「もう・・・何年前のことやろうか・・・」
良い脱出案も見つからないまま一晩過ごしてしまった島から、珍しいほど凪いだ海を眺めてエメラルドはつぶやいた。
歩きつかれたのか、リラは太い幹に寄りかかったまま眠ったような体勢で彼の話を聞いている。
「サクラガイ、欲しかったとよ。 保育園で好きやった女の子が、欲しい言っとって・・・
 何とはなしに雄貴にそのことば行ったけん、ばってん、その日は台風が近づいとって、朝から大嵐で・・・」
「お兄さん、どうしたの?」
「バカ正直に海岸まで貝がら探しに行って・・・波に飲まれた。
 偶然大波に押し戻さなければ、とっくにあの世行きばい。」
薄暗い天を指差しエメラルドがそう言うと、リラは何かを納得したように小さくうなずいた。
「きっとその時に、お兄さんは『神眼』を授かったんだろうね。」
疑問そうな顔をしてエメラルドは振り向く。
島の木になっていた果実を一口かじると、リラは遠い目をして続きを口にする。
「キミにとってはショックなことかもしれないけど、キミのお兄さんは恐らく・・・海に落ちたとき1度絶命している。
 その時にポケモンが、お兄さんを生き返らせて岸に押し戻したんだ。 ポケモンは時に、そういうことをする。」
「リラ・・・」
「なに?」
「・・・ここ、どこと?」
原生林のような木の生い茂った森を見て、エメラルドはつぶやいた。
リラは首を横に振る。
2人は途方に暮れていた。 海の上にぽつんと浮かぶ、名もない島の上で。
リラは立ち上がってヒザを伸ばすとうす紫色の空を見上げ、服の泥を払う。
もっとも、既に顔も手のひらも汚れていたので、それはポーズと気分を入れ替えるスイッチにしかならなかった。
ふぅと息をついたとき、小さな島を覆いつくすような森の中で緑色の光がぽっと現れて、消える。




エメラルドもその光に気付き、立ち上がってよく目を凝らした。 チョンチーやバルビートなどの類ではなさそうだ。
やや大きい光は2人の人間のような形に変化すると、柔らかく、そしてゆっくりとその光を弱める。
完全に明るさがなくなると、少しの間、エメラルドには現れた物体が見えなかった。
やがて、それが動き出してから2人はそれが人間と1匹のポケモンなのだということに気付く。
1度だけ会ったことがある。 1年前、サファイアが旅していたときの友達で、彼自身もポケモントレーナーだったと聞く。
「おはようございます。」
風の音にまぎれてしまいそうな静かな足音で近づきながら、相手は2人に会釈した。
一晩中、島からの脱出方法を模索していた2人とは対照的に真っ白な服を着た彼からは、疲れも、早朝の気だるさも感じられない。
色白の少年は連れていたサーナイトから箱状のものを受け取ると、それを2人の前で開いて見せた。


