第十九章「陽炎」
空を見る。
縦横無尽に張り巡らされたリニアの路線。
辺りを見る。
太陽を遮るかの如く建ち並ぶ高層ビル。
只、虚しく辺りを見回すだけの僕だったけど、
顔に吹きかかる廃ガスですっかり目が覚めた。
目を擦りもう一度よく辺りを見回すと、
僕を中心に怒声が放たれ、クラクションの嵐が飛び交う。
そして向けられた冷たい目線。
…よく状況は解らないけど…、気まずい。
早く避けた方がよさそうだと思い、僕はその場を離れる。
すると、止まっていた時が再び動き出したかの様に、
人々…いや、『街』が本来の時を刻み出す。
さっきまで僕に怒声を張り上げていた人達さえ、
何事も無かったかの様に涼しげな顔で車を走らせる。
まるで他人なんて眼中に無い、冷々とした感じで…。
忙しいのだろうか。
もう一度上を向いて見る。
高層ビルに塞がれ、日の光は点々と注ぐ。
その逆光のせいかどうかは解らないけど、
装飾を帯びた看板は尚更大きく見えた気がした。
『キングダムコガネ五番通り/中央商店街』
改めて看板の表示を目にし、初めて思考が回る。
そうだ。
僕の記憶は襲撃を受けた後からプッツリ途絶えた。
つかの間の悪夢から目覚めたと思いきや、現在地は目的地のコガネシティ。
けど……、
リリー君もソフィアさんもいない。
所謂…、迷子?僕は迷子なのか?
いや、此処は目的地だ。
だとすれば迷子はリリー君やソフィアさんの方、いや…
「ああもう!」
頭の中のゴタゴタが募り、つい叫んでしまう。
また悪い意味で周囲の目を惹く事になってしまった…。
自然に顔が紅くなってしまう。
…兎に角、ソフィアさんやリリー君を探さなきゃいけない。
「…………。」
でも、こんな大きな街でどうやって探せばいいのだろうか。
大声で呼ぶのも嫌だし、それで見つかる可能性は低いし。
「…大体、コガネシティにいるのかどうかすら解らないじゃないか…。」
…本当に困ったなぁ。
――同時刻。
一人の迷子の少年が頭を悩ませている頃。
街の陰りは密度を深めてゆく。
「んーっ気持ちいーい。いーい天気だよねぇ…。」
「全くや。せやけど、ワイには関係あらへん。」
辺りは薄暗く、黒々とした陰りが根付く場所。
ビルとビルの谷間にほっそりと続く、狭い路地裏。
そこに相反する様に、ゴミ溜めに腰掛ける無精髭の男と、
遠くの景色を見つめる艶やかな赤髪の美少女の姿があった。
景色の向こうには、太陽が燦々と照っている。
地熱のせいか陽炎も上っているが、路地裏は至って涼しい。
日の光が当たらない陰りの空間だからだ。
「例え太陽が照っていようが、光を浴びないとその恩恵は全然あらへんよ。」
「浴びれば?気持ち良いよ。」
「…いや、遠慮しとく。日の光は苦手や。」
無粋そうに頭を掻き、
日の光が嫌いだと口にする男は、懐の中の数少ない煙草に火を点ける。
「ねぇ、アンタがマサキっていう人?」
「そうや。…それがどうした。サインでも欲しいんか?」
「んーん。アタシはアンタを…」
言いかけた所で、少女は「なんでもない」と苦笑した。
遠い景色で揺れる陽炎と程良く調和する煙を吹かしながら、
男はバツの悪そうな顔をし、立ち上がり服の埃を払う。
「お嬢ちゃん。俺みたいなオッサンに構ってたら変な事されるで。帰んなや。」
「大丈夫だよ。アタシ強いもん。」
ニコッと笑み、ガッツポーズを決める少女をよそに、
男は作り笑顔の様にぎこちなく苦笑し、更に奥の路地へと足を進める。
「何処行くのさ、マサキ?」
「いきなり呼び捨てかいな。全くお嬢ちゃんには敵わへんな。」
余程痒いのだろうか。
男は頻繁に頭を掻く。
「散歩や散歩。」
「ねぇ、アタシも着いて行っていい?」
少女のしつこさに、流石にむっときたのだろうか。
男は眉に皺を寄せ、振り返る。
「喰っちまうど餓鬼ィ!」
リングマの様にガアッとばかりに男は少女を威嚇するが…、
肝心の少女はキョトンとした表情を浮かべた後、クスクスと笑みを漏らす。
「………。恥ずかしいやないか、俺…。」
「だって、マサキ可笑しいんだもん…!」
未だクスクスと笑う少女を尻目に、男は煙草を吹かし歩き出す。
「ねぇねぇ、着いてっていいの?」
「…好きにせや。」
ずんずんと路地裏の奥を進んで行く男を、少女は慌ただしく追いかける。
「(…ああ。久しぶりに風呂入りたいもんやなぁ…。)」
ふと男は煙混じりの溜め息を吐き、また煙草に火を点けた。
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