扉を開ける手は震えていた。
オレがやれば、全部上手くいくって・・・全て終わらせられると思ってたんだ。
そんなの、全部嘘っぱちで・・・オレの、うぬぼれで・・・終わったのは、希望。 そこが、全部の始まりだった。

「ただいま! 父さん、母さん!!
 テレビ見た? あ、ラジオでもいいや。 それよりさ、オレポケモンリーグ勝ったんだぜ! これで・・・」
話したいことはいくらでもあったが、そうではない雰囲気にリーフは立ち止まる。
机と、紙1枚挟んで暗い顔をした両親。 ちゃんと電話したのだから、妹も出掛けてるはずなどないのに。
「ポケモン・・・マスター・・・」
「・・・話がある。」
父親が口を開く。
体が震えた。 嫌な予感がする自分が、猛烈に嫌だった。
「父さんと母さん、離婚することになった。 これからお前たちは、おばあちゃんのところで生活するんだ。」
氷点下の世界に投げ出されたように、心の芯が凍りついた。
体が動かず、一瞬置いてからリーフはズボンのすそを握り締め、2人を見比べる。
叫びだした声は、何度もひっくり返りながら喉から吐き出された。
「・・・な、何でだよ! オレ、ポケモンマスターになったんだぞ!! 言いふらせばいいじゃんかよ、「自慢の息子です」って!!」
「お前、母さんに言ったらしいじゃないか。
 父さんがやったことが正しいとは言わない。 だが、私はお前みたいなおしゃべりな息子を持った覚えは、ない。」
「父さんの言うことなんか気にしなくていいのよ。 母さん、あんたのことはとても誇りに思ってるわ。
 あのね、この離婚は子供たちのためでもあるのよ。
 あんたも母さんと父さんがいがみあってるとこなんか、見たくないでしょう?」
奥歯から出るカチカチという音が気になって、リーフはあごをぐっと引く。
何度自分をはげましても言葉が出ず、形にならないイライラに押しつぶされそうになって、こぶしを強く締めた。
いっそ、殴りたい。
どこかにあるはずの言葉は非情にも姿を現さず、カラカラの喉と胸が悲鳴を上げる。




「うわあああぁぁっ!!」
リーフは跳ね起きると、かかとを襲った痛みで目を見開いた。
見下ろすと、ゴツゴツとがった岩に自分の左足が隣接している。
とっぷりと暮れた夜空にリーフは顔を向ける。
月がない分だけ、今日は星がよく見える。 それでも、あふれそうなほど光る天の川からは、1粒も星は流れてこなかった。
「はぁ」とため息をつくと、自分の横に気配を感じリーフは顔を上げた。
人の姿をしたルギアの化身がリーフを見下ろし、立ち止まっていた。 枕代わりに置いていたリュックの隣に突いた彼の手をそっと包み込むと、笑ったような表情で金色の瞳を向けてくる。
ゴールドは辛いことがあったとき、よく友人にこうしてもらっていた。
感触のない右手に目を向けると、リーフは軽く目をつむる。
「・・・あのさ、怒ってるとか、悲しいとか、何かそういうのオレ、みんなにバレちまってるみたいなんだ。
 オレってそんなに分かりやすい?」
少なくとも、嘘をつき通せる性格ではないな。
うつむきかけたリーフにそう言うと、少年の姿をしたルギアの化身は立ち上がった。
本体の方が現れる。 星明りに照らされた白い体を見上げていると、ルギアはリーフに背を向け、自分の体に乗るよううながした。


アスカナ遺跡は地元の人間でも滅多に立ち入ることのない危険区域だ。
 お前は何かを守りたくて、あの凶暴なポケモンの住むしっぽう渓谷を抜けられるまでに強くなったのだろう?