「ヒナタさん・・・あ、お2人にはマリンと名乗っていたんですよね? 彼女から、作戦の引継ぎを言い渡されました。
 今から、バトルフロンティアに攻撃を仕掛け、神眼を作り出す装置を破壊します。」
「キミは・・・?」
顔を上げたリラに緑色の瞳を向けると、少年は薄く笑って見せた。
「トウカシティのミツルと言います。 一応今はトレーナー・ポリスです。」
「今は?」
「単独行動に走ってクビを言い渡されそうなので。」
苦笑いしつつそれほど気にしていないような仕草を見せると、ミツルと名乗った相手は手に持ったパソコンを軽くいじった。
よく見れば、それはマリンがいつも使っていたのと同じ形をしている。
バックライトのついた液晶画面にバトルフロンティアの地図が映し出されると、ミツルはゆっくりとそれを指でなぞる。
「エメラルド君、昨日の一件でご存知でしょうが、神眼を作り出す装置はバトルフロンティアの中央奥・・・バトルタワーの地下にあることが判明しています。
 フロンティアブレーンたちは全員、この装置を使って人工的に作り出された『神眼』です。
 この装置を壊せば、彼らの持つ能力はなくなるはずですから・・・」
「違う!!」
まだ何か言いたそうなミツルをさえぎって、リラが叫ぶ。
たった一言だというのに息を切らせたリラに2人が目を向けると、リラは目を伏せて、聞こえるか聞こえないかくらいの声で言葉をつぶやいた。
「・・・ボクは、『人工的』なんかじゃない。」
一瞬、不思議そうな顔をして目を瞬かせると、ミツルは少しだけ首を傾げるようにして相手へと尋ねる。
「『蒼眼』・・・ですか?」
「違う、『緑眼』・・・『塔』を守る人間が必要だと、ボクは生かされ続けているんだ。
 でも違う・・・ボクが守るべきなのは、あんなものじゃないんだ!!」
「落ち着いて・・・!」
パニックを起こしそうなリラの肩を押さえると、ミツルは自らも落ち着くように大きく息を吐き出した。
目をつぶって1度震えるようにすると、リラは開かれたままのパソコンの画面に目を落とし、注意深くその内容を探った。
「何人かに分かれて他のブレーンを足止めするんだね。
 ねえ、この装置を壊しに行く役目、ボクにやらせてくれないか?」
一目で作戦の内容を把握してしまったリラに驚くエメラルドだったが、ミツルはリラの進言を首を横に振って否定した。
「『信頼に値する理由がない』と、ヒナタさんから断るように言われています。
 その役目はエメラルド君、あなたにやってほしいと。」
「俺!?」
突然指名されて、エメラルドは焦った。
彼らの話している内容の半分も理解していないうちに、突然白羽の矢を立たされてしまったのだ。
目を白黒させて自分を指差したまま固まっているエメラルドにゆっくりとうなずくと、白い少年は笑った。
「あなたにしか出来ません。 リラさんを除けば、作戦に参加する人間の中でバトルフロンティアの構造を熟知していて、バトルタワーの奥まで辿り着ける人間はエメラルド君しかいないからです。」
「やったら、リラも言ってることだしリラに頼めば・・・!」
「先ほども言ったことですが、リラさんはフロンティアブレーンです。
 そして、この作戦の指揮者であるヒナタさんに、自分が裏切らないことを証明できる状態にありません。
 ヒナタさんはあなたをしています。 あなたしか、いないんです。」
はっきりと言われ、エメラルドはうつむいた。
おびえているまぶたが、彼の意に反してピクピクと動く。 そっと肩に置かれた手に驚いて顔を上げると、ミツルは落ち着いた目でエメラルドのことを見つめていた。
「・・・あなたしか、出来ないんです。」
灰色がかった目を向けられると、エメラルドの中で当て所もなくさ迷っていたものが、すとんと音を上げて着地した。
それは、幻想だったのかもしれない。 しかし、手の中にすっぽりと収まった2つのモンスターボールは、確かにカタカタと音を立てていた。
訳も分からぬまま、エメラルドはうなずいた。
ミツルはそれを見て笑うと、パソコンの画面を変化させて再び作戦の説明を続けた。




「・・・『ここに立ち入る人間が再び現れるとすれば、心優しい人であらんことを。 今ここにその願いを記し、この地を後にする』・・・」
やたら乱暴な運転をする船の上、遠ざかっていく島を見つめながら古びて崩れかけていた看板に記されていた言葉をエメラルドは復唱した。
本当は全部その通りに書いてあったわけではない。 ボロボロで崩れかけていたし、こすれて読めなくなっている部分もあったが文章をつなげたら何となくそんな感じになっただけだ。
あれを見つけたときはもう本当に助からないのではないかと思ったものだが、何だかんだで色んなものに流されながらも再びバトルフロンティアへ戻ろうとしている。
「世界は、広かね。」
エメラルドの全く知らない島だった。 それなりにホウエンの地理は学習したつもりだったが、本土から見えないほど遠くて小さい島までは覚えていない。
ぼんやりと島の見えなくなった方向に顔を向けていると、ミツルがゆっくりと寄ってきてエメラルドの側に腰掛ける。
「あの島はマリンさんが見つけたそうですよ。」
「ほんま? ずいぶん古か書置きみたいなのがあったんやけど。」
「それ以前に・・・島を訪れた人のものでしょうね。 時々、あの島にミュウが訪れるそうです。」
聞きなれない単語に眉を潜めて首をかしげると、ミツルは少しだけ眉を上げる。
「世間では知られていない、151番目のポケモンです。 姿を消したり、他のポケモンに姿を変えたりして、普段人前には滅多に姿を現しません。
 『サトウ』というニックネームのピチュー、飼っていましたよね? あれもミュウです。 エメラルド君が寝ている間にマリンさんがすり替えたと・・・」
「そうばい、タマゴは!?」
「安心してください、オダマキ研究所に預けられています。
 本当はまだ孵っていないんです、だますようなマネして悪かった・・・と、これもマリンさんからの伝言です。」
ウソだった。 本当は伝言なんて受けていない。
ナナシマに発つ前の彼女はピリピリしていて、作戦の説明だけで手一杯なのが見て分かるほどだった。
それでもそのウソを簡単に信じ切ってしまったエメラルドに言葉1つで踊らされるサファイアの面影を見ると、ミツルは少しだけ含むように笑った。
「今、姿を消す能力を持つあの2匹・・・ミュウと、ラティアスというポケモンがバトルフロンティアを探っています。
 海の上からでは電波が届かないので、島に接近して情報が入り次第、ボクは『テレポート』で先に乗り込みます。
 エメラルド君は予定通り、正面から乗り込んで、バトルタワーへと向かって下さい。」
そう言うと、エメラルドは素直にうなずいた。
相変わらず表情の読みにくい薄い笑い方をすると、ミツルは島とは反対の方向に視線を向けた。
時計を確認する。 世間一般では朝食と呼ばれるものを食べ始めている時間だ。
肝心なところで気を利かせられない自分に苦笑しながら、ミツルはボロボロのモンスターボールを1つ、宙に放り投げた。






