空が青くて、青くて、途方もなく青くて。
いつもなら笑っていたと思う。 いつもならはしゃいでいたと思う。
でも、今日だけは、
それがどうしようもなく、怖かった。
宙を浮くように走っていた高速船が波に向かって降りてくるにつれ、ほとんど感じることもなかった揺れが、段々大きくなっていった。
人を何百人も乗せる大型船が入れるような港は、というよりそもそも島に港がないのでシーギャロップは島に近づけない。
ここまでついてきた船員たちは救命用の小型ボートで子供たちを島に送り届けようと考えていたが、彼らを誘導しようと扉を開けた途端、落ち着きのない何人かは勝手に自分のポケモンに乗って飛び出していってしまう。
仕方なしに他の人間を案内しようとすれば、それも丁寧に断られる。
ため息が出た。 素直にそれに従うようだったらここまで来られるほどの好奇心は身につけていないのだ。
酷い船酔いをしていた少年でさえ、一緒にいた少女に付き添われて勝手に行ってしまう。
彼らのリーダーから出た指示は1個だけだった。
「ヤバそうだったら逃げてください。」と。
「それじゃ、作戦の確認するぞ。
3組に分かれてデオキシスとの戦闘と隕石の回収を同時に行う。 以上!」
「短かっ!」
思わず突っ込みを入れてしまうほどレッドはあっさりと作戦の説明を終了させてしまった。
現地で細かい説明がされると思っていたリーフは、質問するための手を上げようか止めようかとさ迷わせる。
すかさずブルーが補足説明に入ってくれたので、まだ救われていたが。
「正確には4組。 ルビーとサファイア、クリスとシルバーがそれぞれ島の両側から海に落ちてるはずの隕石を探し、見つかり次第回収。
残りは島の中に入って、デオキシスとの戦闘に入るわ。 ただし、リーダー・・・レッドだけはここに残って船の護衛に当たってもらいます。」
「なんだよぉ、1人だけサボり?」
冗談交じりにリーフが言うと、ブルーはむっと顔をしかめる。 彼女が何かに言う前に、別のところから横槍が入ってきた。
「・・・ロケット団、だろう。」
声の方向に振り返って、リーフはぎょっとした。
マンガのような青筋。 船を乗ったときから気分が悪そうにしている人がいるのは気付いていたが、まさかここまで悪くなっているとは思っていなかった。
立っていることも出来ないらしい。 砂浜にべったりと座りながら、確かシルバーという名前だったはずの青年はギラギラした目を向ける。
「・・・隠されていたが・・・黒い船が島の反対側にあった・・・シーギャロップが着岸する位置を変えたのも・・・」
「・・・なんだよな。
まぁ、残るのはオレじゃなくてもいいんだけどさ、どっちみち紅眼取られてロクにバトル出来ない状態だから行っても足手まといだろ?
そーゆーわけで、お留守番ってワケ。 いってらっしゃ〜い。」
「スーパーに買い物行くわけじゃねえっつの・・・」
ため息混じりに苦笑したリーフに目を向けると、レッドは笑って腰に手を突いた。
少し眉を潜めているヒナタに視線を移す。 気まずそうに目をそらす彼女にも笑いかけると、レッドは彼女に声をかけた。
「ヒナ、リーフとケンカすんなよ。」
「わぁかってるって。 そっちこそケガしたら怒るからね!」
ファイアそっくりの見た目と、性格のはっきりした違いにリーフは少しだけ戸惑う。
ヒナタはボロボロのモンスターボールを1個、宙へと放る。
ポケモンを呼び出すことなくそれをもう1度手の中に収めると、彼女はまばらに木の生えた島に歩き始めた。
つられるようにグリーンとブルー、それにリーフが後を追いかける。
戸惑っていたサファイアも、ルビーに連れられて海岸線沿いにレッドから遠ざかっていく。
シルバーたちだけがしばらくそこに残っていたが、それも20分ほどで回復し、彼らはゆっくりと、ルビーたちが向かった反対の海岸へと歩いていった。
1人船を背にしたレッドは雲ひとつない空を見上げると、自分の真上へと向かって紫色のボールを放った。
