夜通し探すのにも疲れて、ルビーは壁に背を預けるとふぅっと息を吐いて軽い休憩を取った。
いつもなら眠っている時間だが、夏だということもあり、空は明るい。
静まりかえったバトルフロンティアは、施設が動き出す時間とは全く違った顔を見せていた。
「迷子・・・じゃ、ないよね。 ここまで来たら。」
ペットボトルに口をつけてからそうつぶやくと、足元にいたチコリータがきゅう、と鳴き声を上げる。
いくら方向音痴といっても、普段からあれだけ騒ぐ人間なのだから、施設が閉まっても見つからないというのはおかしい。
頭に血が上ってがむしゃらに探し続けていたが、少し冷静になって考えてみることにした。 やみくもに探して見つかる問題じゃなさそうだ。
うつむいていると、唐突に肩に手を置かれルビーは小さく悲鳴を上げる。
「しーっ! まだ朝早いから、ね?」
「クリス・・・」
見知った顔にホッと息をつくと、ルビーは体からチカラを抜いた。
口元に手を当てると、クリスは声を潜めて彼女へと話しかける。
「昨日の晩ヒナちゃんから聞いたけど、サファイア見つかった? ・・・て、ないよね。 こんなとこにいるんじゃ・・・
あのね、今ポケモンセンターでゴールドがヒナちゃんとデータでサファイアのこと探索してるの。
疲れてるでしょ、1回戻ったら? 足での探索はあたしとシルバーに任せて、そういうの得意だから、ね?」
「でも・・・!」
「目の下にクマ作ってるアイドルなんて、かわいくなーい!」
眉を吊り上げて怒ったような顔を作ると、クリスはルビーの鼻先に指を突きつけて意見を強調した。
言い返そうかとも考えたが、無駄に時間を使うだけだ。 肩をすくめるだけにとどめ、ルビーはクリスに背を向けた。
風の音も聞こえない静かな道に、アスファルトを爪がこするチ、チ、チという足音が響く。
夜の間辛そうにしていたチコリータのメロディも、日の光を浴びて元気になったのか先を歩きながら、時折不思議そうな顔でルビーの顔をのぞいている。
クリスの目の届かないところまで歩くと、ルビーは立ち止まった。
その場でしゃがみ込み、何も喋らない。 大きな目をパチパチさせて近づいてくるメロディの顔を見ると、ガーゼの貼られたこめかみに手を当てて、眉を潜める。
「・・・あれ?」
何かが心の中で引っかかっている。 大事なものを、見逃しているような。
考え込んでいると、メロディはすぐ近くにあったバトルタワーの看板を見つけ、頭の葉っぱでルビーの肩をつついた。
見上げた先にある『
「・・・そうだ、エントリーコール!!」
弾かれたように立ち上がるとルビーはヒップバッグを外し、中身を全部アスファルトの上にぶちまけた。
1番底にしまわれていたポケナビを引っ張り出すと、狂ったようにあちこちのボタンを押しまくる。
「つながるはずなんだ・・・サファイアのポケナビに・・・!