まもなく本船は2の島に到着いたします。
お降りの方は、お忘れ物のございませんよう、お支度願います〜・・・


「うっは〜! 2の島かー! こうして改めて見ると・・・」
レッドは船の上から手すりにつかまってはしゃいでいた。
ふざけて船を揺らすマネなどしてみるが、数十人乗り込める大型船がその程度のことで大揺れするわけもない。
冷めた視線で彼の背中を見つめていたグリーンは、ため息のようなものを1つつくと、軽く鼻を動かしてレッドへと話しかける。
「改めて見ると?」
「あ、いや・・・」
質問され、レッドは言葉に詰まった。
白い波しぶきを跳ねさせる海面へと視線を落とし、きゅっと帽子を深く被り直すと、目を細めるようにしながら島の方へと視線を移す。
「・・・すごいガケだな。」
はしゃぐことの出来なくなったレッドを軽く突くと、グリーンは何も言わず船の中へ戻って行った。
強い風に吹き飛ばされないよう帽子を押さえ、ゆっくりと大きくなっていく島に青年は顔を向ける。
船室から飛び出してきたピカチュウが肩に飛び乗り、パチパチと頬の電気袋から音を鳴らす。
「暗い顔、出来ないな。」
ピカチュウがうなずくと、レッドは軽く笑い、近づいてくる港に目を向けた。
きっと自分たちを迎えに来たのだろう、ファイアとリーフがこの上ないほど嬉しそうな顔をして自分へと手を振っている。
2人とも、以前会ったときよりも1回り大きくなっているように見えた。
腹にチカラを込め、レッドは2人へと手を振り返す。




「リーダー遅っせぇーっ! なに船遅らしてんだよ!」
「バーカ! オレの偉大さにシーギャロップがビビッて遅れちまったんだよ!」
港に降りるなり冗談を飛ばしてきたリーフに軽く殴るマネをすると、レッドは荷物を背負いなおして背後から降りてくる人たちに目を向けた。
グリーンにブルーにマサキ・・・カントーのポケモン界では知らない人はいないほどの人間がそろい踏みだ。
胸のうちにある不安を吹き飛ばすかのようにレッドが大きく手を振ると、その手を、小さな手のひらがつかむ。
「レッド!」
「ファイア・・・?」
半月の形をした瞳をくりくりさせると、ファイアはにっこりと笑ってポケットの中をまさぐった。
ちゃりっと小銭のすれるような音が聞こえると、ぱっと頬に光が差し、にこにこしながら彼女はレッドに紐でつながれた貝がらを渡す。
「・・・? ッあ!
 あ〜あ〜あ〜! そっか、プレゼントな!!
 自分でも忘れてた、ありがとな、ファイア!!」
紐でつながれているのが腕に巻きつけるためだと分かると、レッドは貝が外れないよう気をつけながらそれを左腕に巻きつけ、ファイアへと見せる。
日焼けした腕に揺れる赤や白の貝がらを見ると、ファイアは全身で微笑んだ。
不思議そうな顔をするリーフをよそに、レッドは船から降りてきたマサキやグリーンたちへと向かって、指を1本立てながら割と事務的な口調で喋る。
「ゴールドたちが来たら作戦会議な。
 ずいぶん遅れてるみたいだけど、多分今日中には着くと思うからさ。
 あぁ! あと、朝言い忘れてたんだけど、今回の作戦に・・・」
何か重要なことを言いそうだと全員が耳の感度を上げた瞬間、レッドの声は「どぼおぉーん!!」という巨大な波音にかき消された。
雨のように降ってくる波しぶきを浴びながら、目を点にして白い海面を見つめていると、背後から銀色の鳥と紫色のコウモリが飛んできて、港にストンと着地する。
「おはようございまーす。 ・・・あれ、もう2時だから「こんにちは」かな?」
「・・・どっちでもいいだろ。」
音もなくクロバットから降り立った赤い髪の男が、エアームド使いの少女に突っ込んだ。
そんなことより海に突っ込んだ人間らしいものを放っておいていいのかとリーフが海の方を指差すと、エアームドに乗ってきた少女はにっこりと微笑んで明るい声を出す。
「あぁ、大丈夫! サファイアだから!」
「あ、なる。 じゃヘーキか。」
「えぇっ!? ちょっと、アレ人だったろ!? いいのかよそれで!?」