音1つ立てず砂の上へと降り立った白いポケモンに、栗色の瞳を向けると彼は砂の上にごろんと横になる。
困ったような顔をして顔を覗き込んできたそのポケモンに、レッドは手の甲をポンと乗せた。 指先から、温かい鼓動が伝わってくる。
「・・・大丈夫、ガキの頃だって神眼に頼って戦ってたわけじゃないんだからさ。
勝てるよ、何が来ようとも。」
地面が柔らかい。 今さらそんなことに驚きながらグリーンは自分よりずっと小さな少女のあとをついて歩き続けた。
兄の言いつけを守っているのか、それともただ単に彼女なりの機嫌の悪さの表し方なのか、ヒナタはずっと喋らない。
小さなノートパソコンを片手に、左右も確認せず歩くだけだ。
彼女が欲しがっているデータはない。 リーフが見た外見と、エスパータイプかもしれないという予測しか自分たちには情報がないのだ。
どうやって戦うつもりなのかと考えていると、不意にリーフが口を開いた。
「・・・なぁ、それ、いつも使ってんのか?」
それ、というところでリーフは彼女のノートパソコンを指す。
つまらなそうな顔で振り向くと、ヒナタは視線をパソコンに移し、また彼から視線をそらした。
「うん、そう。」
「何で?」
リーフが聞き返すと、彼女は立ち止まる。
危うく追突しそうになったリーフに、今度は明らかに不機嫌な目を向けた。
「根掘り葉掘り、人のことを詮索するような性格じゃないって、こっちのデータには書かれてるけど?」
「お前が人のことコソコソ調べるからだろ!? っとに性格悪ぃな。」
「人のこと言えた義理? パソコンにはあんたがポケモンと一緒にやった悪さも、ちゃんとデータとして残ってんだからね!」
「ほら、もう! ケンカしない!
今は同じチームでしょう!」
ほぼ初対面でここまで仲の悪くなれる人間がいるものなのか、とグリーンはため息をついた。
まるでザングースとハブネークだ。 ファイアとのギャップもあり、両方見ている分だけ頭が痛い。
ブルーを間にはさみ、リーフとヒナタは子供のように睨み合っている。
いや、2人とも子供なのだ。 肩を上げると、グリーンはブルーの肩に手を置いた。
「ほっとけよ、あんなのドードーの言い争いだろ。」
「でも・・・!」
「使えなかったらその時放り出すだ・け。」
普段からレッドに嫌味虫と言われるだけあり、人の神経を逆なでする言葉には自信がある。
案の定、2人の黒い目が同時にグリーンの方を向いた。
後は大声を出されるのをガマンするだけだ。 挑戦的な視線を向けると、グリーンは鼻で息を吐いた。
「誰がドードーだって?」
「こいつと一緒にしないでよ、マジムカツクーッ!」
心の中で耳栓する。 こういう展開は分かりきっていたことだからだ。
頭を空っぽににして、足だけひたすら進める。
文句を言いながらも2人はついてくる。 結局、全員レッドという点ではつながっていた。 D.Dという組織は彼を中心としてまとまっているのだ。
あまりに頼りなくも感じつつそれとは全く逆の現状に、グリーンは2人に見えないよう苦笑した。
木はまばらだが、決して見通しがいいとは言えない。
不意打ちを受けないようモンスターボールを装備したホルダーに手を触れたり離したりしながら歩いていくと、不意に、木陰から人影が飛び出してくる。
顔を見ると、4人はそろって目を丸くした。
「・・・ちょっとぉ、大丈夫?
もう少し休もうか?」
海岸線沿いに海を見ながら歩くクリスは振り返ると、立ち上がれずにしゃがみ込んだ赤い髪の青年に呼びかけた。
極度の酔い症だというのに、薬嫌いとくるものだから、移動中はほとんど死体が横に転がっていたようなものだ。
時間が経ってある程度は回復しているようだが、まだ顔色は優れない。
それでも振り返ると何でもなかったかのように立ち上がって歩こうとするシルバーに、彼女はため息をついた。
「あーのーねぇっ、無理するなって言ってるのわかるでしょ?
