三つ子の魂百まで、とはよく言ったものである。
「ヒカリはおひめさまになるの!」
幼稚園で将来の夢を聞かれ、何の迷いもなく彼女はそう言った。
そこからアイドル、ママ、ポケモンコーディネーター、ポケドルと夢の名前自体は変わっていったが、きらびやかさを求めるところは全く変わっていない。
「あたしが先に遊ぶの! ジュンちゃんはその次!」
基本的にわがままなのも昔からだ。
ケンカするのも日常茶飯事だが、我の強すぎるその性格は、普通の人が躊躇することも真っ先に突っ込んでいく芯の強さだと、いつからかパールは気づいていた。
いかにも怪しいポケドルの話に飛びついたと聞いたときは脱力で肩が抜けそうになったが。
「ジュンちゃん、ケーキ焼いたから一緒に食べよ!」
彼女はよく笑った。 気が強い分、滅多に泣くことはなかった。
覚えている限りでヒカリの涙を見たのは、何をしたのかわからないがムックルの群れに追い回されていたときだけだ。
あの時は自分が助けに行って、乾いた下水道の中で身を寄せ合った。
薄暗い中、すりむいた鼻先に貼られた可愛らしい絆創膏と、小さな指をからめて言われた言葉を、まだはっきりと覚えている。

「ジュンちゃんをあたしの王子様にしてあげる!」
「え?」
鼻に貼られた絆創膏はピンクのはずだが、光の加減でその時は紫色に見えた。
ヒカリはごしごしと目の下をこすると、泥だらけの頬を緩ませてニコッといつものように笑顔を見せていた。
「だからジュンちゃん、あたしがピンチになったら助けてね!」





どこか遠くから落ちてきた涙に頬を打たれ、パールは目を覚ました。
身体は揺られ、どこかへと運ばれている。
ざらりとした感触に閉じていた目を開いて辺りを見回すと、つんとした水の匂いとともに一面に広がる青がパールの目に飛び込んだ。
そこは、桟橋の上だった。 いや、橋には違いないが、船をつけるためというにはあまりに長く、支柱も深く水の中に突き刺さっている。
さらさらと水音を立てる川の周囲は、草原と小さな森に囲まれ、空から降り注ぐ光に照らされてキラキラと輝いていた。
「起きたか?」
少し低いヒカリの声が響くと、コツリコツリと規則的に鳴っていたひづめの音が止まった。
いつの間にかパールは自分のポニータ、ケイマの上に乗せられ、橋の中ほどまで移動させられていた。
起き上がると日は高く、少し前を歩いているダイヤの足元ではプラチナのグレッグル……スペードが不機嫌そうに頬を膨らませている。
「ポケモンセンターで倒れて、そのまま眠っていたんだ。」
「ここは……?」
「ヨスガシティの東側……ズイタウンへとつながる道路、209番道路だ。」
起き上がって地図を確認していると、肘にケイマが鼻をすりつけてきた。
「こーらケイマ、読みづらいだろ?」
左手でポニータの顔を押し返しながら地図を見ると、確かにヨスガシティの東には広大な池が広がり、その上を道路が突っ切っている。
ひづめが橋を叩くコツコツという音が鳴り、パールが顔を上げると何とも言えない顔をしたダイヤと目が合った。
「……ポニータを捕まえているんだな。」
「ダイヤの知ってる『ジュン』は持ってねーのか?」
「いないな。 それに、自分で地図を見る癖もついていなかった。」
スペードが不気味な鳴き声をあげ、ダイヤは橋の上を東の方角へと歩き出した。
「パールは俺が知っている『ジュン』よりもしっかりしている。」
「なんだよ、ほめても何もでねーぞ?」
そう言い返すが、くすぐったい気持ちに顔がにやけているのをダイヤは見逃さなかった。
何もかもを見透かしたような瞳でパールのことを振り返ると、
「そのポニータと出会った経緯くらいは聞いてもいいんじゃないか?」
「まあ、そのくらいなら……」
そう続き、ひづめの音を伴ったパールの話が始まった。





話は、プラチナがカヅキから『海のタマゴ』を渡された次の日までさかのぼる。
壊れたマンションの玄関先もそのままに、ほぼ半日、歩いたり走ったりして2人はハクタイシティの南にある山道、206番道路へとたどり着いた。
「ヒカリガアブナイ! ヒカリガアブナイ!」
「ペッチャラ、お前少し静かにしてろよ……」
「もーやだ。 歩けない……」
プラチナはいつも通りの言いぐさだったが、この時ばかりはパールも素直に同意した。
既にとっぷりと日は暮れ、先を照らすための懐中電灯もこぶしほどの空間を映すばかりでまるで役に立たない。
タマゴを狙う奴らに見つからないよう下の獣道へと降りてきたから、顔を上げれば空を2つに割るほど大きなサイクリングロードがある……はずだった。
星も見えない曇り空にパールはため息をつく。 ここに着くまで遭難しなかったのが不思議なくらいの暗さだ。