このっ、このっ・・・! 言うこと聞きなっ、このポンコツ・・・!!」
ざわざわ、さわさわ・・・波の音が聞こえる。
サファイアは薄く目を開いた。 二重まぶたの下から、青い光をのぞかせて。
頭はボーっとするが、体は動く。 ひとまず起き上がろうとしたとき、腕に覚えのある歯型が思いっきり噛み付いてきて、サファイアは飛び上がった。
「いっだああぁーっ!!?」
悲鳴を上げると、サファイアの脳天にゴンッと音を上げて固いものがぶつかった。
一瞬ルビーに殴られたのかと思ったが、違う。 岩だ。
辺りを見渡すと、全く覚えのない洞くつのような空間に囲まれている。
側にいたワニノコのシロガネだけが、いつも通りだった。 いつものように噛み付いてくるのは勘弁してほしいところだが。
「っつぅ・・・何なんよ、一体・・・
ここ、どこや? ワシ、バトルフロンティアにいたはずじゃ・・・」
また噛み付かれないようシロガネの口を押さえながらサファイアは確認する。
決して広くはない空間。 水音はそう離れていない場所にある池のような場所から発生していることが分かる。
空気が少し重いように感じた。 口元に手を当て、自分がここに来ることになった経緯を考えていると離れたところにある『何か』を見つけ、サファイアは目を見開いた。
「ミツル君!?」
波打ち際に転がっていた小さな体をサファイアはひっくり返す。
自分とは比べ物にならないほど白い肌。 ぐったりと動かない彼の腕を肩に回すと、今度は出口を探してキョロキョロと辺りを見渡す。
足元の海(らしき水面)を使えば出られないことはなさそうだが、あいにく『ダイビング』を覚えているポケモンを持っていない。
シロガネでは小さすぎて、人2人を運ぶのは無理だ。
考え込むと、サファイアは洞くつの奥へと進む道を見つけ、そちらへ向かうことにした。
1歩進んで、立ち止まる。 ミツルが異様に重い。
かといって彼を置いていくわけにもいかず、サファイアは頑張ってその重いミツルを引きずっていくことにした。
少しはポケモンを頼ってもいいと思うのですが。
シロガネは元気だ。
何にでも興味を持ち、ちょこまかと走り回る。
せわしないことこの上ないが、こんな、どこともつかない場所を探索する上では、その明るさが嬉しかった。
なにしろ、体力を使うのだ。
岩場が続き、湿気と、夏らしい暑さがエネルギーを奪っていく。
1度ミツルを肩から降ろすと、サファイアは大きく息をついた。
進む先に、もう1つ海が見える。 サファイアのよく知っている、ホウエンの青い青い海だ。
同じ色をした瞳でそれを見ると、深呼吸してからもう1度歩き出す。
行き止まりだった。 深い色をした海が、ぽっかりと穴を開けている以外は。
「・・・どういうことよ? どうやってワシ、ここに来たん?」
はぁっと息をついて、サファイアはその場に座り込む。
ミツルが目を覚ます気配はない。 そもそも彼も、どうやってここに来たんだろうと目を向けていると、目の前にある海面が不自然に波立った。
大きな藍色をしたポケモンが、サファイアの前に姿を現す。
そのまま打ち上げられるように陸地へと寄り添ったポケモンを見て、サファイアの目が見開いた。
「‘トビ’!? どうしたん、ケガしとるやないか!!」
ミツルをその場に落とすとサファイアは伝説と呼ばれるカイオーガの背に飛び乗った。
カイオーガは銀色の歯をむき出しにして荒く息をする。
「治せ! くそ、いまいましい人間め・・・! この私に傷をつけるなどと・・・ぐっ!」
サファイアの耳に声が届くたび、カイオーガの体からサファイアの瞳と同じ色の光が放たれる。
赤く血のにじんだ傷口に『すごいきずぐすり』を吹きかけながら、サファイアはカイオーガの目の方へ顔を向ける。
「・・・何があったんよ?」
「お前の拾い物に人間がたかっていたから、追い払ったまでだ。
まったく、お前はいつもいつも私のところに面倒ごとばかり持ち込んでくる・・・!」
「拾い物? 浜に打ち上げられとった、あのポケモンのことか?
せやけど、あれはケガしとって・・・! ちゃんと治したらな・・・!」
「いいから、上にいるあの人間たちを何とかしろ!