リーフの顔がゆがむ。
顔をこすると、すり切れてところどころ綿の見え始めているリュックの肩ひもを手に取り、立ち上がった。
ルギアは、リーフの靴を見る。
元は白かったのだろう靴ひもは茶色く汚れ、すり減った靴底からはささくれたゴムが飛び出している。
それだけで、彼がどれだけの旅をしてきたのか、ルギアには分かっていた。
いつか昔、自分のもとを尋ねてきた人間がそうだったように。
「けど、オレは守れなかった・・・! 頑張ったのに、すごく頑張ったのに、結局、オレのせいで、全部、壊れちゃったんだよ!」
守れるさ。
キッと睨むように見上げてきたリーフに、ルギアは笑いかける。
弱いなら強くなればいい。 強くなれないなら、強くすればいい。
 人間とは、そういうものなのだろう?

金色の瞳で見つめていた化身を、自らの体の中に戻す。
リーフは、軽く唇を震わせると、飛びつくようにルギアの背中に乗った。
知っていたか?
 来た道をまっすぐに戻れば、自分の家に帰れるのだぞ。

リーフは答えなかった。 答えないことを、ルギアは知っていた。
星の瞬く空に向かって体を伸ばすと、白いポケモンは大きく翼を広げる。
夜の海に、銀色の羽が舞った。








バトルフロンティアに到着した6人がまずやらなくてはならなかったのは、ルビーが自由に動ける状況を作るという作業だった。
何しろ夏休みの真っ最中。 みんな新しく出来たテーマパークに押し寄せてきてしまったため、日中は一般人であっても歩くのが困難なほどの混み具合だ。
そこにルビーみたいなアイドルが入り込んでしまったらどうなるか。 想像しただけでも恐ろしい。
島に入るときに定期便を使わなかったのはある意味正解だったかもしれない。 真っ先にそのことに気付いた依頼者『ひなた』の提案で、男連中はこの暑い中、女物の服を買いに走るハメになったわけである。

「・・・っとに、怒ってるんだからね! 分かってる!?」
「はいっ、申し訳ありません。 もうしません、ごめんなさい!」
ロクに服も見つけられずがっくりと落として帰ってきたサファイアは、カフェテラスで一方的に怒鳴られているゴールドを見つけ、呆然と立ち尽くした。
どう考えても、「なぁなぁ、何があったんや?」とか話しかけられる状況じゃない。
人間学習が必要だ。 とばっちりを食わないよう、少し離れたところから観察すると、同じく微妙な距離を保って2人を見守っているシルバーの姿を見つけ、そちらへと歩み寄る。
「なぁ・・・アレ・・・」
「クリスがポケモンバトルを申し込まれたのを男にからまれたと勘違いして、ゴールドが助けに行ったらしい。
 おかげで2人とも存在がバレた上、いらない恋人騒ぎで大混乱だ。 しばらくバトルアリーナの方は近づかない方がいいぞ。」
はぁ、と返事だかため息だかわからない声を出すと、サファイアはボリボリと頭をかく。
スカートとか、キャミソールとか、そういった女物の服を買うのはいくらサファイアといえど抵抗があるのだ。
探すだけ探して、買うのは女であるクリスにやってもらうつもりだったのに、アレではしばらく機嫌を直してくれそうにない。
どうしたもんかと考え込んでいると、シルバーはサファイアの肩を叩き、親指で斜向かいの服屋を指差す。
「サファイア・・・思いついたんだが、あの店でおまえサイズのTシャツと帽子を買っていくのはどうだ?
 バトルフロンティアここのロゴ入りシャツなら、園内で歩き回ってても不自然じゃないし、おまえのサイズならルビーも不自然なく着られるだろう?」
「おぉ!」
ナイスアイディア! と、手を叩き、サファイアは大きくうなずく。
さっそく実行に移す前にシルバーに一緒に行くかどうか尋ねたが、「あいつらの痴話げんか見守ってから行く」と断られた。
仕方なく、1人で服屋に突入する。 これは自分で着るんだ、自分で着るものなのだと自分自身に『さいみんじゅつ』をかけながら。