勝手に納得しているレッドに思わず怒鳴りつけたとき、先ほど水柱の立った水面からぶくぶくと泡が立ち、「ぶはっ!」と大きな声を上げて少年が浮かび上がってきた。
「ね?」
「「ね?」って・・・」
ついていかれない。 心配する様子すらない人たちや、ほとんどダメージもなく岸へと泳いでくる少年。
何となく手を貸すことも出来ず、はいつくばるように港へと上がってきた少年のことを見ていると、彼は飲み込んだ水を吐いてから少女たちへと怒鳴りつける。
「大丈夫やあれへんわッ、どアホッ!!
 何で誰も助けてくれひんの、死ぬかと思うたやないか!?」
びっくりするくらいの元気さでレッドと話す2人へと怒鳴りつけると、少年は片眉を上げ、リーフの腕を引いた。
先ほどまで怒っていた様子がみじんも感じられない。
目を丸くしながら見つめるリーフに何てことはない調子で笑いかけると、緑色の帽子をかぶった少年は斜め上の方を指で差す。
「危ないで。」
「は?」
「はーい、どいたどいたーっ!」
どこからともなく声が響き、リーフは声の主を探してキョロキョロと顔の向きを変える。
リーフが見つける前に、『それ』は目の前へとやってきた。
舞い上がるはずもない小石まで飛ばしそうな強風を起こしながらやってきた大きな竜。 その上に乗る、2人の少女。
そのうちの1人が『ルビー』だということに気付き、リーフは心臓が止まりそうになった。
本物に会うことなど、ないと思っていたのに。

「サファイア・・・もーちょいクウのこと、ちゃんとしつけといた方がいいんじゃないかい?
 そのうち脱走するよ?」
「アハハ・・・スマンな、ルビー。 やるときゃやる奴なんやけどなぁ・・・」
小脇に抱えた水色の鳥を横に居る『サファイア』と呼んだ少年に押し付けると、ルビーは自分たちを乗せてきた大きな竜をモンスターボールの中へと戻した。
足場を失ったもう1人の少女が、トンッと軽い音を立ててコンクリートの上へと着地する。
長い髪を結い上げていたゴムを外すと、彼女は一目散にファイアのもとへと走っていった。
レッドに会ったときと同じ、満面の笑みを浮かべる彼女とパン!と両手を打ち合わせると、ファイアの白い帽子の上から、細い手を当てる。
「モモ久しぶり! 元気にしてた? 泣いたりしてない?」
「ファイア元気だよ!」
明るく返事したファイアにニコリと笑いかけると、彼女は箱を取り出し、レッドの方へと投げた。
「レッド、誕生日プレゼント! 新しいタオル欲しいって言ってたよね?」
「あぁ、助かるよ。 ありがとう!」
「あとさ〜、テル兄来られないって。 何かお医者さんとの交渉が上手くいきそうだっつって。
 代わりにあたしが来てあげたから、安心して!」
「マジ?」
少女から受け取った箱を大切そうに抱えると、レッドは2人の少女へと歩み寄り、ルビーやサファイア、リーフたちの方へと向き直らせた。
3人が「あっ」と声を上げる。 同じ顔なのだ、ファイアと、ルビーと一緒に居た少女が。