このままでは、ゆっくり昼寝も出来ないではないか!」
伝説のポケモンが昼寝ですか・・・と、サファイアは大きくため息をついた。
スプレーを吹きかけた傷口をそっと手でなでる。 さすがに回復力は高い、かなり深かったはずの傷は既にふさがりかけていた。
肩のチカラを抜くと、サファイアはカイオーガの背中からミツルのことを見る。
どっちみち外には出なくてはならない。 ならば、彼も一緒に連れて行く必要がある。
カイオーガの背を蹴ってミツルのもとへと戻ると、ワニノコのシロガネをボールへと戻した後もう1度彼を肩に抱え、サファイアはカイオーガの方へと向き直った。
「‘トビ’上まで乗っけてってくれへん? 今ダイダイおらんのよ。」
やれやれ・・・と、いった感じでさざ波を立てるとカイオーガは自分の背をサファイアの方へと向ける。
軽く頭を下げるとサファイアは『ダイビング』用の酸素マスクをつけると海の中に飛び込んだ。
背びれにつかまると、カイオーガはゆっくりと海の中へと潜り始める。 真っ暗でまるで何も見えない海の底を、海の主は迷うことなく進んでいった。
「こちらダイゴ、目標のデオキシス105番水道上空で見失った。
雨で視界も悪い。 探索は困難だと考えられる。 全員、覚悟はいいか?」
「慌てちゃダメデースね。 デオキシス、深い深い傷負ってマーシタ。
そう遠くに逃げられるはずはありまセーン。」
「追い込もうぜ、そんぐれえ俺たちなら出来るだろ?」
エアームドの背から海面を見下ろしつつ、D.Dホウエンのリーダー、ダイゴは海上を進む四天王に指示を出した。
ひび割れたモンスターボールを見て、眉を潜める。
運がない。 まさかカイオーガの領域に踏み込んで攻撃を受けるなんて。
朝方から振り出した雨を憎々しげに見上げ、見失ったオレンジ色の生物を探していると、唐突に現れた海面の黒い影がぶしゅっと彼へと向かいしぶきを吹きかけてきた。
視界を奪われないよう服の袖で顔をおおうと、ダイゴは競り上がってきた何かへと目を向ける。
少し前にメタグロスを『ひんし』にしたカイオーガだ。 背中に、何かを乗せている。
それを見た瞬間、ダイゴは状況を全て理解したように感じた。
そうだ、伝説のポケモンの主は、あの少年だったはずだ。
「
唐突に名前を呼ばれ、サファイアは顔を上げる。
引きはがすように酸素ボンベを取ると、ぎゅっと帽子を直して上空を飛ぶエアームドへと叫んだ。
「近づかんで! かなり気ィ立っとるんよ!!」
水で体力の奪われた腕からミツルがずり落ち、肩から腕が外れそうになる。
ダイゴは目を細めた。 あの少年は自分がやっていることを認識出来ていない。
少年の忠告を無視してカイオーガの背の上に降り立つと、ダイゴは眼前のトレーナーへと向かって命令した。
「君の持っているものを、こっちに引き渡すんだ。 今なら間に合う。」
「『もの』・・・? ポケナビ? それともランニングシューズか?
ポケモン図鑑は渡されへんよ、親父「オーキド博士の晩酌するんだ」って張り切っとったし。」
無言のまま首を横に振ると、ダイゴはサファイアの担いだミツルへと人差し指を向ける。
「・・・は? 何言うとんの、そもそも物ちゃうやん。 大体、すぐ病院連れていかんと・・・」
「『人』ではないんだ、それは。」
嫌な予感がしてサファイアは逃げようとした。
だが、相手の方が足一個分早く、ぶら下がりっぱなしだったミツルの腕をつかむ。
睨み付けるような目をしてサファイアが振り返った瞬間、肩に強い重みが掛かった。
耳障りな音がして、何かが落下する。
足元に落ちた『それ』を見て、サファイアは凍りついた。
ところどころに青緑色の何かがこびりついた、オレンジ色の、腕だ。
チカラらしいチカラも感じていなかった腕が、ビクリと動く。
「・・・な・・・な・・・っ!」
猛烈に嫌な感じがサファイアの体を駆け巡る。 横を見ると、もう既に『それ』は人の形ではなくなっていた。
腕のなくなった肩から泡のようなものが吹き出し、オレンジ色のゼリー状のものが顔をのぞかせる。
気持ち悪い、そう思った瞬間、サファイアは吹き飛ばされていた。
海水が入り込み、鼻の穴をつんと痛めつける。 大きく足を蹴って海面へと顔を出すと、そこで見たものにサファイアは我が目を疑った。
一面に降りしきる雨のカーテン。 その奥で徐々に浮かび上がっていく、苦痛に顔をゆがめたダイゴの姿。
彼を乗せていたエアームドが、主人を守ろうとそのポケモンへと立ち向かっていく。
しかし、怒りに満ちたような目が向けられただけで凍りついたように動かなくなり、震えたような唸り声を上げ始めた。
「だから言っただろう。 これ以上の被害が出る前に処分するべきだ・・・と。」
しわがれた声にサファイアは肩をすくめた。 振り向くと、四天王のゲンジが彼の後ろで攻撃の機会をうかがっている。
彼だけではない、他の四天王も、既にこの場所に集まりつつあった。
サファイアはこっそり水中でモンスターボールを開く。 デオキシスにしろ、四天王にしろ、戦うことは避けられないことを悟ったからだ。
「けど! あいつ見つけたときメチャメチャおびえてたんよ!!
