「ここに3匹のポケモンがおる!
 好きなポケモンを1匹選んで持っていきなさい!」


「……はい?」
ありきたりとも思えるナナカマド博士の言葉にプラチナが目を瞬かせたのは、シンジ湖の氷も溶け始めた冬の終わりの頃だった。
ナナカマド博士はプラチナの住むフタバタウンの隣町、マサゴタウンに研究所を構える、その筋……ポケモン研究においては第一人者ともいえる人物だ。
一時期はカントー地方のオーキド博士と共同で研究をしていたという話もあるが、その辺りのことはプラチナはよく知らない。
ポケモンマスターなどに興味のないプラチナからしてみれば、ただただ変わり者の、怖いおじいちゃんといった印象だ。
「なんで……ですか?」
「ぴかー」
白衣のシワを親指の腹でこするナナカマド博士にプラチナが尋ねると、博士はプラチナの肩にくっついているポケモンに目を向け「ふむ」と息を漏らした。
細い肩から不思議そうな視線を返しているのはピカチュウの『ハート』だ。 これがポケモンをくれるという博士に疑問を返す理由。 既にポケモントレーナーであるプラチナには改めてポケモンをもらう意味がない。

そして、ナナカマド博士の方にも。
「……前にも、この研究所からポケモンをもらって旅に出た人たちがいるんですよね?」
「ウム。」
「その人たちのおかげで、ポケモン図鑑は完成したんですよね?」
「ウム。」
「じゃ、なんで? ナナカマド博士、確か、あたしがポケモントレーナー志望じゃないっていうのも知ってましたよね?」
少し困ったように白い眉を潜めると、ナナカマド博士は白衣の懐から赤い手帳のようなものを取り出してプラチナに握らせた。
それこそが『ポケモン図鑑』。 出会ったポケモンのデータを自動で記録していくトレーナーにとっては夢のようなアイテム、そして、このナナカマド研究所で行われている研究成果の結晶だ。
「実は、隣町のコトブキまでお使いを頼もうと思っていてな。 ポケモンはその礼の前渡しといったところだ。
 お前さんも、そろそろピカチュウ1匹では限界を感じているのではと思ってな。」
「あたし、かわいいポケモンしか興味ないんですけど?」
「ぴかー」
「ポケモンはみんな可愛いぞ。」
そう言うと、ナナカマド博士は用意していたモンスターボールからポケモンを呼び出し、3匹のポケモンをプラチナの目の前に並べた。
草色をしたカメのような、頭の双葉と背中が特徴的な草タイプのポケモン、ナエトル。
お尻で小さな炎を燃やす、身軽に動き回るサルのような炎タイプのポケモン、ヒコザル。
青い羽根と小さなクチバシの、まだ幼いペンギンのような水タイプのポケモン、ポッチャマ。
みんな可愛いと言われたものの、3匹のポケモンを前にプラチナは疑問を感じずにいられなかった。
ナエトルは論外だ。 今でさえ微妙なのに、進化前から動きの鈍いポケモンがこの先かわいく成長するとは思えない。
ヒコザルとポッチャマはまあまあと思えるが、プラチナの知る限り炎ポケモンが成長して可愛いままであるパターンは少ないし、『最初の3匹』の水タイプは例外なくゴツく進化してしまう。
「うーん……」
プラチナはヒザをついてヒコザルとポッチャマを見比べる。
どちらも今のところ可愛らしい顔をしているが、進化してキモクナーイなどと呼ばれてしまうミズゴロウのようなパターンはごめんだ。
「じゃあ、ヒコザルを……」
「ぴきゅ!」
強く手を引かれるような感触がしてプラチナが視線を落とすと、ヒコザルに向けたはずの指先がなぜかポッチャマの方を向いている。
「ヒコザ……」
「ぴきゅ!」
「ヒコ……」
「ぴきゅ!」
「ヒ……」
「ぴきゅきゅっ!」

「あーっ! もーっ!! なんなのよ、アンタは!?」
「フム、どうやら……ずいぶんとポッチャマに気に入られたようだな。」
「だってコレ『選んで』ないじゃないですか! 3匹並べて1択って意味わかんない!?」
「ぴかちゅー……」
「あ、ハート!? なんで「諦めろ」みたいな顔してんのー!?」