「なぁ〜に、見てんだい?」
唐突に後ろから声を掛けられて、ひなたは慌てて開いていた手帳をパタンと閉まった。
動揺を隠しきれないまま、振り返る。 全く、気配に気付けなかったのだ。
「あ、ルビー・・・ちゃん?」
「他人行儀だねぇ、あんた、隠し事の匂いがプンプンするよ。 ま、いいんだけどさ。
 良かったのかい? あたいに付き合って部屋の中にいて・・・」
何の躊躇もなく隣に腰掛けるルビーを横目に、ひなたは手帳をヒザに置くと指を組む。
「ひとりって、寂しいでしょ?」
「理由になってない! あんたが、良かったのかどうか聞いてんだよ!」
「同じコト。 ルビーちゃんが寂しいと、あたしも悲しいの。
 誰かのために生きる人間がいたって、いいでしょう?」
「あんた・・・」
揺れる半月型の瞳を見つめると、ルビーはふぅと息を吐いた。
目をつぶると祈るように天を見上げ、す、と空気を飲み込んで、その口から柔らかいメロディを奏でだす。

突然流れ出した歌声に、ひなたはきょとんと目を瞬かせた。
歌い終わるとにっこりと笑い、ルビーは相手の頬に軽く手を添える。
「『メッセージ』・・・『旅立ちのうた』のカップリング曲、だったよね?」
添えられた手を気にしながら、ひなたはルビーへと尋ねる。
目元からにっこりと笑い、軽く口を動かすとルビーは整った声を再びあげた。
「あんたと同じように、あたいも去年1年、旅してたんだ。 これはその時に作った曲。
 ちょっと色々あってさ・・・結構沈んでたんだけど、サファイアに会って、ゴールドに会って、シルバーに会って、クリスに会って、いっぱい笑って、いっぱい泣いた。
 だから、何となくだけど気持ちわかるんだ。 泣かないで。」
「泣いてないよぉ〜! もぅ、ルビーちゃん何言ってんの!」
あはは、と笑うとひなたは体の前でパタパタと手を振った。
立ち上がると、体の後ろで手を組みジュースを買いに行こうと部屋の外へと歩く。
扉を開けた途端、紙袋を抱いたサファイアと鉢合わせ、軽く飛び上がった。
恐らくずっと外で聞いていたのだろう。 決まり悪そうな顔をした彼の顔を見ると、ひなたはルビーの方に向き直る。
「あのね、あたしこっちでは『マリン』ってトレーナーネーム使ってるの。
 ルビーちゃんほどじゃないけど、いちお、偽名。」
「そ、お互いガンバロ。 まだ何も、終わっちゃいないんだからさ。」
サファイアの顔を赤くするほどの笑顔でルビーがそう言うと、ひなたは振り向かずにポケモンセンターのロビーへと走り出した。
事情が分からず、「?」を頭の上にいっぱい浮かべているサファイアは、とりあえず部屋の中に入るとルビーの前に紙袋を置く。


「これ、Tシャツと帽子・・・服の上から羽織ればええやろ。
 ルビー、泣いとるとか泣いとらんとか、何の話なん?」
「男の子は知らなくていーの。」
鼻の頭をちょいと突くと、ルビーはサファイアが持ってきた紙袋を開け、中に入っている布を取り出した。
頭に巻きつけていたバンダナを外し髪を解くと、薄緑色のロゴが入ったTシャツを服の上から羽織り、ツバの広い帽子をかぶる。
たったそれだけで、フロンティアに遊びに来た普通の観光客の出来上がりだ。
帽子の下から覗く唇に顔を赤くしていると、一般人に化けたルビーは「ん〜」と伸びをして上目づかいにサファイアを見つめる。
絶対誘ってる。 キラキラと光る瞳に心臓をバクバクさせながら気絶しそうな頭を支えていると、サファイアはふと、先ほどのクリスとゴールドのやりとりを思い出す。
「せやルビー、バトルピラミッド行かん?
 バトルアリーナの方でゴールドとクリスが騒ぎ起こしたらしくてな、今ならあっちの方空いとると思うんやけど・・・」
バトルフロンティアのパンフレットをパラパラとめくると、ルビーは不思議そうに首をかしげて見せる。
「騒ぎって・・・プレッシャーかけるために極力目立たないよう行動・・・じゃなかったっけ・・・
 それにしても、何でバトルピラミッド? 他にも施設あるじゃ・・・」
言いかけると、ルビーは「あ」と小さく声を上げ、サファイアの方を見るとにやりと笑った。
朝方サファイアそっくりの顔をした少年がピラミッドに向かっていくのを見た。 彼が考えているのは、間違いなくその少年のことだろう。