何でそんなにカッコつけたがるわけ?」
「・・・クリスには、分からない。」
うつむいたままシルバーがそう言うと、明らかにムッとした顔でクリスは彼へと近づこうとした。
しかし、ゴツン! と大きな音がして、立ち止まる。
異変に気付き、シルバーは顔を上げた。 すぐ目の前にいるはずの彼女が、痛そうな顔をして額を押さえている。
手を差し出すと、指先が見えない壁のようなものに当たる。 さっきまで、こんなものはなかったはずだ。
「これは・・・『バリアー』?」
透明な壁に手を添えながら、シルバーは眉を潜める。
壁が現れるまで、1分もなかった。 音もなくこんなことが出来るとしたら、ポケモンしかいない。
「・・・クロ、『くろいきり』!!」
嫌な予感がして、シルバーはすぐに行動に出た。 モンスターボールから解放した途端、クロバットの長い羽が何か見えないものにぶつかる。
舌打ちする間に彼の周りを黒い水蒸気が覆う。
本来、風に乗って空中へと四散するはずのそれは、彼らの周りにまとわりついた。
手を触れられそうなほど近くで見ていたクリスははっと息を呑む。 彼らの周りを三角形の何かが取り囲んでいるのだ。
反射的に自分のモンスターボールへと手が行く。 同時に相手の気配を感じ取った。 振り向くと、相手はすぐに自分へとモンスターボールを放ってくる。
「みぞれ『でんこうせっか』!!」
足元にモンスターボールを投げると、黒い影が相手のポケモンへと向かって飛び出していく。
あくまでけん制、威力は期待していない。 予想通りの威力で相手へと受け止められると、ニューラは相手からカギ爪を外し、クリスの足元へと戻ってくる。
「誰!?」
砂の上へと降り立ったニューラは全身の毛を逆立てて相手を威嚇する。
全身に電気の走るような感覚に、クリスは口をきゅっと引き締めた。 歯の根が合わなくなりそうな感情を気付かれぬよう、こぶしを強く握り締める。
草の上に降り積もった砂を蹴りつけて、相手は姿を現した。
全身を包む黒い服に、熱を持っていたはずの肩が鳥肌を立てる。 見覚えのない顔を見つめながら、クリスは警戒して1歩、後ろへと下がった。
ロケット団・・・そのフレーズが2人の頭を支配した。
いつか戦ったそれとは、明らかに顔の造りが違う。 青い目のロケット団は2人を見て口元に微笑を浮かべると、連れているトゲチックに大きな手を向ける。
「・・・ディ、ディー?」
指差された胸を押さえながら、クリスは相手を睨みつける。
どちらが話し合いにくそうかといえば、むしろ彼女の方だ。 彼女が暴走しないよう慎重にかける言葉を選びながら、シルバーは見えない壁の中から相手へと向かって話しかけた。
「これはおまえたちのしわざか、ロケット団?」
「ソウと言えばソウかもしれない、違うと言えば、違うだろうナ。」
「どういう意味だ?」
敵意むき出しにする2人に動ずることもなく、ロケット団はやたら長い腕を前へ突き出し、チチチ、と指を振って見せる。
「‘
「・・・刺激したのか。 その結果が、『これ』か・・・!」
「繰り返すつもりなの・・・! あんたたち、どれだけ悪事を繰り返せば気が済むのよ!!」
みぞれと呼ばれたニューラが飛び出し、ロケット団の持つトゲチックへと向かって走り出す。
動かないトゲチックへと向かって、みぞれは大きく腕を振りかぶり、爪を振り下ろす。
トゲチックは攻撃を受け止めるとニューラの動きに合わせて白い腕を動かす。 攻撃をいなされ、みぞれはバランスを崩した。
「『カウンター』だ、トゲチック!!」
腕を引かれ、ニューラは背中から地面に叩きつけられる。 甲高い悲鳴が上がり、みぞれは動かなくなった。
シルバーは舌打ちする。 頭に血の上っているクリスを何とかしてなだめたいが、閉じ込められている現状ではそれもかなわない。
せめて足手まといにならないようにと自分の周りを囲っている壁を壊そうとするが、殴っても、毒で溶かそうとしても壁には傷1つつく様子もない。
それどころか、壁が段々と狭まり、動きが制限されてくる。
首筋に汗が伝った。 嫌な予感が、脳裏をかすめる。
「・・・今、なんか音みたいのしなかった?」
砂の上についていた足跡を確かめるように歩いていたルビーは、立ち止まるとそうサファイアに尋ねた。
「気のせいちゃう?