「ポケモンに……押し切られたの?」
「そう。 だから『キング』。
 自分勝手で見栄っ張りな、うちのチームの王様なの。」
呆然とした顔のマイに、プラチナはため息を交えて答えた。
湖から続く川はそれほど距離をかけず海へと流れ込み、汽水の海岸沿いには釣り人のキャップとライフジャケットが点々と色を作っていた。
大地の多いシンオウではあまり見られない光景に目を輝かせているキングを引きずるように足元まで戻すと、プラチナは遠ざかる背中越しのテンガン山にチラリと目を向けた。
「それで、『お使い』っていうのが、研究所のあるマサゴから1つ隣のコトブキシティにあるポケッチカンパニーに図鑑を届けることでね……」





コトブキシティはマサゴタウンから歩いて半日ほどの距離なのだが、マサゴタウンとも、そのまた隣町、プラチナの故郷フタバタウンとも比べ物にならないほどの大都会だ。
街自体は来たのも初めてではないが、1度も行ったことのないポケッチカンパニー本社とやらに行くには地図を広げる必要がある。
街道に設置されている街の地図と博士に書いてもらったカンパニーまでの地図を見比べていると、突然後ろから突き飛ばされ、プラチナは地図の書かれた鉄板に額をぶつけた。
「いたっ!」
何が起きたのか解らず、頭にハテナマークを浮かべたままプラチナが振り返ると、視界の端で全力疾走する細身の男の姿を見つけた。
それを追いかけるように茶色いコートを翻して走り出す男の姿も。
訳がわからない。 ぶつけた額を押さえながらプラチナが目を瞬かせていると、コートの男が何かを叫んでコートの懐から何かを取り出した。
「国際警察7つ道具! 犯人逮捕イトマルネットランチャー!!」
背中に隠れてよく見えなかったが、コートの男が何かを投げるような仕草をすると前を走っていた細身の男が派手に転んだ。
もんどりうっている細身の男から赤い本のようなものを取り上げると、コートの男はプラチナを睨み、まっすぐに彼女の方へと歩いてきた。

「さあ、受け取りたまえ。 キミのポケモン図鑑だ。」
「ポケモン図鑑……え?」
差し出された赤い機械に視線を落としてから、プラチナは図鑑を入れたはずのポケットをまさぐった。
ない。 確かにナナカマド博士から受け取った後、バッグにしまっておいたはずなのに。
「あれ? あれ、あれ?」
「賑わっている場所は、同時に危険もつきまとう。
 気をつけたまえよ。 あの引ったくりは国際警察であるこの私が捕まえておくが、いつ、また犯罪に遭遇するとも限らないからな。」
言うだけ言うと、男はその薄汚れた茶色いコートを翻し、どこかへと去っていく。
ワケがわからない。 博士にお使いを頼まれただけでも面倒だというのに、ひったくり?に、変質者?まで登場ときた。
残されたプラチナが呆然としていると、不意に背中を叩かれ、彼女は悲鳴をあげて飛び上がった。
振り返ると、ツナギを着た白髪交じりの中年の男が驚いたような顔をしてプラチナのことを見下ろしている。
ポケットには、プラチナが向かうはずのポケッチカンパニーの紋章が刺繍されていた。



「……そりゃあ、災難だったねえ。」
プラチナから受け取ったポケモン図鑑をパソコンにつなぎながら、中年の男……ポケッチカンパニーの社長はそう言って彼女に穏やかな笑顔を向けた。
「まったくです。」
暖房の効きすぎたオフィスに通され、プラチナはポッチャマを抱えて座っていた。
天井から降ってくる温風を気にしながら、手鏡を使って彼女は額を何度も確認している。
「顔に傷がついたらどうするつもりだー! って。」
「そこ? ……いや、いや、いいんだけどね。」
引きつった笑みに気付かれぬよう、社長はパソコンのモニターへと顔を向けると、キーボードとポケモン図鑑を交互に操作していく。
「トレーナーたちのおかげで、いろんなことが分かってきたとはいえ、まだまだポケモンには謎な部分が多いからねえ。 悪い人たちの中にはポケモン図鑑を狙う人もいるんだよ。
 博士とは時々連絡を取り合う仲なんだが、キミのことは聞いているよ。
 ロケット団みたいな組織が消滅しても、世の中から悪い人たちがみんないなくなるわけじゃないからね。
 博士もキミみたいな優秀なトレーナーに預けた方が安心だと思ったんじゃないかな?」
「それなら、昔、図鑑持ってた人たちに頼めばよかったのに。」
「ハハハ、彼らは彼らで忙しいからねえ…… キミのパパだって出張中だろう?」
「半年も帰ってこないパパなんか知りませーん!」