エメラルド2匹目(正確には3匹目)のポケモン、カマタは困り果てていた。
どこかへと消えてしまっていた自分のトレーナーが帰ってきたのはいいが、バトルピラミッドに挑戦を始めたのはいいが、開始直後、入り口の階段付近で止まったまま動いてくれないのだ。
ストライク自慢のカマでざくざくと肩を叩くわけにもいかず、座り込んでむっつりと顔をしかめている自分の主人をただただ見守る。
機嫌がいい・・・とは決して言えない。 基本的に1匹ずつ戦うルールだから、先輩であるケンタロスのウシヤマに助けを求めるわけにもいかない。
カマタだけでは何の判断もつけることが出来ず、両手のカマを下ろしたままエメラルドが動き出すのを待っていると、暗闇の向こうから、誰かが走ってくるような足音が近づいてくる。


「もう! 真っ暗じゃない! 野生のポケモンは襲ってくるし・・・!
 ダイ、ちゃんとあたしとカメラ守ってよ? 取材出来なくなったら終わりだからね!」
辺り一面に響きそうなキンキン声に思わずエメラルドも考えるのをやめ、顔を上げた。
トレーナーだろうか。 だとしたら、出来るだけ避けておきたい。
このバトルピラミッド、真っ暗闇の中、野生のポケモンやらトレーナーやらと戦いながら7つのフロアを抜け、ピラミッドの頂上を目指さなくてはならない。
今いるのは、まだ入ったばかりの1F。 エメラルドとしては、ポケモンの体力を取っておきたいのだ。
立ち上がって逃げ出そうと試みるが、逆に足音で気付かれたらしく(恐らく)2人組はエメラルドの方に向かってまっすぐ近づいてくる。
チラチラとした明かりに、逃げ出せないことを悟る。
諦めて戦おうと腰のホルダーに手を当てると、唐突に口元に灰色の棒状のものが押し付けられた。
「こんにちはーっ! ホウエンTVのマリ、こっちはカメラマンのダイです!
 今、お昼の番組『お姫様のブランチ』でバトルフロンティア特集をやっているんですが、知ってますか?」
ほとんど何も見えなかったくらいの暗闇から、いきなりテレビ用の照明を浴びせられ、痛くなった目をエメラルドは何度も瞬かせる。
薄目を開けると、テレビで見覚えのあるレポーターとその後ろにいるカメラマンが嬉々として彼にマイクを向けていた。
「あ〜、かなり暗くて見えづらいけど、服とか、モンスターボールとか、まだ新しいですね。
 新人のトレーナーさんですか? どうですか? バトルフロンティアに来て、何か新しい発見とかありました?」
「え、ちょっ・・・一体何の・・・?」
エメラルドは困り果てる。 サファイアじゃあるまいし、カメラを向けられることなどないと思っていたからだ。
後ずさりしているとレポーターのマリは彼の足元にある床の切れ込みを目ざとく見つけ、さっそく思ったことを口にする。
「あの、今ピラミッドに入ったばかりですよね? ひょっとして、初めてのチャレンジですか?」
「いや、そうやなくて・・・ちょこっと考え事ば・・・」
ようやく受け答えすると、エメラルドのミシロ弁にマリは一瞬だけ目を瞬かせた。
田舎物扱いされるのかと少しだけ不安にもなったが、逆にものすごく嬉しそうな顔で相手のレポーターは笑う。
再び四角い箱のついたマイクが口元に向けられた。 少しだけ柔らかくなる、彼女の口調。
「考え事ですか?」
「うん、ポケモントレーナーって・・・なんなんやろうって。」
明らかにトレーナーになったばかりの外見をした少年から出た言葉に、ダイのカメラはわずかにブレかけた。
確かに、難しいし、トレーナーなら1度は突き当たる問題だ。 だが、誰でも簡単にポケモントレーナーになれる今の時代、それを考えるトレーナーは驚くほど少ない。
「ポケモンば持っとって、戦わしとればそれがトレーナーやと思っとったんやけど・・・確かに、雄貴のゆうとおり、自分からケガしに行くのなんてポケモンでも嫌に決まっとる。
 俺、ポケモンの気持ちとか全然考えてなかったけんね。 いっぺんチャレンジ止めようかとも考えたんやけど・・・帰れんかったばい、なんかようわからんけど。」