「リーフ! あとルビーにサファイア。
 紹介する。 オレの妹で、ひなたと桃子。 大きいほうがひなたで、小さい方が桃子な。
 2人ともポケモントレーナーで、トレーナーネームは『ファイア』。 2人でファイアって名前共有してんだ。」
「双子・・・?」
ルビーが尋ねると、レッドはうなずいた。
自分と同じ半月型の瞳を見つめると、ひなたはチラリと3人の方に顔を向け、ハッと気付いたように眉を吊り上げる。
その視線に射抜かれたリーフはビクリと肩をすくませた。
1歩1歩、大股で彼女は近づいてくる。 怒ったような彼女の表情を見ていると、リーフの頭の中で何かがつながり、火花が弾けた。
「・・・ポケモンリーグの・・・!」
リーフが言いかけたとき、ぱぁん!と、大きな音が港に響いた。
「何で、あんたがここにいるわけ・・・!?」
赤くなった右手を開いたまま、ひなたは整った顔をゆがめてリーフを睨みつける。
呆然としている彼から視線を外すと、彼女は自分の顔を隠してポケモンセンターの方へと歩き出した。
状況が飲み込めないサファイアは2人の方を指差し、ルビーに説明を求める。
少し眉を潜めたが、彼女は口元に手を当てるとそっと耳打ちして教えてくれた。
「リーグからの通知来てなかったのかい?
 あの2人がポケモンリーグ、カントーブロックの優勝者と、準優勝者だよ。」
「えっ」とサファイアは小さく声を上げる、リーグからの通知なんて来てなかったからだ。
その理由は案外早く思いついた。 郵便車強盗だ。 恐らく、どさくさでどこかへと消えてしまったのだろう。
「せやけど、何であんなに仲悪そうなん?」
「・・・さぁ? 仲悪そうっていうより、ヒナちゃんが一方的に怒ってるように見えるけど・・・」
ルビーは首をかしげると、困ったようにに頭をかくレッドの方へと目を向けた。
不安そうにしているファイアをなだめている彼の手首についた貝がらを見ると、自分自身の手首に視線を移す。
薄ピンク色をした貝がらが、リストバンドの下から覗いていた。
苦笑するようにすると、ルビーはそれを、誰の目にもつかないように丁寧にリストバンドの中へとしまい込む。








足音が聞こえ、ひなたの肩が震えるのが見えた。
それほど距離は近くないはずだ。 彼女の持つ警戒心の強さに、リーフはため息をつく。
「・・・あのさ、」
リーフが話しかけると、ひなたは歩き出した。
明らかに避けられている。 遠ざかっていく彼女の背中を見ると、段々と腹が立ってきてリーフは走り出した。
自分の方を向かせようと肩をつかむと、その手を払われる。
なんとかして足を止めようと今度は腕をつかむと、ひなたはそれを振り払うように大きく腕を回し、振り返って右手のこぶしを前に突き出した。
相当戦いなれているが、リーフには受け止められた。 怒り出しそうになる気持ちを抑えながら、彼は怒鳴るような口調でひなたへと尋ねる。
「あのさぁ、ポケモンリーグでお前の戦い方否定するような言い方したのは、そりゃオレが悪かったよ!
 でも、話しかけられたくもないほどオレのこと嫌いか? 島のこと見るのも嫌になるくらい、悪いことしたのか!?」
「・・・っ!」
ゆがんだ瞳からこぼれた涙を見て、顔の前にきたこぶしを押さえたままリーフはビクリと肩をすくませる。
固く閉められたこぶしから、ゆっくりとチカラが抜けていくのが分かった。
「・・・なんで、あんたなのよ・・・!」
顔を見られたくないのか、ゴシゴシと肌が赤くなりそうなほど強くこすると、相手は絞り出すような声でリーフを責め立てる。
「あんたなんかより、モモの方がずっと強いのに・・・
 なんで、なんで決勝の相手があんたなのよ!! ずっと・・・2人で、一緒にやってきたのに・・・!」



ぱん、と鳴った音に、ひなたの言葉はさえぎられた。
2人が同時に振り向くと、手と手を合わせ、神に祈るような仕草を取ったレッドが、冷静な目で2人のことを見つめている。
「・・・その辺にしとけ。」
いたずらの見つかった子供のように首をすくめると、ひなたはリーフから逃げるようにレッドの胸に飛び込んだ。
小刻みに震える肩を見るリーフに、レッドは申し訳ないといった表情を向ける。
りーな、ヒナも、いつもはいい子なんだけどな・・・」
「いや、気にしてないけどさ・・・
 レッド・・・ファイアの奴、抽選にでも落ちたのか?」
「落ちちゃいねーよ。 そもそも、ヒナもモモも予選、応募してないしな。」
「じゃ、何で・・・」
反論しかけて、リーフはハッと目を見開いた。
「・・・予選で、ひなたの姿見なかったろ?」
「もしかして、お前ら・・・2人ともバッジを・・・?」
黒いシャツに顔をうずめるようにしながら、ひなたは小さく小さくうなずいた。
止めきれない嗚咽が、リーフの鼓膜を揺さぶる。
「1年前、2人でバッジゲットの旅に出て・・・同じようにバトルして、同じように8つのバッジそろえて・・・
 なのに、ポケモンリーグの受付でモモだけ落とされて・・・!
 あたし、あの子になら負けてもいいと思ってた! なのに・・・なんで、なんであんたなのよ!!」
怒鳴られるのは理不尽だと思ったが、リーフはひなたを責められなかった。
震える彼女と目を合わせることが出来ず、帽子のツバ越しに助けを求めるようにレッドへと視線を向ける。
「リーグの受付で落とされた・・・って?」
尋ねると、レッドの瞳がかすかに震えた。
ほんの一時ひなたの方へと顔を動かすと、少しうつむき、レッドは泣いたように笑った。
「モモが、受付票に自分の名前書けなくってさ。 本人確認不可能ってことで、落とされちまったんだ。
 ずいぶんヒナも粘ったみたいなんだけど、双子だから他人からは見分けつけにくいだろ? 代理出場されると困るって突っぱねられてさ。
 結局、年度を1年ずらして特別出場枠でリーグに出すことにしたんだ。 推薦出場なら、本人確認いらないからさ。」
涙に埋まりそうなひなたの顔を見て、リーフは気付いた。 彼女も、自分と同じなのだ。
「だから、今度の作戦・・・最終目標は『デオキシスの撃破』じゃなくて、『ファイアをポケモンリーグに出場させる』ことにある。
 勝手なことだとは思うんだけどさ、リーフ、協力してくれないか?」




