「ぴかちゅうっ!」



ホールに響き渡る甲高い鳴き声に、食事に来ていた人たちの手が止まった。
ここはシンオウ地方。 リッシ湖のほとり、レストランななつぼし。
海にも山にも川にも近く、千年見ても飽きないと言われるほど美しい景色と、そこから運ばれてくる食材を使った一流の料理。 そして、料理に舌鼓を打ちながら眺める……あるいは、噂を聞きつけ、やってきたトレーナーたちが繰り広げるバトルショーがこの地域の名物である。
ショーを行うバトルフィールドはレストランの中央にあり、円形の闘技場を取り囲む形ですり鉢状にテーブルが配置されている。
いつも、前触れもなく始まるバトルショーに闘技場を見下ろしてみれば、一対のトレーナーとポケモンたちが激しい技のやり取りを繰り広げているものなのだが、今日は様子が少し違った。
闘技場の真ん中にいるのは、ピンクのマフラーを巻いた小さな女の子。
傍らには、ペラップと呼ばれるこの地方では有名なおしゃべり鳥ポケモン。
細い腕を目いっぱい身体の外側へと伸ばすと、女の子はすり鉢の底のようなバトルフィールドの真ん中から、テーブルの客たちに向かって深々と頭を下げた。



『れでぃーす・えんど・じぇんとるめーん!』
「みなさま、ようこそレストランななつぼしへ!
 おいしいお料理と、ただいまから始まるプラチナのポケモンショーを心ゆくまでお楽しみ下さい!」

……ポケモンショー?
バトルばかりを観てきたレストランの客たちが耳慣れない言葉に目を瞬かせると、突如閃光が走り、黄色い光が天井から降り注いでくる。
『ピカチュウ、ピカチュウ、なんばー、0・2・5!』
客たちが降り注いできた光をポケモンだと認識出来るまで少しの間があった。
女の子の足元にいる降り立ったそれは、ポケモンをたしなむ者なら誰でも知っている、黄色いねずみポケモン、ピカチュウ。
「『ハート』……『シューティングスター』!!」
「ぴかっ!」
甘えたような高い鳴き声を上げると、ピカチュウは昼時で満席に近いテーブルの側まで飛び出していった。
フレンチに舌鼓を打っていた客たちが食事の手を止め、突き出された稲妻型の尻尾に目を向ける。
ハートの形にも見える尻尾の先から丸い瞳を覗かせると、ピカチュウは赤いほっぺたからパチパチと火花を噴き出し丸いバトルフィールドを横切る形で客席の間を飛び回った。
文字通りの『でんこうせっか』はフィールドに光の五芒星を描く。
瞬く間に現れ、そして消えた光の五芒星に客たちが食事の手を止め、見入っていると、その残像をなぞるように青白い水の柱が噴き上がった。
ギザギザの尻尾を抱え、くるくると落ちてきたピカチュウと入れ替わるかのように1匹のポケモンが水しぶきとともに飛び上がる。
まるで小さなヒナのような、身体の半分もない頼りない翼を持った青いポケモン。


『ポッチャマ、ポッチャマ、なんばー、3・9・3!』
けたたましくペラップが鳴き声をあげたかと思えば、次の瞬間、ポッチャマという青いポケモンは逆さに置かれた王冠に頭からすっぽりとはまり込んでいた。
しんと静まり返ったバトルフィールドの真ん中で、短い足がジタバタと宙をかき回している。
小さく咳払いして女の子がポケモンの入った王冠を逆さにして軽く揺すると、転がり出てきたポッチャマは頭に王冠の跡をつけたまま、何事もなかったようにポーズを決めた。
「……さあ! ただいまから、みなさんを夢の世界へとお連れしましょう!
 案内人はこのはポッチャマ、ニックネームは『キング』。 演目は、『メリーゴーランド』!」
引きつった笑みで高い声をあげる女の子に、客たちは苦笑いしていた。
手の止まっていた食事に戻ろうと冷めかけたスープ皿に手を伸ばすと、端に置かれていた小さなスプーンに虹色の何かが映り込む。