ふて腐れた様子でプラチナがポッチャマの上に頭を乗せると、「ぐぇ」と何かが潰れるような音が鳴った。
水枕にはちょうどいい温度だが、座ってあごを乗せるには少し高さが足りない。
「ああもう、博士ってば……か弱い女の子を危険にさらしといて、お礼がポケモン1匹とかありえない!」
パソコンのキーボードをカチャカチャと鳴らしたまま、社長はプラチナの甲高い声に苦笑いする。
「それじゃあ、このことは私からナナカマド博士に言っておくよ。
 それより、こっちは少し時間がかかりそうなんだ。 少しコトブキの街をブラブラしてきたらどうかな?
 もちろん、あんなことがあったばかりだから、無理にとは言わないが……コトブキも基本的には安全な街だし……」
社長はチラリとポッチャマのことを見ると、口元を緩ませる。
「今度は、頼もしいナイトが味方についているみたいだしね。」
「『ナイト』じゃなくて、『キング』です。」
口の先を尖らせると、プラチナはそう反論して壁にある時計をチラリと見た。
確かに、今日ここに宿をとるには時間が余りそうだ。 というか、まだ昼過ぎ。 何よりもおなかが空いた。
「……まあ、いっか。 『ハート』もいるし。」
「すまないね、夕方には終わると思うから。」
「はーい。 それじゃ、また夕方来ます。」


そう言って、プラチナは座っていた事務椅子から立ち上がった。
「ス・フ・レー、ス・フ・レー、ユキカブリ堂のテンガン山スフレー♪」
自作の歌を口ずさみながら、古いオフィスの階段を下りていく。
慌てて後を追いかけたポッチャマは、彼女の足が低い階段を1つ踏み外したのを見逃さなかった。
「きゃ!」と悲鳴をあげたプラチナを助けるべく、短い足で階段を駆け下りる。
そして、誰かがこぼした水で足を滑らせ、ゴロゴロと景気良く同じ階段を転がり落ちた。
間一髪のところで手すりにしがみつき事なきを得たプラチナは、自分よりも先に階段を下りたポッチャマを見て目をパチパチさせる。
「……何やってんの、あんた?」
頭を押さえながらポッチャマは起き上がる。
思ったより頑丈だな、なんてプラチナが考えていると、ポッチャマは突然ふんぞりかえってプラチナを指差し……いや、羽差した。
「きゅぴぴぴ、きゅぴっ!」
「あたしが落ちそうだったから助けてやったんだろうって?
 勝手に転がり落ちといて何言ってんの?」
「きゅぴー! きゅぴぴっ!」
「新しい仲間に対して思いやりがないって?
 それも、あんたが強引についてきたんでしょ。 あたしはヒコザルをもらうつもりだったのに。」
「きゅっぴ、きゅっぴ! ぴきゅー!」
「だったら自分がヒコザルより上だと証明してやるって……どうやって?」
プラチナが尋ねると、ポッチャマは街のあちこちに貼られているカラフルなポスターを羽差した。
そこに書かれている文字は、『ポケモンバトル大会! テレビコトブキカップ』。
「……あのね、あたし、おなか空いてるんだけど。」
ちなみに、開催日は今日。 開催時間はまさに今、だ。



同じ頃、街の中央、テレビコトブキの前に設置されたステージの上で1匹のポケモンが宙を飛び、ラインの引かれたバトルフィールドの隅に転がってうめき声をあげていた。
「ビッパ、Down! Winner、フタバタウン出身、パール選手デス!」
トレーナーゾーンで右腕を上げているのは、フタバタウンのジュン。
金髪にオレンジのボーダーの服もまぶしいトレーナーになりたての11歳だ。
「Pokemon buttle "TV Kotobuki cup"! 司会はヴィーナスデース!
 会場は大変盛り上がっていマース! パール選手、アト1回で10連勝!
 サア、飛び入り大歓迎デース! Challengerイマセンカー?」
「ぴきゅぴー!」
メガホンの大音量に混じって何か聞こえた気がして、ジュンは目を瞬かせた。
辺りを見渡してみるが、特に何も見つからない。 彼に挑戦しようと手を上げる人も。
この『テレビコトブキカップ』は飛び込みありの勝ち抜きバトル、10連勝で豪華賞品。 事前応募で6連勝していたチャレンジャーを飛び込みのジュンが破り、ここまでこれてしまった。
「……とーぜん!」
強いトレーナーになるため、ここに来るまでにポケモンたちのレベルを上げてきたんだから。
「きゅぴー!」
再び聞こえた鳴き声に、オレンジ色の瞳がパートナーのナエトルへと向いた。 いやいや、彼はこんな可愛らしい鳴き声ではなかったはずだ。
司会の外人もソラミミではないポケモンの声に気付いたらしく、足の間からお尻を振って現れた小さなポケモンをぽかんとした顔で見つめている。