ミツル君の匂いしとったし、ケガ治ったら元のところ帰しに行こうと思ってたのに、殺すとか言うから・・・!!」
「黙れ、言い訳など必要ない!
ポケモンに関する全ての責任を持つべきトレーナーが、そんな子供じみた考えでどうする!!」
「子供で何が悪いんよ! 同じに生きよう思うことが、何で悪いんじゃ!!」
海面が強く叩かれると、水中に潜んでいたシロガネが飛び出しゲンジの乗るボーマンダへと白い牙を向ける。
一瞬ボーマンダがひるんだ。 よし、とばかりにサファイアがラグラージの『カナ』の入ったモンスターボールに手をかけると、海中からカイオーガがサファイアのことを押し上げる。
「行け!」
高く跳ね上げられ、サファイアは自覚の無いまま2メートル近く飛び上がる。
そのままデオキシスとダイゴの両方にぶつかり、再び海へとダイブするハメになった。
鼓膜をゆさぶる、高い電子音。 衝撃でデオキシスの触手のような腕が外れ、海面にもう1つしぶきが立つ。
水中でカナを呼び出し、完全に気絶しているダイゴを海の上まで持ち上げると、サファイアは空中に浮かぶデオキシスへと向かって叫びかけた。
「ダメじゃ、傷つけたらアカン!! キハ・・・!」
一瞬だけサファイアの方を見ると、言葉が終わらないうちにデオキシスは長い触手をくねらせてサファイアたちから遠ざかりだした。
驚きで息が止まりそうなほど、速い。 わずか一瞬、後姿を見つめるとサファイアは慌てて青いモンスターボールを投げる。
「追うんや‘チャチャ’!!」
テッカニンの羽音が衝撃波となって海面を揺らした。
見失わないよう方向をしっかりと見定めると、サファイアはカナの背に乗り上げシロガネを抱える。
どんどん遠ざかるデオキシスを追うようカナへと指示を出したとき、サファイアはなり続けている電子音が自分のポケナビであったことに気付いた。
それどころではないが、一応着信を受ける。 途端に響く、聞き覚えのある声。
「サファイアッ!! 何やってんだい、急にいなくなったりして!!」
「・・・ルビー!?」
驚いた。 電話1つまともに扱えない彼女から、着信があることなど絶対にないと思っていたから。
体がかたむく。 慌てて体勢を立て直すとサファイアは前へと目を向けた。
色々と聞きたいこともあるが、それどころではない。
「悪い、今立て込んでるねん。 後で掛けなおすわ!」
「バカ言ってんじゃないよ! あたいが『これ』出られないの知ってんだろ!?
こっちから行く! 今どこにいるんだい!?」
「105番水道! 北の方に向かっとる!!」
サファイアはそう言うと、返事を待たずにポケナビのスイッチを切る。
その一方で、通信終了の文字を見たまま、ルビーは固まっていた。
『ありえないこと』を、サファイアが口走ったせいだ。
ネットワークエンジニアのマユミは自身で散かし過ぎた資料の整理に追われていた。
久しぶりに帰ってきた姉に紅茶でも出そうかと思ったら、台所までの道までもふさがれていたのだ。
普段こういうことはあまり気にしない性質だが、1度気になりだすとキリがない。
他にやることがあったのも忘れ、結局、尋ねてきた姉のアズサまでも巻き込んで部屋の大掃除が始まってしまったわけである。
ただ、普段こういうことをやり慣れない人間が片付けを始めるというのは、山1個切り開くくらいの労力が必要になる。
何気なく置いてあるペン一つ取ったにしても、そこが本当の片付け場所ではないのだ。 本来の置き場所であるはずの机まで辿り着くのに、また本の山を棚に戻したり机の位置をずらしたり。
「ごめーん、お姉ちゃん! 相談乗ってもらうつもりが、すっかり手伝わせちゃって・・・」
手と手を合わせて謝っているポーズを取るが、姉のアズサは黙々と作業を続けたまま。
別に怒っているわけではないのだ。 昔から人と話すよりパソコンと向かい合うことが多かったような人間だから、持っている言葉が少ないだけで。
たまに口を開けば、文章も文脈もメチャクチャだ。 プログラムの構文は間違えることはないのに、とマユミは彼女に見えないようこっそり笑いを漏らす。
「あ〜っ、ホント謎。 謎だわぁ・・・
プログラムのチェックもやった、回線の増強もした、不審なアクセスもなかった。
なのに、な〜んで急にカントーとつながらなくなっちゃうかなぁ・・・テスト段階じゃ何も問題なくつながったのに・・・」
何気なく読みふけってしまっていた本を棚に戻しながら、マユミはふぅと息をついた。
自分でやったことながら、積もり積もったホコリに涙が出てしまう。 本当はこんなことやってる場合じゃない。 しかし、さすがにこのホコリの量を見ると今の自分の状況を放っておくわけにもいかないだろう。
「ホウエンがカントーの間に壁でも製作されたのかしら?」
「は?」
唐突に出された言葉に、マユミは思わず聞き返す。
アズサとの会話はいつもこんな感じだ。 1度、頭の中で翻訳機に通さなければ伝わらない。
「ホウエンとカントーの間に壁?