青い地図を中心に、子供たちは円になった。
「じゃ、作戦会議始めるぞ。」
白いポケモンを背に、レッドは声のトーンを落として集まった人たちにそう言う。
集まった子供たちの中に、ファイアの姿はなかった。 代わりにナナが、ひなたの腕にすっぽりと収まってレッドの話に耳を傾けている。
地図の中心にある黄色い三角形を指差しながら、レッドは静かに全員に視線を配った。
「これが、『たんじょうのしま』。 先月、デオキシスが降り立った時にカントー側に落っこちてきた場所だ。
 場所は6の島南東。 普通の船じゃ行かれない、カントーの最東端だ。」
「北緯24.2度、東経153.6度。 本来ならまず見られるはずのないオーロラがここ1ヶ月、何度も観測されているわ。
 レッドやサファイアからの話から、デオキシスが現れるとき、高確率でオーロラが発生することが分かっているの。 それによって、電磁障害が発生しているということも。
 よって、デオキシスがここを拠点にしている可能性は、かなり高いわ。」
ブルーが補足し、意味の分かった何人かがうなずいた。
自分に注目させるため、机をトントンと叩くと、レッドは別の地図を机の上に広げる。
「ざーわーつーくーなっ、サファイア、お前だよ。 要するに、ここにデオキシスがいるって話だからさ。
 本題に戻るぞ。 今回の目的は大きく分けて2つ。
 1つは、全員分かってると思うけど、ナナシマに発生したデオキシスの討伐。
 もう1つは・・・ナナシマにいる、ロケット団残党の一斉逮捕だ。 これは警察がやるから、気にしなくて・・・いい。」
「ロケット団!?」
机を叩いて立ち上がったクリスに、ルビーとサファイアが震えた。
性分を分かっているのか、シルバーが彼女の腕を引き、なだめながらイスに座らせる。
大きな瞳を震わせながら、うつむいてクリスは唇を噛みしめる。
「・・・どうして・・・!」
「よく分からないけど、いる。 お前らが来る前にブルーが仮説立てたんだけど、どうも観光客に混ざってるらしいんだ。
 4の島で四天王カンナのポケモンが襲われてるから、その件でまず職質かけて、少しでも怪しい動きがあれば逮捕する。
 幸か不幸か、夏休みも終盤で本物の観光客はかなり数が減ってる。 探しやすくはなってるはずだ。
 ・・・っつっても、これは警察の仕事だから、オレたちほとんどやることないけどな。」
質問を投げかけようとしたリーフに、レッドは「しっ」と唇に指を当てる動作を取って、クリスの方を指差した。
触れれば爆発しそうなことマルマインのごとし、だ。 大人しく引き下がるとリーフは机の上で腕を組む。


