった。
「・・・ホワイト、言いたいことがあったら言っていいんだよ?」
窓から降り注ぐ強い日差しを避けるため、薄紫色のポケモンは壁に寄り添った。
暑さで少し夏バテしているのか、主人からの問いかけに、ちらりと視線だけを向ける。
なかなか部屋から出てこようとしない扉向こうの相手を待つのにも疲れ、ゴールドは壁に背中を預けると、服のエリを直しながらふぅと1つため息をついた。
「隠してるつもりかもしれないけどさ・・・目が、心配してる。
僕、そんなに頼りない? 君みたいに自分の言いたいことちゃんと言わないポケモン、初めてだ。」
「今のゴールドは頼りないよ。 1人で頑張ろうとしてオレたちに頼ってくんねーんだもん。」
「ハハ・・・はっきり言うなぁ。」
「言えっつったのゴールドだろ?」
先が2つに分かれた尻尾をくねらせると、ホワイトは少しだけうつむいて見せた。
ずっと開くのを待っていた扉が開き、寄りかかっていた壁から背中を離すとゴールドは大人しくしているようホワイトの頭を押さえる。
部屋から出てきた鼻の下にヒゲをたくわえた大柄な男は、ずっと待っていた彼を見、足元のホワイトを見るとため息に近い様子で肩をすくめ、首を横に振ってみせた。
「ゴールド・Y・リーブス、人に物を頼む前に、常識的な態度で臨んだらどうだね?」
「ポケモンセラピーの一環として、連れ込みの許可はもらっています。」
持ち込み、と言うべきところを、ゴールドはあえて言葉を変えた。 彼にとってポケモンは物ではなく友だという、小さな抵抗の印として。
自分に害がないことをアピールするため、ホワイトも出来るだけ大人しく見えるよう身を小さくして、遠慮がちに鳴き声をあげてみせる。
男が服のポケットに手を突っ込んで歩き出すと、彼に話を終わらせないため、ゴールドはその後をついて歩く。
ちらりと白髪の混じる頭を見た。 年の頃から言えばまだ50代に差し掛かったくらいだろうに、相当な苦労が重なっているのだろうということを想像する。
もちろん、それで引き下がるつもりもないのだが。
「君の言っていることは分かる。 私としてもその少女を救いたいという気持ちはある。」
「だったら・・・」
「しかし何度も言うが、私はこの病院を離れるわけにはいかない。 君の言う条件はのめないのだよ。」
男がそう言うと、ゴールドがつれていたエーフィが彼の進路をふさぐように回りこみ、紫色の目で睨み付けてきた。
すぐにそれは主人の手によってさえぎられる。 うつむいて小さく謝る彼に、男は鼻の下にたくわえたヒゲを向けた。
「リーブス、君が来てからもう半月になる。 なぜ、そこまで私に、その少女にこだわる?
カルテを見る限り、断られて当たり前の損傷だ。 収穫なしで帰ろうと、お前を責め立てるものはいないだろう。
第一、君は、トレーナーとしても生きていかれただろうに・・・」
「生きていきたいから・・・という理由じゃ、納得いただけないでしょうか?」
足元にいるホワイトの頭をなでながら、ゴールドは男へと顔を向ける。
「信じてもらえるか分かりませんけど・・・正直、ポケモンバトルで相手のポケモンを倒すの、あまり好きじゃないんです。
周囲から望まれて、ずっと戦ってきました。 けど、心のどこかで他に解決方法はなかったのかと、気になることが何度もあって・・・
戦いを望まれるという意味では、彼女は、僕によく似ています。 感情移入してはいけないとは思うんですけど、このまま、死んでほしくないんです。」
肩を落とすと、男はナースステーションへと向かって歩き出した。
その後をついて歩く2つの足音は遠ざかる様子がなく、やれやれと息をつくと男はしわの入った目尻を相手に向ける。
「理想を追い求めるか、子供らしい考え方だ。」
「いけませんか?」
「周りの状況もよく見てみろと言っているんだ。 皆が皆、お前の思い通りに動ける人間ばかりではないんだ。」
周りの、と聞いて、ゴールドはいつの間にかホワイトがいなくなっている状況に気付いた。
多少気まぐれではあるが、自分から離れるはずはないと辺りを見渡し、首をかしげる。
不安はあったがホワイトなら追ってこられるだろうと男を見失わないよう速度を少し上げたとき、唐突に廊下の向こうからホワイトの足音が響き、見慣れたアメジストのような額のかざりが光るのが見えた。