そのポケモンは、人が軽々と上れる高さの階段をやっとの思いでよじ登ると、ぐしゃぐしゃになった毛並みを整えてからジュンとナエトルのことをびしっと羽差した。
「きゅぴっ!」
「……Oh、ポケモンが挑戦デースか?」
「いやいや、そんなわけないだろ……」
ジュンはそう言いながらポケモン図鑑をよじ登ってきたポケモンに向ける。
あまりデータのないポケモンだ。 学名はポッチャマ、図鑑ナンバーはジュンのナエトルとは6番違いの393。
図鑑を閉じると、ジュンは人垣の向こうから近づいてくるピンクのマフラーをオレンジ色の瞳でじっと見据えた。
思ったとおりだ。 白い帽子の下から流れるような黒いストレートの長髪に、吸い込まれるような漆黒の瞳。
ポッチャマを追いかけて壇上に上がった彼女はジュンの姿を見つけると、長いまつ毛を上下させた。
「あれ、ジュンちゃん家出?」
「ちがーう、大会出てんだよッ!! オレはトレーナーなったんだ、ナナカマド博士から図鑑だってもらったんだぜ!
 だから、今度からオレのことは『パール』って呼べよな! それがオレのトレーナーネームだからなッ!」
「はいはい。」
「あーっ! ヒカリ、お前信じてないだろー!?」
呆れたような顔をしながらもエントリーシートに名前を書き込むと、彼女はジュンと、その足元にいるナエトルを見比べた。

「お知り合いデスカー?」
「幼なじみよ。 狭い町だから腐れ縁ってヤツ。」
司会の言葉にそう答えると、プラチナはエントリーシートの上にペンを置く。
「ruleの確認は……」
「いい。 1対1、高さ2メートル以下、重さ100キロ以下、レベル、ワザ制限なし、道具の使用は不可、ただし『もちもの』の制限はなし……でしょ?」
「Oh……」
一気に言い切ったプラチナにポッチャマがギョッとして振り向いた。
プラチナがチラシを見たのはほんの一瞬だったはずだ。 その間に書かれていたルールを全て覚えたというのか。
言った本人は涼やかなもので、涼しさを通り越して冷たさのようなものまで感じる。
「じゃ、さっさと始めましょ。 『キング』。」
名前を呼ばれ、ポッチャマは前へと進み出る。
「フタバtown出身の『プラチナ』選手デースネ!
 Pokemon buttle "TV Kotobuki cup"! それでは、Pokemon buttle START!!」


「よっしゃあ! ギョク、『たいあたり』!!」
スタートの合図が送られるのと同時にジュン……パールは自分のナエトルに指示を出してきた。
助走をつけた文字通りの『たいあたり』はポッチャマの胴体に当たり、それほど重くもないポッチャマの身体はバトルフィールドの外まで吹き飛ばされる。
「どうだ、ヒカリ! オ……」
「キング、『はたく』。」
指示が出て、バトルフィールドへ戻ろうとステージを登りかけていたポッチャマは慌てて足をばたつかせ、そのままゴロゴロと床の上を転がった。
起き上がるとまっすぐにナエトルの方向へと走り、真上から細い羽根を振り下ろす。
パン、と、高く軽快な音が鳴った。
「なん……だよ、全然食らってねーぞ。 ギョク!」
「キング、『はたく』!」
再び『たいあたり』で攻撃しようと踏み出したナエトルの額にポッチャマの羽根が激突する。
押し合いになるが、倍近い体重のナエトルにポッチャマが勝てるはずもなく、再び押し負けたポッチャマはプラチナの足元までコロコロと転がった。
「『はたく』!」
間髪いれず出された指示にジュンの方が身を震わせていた。
ポッチャマはヨロヨロと立ち上がるとナエトルの頭をかわら割りの要領で真上から叩きつける。
「おい……」
「『はたく』!」
パン、と、高い音が鳴る。 だが、元々頑丈なナエトルはそれくらいの攻撃ではびくともしない。
「『はたく』!」
振り下ろされた羽根が再びナエトルの額に当たった。 心なしか、先ほどよりも威力が低い気がする。
「『はたく』!」
「オイッ!!」
耐え切れずにジュンが叫んだ。 ポッチャマの羽根はナエトルの額に当たったまま、ピクリとも動かない。