ふわり。

それは、ポケモンバトルで使うなら『バブルこうせん』と呼ばれているモノだった。
けれども、本来のそれは対戦相手に向かって一直線に突き進むもので、今のように空中に留まることも、天井からの光で虹色に輝くこともないもので。
再び食事の手が止まった客がスプーン片手にふわふわと浮かんでいる泡を見入っていると、ぱちん。 と、小さな音が響く。
ぱちん、ぱちん。 弾けた泡が水へと還り、細かな粒が寄り集まって流れを作り始めていた。
「『キング』!」
撫でるように青い羽が宙を滑ると、氷となった水の粒が流れを作り、フィールドを白く染め上げていく。
肩を撫でる冷気に、席の間から小さく悲鳴が漏れる。
バトルフィールドには、突き刺さった氷柱のような白い塔が出来上がっていた。
客席から拍手が起こるのとほぼ同時に、その白い円柱の中から何かが飛び出してくる。

『ミミロル、ミミロル、なんばー、4・2・7!』
指鉄砲が撃たれると飛び出した茶色い毛玉はくるりと向きを変え、宙を蹴るようにして走り出した。
ばん。 破裂したような音が鳴り響くたび、小さなポケモンは壁を柱を蹴って向きを変える。
「スーパーアクター、『ジャック』!」
くるくると回転しながら降りてきたポケモンは、自由自在に飛び回る姿からは想像もつかないほど小さなポケモンだった。
腰から下を覆うモコモコとした長い毛に、つぶらな瞳、長い耳。
その姿はウサギに似ていた。 短い手足をいっぱいに伸ばして踊るようなステップを踏むと、ミミロルは向けられた指鉄砲を軽快にかわしながら少しずつ跳躍する高さを上げていく。
「『燃えよ、ミミロル』!!」
高い声が響くと、見えないはずの指鉄砲から放たれる弾が実体を持った。
飛んでくる弾を1つかわし、2つかわし、3つ目を回転から放たれた蹴りで弾くと氷で出来た弾は粉々に砕け、虹色の光となりダイヤモンドダストのように天井から降り注ぐ。
バトルフィールドに降り立ったミミロルの動きはまるで重力から解放されたような軽やかさだった。
次々と飛んでくる氷の弾をあざやかな蹴りで砕いていくと、最後には驚異的なジャンプから放たれた『とびげり』でバトルフィールドにそびえたった氷の塔そのものを砕き、あたり一面を銀色の世界へと変えてしまった。
ケープを握り締めた老婦人を見て、ボーイが慌てて空調を切り替えに走る。
飛び込みでやってきたショートレーナーに客たちの反応は上々のようだが、レストラン開設以来、バトルフィールドでこのような遊びじみた見世物が行われるなんて今までなかったことだ。
忙しく動き回るボーイの視界の端に、突然フィールドから客席に走り出すトレーナーの姿が映った。
動線の先に目を向けると、先ほどまで演技していたミミロルが、客席で食事中のニャルマーになにやら花束のようなものを差し出している。
「ジャック!?」
トレーナーの女の子が慌てて駆け寄り、自分のミミロルと客席のニャルマーを引き離す。
どうやら、演出でもなんでもなく、ただのナンパのようだ。
静まり返った客席に一礼してコホン、と、小さく咳払いすると、女の子はニャルマーに手を振るミミロルを抱えたまま、バトルフィールドの中央へと反対側の手を向けた。