ストライクのカマタが両腕を降ろし、カマの切っ先が床に触れてカリッと音を鳴らす。
レポーターのマリが黙り込んでしまって取材が進まないせいだ。
今のところ野生の(障害用に放された)ポケモンが襲ってくる気配はないが、トレーナーになって1ヶ月の彼を守る身としては警戒を怠るわけにはいかない。
息を潜めて辺りの気配を伺っていると、突然、無機質な機械音が3人と1匹の近くに響き、数メートル離れた先の床に穴が空く。
暗くてほとんど見えないが、エレベーターに乗せられて上ってきた人物の横顔を見て、エメラルドはハッと目を見開かせた。
「雄貴・・・?」
声をかけようか、逃げようか、一瞬迷う。
どちらも出来なかった。 すぐ側にいる記者たちに関係を知られたくなかったし、何より、サファイアの様子がおかしかったせいで。
マリとダイが存在に気付かないうちに、サファイアは頭を押さえるとフラフラとどちらともつかない方向に歩き出す。
おかしい。 隣町のコトキタウンに行くだけでも警察の世話になるほどの方向音痴である彼が、何の準備もなしに歩き出すなんて。
そもそも、パンフレット、施設内の説明、ガイドマップ、全てにおいて『迷宮』の文字が使われているバトルピラミッドに挑戦しようとすること自体、不自然なのだ。
不安になる。 何か、良くないことが起こっているのではないかと。
1度レポーターたちの方を振り返ると、逃げるようにエメラルドは走り出した。 カマタもその後を追う。
「雄貴!」
今度ははっきりと名前を呼ぶ。
返事はない。 ただ延々と、暗闇の世界が広がっているだけだ。
壁に突き当たり、右と左、どちらに進むべきか迷っていると、背後から殺気を感じエメラルドは振り返った。
野生のポケモンたちだ。 うなり声を上げ、じりじりと迫ってくる彼らに後ずさりすると、冷たい壁に背中がぶつかる。
闇の中に、火花が浮かび上がる。 相手の姿が見えると、エメラルドは眉を潜めた。