ワシは何も聞こえんかったけど・・・」
「なら、いいんだけど・・・」
言葉尻を濁して、ルビーは島の内側に目を向けた。
ざわざわと、海からの風に木の葉が揺すられる。
それ以外はこれから戦いの場所になるとは思えないほど、静かで、そしておだやかだ。 目をつぶるとルビーは打ち寄せる波の音に耳を傾ける。
聞こえたのは、どたっというサファイアが砂に足を取られて転ぶ音だった。
情緒も何も感じられない彼にため息をついていると、サファイアは起き上がってにへっと砂だらけの顔をルビーへと向けた。
「しっかし、何だかんだでチャンピオンズリーグの出場者がほとんど揃ってもうたな。
レッドも顔が広いっちゅうか、なんちゅうか・・・」
「あれでトレーナーの第一線にいる人なワケだしねぇ・・・人望は厚いんだろうね、何だかんだで。」
言葉の端を取られて変な顔をしたサファイアを見て、ルビーはクスクスと笑った。
あまり真剣味のない表情で海の方を見ながら、顔や体についた砂を落とすサファイアへと向かって話しかける。
「で、実際見てみてどうだい? 勝つ自信ある?」
「ないないない! せやかて、ヒナタはワシよりずっと頭良さそうやし、リーフは・・・背ェ高いし・・・」
「ポケモンバトルの腕と背の高さは関係ないだろ?
大体、背の高さだったらこの半年でずいぶん伸びてるよ、サファイアは。」
くっつきそうなほど接近されて自分との背の高さを示されると、サファイアは顔を赤くする。
「ち、近い近い近い! ルビー! アイドルやっとるんやから、もうちょい自覚しーよ!
家に泊り込んだり、ひっ、人のベッド潜り込んだり・・・何かあったらどうするつもりなんよ!」
声がひっくり返り、舌も2、3度噛んだ。
必死の言葉を、ルビーはつまらなそうな顔をして受け止める。
軽く髪をかき上げると、彼女は視線を彼の目から胸元へと落とし、小さくため息をついた。
「・・・だって、『何かあれば』ずっとあんたの近くにいられるだろ?」
サファイアの目が見開かれる。
視線を合わせられないらしく、うつむいたままでルビーは先を続けた。
「最初にアイドル始めたの、母ちゃんがあたいの歌ほめてくれたからだったんだ。
ずっと探してるものがあったから情報を集めるのにもちょうどよかったし、「上手いね」って言ってもらえんのが嬉しかったから、やってくことは全然苦じゃなかったし、楽しかったよ。
サファイアが歌ほめてくれたとき、それ思い出して、少し嬉しかった。
でもさ・・・もう意味ないんだ。 歌っても・・・楽しくないんだよ。」
明らかに笑みの消えていくルビーの顔を見て、サファイアは戸惑った。
ルビーと出会うまで普段の生活に女っ気はなかったし、ましてやなぐさめ方なんて知らない。
1分弱くらいだろうか。 考え込むとサファイアは彼女へと向かって顔を上げる。
「あの・・・な?」
「ん?」
「ワシは芸能界のことなんて、よう知らんけど・・・いっぺんは自分でやるって決めた仕事なんやろ?