「え、えーと、続いてのポケモンは『クローバー』、演目は『百花繚乱』です!!
 クローバー! ……クローバー?」
『くらぶー?』
首をかしげたペラップが止まり木から飛び立ち、パサパサと小さな羽音を立てる。
レストランの入り口近くを見て「くぁ」と鳴き声を上げると、トレーナーの女の子は何かを察したのかミミロルを片手に抱いたまますり鉢上のホールを駆け上がった。
「ちょっと、クラブ!? 何してるの!?」
エントランスに飾られた野菜の中でくつろいでいる緑色のポケモンを見つけ、女の子は小声で叫んだ。
しかし、静まりきったホールにはバッチリ響いてしまい、恥ずかしさからか顔を赤くした女の子は乱暴に緑色のポケモンを掴むと今来た道を駆け戻る。
「ペラップ、口上ッ!」
『ロゼリア、ロゼリア、なんばー、3・1・5!』
「クローバー、『百花繚乱』!!」
放り投げられるように前に出された緑色のポケモンは、その小さな身体で遠くからでも分かるくらいのあくびをする。
トレーナーにいさめるような目で見られると、ようやく状況を理解したのかふわふわとした花びらのついた両手を振って周囲に花びらを散らしていく。
『はなびらのまい』という技だ。 ただし、それ以上でもそれ以下でもなかった。
まばらな拍手の中、引きつった笑顔でロゼリアをモンスターボールへと戻すと、女の子はそれとは別の、ペラップが運んできたモンスターボールを割れるんじゃないかというほど強く握り締めた。

「『スペード』!!」
『グレッグル、グレッグル、なんばー、4・5・3!』
高く投げられたモンスターボールの中から飛び出してきたのは、青いカエルのようなポケモンだった。
このリッシ湖の隣町、ノモセシティでよく見かけられる、独特の仕草とアクの強さで一部に熱狂的なファンもいるポケモンだ。
腹に巻かれたサラシをグリグリとかいているグレッグルにチラリと視線を向けると、女の子は今までより一層大きな声を張り上げて指先を突き出した。
「さあ、いくわよ『スペード』!! 演目は……」
ゲッと低い音とともに吐き出されたグレッグルのワザに、プラチナの表情が固まる。


「『ドロ……ばくだ…………」







「出ていけーッ!!!」
そして、今に至る。
憎々しいほどの青空にプラチナはフンッと息を吐き、その場で足を投げ出した。
膝の裏から伝わる地面の温度がひんやりと冷たい。
「ヤダ、服が汚れちゃう。」
そういえば、昨夜は雨だった。 立ち上がってスカートを叩くが、思ったよりも泥はついていない。
「うん。」
落ち込んでるわけにもいかない。 プラチナは伸びをするようにつま先で立つと、そのまま重心を前にずらして歩き出した。
ここはシンオウ地方、リッシ湖のほとり。
海にも山にも川にも近く、どんな美食家をもうならせるレストランななつぼしと、千年見ても飽きないと言われるほど美しい景色が名物のシンオウ随一の観光名所だ。
美しい景色には美しい発想が、少し散策してみればショーに繋がるいいアイディアが浮かぶかもしれない。
なんて、レストランを追い出された自分への言い訳に過ぎないのは分かってはいるけども。


プラチナが旅を始めてから、そろそろ半年になる。
この数ヶ月でずいぶん遠くまできたし、はじめはおぼつかなかったポケモンさばきやワザのコンビネーションも少しはサマになってきた。
だけど、なかなか結果は出ない。 腕に引っ掛けた大きなカバンからモンスターボールを取り出すと、プラチナは親指でボタンを押し、先ほどのショーでパートナー役を務めていたペラップを呼び出した。
「『レコード』!」
指示が出ると、ペラップはパサパサとせわしなく動かしていた羽根を畳み、音符のような形をしたトサカをピクピクさせながらプラチナを見つめる。
「えーと、今、リッシ湖です。 あのね、ここのレストランでショーをやらせてもらったんだけど……なんていうか……アハハ、失敗して追い出されちゃった!
 だけど……うん! まだ、頑張るからね。 次は、市場のあるナギサシティに向かって……」
「くぁっ!」
話の途中で大きな鳴き声をあげたペラップにプラチナは目を大きく見開かせる。
今の状況は、言うなれば『時間切れ』だ。 ペラップの頭では、そう長い時間の『おしゃべり』は記録出来ない。
「また、やっちゃった。」
「ま、いいか。」と小さく付け加えて、プラチナはペラップを空へと飛ばした。
西の空へと消えていく黒い点を視線で見送っていると、背中の方から近づいてくる音に、プラチナは大きな瞳を瞬かせる。