「もういいか? 話をデオキシスに戻すぞ。
 ここにいる7人で『たんじょうのしま』に乗り込んで、デオキシスと対決する。
 同時進行で、デオキシスと一緒に進入してきた隕石を探してもらう。
 意味、分かるよな? 突入してきた隕石ごと、宇宙に送り返すんだ。」
おずおずと手を上げながら、サファイアが上目づかいに見ると、グリーンは持っているペンで彼のことを指した。
「ん?」
「・・・なぁ、何も・・・倒さんでもええんちゃう?
 ホラ、ポケモンなんやし! 捕まえるとか、仲良ぅなったりとかして・・・!」
「お前な! 今さらそんな甘いこと・・・!」
「・・・グリーン!」
レッドが呼ぶと、グリーンはぴたりと喋るのを止め、眉を潜めながらペンをくるりと回す。
何が『形だけ』のリーダーだ、と、リーフは心の中で苦笑した。
呼び声1つで、全員をとりまとめてしまっているというのに。
「あのな、サファイア。 デオキシスが来てから少なくとも3人、神眼を持った奴が襲われて、能力を奪われてんだ。
 神眼が喰われるってことは、ポケモンが喰われるってことだ。
 お前の気持ちはすーっごくよく分かるんだけどさ・・・でも、一緒には暮らせないんだよ。」
「せやけど・・・!」
反論しかかったサファイアに、ルビーが口をはさむ。
「・・・サファイアと一緒に居たデオキシス、弱ってたんだろ?」
ピクッと顔を引きつらせると、サファイアは押し黙った。
ルビーの方を1度向いてから彼に申し訳なさそうな顔をすると、レッドは左手の甲を指でなぞる。
「・・・何かいい案があったら、いつでも言っていいからな。
 他、誰かここまでで質問ある奴いるか?」
はい、と、今度はルビーの方が手を上げる。
指差されると、彼女は机にひじをついた。 無意識に動作の1つ1つに着目する自分にミーハーさを感じて、リーフは少し自分が悲しくなる。
「7人・・・って言ったけど、あたいとサファイア、クリスとシルバー、リーフにヒナちゃんにレッド・・・ちっちゃい方の「ファイア」って子は?」
片眉を上げると、レッドは口元だけで薄く笑った。
「ファイア・・・モモは、警察に協力してロケット団の捜索に当たってもらう。」
え? と疑問が頭をよぎり、リーフは反射的に立ち上がった。
「置いてくのかよ!?」
「あぁ。」
「何で・・・!? ファイアをポケモンリーグに出すんだろ!?」
感情的になりかかったリーフの背をグリーンが押さえる。
何か言いたいことを飲み込んでいるかのように、レッドは自分で自分の唇を噛んでいた。
納得いかないリーフが地図の乗った机をバンッ!と強く叩くと、それまでずっと話に参加していなかったひなたがリーフの肩に爪を立てた。
一瞬、顔がファイアとダブり、リーフはハッと目を見開かせる。
絶対に彼女がしないような怒り顔を向けると、ひなたはリーフを睨みつけ、口を動かした。
「モモが・・・あの子が、1番強い神眼の持ち主だからよ。」
ヒナ・・・!
「ヒナ!」
イスが倒れ、ガタンと不自然な音が鳴り響いた。
不自然な沈黙が流れ、止めようとして間に合わなかった手がひなたの腕をつかんだまま、レッドは硬直する。
表情の変化に、リーフは敏感だった。 イスを蹴って立ち上がろうとした彼の腕を、シルバーが強くつかむ。
「逃げるな!」
ひやりと冷たい手の感触に、リーフは相手の腕を振りほどくのを一瞬ためらった。
悲しい色をした銀の瞳が、自分のことを見つめている。
「誰だって・・・守らなくてはいけない人が、そのためにかなければならない嘘を持っているんだ。
 自分のポケモンを全てさらけだして戦うトレーナーはいない、分かる・・・だろう?」
2つの手の向こうで涙がこぼれたのを見て、リーフはぎくりと目を見開いた。
「何で、泣いてるんだよ・・・初対面なのに・・・」
「・・・おれの持つ『嘘』のせいだ。」
リーフから手を離すとシルバーはその手で涙をぬぐった。
眉を潜めると、リーフは倒れたイスを起こし、その上へと座る。
「話せよ『ファイア』。 チカラになれるかは分からないけどさ。」
ひなたは胸の前でこぶしを結んだ。
うつむくと、レッドと同じ、栗色の瞳を戸惑うようにしながらリーフへと向ける。