お姉ちゃん、通信は電波でやってんだから、よっぽど鉄筋とかで頑丈に作らない限り電波は壁も突き抜けるよ?」
「これは私めの研究テーマであるのだけど、『神隠し』が突発する直前オーロラらしきものが発生していたとの目撃情報が寄せられたのよ。
オーロラは電子の摩擦によって発生しているわけだから・・・」
「ホウエンとカントーの間に電磁障害? 相変わらず突拍子も無いこと思いつくねぇ。
地方1個すっぽりかぶせちゃうオーロラなんて、一体どこから発生するってのよ?」
「そこまでは・・・」
アズサが言いかけたとき、不意に小さな地震のようなものが発生し2人は慌てて外へと飛び出した。
あの大量の資料に埋もれて死にたくはない。 扉を開け放したまま外でホッと一息ついていると、揺れ自体はすぐに収まる。
だが、すぐに別の異常に気付きアズサは空を見上げた。
冷房の効いた室内では気付かなかった。 異常なほど輝いている太陽。
危険だと分かっていつつも、部屋の中に逃げ込みたくなる。 それほどまでの暑さ。
アズサは胸に取り付けたポケナビ状の機械を作動させた。
状況を飲み込み、アズサはすぐに日よけ用の上着を羽織った。
バッグの中に仕事用の道具を詰め込むと、周囲へとソナーを向け反応の強い方へと走り出す。
「ちょっと! お姉ちゃんどこ行くの!?」
「『神隠し』! 調査に参りますからマユミは家で待機なさい!」
興奮した様子の姉を見て、マユミはやれやれとため息をついた。
これで、部屋の片付けを自分1人でやらなくてはならない状態になったわけだ。
夏の終わりとはいえ嫌になるほどの暑さに、流れた汗を手の甲でふき取ると、マユミはふと見慣れない物体に視線を向けた。
野生のポケモンにしてはおかしな、赤い物体が空を飛んでいる。
デオキシスがトウカの森を越えようとしているのを見て、サファイアは背筋に寒気が走った。
「ダメじゃ! 止まるんや!!」
あの生物を街に行かせるのはマズイ。 ただでさえ
追いかける手段を海から空へと変え、サファイアはチルタリスの『クウ』で空へと飛び上がった。
地面を走ったりバシャバシャ泳いだりするよりはスピードは出るが、それでも限界はある。
見失いかけて焦りとホッとしたような感情が入り混じったとき、サファイアは背後から追いかけてくる存在に気付いた。
D.Dの目的はあくまでもデオキシスの抹殺のようだ。 任務の困難さに殺気立つ四天王を見ながら、サファイアは歯を食いしばる。
頭が混乱してくるのだ。 一体何を優先させるべきなのかと。
トウカの森を越え、カナズミシティの方へ向かおうとするデオキシスに何度も叫びながら、サファイアはモンスターボールを上に投げ上げた。
「‘シロガネ’後ろに向かって『ハイドロポンプ』!!」
目をつぶってサファイアは叫んだ。 手首が引っ張られ、キシキシと痛みを感じる。
飛び立ってから5分も経っていないはずだ。 にも関わらず指先がしびれ、感覚がなくなってきた。
限界を感じ反対の腕をクウの足へと伸ばそうとしたとき、真後ろから迫ってきた何かに腕が抜けるのではないかというほど強く腕を引かれ、サファイアはつかまっていた手を外される。
「クウ! サファイアちょっと借りるよ!」
ボーマンダの背の上からルビーはチルタリスへと向かって呼びかける。
巨大なドラゴンポケモンの背中にしがみつくようにしながらサファイアは真下を見下ろした。 進路は変わっていない。
礼と状況の確認をしようと少しだけ顔を上げたとき、真上から固いものが降ってきて思い切りサファイアは殴られる。
驚いて顔をルビーの方へと向けると、ものすごい勢いで彼女は怒っていた。 目をぱちくりさせるサファイアへと、ルビーは怒鳴りつける。
「何で黙ってた!! こんな大事になるまで1人で抱え込んで!!」
唐突な展開に言葉を失っているサファイアを起こすと、ルビーはその後ろ頭を今度はぺしりと叩いた。