風の音にかき消されそうな小さな足音はゆっくりと彼女の方へと近づいてくると、少し離れたところで止まって気配を一層小さくする。
ただ、プラチナには分かった。 目的は明らかに自分だ。 近くに野生のポケモンはいないし、観光シーズンを外れているだけあって他に人の気配も一切感じられない。
「あの……なにか?」
振り返ってみると、道ひとつ挟んだ向こう側から、自分とそう変わらない年頃の女の子がプラチナのことをじっと見つめていた。
黒髪に、黒いワンピース。
視線が合うと、何かいけないものでも見てしまったかのようにサッと逸らされたが、明らかに自分のことを見ていた彼女を怪訝な顔でプラチナが見つめ返すと、女の子は、ずいぶんと小さな足取りでプラチナの方へと近寄ってきて、聞こえるか聞こえないかというほど小さな声で恐らくプラチナに、話しかけてきた。
「あたし……マイ。」
長いまつげを伏せがちにそうつぶやいて、少女の言葉は止まった。
見たところポケモントレーナーのようだが、人形の服みたいにリボンのたくさんついたワンピースを着ていることから考えても、あまり自分から話しかけるタイプではないのかもしれない。
少し考えてから、プラチナは自分から切り出すことにした。
「あたしはプラチナ! 世界一のポケモンコーディネーター目指して旅をしているの。」
「ポケモン……こーでぃねーたー?」
「そう! ポケモンコーディネーター! バトルじゃなくって、ポケモンの見た目や美しさをコンテストで競い合うの。
 いつか世界中の人たちが、あたしのポケモンたちに心をときめかせるんだから!」
そう……と、マイは小さくつぶやく。 それから続けた。
「……見てたの、さっき。」
そう言うと、マイはほんの少し口角を上げて微笑んだ。
「面白かった。」


ほんの小さな言葉だったが、おなかの真ん中をくすぐられたような気分になってプラチナは思わず唇を噛んだ。
「ホント!? ホントホント!? 嬉しい、そんな風に言ってもらえたの初めてかもしんない!!
 ねえ、確かマイっていったよね。 友達になってよ!!」
「えっ……」
「イヤ?」
「イヤ……じゃない。」
「じゃあ、決まりねッ! 今からあたしとマイは友達!」
たじろぐ相手をよそに、プラチナはマイの細い手を取ると、血管が切れそうなほど強く振り回した。
「嬉しいなー、今まであたしの周りっていったらバトルバカばっかり!で、ポケモンの可愛さを語れる人なんてママ以外いなかったもん。」
呆然と右手を見つめるマイに、プラチナは一方的にまくしたてる。
「せっかく大きな会場が出来たから、わざわざヨスガシティまで行ったっていうのに、肝心のコンテストが開かれるのはずーっと先だっていうし、流行りのボールシールもナギサシティまで行かなきゃ売ってないとか言われちゃうし。 今日も、レストラン追い出されちゃうし……」
「プラチナのポケモン、すごくユニーク。」
「そ! 変な子ばっかりなの! ぜんっぜん言うこと聞いてくれなくて大変なんだから!」
腹立たしげな様子でプラチナが腰に手を当てると、カバンの中からモンスターボールの揺れる音がカタカタと響いた。
マイは胸の前で右手を軽く握ると、視線を少し下に向けてからプラチナの口元に目を向ける。

「プラチナ。 ナギサシティ……あたしも、行っていい?
 その……方向、一緒だから……」
「うん! いいよ。」
即答されて、マイは逆に驚いている様子だった。
見開かれた目に向かって笑みを向けると、プラチナはペラップが戻ってきたらね、と付け加える。
しばらく硬直していたマイは胸の前で強く握っていた拳を開くと、汗ばんだ手のひらに軽く息を吹きかけた。
「あたしも……初めて。」
「ん?」
「聞きたいの。 あなたと……あなたのポケモンのこと。」
「うん、いいよ! ナギサシティまで行くなら時間はいっぱいあるしね!
 どのポケモンからにする?」
マイがポケモンの名前を告げる。
それを聞くとプラチナはニコリと笑みを浮かべ、小さく息を吸い込んだ。


続きを読む
目次に戻る