せやったら、途中で投げ出したらアカンよ。
トレーナーがポケモンのこと見捨てたらいかんのと同じに、始めた仕事は最後まで責任持たないといかんのとちゃう?」
意外そうな顔をすると、ルビーはクスリと微笑んだ。
「はっきり言うね。」
「す、すまん・・・」
首を横に振ると、ルビーはサファイアの手を引いて歩き出す。
「いいんだよ、あんたのそういうとこ好きなんだから。
じゃ、さっさと隕石回収しちゃうかね。 これも『仕事』なんだしさ。」
「・・・お! お、う・・・」
固まりかけたサファイアの腕を、ルビーは強引に引っ張る。
2人とも耳まで真っ赤だ。 意識のなくなりかける頭をぶるぶると振るうと、サファイアは視線を無理矢理海へと向け、大きな目を1つ瞬かせた。
「ル、ルビー・・・あれ!」
つられたように顔を上げると、ルビーの目にも、海面が光っているのが確認出来た。
ずっと窓の外を見ていたというクリスとシルバーが気付かなかったのが信じられない。 それほどまでにはっきりと色付いた光が海面から、空高くへと放たれている。
「ロケット団・・・やろか?」
「何のために? あんな派手な赤い光・・・」
「え? 青ちゃう?」
「は? 赤だろ?」
「へ・・・?」
「・・・え?」
2人は顔を見合わせてから同じ場所に目を向けた。
少しだけ顔をうつむかせ、ルビーは考え込むようなポーズを取る。
もう1度光に目を向けると、サファイアへと視線を向け、そっと口を開いた。
「・・・神眼にしか見えない・・・?」
ピクリと頬の筋肉を引きつらせると、サファイアは両手でモンスターボールを1つずつつかみ、手にチカラを込める。
「隕石かもしれん。 ちょっと見てくるな、ルビー、ここで待っとって!」
「ま、待ちなって! 罠かもしれないんだよ!?」
ザバザバと足を水に浸しながら海に入って行くサファイアを見て、ルビーは気付いたように彼の腕をつかむ。
大きな目をきょとんとさせてルビーのことを見ると、サファイアはにかっと笑って相手の腕をつかみ返し、壊れ物を扱うような手つきでそっと彼女の頭に手を置いた。
「ほな10分! いや、5分だけ待っといて!
その間にあの光ん元調べて、隕石だったら持って帰ってくるわ。
もし5分経っても帰ってきぃひんようだったら・・・そんときは、ルビーの好きにしてええから! な?」
ヘラヘラした笑いでごまかすと、サファイアは汚れたモンスターボールと新しめのモンスターボールから2匹のポケモンを呼び出した。
大きいのと小さいの、2匹の青いポケモンが元気に飛び出してくる。
シロガネがルビーに噛み付かないようしっかりと押さえつけると、それを抱えながらサファイアはカナと一緒にざばざばと遠浅の海に足を浸していく。
そう思った途端、サファイアは急に海の中へと沈み、ルビーの目の前から姿を消した。
どうやら、思っていたよりも急に深くなっていたらしい。 海面に1度顔を出して、完全にしらけているルビーに苦笑いを浮かべると、サファイアは思い切り息を吸い込んで海の中へと潜っていく。
ホウエンよりもずっと透明な水に、サファイアは少し驚いて目を見開いた。
いつも泳いでいた海とは、全く水質が違う。 明るいが、なぜだか少し不安になる。
大きなラグラージの背につかまり、柱のように真上に伸びる光へと向かう。
ピリピリと頬に電気の流れるような痛みが伝った。 軽く顔をしかめるとサファイアはシロガネに光の方向を指差し、光の様子を見てくるよう指示を出す。
楽しげに手足をバタバタと動かすと、シロガネはよしきたとばかりに尻尾を動かして光の方向へと進んでいった。
途端、ガン! と音を立てて口の先から何かにぶつかる。
痛そうに顔をさするシロガネを見ながら、サファイアは目を瞬かせた。
「・・・?」
スピードを落とす間もなく、見えない『何か』にサファイアはカナ共々、頭から衝突した。
吐き出しかけた泡を止めるため、慌てて口元を手で押さえる。
周囲が一瞬、赤く光った気がした。 ムダだと分かっていつつ逃げていく気泡を目で追っていくと、遠ざかるはずの泡が壁のようなものに当たり、水中に留まっている。