男の目が三角になる。
「ホワイト・・・!」
「ゴールド、SOS!」
え、と目を見開かせている間にホワイトはゴールドの服の端を軽く噛み、全力疾走で駆け出した。
感度の敏感な尻尾を上手く使い、器用に障害物を避ける。
「開けて! ここ! 早く!!」
「なに、おやつ欲しいとかだったら怒るからね?」
病室の扉を引っかくホワイトへと向かって、まずあり得ないだろうと思うことを口走り、ゴールドは扉を開けた。
名前も知らない中の患者は眠っているだけに見えたが、異常事態に気付く。
ベッドに横向けに倒れた患者を仰向けに起こすと、すぐさま脈を計り、息を吹き入れた。
ナースコールを押すのと同時に事の異常さに気付いた男が背後から現れ、彼のもとへと歩み寄る。
「どうした?」
「息が止まってます・・・!」
もう1度息を吹き入れてから答えると、男はゴールドをそこからどかせ、少しずれた患者の体を直す。
「ここは私がやろう。 君は堀田先生を呼びなさい、彼の管轄だ。」
「はい!」
弾かれるように飛び出し、ゴールドはすぐに立ち止まる。
「ホワイト、堀田先生探すの手伝って!」
「無茶言うな、顔も知らないし!」
「小児科の先生、ドガースとマルマインを足して2で割ったような顔した・・・!」
「ゴールドの後ろにいるような?」
「そう、僕の後ろに・・・」
うっすらと怒りの表情を浮かべた相手を見て、ゴールドは一瞬背筋が凍るのを感じた。
だが平謝りしている時間もなかったのを思い出す。 真横の病室を指差すと、ゴールドは老医師に急患がいることを伝え、中へと招いた。
ナースコールで呼んだ看護師たちがやってくると、徐々にゴールドのやることはなくなってきた。
簡単な手伝いを探しながら邪魔にならない場所を探していると、ふと、窓の外を飛ぶズバットを見つける。
ポケモントレーナーに、なりたいんです・・・・・・
「・・・・・・ミツル君?」
なぜその名前が出てきたのかは分からないが、ゴールドはつぶやいた。
嫌な胸騒ぎがするのを、首を振って否定する。 つきかけたため息を飲み込んで何とか持ちこたえると、集中治療室から男が出てきたのを見て顔を向けた。
そして、相手の表情を見て悟った。 今日はもう話を聞いてくれそうにない。
「・・・私は、待たなくてはならない。」
疲れたような顔をして相手がつぶやいた言葉に、ゴールドは顔を上げた。
窓から見えるエントツ山を見上げながら、遠い目をして男は自分の話を続ける。
「・・・前に、娘の話はしたな。
娘は、2年以上前に姿をくらませたきり、1度も家に帰っていない。
そうは言っても、私もこの通り病院にいる時間の方が長いし、妻も、看護師で不規則な生活が続いている。
だから、私はずっとここで待っている。
娘が帰ってきたとき、真っ先に目指せる場所は、ここしかないからだ。」
話を聞いているうちに、ゴールドは1つの新聞記事を思い出した。
2年前に起きた「神隠し」。 最初に失踪した女性は、まだ見つかっていなかったはずだ。
「カマタ、カマタ!! 『きりさく』やない、『つるぎのまい』ばい!!」
エメラルドは防音ガラス越しに何度も叫んだ。
相手のサメハダーは攻撃は強いが防御が弱いから『つるぎのまい』で攻撃を上げていけば確実に1発で倒せるはずなのに、仲間になったばかりのカマタはまったくそうしようとしない。
攻撃するたびに刃のこぼれていくカマを見て、エメラルドは手のひらに爪を突き立てた。
激しい攻防が続き、お互いにHPは残りわずか。 あと1発攻撃すれば勝てる・・・というときになって、カマタは相手に攻撃するのを止める。
何か迷ったような所作を取るストライクに、サメハダーの容赦ない攻撃が炸裂する。
地面に転がったモンスターボールにエメラルドが気を取られている間に、試合終了のブザーは鳴り、帰り道へと続く扉は開かれていた。
機械音を鳴らして戻ってきたカマタのボールをひっつかむと、いらだった様子でエメラルドはバトルパレスを後にする。
不機嫌そうなエメラルドを見ながら、マリンはひたすらにパソコンを打ち続けていた。
パソコン自体におかしいところはなかったはずだが、何度やってもエラーが続く。
息をついて額に手をついたとき、彼女の後ろが淡く陰った。 イラつきかけていた彼女の首に、柔らかな羽毛のようなものが巻きつけられる。