「呆けてる場合かい! あんたトレーナーだろ!」
「お、おぅ!」
エネルギーを注ぎ込まれたように目に光を取り戻すと、サファイアはぎゅっと腹にチカラを込めた。
鼻から流れる汗を拭い取って前方を進むデオキシスへと目を向け、背後から追ってくる存在を頭の中から消す。
「‘チャチャ’右から回り込むんや! キハダを陸の内側に入れたらアカン!!」
気が狂いそうなほどの大声を出すと、ルビーは片目をつぶってサファイアの腰を抱えた。
「飛んでる2匹モンスターボールに戻しな。 スピード上げるよ!」
「どうやって!? フォルテはスピード上げる技なんて・・・」
「使わなくたってスピードは上げられるよ。 文明の利器さんがあればね!」
モンスターボールを抱えて落ちてきたシロガネをサファイアが受け止めると、ルビーはボーマンダの背から身を乗り出してその口に何かカプセルのようなものを放り込む。
彼女がしっかりと背中にしがみついたのを見ると、フォルテは口に含んだカプセルを飲み込んだ。
赤い翼が風をはらむ。 ぶん、と長い尻尾が振られるとボーマンダは今まで以上にスピードを上げてデオキシスを追いかけだした。
まだ追いつける気配はない。 それでも、どんどん小さくなっていったオレンジ色の物体は、それ以上は小さくならなかった。
先行するテッカニンが、シダケに近づけまいとデオキシスの東側から回り込む。
下を見ると、まるで取り払われるかのようにカナズミの街が前から後ろへと消えていった。
「『スピーダー』! 薬に頼んのは性分じゃないけど、たまにはいいだろ?」
前から吹き付ける強風に髪をバサバサと鳴らしながら、ルビーは前方を睨み付けた。
サファイアの読み通り、デオキシスはカナズミの街を飛び越え115番道路の方へと向かっている。
『りゅうせいのたき』の近くならば、民家はほとんどない。 全力を出して戦うことになろうと、被害を最小限で抑えることが出来るかもしれない。
そう考えつつもゼロに出来なかった自分に腹が立ちシロガネを抱える腕にチカラを込めたサファイアを、ルビーはチラリと見やる。
一応後ろからの攻撃がないか確認しようと顔の向きを変えたとき、目の前が突然明るくなった。
ずっと目の前を飛び続けるポケモンたちを見ていたサファイアに腕を引かれる。
「ルビー、あれ!!」
指差された先を見て、ルビーは目を見開いた。
デオキシスの向かう先、モンスターボールの中に閉じ込めておいたはずの赤い身体。 3メートルを超す巨体は、暴れだしたら手をつけられなくなる。
「・・・グラードン!? どうして・・・ちゃんと閉じ込めておいたはずなのに!」
ハッとしてルビーは自分の下を見下ろした。 隠しておいた入り口が破られている彼女の秘密基地。
眉を潜めると、ルビーはボーマンダのフォルテの首をなでてから、その背中を飛び降りた。
バシャーモを呼び出し、ノーダメージで着地する。 すぐに抱えられた腕から抜け出すと、ルビーは自分の秘密基地を見て唇を噛んだ。
動きのなくなった彼女を見て、サファイアはボーマンダの背の上から立ち上がる。
目の前にいる巨大なポケモンに驚いたのか、デオキシスの動きは止まっている。 どうにか出来るとしたら、自分だけだ。
未知の生命体と伝説のポケモンを相手にするにはあまりに頼りない、自分の小さなパートナーをぎゅっと抱きしめて、サファイアは目の前にいる2匹を睨み付けた。
「こっちじゃ、どアホ!!」
突然怒鳴りつけられ振り向いたデオキシスの顔面にシロガネは『ハイドロポンプ』を浴びせかける。
反動で足が外れ、サファイアは背中から地面へと着地した。 ゴロゴロと地面を転がり、1時間前までの友人に視線を向ける。
しかし、そこには何もいなかった。 瞬き1つする間に背後に気配を感じ、振り向きかけた瞬間サファイアは弾き飛ばされる。
「・・・ッつ!」
デオキシスからの宣戦布告だ、サファイアは直感的にそう感じ取った。