「いい加減にしろよッ、もうお前のポケモンボロボロじゃねーか! 降参しろ!!」
「降参なんかしないわ。 キング、『はたく』!」
ポッチャマの羽根が振り下ろされる。 やはり威力はなかったが、執拗な攻撃にナエトルは気圧され始めていた。
「ああもう! ギョク、実力の違いをわからせてやれ、『すいとる』攻撃!!」
ジュンが叫ぶと、ナエトルは1歩後ろへ下がり頭の葉っぱをピクピクと動かしながら口を大きく開いた。
そのままポッチャマにかぶりつく。 緑色の光が発せられるとポッチャマの口から甲高い悲鳴があがる。
「これで……!」
「キング、『はたく』!」
プラチナの指示が出るのと同時に喉の奥にその細い羽根を突っ込まれ、ナエトルはギャッと悲鳴をあげて後ずさった。
突き飛ばされる形になったポッチャマはよろめきながらも2本の足で自分の体を支え、荒い息を吐きながらナエトルのことを睨みつけている。
眉ひとつ動かさないプラチナにジュンは戦慄していた。 以前、ジュンの家にピカチュウを見せに来たときは自分の子供かというほど可愛がっていたのに。
「くそっ、ギョク、『すいとる』!!」
「キング、『はたく』!」
再び体力を奪おうと口を開きかけたナエトルは、振り上げられたポッチャマの羽先を見て思わず口を閉じた。
その上からポッチャマの羽根が叩かれる。
「『はたく』!」
再び額に。
「『はたく』!」
もう1度攻撃を当てられると、ナエトルの足元がわずかによろめいた。
「なんだってんだよ……」
「『このバトルに負けたらポッチャマは研究所に帰ってもらう。』」
「……なんだよ、それ?」
再びの『はたく』がナエトルの額にヒットする。 ダメージこそないが、ジュンのナエトルはもはや戦意喪失していた。
「約束(ルール)よ。 キングがどうしてあたしを選んだかなんて知るよしもないけど、そのナエトルとキングじゃ……」
振り上げた手に身をすくませたナエトルはジュンの後ろに隠れるとその場で体を小さくしてうずくまった。
ポッチャマは姿勢を変えず、チラリとプラチナの方を見る。 指示はまだない。
「バトルに対する覚悟が違う。」
プラチナの冷たい目にジュンは身震いする。
ジュンは振り上げたままのポッチャマの小さな羽根を見ると、審判にギブアップを告げる。
それを聞いてもポッチャマの短い羽根は振り上げられたままだった。
ジュンは固まっていた。
残り体力も、タイプも、なにもかもが有利だったのに、なぜか「勝てない」と思ってしまったのだ。


「パール選手GiveUP! ナントナント、勝ったのはプラチナ選手デースッ!!」
司会が叫んでも審判の旗が振られても、ポッチャマは羽根を振り上げた体勢のまま、その場に立ち尽くしていた。
プラチナが「ふぅ」と息をつく。
ジュンもようやく一息つくことが出来た。 殺気が消えた、いつものヒカリだ。

プラチナは羽根を振り上げたままのポッチャマを抱え上げると、頭のてっぺんにキスを落とした。
「お疲れ様、なまいきだけどかっこいいのね、キング。」
「きゅ……?」
ポッチャマが見上げると、逆さまのプラチナが目を細めて笑っていた。
「お姫様を守るナイトみたい。」
小声でそう言うと、プラチナは歓声をあげるまばらな見物客にひらひらと手を振る。
司会が駆け寄ってマイクを向けた彼女は、先ほどまでとはまるで別人のようだった。
「おめでとうございマース! "TV Kotobuki cup"新しいChallengerの誕生デースね!」
「え? やらないですよ、そんなの。」
「エ?」
あっけにとられる司会をよそにプラチナは人のまばらな地面に飛び降りると、そのままポッチャマを抱えアスファルトの道を歩き出した。
「あたし、キングが戦いたいっていうから参加しただけなんで。
 だからさっきのバトル、ノーカンでお願いします。
 そうだ、ジュンちゃん! 念願のトレーナーデビューおめでとう! 今度お祝い考えとくね!」
まるで学校から帰るように、プラチナは人ごみの間を抜けて消えていった。
足元で身をよじったナエトルの感触でジュンは我に返る。
ナエトルは完全におびえきっていた。 あのバトルで半分も体力を消費していないというのに。
「Oh、ではパール選手、あらためて10連勝への意気込みを……」
「スミマセン! オレも……棄権します。」
パールはナエトルをモンスターボールへと戻すと、ステージの上から降りた。
押し留めようとする実況の言葉を背に、ポケモンセンターへと向かって歩き出す。
胸の中には、先ほどのバトルの痺れがまだ残っていた。