「どうしたの?」
「・・・コハク。」
相手の顔に頬を寄せて頭に手を触れると、茶色い髪がふわふわと揺れた。
くすぐったそうに目を細めると、茶髪の少女は金色の目を細めながら文字と記号だらけのパソコン画面をのぞきこむ。
「全然通信がつながらないの、パソコンも、ポケギアも・・・
メーカーに問い合わせても原因不明・・・ニュースじゃ、全国的に電波障害が発生してるんじゃないかって言われてるけど・・・」
コハクの目がぱちりと瞬かれると、マリンは微笑した。
「生きてんのかなぁ、あのバカ兄貴・・・」
探している相手とすぐに連絡をつけることを諦め、マリンは愛用のノートパソコンを閉じる。
そろそろエメラルドの自主性に任せようと思っていたが、少しくらいならフォローしてやっても良いかと彼の方に顔を向けたとき、彼女の表情が変わる。
殺気を含んだ人だかりには見覚えがある。 誰が近づいてきたのかを悟った彼女は荷物をまとめると立ち上がった。
ずっと隠していた気配を解き放つが、相手は彼女に見向きもせず、周りを囲うトレーナーたちに怒鳴りつけると一直線にエメラルドの方へと向かって行った。
何気なく横目で見ると、不思議そうな表情をしていたコハクの顔が輝いている。
全く勝てない怒りをカマタにぶつけていたエメラルドが人だかりに気付いたのは、それがずいぶん近づいてからだった。
ざわめきで自分の声が聞こえなくなり、顔を上げると人の背中が目の前にある。
一瞬意識が飛んでどんどん人の増えていくそれを見ていると、その人だかりは瞬間的に動きを止めた。
「どきやっ、お前ら!!」
聞き覚えのあるジョウト弁と共に、人の山が割れる。
声の正体に気付き、逃げようとしたときにはもう遅い。 飛び出してきた人間にエメラルドは腕をつかまれ、動きが取れない。
「何しとる・・・タカ・・・!」
「雄貴・・・!!」
怒りのこもった瞳と、久しぶりに本名で呼ばれたことでエメラルドは戸惑った。
だがそれも一時のこと。 すぐにエメラルドはサファイアを睨み返し、つかまれた腕にチカラを込める。
「そっちこそ、何しよっと! 偉そうに俺に説教か?」
「当たり前ばい! 家にも連絡入れんと、今まで何しよっとね!?」
周りの目も気にせず、サファイアはミシロ弁で怒鳴りつける。 だが、エメラルドもそれには負けない。
「俺はトレーナーになりに来たばい!! 雄貴に何が分かると!?
たった1年2年先に生まれたからって親父からひいきされて、調子に乗ってチャンピオンになりよったからって鼻高くしとるんやなかよ!
ガッコの成績だって俺の方が上やなかか! 絶対俺の方がトレーナーとして優秀に決まってるばい!!」
「その親父に「まだ早い」言われたん忘れたと!? トレーナーんことよう知らんと
「トレーナーになりもせんで分かるわけないやなかか!!
雄貴は単に運の良かっただけばい、強いポケモンさえ集まれば俺だって・・・!!」
左の頬に痛みを感じて、エメラルドはしりもちをついた。
観衆のどよめき。 ずっと見ていたマリンは状況を抑えようと足を動かしかける。
だが、その必要はなかった。 主人を守ろうと刃を向けてきたストライクにあえて自分の腕を向けることでサファイアはその動きを止め、自分を落ち着かせるよう大きく息をついてからエメラルドのことを見る。
「・・・何ばすっと!!」
血の落ちる腕に押さえきれない動揺を感じながらも、エメラルドは相手の目を睨み、怒鳴りつける。
「タカ・・・お前、ポケモンのこと殴れるか?」
「な、殴れるわけないやなかか! 何言っとると!?」
「せやったら、ポケモンバトルはどうなんよ? ポケモンに「ケガせぇ」言うてるのと同じことやで。」
周囲が静かになったのは気のせいなどではなかった。
マリンは薄く笑う。 彼も周囲によって変わった1人。 あれがチャンピオンの影響力なのだ。
サファイアはポケットから出したハンカチで自分の腕をしばると、エメラルドの腕を引き、入退場口へと向かって歩き出す。
「帰るで。」
反抗的な目を向けていたが、エメラルドに返す言葉は用意されていなかった。
バンダナにつけたバッジがかすかに音を鳴らす。
一瞬だけマリンと目が合い、助けを求めるような視線を送る。 視線の先にいる相手は、首を横に振ってそれを否定した。