腕の中から飛び出したシロガネを構えさせると、攻撃の態勢に移る前に次の攻撃が飛んできた。
そっちに注意を取られている間にサファイアは頬を強く打たれた。 口の中が切れ、鉄の味が広がる。
ルビーは軽く目をつぶると、秘密基地の隅で震えている小さなポケモンへと視線を向けた。
「いいんだ、あんたのせいじゃない。」
大きな瞳を震わせて自分のことを見つめてきた野生のプリンを抱き上げると、優しく背中をなでる。
地面の上には、背中が割れて綿の飛び出したエネコドールが転がっていた。
きっとこのポケモンがいたずら心で忍び込んで、この中に隠してあったグラードンの入ったモンスターボールを開けてしまったのだろう。
外ほどではないが、ここも安全とは言えない。 とにかく元いた場所に戻そうと薄暗い穴からプリンを抱えて出てくると、ルビーは異変を感じ、眉を潜めた。
暴れまわると思っていたグラードンに、動きがない。 まるで何かを待っているように空を見上げ、じっとしたままなのだ。
鼻先から流れた汗がチリチリと蒸発していくのを感じた。
「・・・グラードン?」
山沿いの道に向かってプリンを放すと、ルビーはモンスターボールを片手に赤いポケモンの方へと近寄っていく。
外で待っていたバシャーモのイオンもその後をついてきた。
出来ることなら暴れさせることなくモンスターボールに戻したい。
チャンスを伺いながら、ルビーは何気なく視線をサファイアの方へと向けた。
途端、「ひっ」と息が鳴り、思わず心臓を握り締める。
「・・・ルビーの、声・・・」
口の先だけ動かすと、サファイアは視界のかすむ目をこすった。
耳がうまく機能してくれない。 感覚のない指先をくわえると、足元にいるはずのシロガネに集中する。
「・・・‘シロガネ’『かみつく』!!」
タイミングを計って指示を出す。 だが、相手の行動の方がずっと早い。
あっという間にシロガネに一撃を加えると、デオキシスは指示を出しているサファイアの足を払った。
思い切り胸を打ったサファイアは咳き込みながら、相手の姿を探す。
「・・・ッ・・・やっぱ、ミツル君・・・。 打たせてくれへんとこ・・・とか、おんなじや。」
ステージを取り囲む大観衆を思い出し、サファイアは笑った。
「落ち着きよ・・・‘シロガネ’。 チャンスは、きっと来る。」
腹に食らった大きな傷を抱えながら、ワニノコはうなずいた。
いつもせかせかと動き回っていた足が、ぴたりと止まる。
姿の見えない相手を探し、しゃがみ込んで集中していると、空に浮かんだ雲の影がゆらりと動き赤い触手がワニノコの身体を突き刺した。
ルビーの目が大きく見開く。 続けざまにサファイアを攻撃しようとしたデオキシスの腕に、青い何かが噛み付いた。
反射的に振り払った腕ごと、ワニノコのシロガネは持って行く。
片腕のなくなったデオキシスへと向かって、サファイアは人差し指を突き出した。
「今じゃ! 攻撃を休めるな!!」
高い声を上げながらシロガネは噛みちぎった腕を捨てデオキシスへと向かっていく。
デオキシスは反対の腕を振ってシロガネの追撃をかわすと、上空へと逃げ出した。
噛み切られた傷口から新しい腕が生え、揺れ動く。 睨むようにサファイアのことを見ると、デオキシスは目の前で紫色の球体を作り出した。
感じられるエネルギーの大きさに、シロガネが指示をあおごうとサファイアへと視線を向ける。
既に攻撃を受けられる状態ではなくなっているワニノコの状態を見て、ポケモンを変えようとサファイアが腰のモンスターボールに手を当てた瞬間、デオキシスは上から降りかかってきた赤い腕に打たれ、地面に組み伏せられた。
肌がピリピリするほど、気温が上がっていく。
デオキシスを組み伏せたグラードンから発せられる怒りに、ルビーとサファイアは体の底を震わされた。
・・・お前か。
私の、可愛い娘を連れ去ったのは・・・
お前かああぁぁっ!!