海面に浮かぶ泡を見つめながら、ルビーはため息をついていた。
「・・・っとに、普段へなちょこのくせに・・・」
ホルダーに手を当てて、サファイアと同じように2匹ポケモンを呼び出してみるが、戦わせる相手もいなければ、進むべき道もない。
マグマ団やアクア団のような集団がこの島に来ていることも分かってはいるが、音を聞いている限り少なくともこの近くでは怪しい人間たちがたむろしている様子もなさそうだ。
やることがない。 少し休もうかと辺りを見渡したとき、ルビーの真上に突然何かが飛んできた。
視線を上げて、ルビーは目を見開かせる。 見覚えのない赤いポケモンが、胸についた紫色の水晶をこちらへと向けていた。
デオキシスだ。 そう思いとっさに横へと飛ぶと、それまでルビーのいた場所を青白い光線が射抜いていく。
「・・・ッ、‘スコア’『ハイドロポンプ』!!」
起き上がりながら叫ぶと、ルビーの瞳は赤く光った。 それに合わせるように、『スコア』と呼ばれたコダックから吐き出された水は、まるで滝のように音を立ててデオキシスへと向かっていく。
デオキシスは体の前で腕を交差させると、その攻撃を受け止めた。 舌打ちするとルビーは今度はメロディに指示を出そうと腕を振る。
だが、急に動いたことへの反動で一瞬指示が遅れる。 相手の攻撃の手は既にこちらへと向いていた。
大きく目を見開くコダックを何とかして逃がそうという思考が頭をよぎったとき、ルビーは突然、木の陰から現れたポケモンに体を抱きかかえられる。
「‘Crescent’stand clear! ‘New’『CONFUSE RAY』!」
島の内部から飛び出してきた『誰か』が良く分からない言葉を叫び、それに合わせるように『誰か』のポケモンがデオキシスへと向かって『あやしいひかり』を放つ。
自分を抱えるポケモンの腕から抜けると(降ろされた、といった方が正しいかもしれない)ルビーは自分のポケモンたちの位置を確認し、飛び出してきた人間へと目を向ける。
黒い服と帽子に、胸についた『R』のロゴマーク。
間違いなくロケット団だ、そう思いながらルビーは自分を助けたチャーレムから1歩足を遠ざからせた。
波打ち際に居るチコリータと、目と目で合図を交わす。
相手に気付かれないよう小さくうなずくと、ふっと息を吐きルビーはデオキシスへと向かって走り出した。
「‘スコア’『かなしばり』!」
指示を出すとぽよぽよとした黄色いポケモンは頭を抱え、デオキシスを睨みつけてうなりだした。
一瞬だが、デオキシスの動きが止まる。 スキを見て攻撃しようとするルビーの赤い目を見て、ロケット団の表情が変わった。
チャーレムに指示を出し、攻撃を止めようとする。 だが、ルビーは背後から迫ってくるチャーレムを見て口元を緩めると、ぐ、と、左腕を大きく上げ、砂の上に転がる。
走るチャーレムの目に、目一杯光をため込んだチコリータの姿が映る。 小さなポケモンへと向かってルビーは大きな声で指示を出した。
「‘メロディ’『ソーラービーム』!!」
ロケット団のチャーレム目掛け、緑色のポケモンは強力な光線を放った。
ギリギリのところで『みきり』を使われかわされるが、砂の上にははっきりとした攻撃の爪痕が残る。
手ごたえを感じる時間もないまま、ルビーはデオキシスを睨み付けた。 赤い瞳が、炎のように強く光り輝く。
「‘落ちろ’ッ!!」
大きく腕を振り下ろしながらルビーが叫ぶと、デオキシスは何かに引っ張られるように落下し、砂浜へと叩きつけられた。
砂にヒザをつけながらも、彼女は指示を止めない。 オロオロしているコダックをモンスターボールに戻すと、メロディをロケット団の男へと向かって構えさせる。
「あんた、ロケット団だね!?」
「・・・そうだ。」
右手でモンスターボールを構えながら黒服の男は答えた。
何故だか敵意は感じられないのだが、警戒を一切緩めることなくルビーは無理矢理立ち上がる。
「ロケット団見かけたら捕まえとくよう、言われてんだ。」
「俺も、D.Dと出会ったら手加減するなと・・・言われている。」