「おぅい!」

だが、プラチナ自身の転機を決めたのは、博士でもお使いでもバトルでもなく、こんな、なんでない3文字の言葉だった。
背中からかけられた声に振り向くと、ハンチング帽にサングラスという、いかにも怪しい男がドタドタと足音を鳴らしながらこちらへと走ってくる。
さすがに警戒したプラチナはボロボロのポッチャマを抱えたまま、指先に力を込めて相手を上目づかいで見上げる。
「なんですか?」
「いやぁ、よかったよかった、やっと追いついたよ。
 あ、私こういうものなんだけど……」
そう言って男は、ポロシャツの胸ポケットから角の折れた名刺を取り出した。
「……『テレビコトブキ企画部部長、マーキュリーハリモト』?」
「まぁ、簡単に言っちゃえばプロデューサーって奴だね。
 で、本題。 単刀直入に言うけど、キミ、アイドルになる気ない?」
気絶していたポッチャマがピクリと動く腕の感触で目を覚ました。
見上げると、彼女の口元が緩んでいる。 ポッチャマは嫌な予感を感じていた。
「トレーナーのアイドル、ポケドルっていう奴さ。 歌って踊ってポケモンバトルも出来る、そんな新時代のアイドル、それがポケドル!
 さっきのバトルを見てピーンときたんだよねぇ、どうだい、ウチとタレント契約結んでみる気ない?」
「やるやる! やります!」
「きゅぴっ!?」
ポッチャマは動揺した。 明らかに怪しい誘いに2つ返事なんてどういう神経しているのかと。
「きゅぴぴぴきゅ! ぴきゅきゅー!」
「もー、アンタはいちいちうるさいわねー……、パパじゃないんだから。」
「手持ちはそのポッチャマだけかい?」
「いえ、もう1匹。」
プラチナが空にモンスターボールを放つと、宙で割れたボールから飛び出したピカチュウは彼女の背中に飛び乗り、肩からひょっこりと顔を出した。
「ピカチュウのハートちゃんです!」
「ぴかっちゅう!」
「2匹かぁ……うーん、どうもバリエーションに欠けるなぁ、こっちで用意してもいいんだけど……」

ピカチュウとポッチャマを見比べると、男は少しの間うなり声を上げ、ポン、と、手を打ち鳴らした。
「じゃあ、こうしよう! ボクが各方面に手を回しておくから、その間にキミは自分のポケモンを6匹以上用意する。
 アイドルには若さも必要だからね、期間はそう……1年以内とでもしておこうじゃないか。
 ポケモンが揃ったらキミはボクに連絡をつける、そうしたら奇跡のポケドル、プラチナの鮮烈デビューだ!!」
「きゃあ!」
飛び跳ねて奇声をあげるプラチナにポッチャマは思わず耳を塞いだ。 ピカチュウは慣れているのか、涼しい顔をしている。
頬を紅潮させて細かい話を詰めていくプラチナに、ポッチャマは嫌な予感を隠し切れなかった。
そして、その予感は的中することになる。





「……じゃあ、その『ぽけどる』になるために、旅を?」
唖然とした顔で尋ね直したマイに、プラチナは首を縦に振った。
「いつか、あたしのポケモンたちが繰り出す演技が世界中の心を動かすような……そんなポケモンコーディネーターになるのが夢なの!
 だから、テレビに出られるチャンスがあるなら利用しなくちゃ! って。」
でも、それ騙されてると思う……と、マイは言えなかった。
少し離れたところで小さいヘイガニに尻尾を挟まれているポッチャマを見て、マイは小さく息を吐く。
「……苦労してるのね。」
「そーなの! 旅に出たはいいけど、もー大変で大変で!」
あなたのポケモンたちもね。
マイはこっそりと心の中で付け加えた。


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