「サファイアッ、逃げろ!!」
手から零れ落ちたモンスターボールからラグラージが飛び出し、サファイアとシロガネを抱えルビーの方へと飛ぶ。
地面が震え、火花がパチパチと飛び散るような音が聞こえてきた。
グラードンの身体から青白い光が発せられ、体が燃え上がりそうなほどの熱気が辺りを包む。
自分のトレーナーを守ろうと、カナはグラードンを睨むと緑色の光を放つ壁を作り出した。 バシャーモが2人のトレーナーを抱え、ぎゅっと体を小さく丸める。
腕の間から、サファイアはデオキシスが燃え上がっていくのを見つめていた。
川が干上がり、魚たちがぴちぴちと跳ねる。 流れ落ちそうになった涙さえも、熱に奪われていく。
「・・・・・・っ、ミツル君!!!」
熱が収まると、サファイアは叫んだ。
グラードンは動かない。 ただはぁはぁと、生物らしい荒れた息づかいを繰り返しているだけだ。 恐ろしさのあまり閉じていた目を開くと、ルビーは眉を潜める。
辺り一面に、ゆらゆらと揺れ動く虹のようなものが広がっていた。
自分たちを縛り付けていた腕が解かれると、サファイアはイオンの腕を抜け出してグラードンの方へと走り出した。
真っ黒に燃えた跡が、地面の上に貼り付けたように残されている。
グラードンの足元にある、人の形に焼け残った黒い跡を見つけるとサファイアの目から涙がこぼれた。
胸にはまっていた水晶のような物体だけが、ただそこに転がっている。 ヒザをついて泣き出したサファイアに目を向けながら、ルビーはそれを拾い上げた。
あれだけの熱気の中心にあったというのに、ヤケドするほどの熱さもない。
見たことのない光を放つそれを抱えると、ルビーは赤く光る瞳でグラードンへと視線を向けた。
「・・・人?」
いつの間にか抱えられていたそれを見て、彼女は小さく疑問の声を上げる。 さっきまで確かに誰もいなかったはずなのに。
怒気のない瞳でルビーのことを見つめると、グラードンは抱えていた人間をルビーへと差し出した。
女の人のようだが、充分ルビーたちより大きな背をしている。
受け止めきれず困っていると、彼女の代わりにイオンがその女性を受け取り、抱き上げた。
それを見届けると、グラードンは一瞬笑ったような顔をして、自分からモンスターボールの中へと戻っていく。
『りゅうせいのたき』の入り口からコトの一部始終を見ていたアズサは固まっていた。
異常事態だということには気付いていたが、まさかここまで大事になっているとは予測出来ていなかったのだ。
得体の知れない未知のポケモンと、神話の中でしか聞いたことがなかった伝説のポケモン、グラードン。
自分が関わっているには大きすぎる事件の気がして、アズサは来た道を引き返し、逃げ出した。
洞くつに住むズバットがキィキィと鳴き声を上げる。 その鳴き声さえも恐ろしくなって、耳をふさぎながら。
ソルロックにぶつかりながら114番道路に抜けると、妹のマユミの姿を見つけ、泣き出しそうになった。
だが、彼女は彼女でそれどころではなさそうだ。 片手をぶんぶんと振り回し、こっちへ来るように動作している。
「お姉ちゃん! 大変、大変ッ!!
急につながりだしたのよ、パソコンの通信システム!!」