ゆっくりとした口調でそう言うと、ロケット団の男はさり気ない手つきでモンスターボールからポケモンを呼び出した。
風が巻き起こり、砂が空中へと舞い上がる。
腕で顔を覆いながらルビーは相手のポケモンを見る。 砂漠に住むせいれいポケモン、フライゴンだ。
「‘フィーネ’!」
モンスターボールを投げると大きな白いヘビのようなポケモンがルビーを囲い、フライゴンへと戦いの構えを取る。
最も美しいポケモンとして知られるミロカロス、そのポケモンへと指示を出すため彼女は大きく目を見開いた。
「『れいとうビーム』!!」
白い光線を緑色の翼で受けると、フライゴンはルビーたちの真上へと向かって飛び上がる。
その一撃で倒せると思っていたせいで油断していた。 一瞬目で追ってしまったスキをチャーレムに突かれ、一気に接近されてしまう。
とっさにミロカロスが自分の体でルビーを守る。 それでも、与えられた衝撃は1人と1匹を数メートル飛ばすのに充分な威力を持っていた。
つぶれそうになりながらもフィーネの体の下から抜け出そうと腕を突っ張ると、逆にミロカロスが体をずらし、彼女を脱出させる。
「・・・ッ、この非常時に・・・! 何をちんたらやってんだい、サファイアは・・・!」
文句を吐きながらルビーは真上にいるフライゴンを確認する。
メロディと向き合っているチャーレムへと目を向けると、ルビーはヒップバッグに手を当て、赤い瞳で相手を睨んだ。
大きく息を吸い込み、島中に響き渡るような大声でミロカロスへと指示を出す。
「‘フィーネ’『なみのり』!!」
高く鳴き声を上げるとフィーネは触角を細かく震わせ、迫ってくるフライゴンを睨んだ。 海の水が渦を巻く。 幸いにもここは海岸だ、水には困らない。
波がうねり、チャーレムとチコリータごとフライゴンを攻撃する。
倒れていたデオキシスも流された。 そちらも何とかしなければとバッグの中にあるモンスターボールへと手をかけたとき、ルビーは海の中に閉じ込められているサファイアの姿を見つけ、目を見開かせる。
「・・・え?」
閉じ込められている。 海水ごと、三角形の形をした『何か』に。
いつからだろう、そんな考えがわずかによぎったが、それどころではない。 引いた波に再び姿を隠されたサファイアに焦り、ルビーの動きが一瞬止まった。
それに反応するようにデオキシスが動く。 視界の端に青く光る水晶体が映ったとき、ルビーは真正面から突き飛ばされ、砂浜の上へと転がった。
彼女と、彼女を突き飛ばしたロケット団との間を、青白い光線が走り抜けていく。
「立て、早く!」
デオキシスを睨むようにすると、ロケット団は目深に被っていた黒い帽子を脱ぎ捨てた。
砂と同じ色の肌と、金色の瞳にルビーは驚いて目を見開かせる。 彼も、神眼なのだ。
ロケット団の男はフライゴンに体勢を立て直させるとチャーレムへと向かって指示を出す。
「‘Crescent’ press a DEOXYS into the sea!」
鳴き声をひとつ上げるとチャーレムは近くにいるメロディを無視してデオキシスへと
デオキシスはそれを受け止めるが、一瞬押され、波打ち際に足を浸す。
態勢が崩れたところにチャーレムは猛攻撃を加える。 わずかばかりのエスパーのチカラを使い、相手が動きを取られる波を避け、デオキシスを海の深いところへと押しやっていく。
肩が外れそうなほどのチカラでルビーを立たせると、ロケット団の男はかすかに指を動かし、フライゴンへと金色の瞳を向けた。
「‘Hunter’『HYPER BEAM』!」
大きく息を吸い込んだようにのけぞると、フライゴンは熱を含んだ光線をデオキシスへと向かって放った。
風圧で吹き飛ばされそうになったのをロケット団に支えられる。
まっすぐに向かっていった『はかいこうせん』はデオキシスの足を吹き飛ばし、サファイアがいるはずの海の底を貫く。
衝撃で散った海面が荒波を作った。 中心にある三角の『何か』は真っ赤に光り、人の背の高さほどまで縮んでいく。
ピクリ、とロケット団の肩が動く。 再び元の姿に戻っていく海面を見ると、一瞬間を置いてからチャーレムをモンスターボールへと戻し、代わりのポケモンを呼び出した。