「あたしたち2人、8年前ロケット団に殺されたの。」
え、と小さく声が上がるなか、ひなたは震えながら先を続ける。
「もともとは2人とも、人の手に渡った子供の暴走を止めるため、ミュウってポケモンに作られた『紅眼』だったの。
 モモはよく分かってなかったみたいだけど、あたしは別にそれでも良かった。
 レッドは優しかったし、グリーンやブルーも・・・マサラに住んでる人たち、みんな大好きだったから!
 でも、8年前の・・・ちょうど今くらいの時期かな。 隣町に3羽の鳥が現れて、全部変わっちゃったのよ・・・」
横目で見ると、レッドが組んだ手の関節が白くなっていた。
リーフはくしゅっとズボンにしわを作る。 もしかしたら彼女は、実の兄にすらこのことを話していなかったのかもしれない。
「物見遊山で行ってみようなんて言ったあたしが悪かったんだよね・・・ロケット団に鉢合わせて、あまつさえ、その場所が『鳥』の現れた真下だったから・・・鬼ごっこの始まりよ、サイアクのね。
 知ってる場所だったから逃げ切る自信はあったんだけど・・・ほら、絶対に見つからないミュウのチカラもらってるわけだし!・・・けど、相手の量が多すぎちゃってさ・・・
 使われなくなったビルに逃げ込んで、そのまんま追い詰められて・・・それでも逃げようとして、落っこちたの。 屋上から。
 あたしは間一髪、ミュウに助けられたんだけど・・・モモは間に合わなくて、首の骨折れてて・・・
 助けてくれたのが、ロケット団に追われてた3羽の鳥・・・ファイアー、サンダー、それにフリーザー・・・スノだった。
 結局、それが原因でその3羽も、ロケット団に捕まっちゃったんだけどね。」
「・・・っちゅうことは、あのモモって子、4匹分の『神眼』持っとるんか?」
1人浮いたジョウト弁で話しかけるサファイアに、ひなたはうなずいた。
「でも、折れた骨治ってないから、チカラのほとんどは生命維持に当てられてる。
 フリーザーのチカラで骨がずれないようにして、ファイヤーがあっためて血を巡らせて、サンダーが神経を正常に働かせてる・・・って感じにね。
 自分のチカラじゃ生きられないから、なかなか成長出来なくて小さいまんまだし・・・もし、チカラのどれかが断たれたら、あの子・・・!」
震えながら、ひなたはレッドの胸に飛び込んだ。
複雑そうな顔をしながら彼がそえる手を見て、リーフはファイアが時々首を押さえるような仕草をしていたのを思い出す。
気がつけば、全員がリーフのことを見ていた。
「・・・お前ら・・・ずっと2人だけで戦ってたんだな。」
何も求められてなどいない。 なのに何故か、彼の頬に涙が一筋伝う。
「‘もしかしたら助かるかもしれない’ゴールドが来られないっていうのは・・・そういうことだ。」
「・・・知るか、そんなの。」
ぶっきらぼうなリーフの言葉に、レッドは顔を上げた。
もう1度立ち上がると、リーフは机を叩く。
「何してんだよレッド! 作戦会議だろ!? さっさと作戦教えろよ!
 替え玉だろうがおとりだろうが、何だってやってやるよ!」






クチバシティ発、特別船シーギャロップ12号。
さすがはポケモンリーグ直属の団体といったところか、ただ移動するためだけに用意したとは思えないきれいな内装に、リーフは感心したような、呆れたような息をついた。
ただ、距離も時間もあるため、長時間の船旅は避けられない。
座っていることにも飽き、落ち着きなく船内をうろついていたリーフは唐突にひなたと出くわし、目を丸くした。
「・・・あ、久しぶり。」
「何言ってんの? 船乗るときあんた後ろにいたじゃない。」
白い帽子の下で眉を動かすと、スカートのすそをちょいちょいと直しながらひなたは首をかしげる。
水色のシャツと靴下に、赤いスカート。 出発前に彼女がファイアの代理を買って出たおかげで、背の高さを除けばほとんど見分けがつかないくらいにそっくりの格好だ。
そう言ったら「双子なんだから当たり前じゃない」とあっさり返されてしまったが。
「・・・大丈夫かな、ファイア・・・後から追いかけてきたりとか・・・」
「ないない。 船は出てないし、高所恐怖症で、持ってても飛行ポケモンには乗れないし。
 もし、それでも来るようだったら止めないって・・・レッドが言ってた。」
カバンのヒモを強く握りながら、ひなたはそう言った。
白い壁に背を預けると、半月型の瞳でリーフへと目を向ける。
「あんたこそ、何で急に参加する気になったわけ? 水沼は・・・」
「ゆーなっ!」
大慌てで口をふさいだリーフに、ひなたは呆れたような目を向けた。
「・・・やっぱソレか。 で、何で?」
ピンと腕を弾くと、ずれた帽子を直しながら彼女は尋ねる。
深くため息をつくと、リーフは彼女とは反対側の壁に寄りかかって、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「オレん家・・・つっても、ばっちゃん家なんだけど道場でさ。 ばっちゃん、口グセみたいによく言うんだよ。
 「正しいモンは常に弱いものの中にある」ってさ。
 周りに人いっぱいいんのにさ、何かお前とファイアずっと独りぼっちに見えて・・・んで、同情、したのかな。」
少しだけ時間を置き、ひなたは肩を上下させる。
「・・・バカバカしい。」
ため息混じりの声でそう言うと、彼女は壁に手を突きながら船室へと歩き出した。
反対方向へと歩き出そうとして、リーフは立ち止まり、彼女の方へと呼びかける。
「そういや、ウノ・・・だっけ? お前のニドキング。
 ・・・強かったよ。」
少しだけ立ち止まると、ひなたは振り向きもせず、何も言わず再び歩き出した。
いや、何も言わなかったわけではない。
今にも泣きそうな顔をしてつぶやいた言葉が、誰にも届かなかっただけのことだ。