「野生の・・・マイナン・・・!」
口元が引きつる。 飛行タイプを持っているカマタでは、相性が良くないからだ。
壁を背にしたこんな状態では、逃げるわけにもいかず、『じしん』を持っているウシヤマに交代しようとエメラルドは腰のモンスターボールに手をかける。
ふくれ上がっていく火花と共に不安が大きくなるが、構わずエメラルドは交代の指示を出す。
頼りない小さな光を発しながらケンタロスのボールが開かれるのと同時に、マイナンは前足に集中させた火花をウシヤマに向かって投げつけてきた。
「ウシヤマ!」
黄色い光が一瞬、ケンタロスを包む。 一瞬ウシヤマはひるんだが、それほどダメージを受けた様子はなさそうだ。
エメラルドは指示を出す手を前へと突き出す。 それと同時に飛んでくる、マイナンの『でんこうせっか』。
一瞬顔をゆがめたが、すぐに『じしん』の指示を出すとウシヤマはひづめを床へと打ちつけ、地面タイプの大技を相手のポケモンへとぶつける。
地面に嫌われたマイナンは床を跳ねると、闇に吸い込まれるようにして消えていった。
バトル勝利のデータを受け取ったエメラルドのランプが、少しだけ光を強める。
こういうルールなのだ。 勝てば勝った分だけ、辺りがはっきり見えるようになり、先に進みやすくなる。
ホッと息をつくと、エメラルドは消えた兄を追おうと周囲に目をはわせた。
どっちを向いても、もう姿は見えない。 とにかく勘でも何でもいいから進もうと1歩歩き出したとき、エメラルドは背後の異変に気付く。
「・・・ウシヤマ?」
ボールから出せばいつでも後ろをくっついてきたウシヤマのひづめの音が聞こえない。
振り返ると、なるほど、確かに聞こえないはずだ。 ウシヤマは床に座り込み、小さく震えている。
「マヒ・・・? まさか、さっきのマイナン『でんじは』ば打ってきたと?」
生温かい息が顔に当たる。
エメラルドはうろたえた。 バトルチューブである程度の状態異常に関する知識は頭の中に入れていたが、ここでそれを使うことになるなんて考えていなかったからだ。
ともかく、この状態でバトルを続けるのは体力を減らせ、と言っているようなものだ。
マリンに借りた3匹目のポケモンと入れ替え、ウシヤマをボールに戻そうとしたとき、足元に何か小さいものが当たった。
「・・・?」
気のせいだろうか、その小さいものが飛んできたような気がするのは。
拾い上げてみると、それはポケモンのマヒを治す『クラボのみ』。
なぜこんなものが落ちていたのかは分からないが、エメラルドにとっては渡りに船。
すぐさまウシヤマにそれを使うと、エメラルドは少しだけ強くなった光で辺りを照らし、上に続く階段を探して歩き出した。




ボロボロになりながらも何とか1周目を終えると、ピラミッドの出口に見知った顔があり、エメラルドは目を瞬かせた。
いかにも「付き合いで来ました」というようなTシャツに帽子姿だが、顔を見てみれば間違いなくよく家にやってくる突撃アイドル、ルビーだ。
もう1度エメラルドは話しかけるべきかどうか迷う。
だが、彼女も騒ぎを起こしたくないからあんな格好をしているのだろうと考え、あえて知らん振りしようとしたとき、ルビーの方がエメラルドに気付き、向こうから近づいてきた。
「あ、サファイアんとこの貴仁君・・・だよね?
 なぁ、ピラミッドでサファイア見なかったかい? あいつ、入ったら動かないで待ってろって言ったのに、どこ探しても見つからないんだよ。
 あの方向音痴っぷりだから、どっか変なとこ行ってないか心配してんだけどさ・・・」
「へ? 兄貴、ルビーさんと待ち合わせしとったと?
 あいつなら入ってすぐ、どっかにふらふら歩いて行ったんやけど・・・」
「え?」
表情を変えて聞き返してきたルビーを見て、エメラルドは自分が何か間違ったことを言ったのかと身構える。
ルビーは赤い色に淡く光る瞳をうつむかせると、少し考えるようにしてもう1度尋ねてきた。
「貴仁君が挑戦したの・・・50レベルクラスだよね?」
「あ、うん・・・あれ?」
すぐにエメラルドも違和感に気付く。
サファイアのポケモンはほとんどが60レベルを超えている。 レベルの違うエメラルドと同じフロアに来るはずがないのだ。
ルビーは眉を潜めると、エメラルドの肩を叩いて耳の側に顔を寄せた。
兄の苦労がわかる。 特に恋するつもりなどなくても、彼女からいい匂いがして顔が赤くなるのだ。
「貴仁君、ポケモンセンターに帰ってからでいいからマリンに「今日帰らないかも」って伝えてくれるかい?
 それと、絶対にサファイアのこと、フロンティアの人には伝えないで。 絶対あたいが捜し出すからさ。」
顔を上げて、エメラルドは全身の毛が逆立った。 テレビでは絶対見せない、ルビーの真剣な表情。
ポケモンの入ったボールを片手に、彼女は足音もなく歩き出す。
押し殺された殺気が消えると、ヒザが震えだす。
エメラルドは悟った。 今日はもう、挑戦出来そうにないと。