うなりを上げるエーフィを見て、ルビーは混乱する。 さっきから、ロケット団がサファイアのことを助けようとしている気がしてならないのだ。
「‘Full’・・・」
ロケット団が何か指示を出そうとして動きかけたとき、海に落ちたデオキシスが浮上し、島の内側へと向かって飛び去っていく。
「・・・逃げた。」
そうとしか言いようがなかった。
ちぎれた足もそのままに、4匹いるポケモンたちに何の手出しをすることもなく姿を消したのだ。
残念な気持ちとホッとした気持ちが折り重なって、ルビーは「はぁ」と息をついた。 そして、すぐにサファイアのことを思い出す。 もう15分くらい経ってしまっているはずだ、人間が息を止めていられる限界をはるかに超えている。
「そうだ、サファイア・・・! ‘フィーネ’‘スコア’助けに行くよ!!」
モンスターボールから再びコダックを呼び出すと、海の中にいるサファイアの元へ向かおうとルビーは沖に向かって走り出す。
波を跳ねる自分の足音で、彼女は後ろから迫ってくる足音に気付いていなかった。
急に足場がなくなり、バランスを崩して転びそうになったルビーを誰かが後ろから抱きかかえる。
ホッと息をつくと、『誰か』はルビーの顔を覗き込んで細い声を出した。
「・・・そこ、急に深ぅなっとるんよ。」
「サファイア!」
びしょびしょの彼に服を濡らされながら、ルビーは引きずられるようにして岸へと連れて行かれる。
彼女を砂浜へと降ろすと、サファイアは崩れるようにして彼女の前へと座り込んだ。
相当疲れているらしい、顔に血の気がない。 近づいてくるロケット団に軽く警戒しながら、ルビーは真っ先に浮かんだ疑問を口にする。
「でも、どうやって、あそこから・・・?」
「・・・下が空いとったから、シロガネに技マシンで『あなをほる』覚えさせて脱出したんよ。
カナに空気少し分けてもろたんやけど、息詰まってホント死ぬかと思ったわ・・・」
ルビーの目に、少しはなれたところで一仕事終えて満足そうにしているワニノコの姿が映る。
安堵からチカラが抜け、大きく息をつきながらルビーが顔をうつむかせると、高くなった太陽の日差しをさえぎる影が、彼女のヒザへと伸びてきた。
「顔を上げろ。」
あのロケット団だ。 レッドの言うことに従うなら戦わなくてはならないが、もうそんなことする気力もないほどに2人は疲れ果てていた。
少しだけ考えていると、サファイアが先にロケット団の方へと顔を向ける。
つられるように彼女も顔を上げると、2人は同時に同じ言葉を放った。
「ありがとう。」
「ありがとーな。」
金色の神眼がはまったロケット団の瞳が、少しだけ見開く。
「サファイア、助けようとしてくれたんだろ?」
「デオキシスからルビーのこと守ってくれたんやろ?」
2人の子供から放たれる言葉に、ロケット団の男は一瞬だけ驚いたような顔をしていた。
立ち止まるとルビーの顔に手を添え、自分の方へと向かせる。
「顔を見せろ。」
不安そうな顔をしているサファイアを横目に、ルビーは視線をロケット団の胸から顔へと上げた。
赤い瞳に、相手の金色の瞳が映る。
息を吸い込んだのか、吐いたのか・・・どのくらいの時間が経ったのかさえ分からなかった。
ただ、彼女が胸の中で何かを納得しかけたとき、ロケット団はルビーから手を離し彼女に背を向ける。
「・・・生きていて、良かった。」
一言だけつぶやくと、ロケット団はエーフィをモンスターボールへと戻し、フライゴンの背に乗って2人の元から離れて行った。
波の音だけが、やけにはっきりと耳の中に残る。
ぽかんとサファイアが島から遠ざかっていくフライゴンの背を見つめていると、突然ルビーが動き、口元を手で押さえるような動作を取った。
どこか痛めたのではないかと一瞬焦るが、彼女の顔を見て原因がはっきりする。
泣いていたからだ。 それも、今までにないほどの大粒の涙を流しながら。
「ル、ルビー・・・!? どしたん、何かされたんか!?」
「・・・分からない。
何でか知らないけど・・・涙が出てくるんだ・・・」