「ここで朝までやり過ごそうぜ。 あいつらもこの暗さの中追って来たりはしないだろ。」
「ああもう! ハクタイの植物園見たかった! ユキカブリ堂の新作スイーツ楽しみにしてたのに!」
兄の前で演じているイイコの皮を脱ぎ捨てたプラチナはパールに向かって思い切り悪態をついた。
バッグの中で青いタマゴが揺れている。
パールは頭の後ろをかいた。 仕方ない……と言っていても仕方ない。
火事場のなんとやらで持ってきてしまったソノオタウンのハニースイーツの箱を乱暴に開けると、パールはその場に座って包みを両手に1つずつ取った。
毛布を背負ったプラチナに左手のそれを渡すと、2人は儚すぎる懐中電灯の明かりを頼りに気持ちばかりの夜食を食べ始める。
「真っ暗だな。」
「もう、12時過ぎてるもん。 こんな昔の山道、ここまで来れたことの方が奇跡よ。」
左腕に巻き付けられたポケッチの薄明りを確認しながら、プラチナがそう言った。
ビニールの音が、ナイロンのこすれる音に変わる。 パールがごそごそと動く影を横目に見ていると、暗闇の中に突然ポケモン図鑑の白い光が浮かび上がった。
「でも、ここって確か、ポニータがいるのよ。 ほら。」
画面を覗き込もうとしたパールを遮って、プラチナは自分たちと同じ高さの方角へ人差し指を突き出した。
そちらへと顔を向けてみるが、闇が広がるばかりで何も見えない。 疑問を投げかけよう口を開きかけたとき、プラチナは強く光っていたポケモン図鑑の明かりを消した。
見てみて、と、柔らかい声でパールへとささやきかける。
パールはじっと目を凝らした。
すると、ひとつ、ふたつオレンジ色の光が、浮かんでは消え、闇の中を飛んだり跳ねたりしているのが見える。
「ポニータって確か、昼間しか遭えないんじゃ?」
「正確には遭遇出来ないんじゃなくて、バトル出来る距離まで近づけないんだって。
 自分の炎で周りを照らして、いざとなれば光を目くらましにして逃げるから夜の間にポニータを捕まえることは出来ないんだってパパが言ってた。」
「あぁ、パパ情報。」
ファザコンと思われたくないのか普段は伏せているが、プラチナの知識はほとんどナナカマド博士の助手でもある彼女の父親から仕入れたものだ。
油断した彼女の口からその言葉が出るたび、パールはなぜかロクに会ったこともない彼女の父親に嫉妬するのだった。
悪態のように吐き捨ててしまったつぶやきに口をつぐむと、ムッとした空気が暗闇越しに伝わり、パールは慌てて彼女の機嫌を直すための方法を考え出す。
ふと、闇の方へと目を向けるとテレビで見たバルビートのように谷間をチラチラと揺らめいていた明かりが消えていた。
「キャッ」とプラチナが高い悲鳴をあげる。
視線を向けると、彼女は恨めしそうな目つきで空を睨みつけていた。
「もう、サイアク。」
パールの鼻の頭に、冷たい雫が跳ねる。
雨が降ってきた。


夏も近くなってきていたし、少しくらいなら濡れてやり過ごそうと考えたが、そうも言っていられないくらいの雨が容赦なく2人の身体を濡らしていった。
仕方なく足元に気をつけながら山道を下っていると、長い髪を肩にはり付かせて後ろを歩くプラチナが「あっ」と声を上げた。
長い睫毛の向く先にパールも視線を向け、同じように小さく「おっ」と声を上げた。
2人の視線の向く先には小さな洞窟があった。 それに気づいたのは、自分たちと同じように雨宿りする場所を求めたポニータたちがその中に集まり、内側からオレンジ色の光で照らしていたからだ。
顔を見合わせると、2人は光のある方へと向かう。
途中、プラチナが足を滑らせたりパールが谷から落ちかけたりしたが、なんとか洞窟までたどり着いた。
「こんばんわぁ〜……」
夜中の来訪者に怪訝な顔をするポニータたちにプラチナが小声で挨拶する。
カツカツとひづめの音を鳴らして空けられたスペースに入り込むと、2人はびしょ濡れの荷物を開いてタオルを絞った。
開いたバッグの中から覗いた『海のタマゴ』を見て、プラチナが小さくため息をつく。
「……お兄ちゃん、大丈夫かな。」
毛玉の飛び出したタオルの隙間からパールが視線を向けると、隙間を開けたポニータたちが1歩遠のいた。
「オレたちより師匠の方が山道には慣れてるだろ? 全然心配ねーって。
 きっと今頃、降ってきた雨で「天然のシャワーだ!」とかなんとか言って体洗ってるって。」
「だーから、ジュンちゃんと一緒にしないでよ!」
「オレだってしねーよ!」
自分で言っておきながら、あまりのバカバカしさにパールはぐったりと疲れてしまった。
折り曲げた膝に自分の身体を預けると、むくれた顔でタマゴの入ったカプセルを抱くプラチナに横目を向けた。
ヘコむ気持ちはわかる。 プラチナからしてみれば昨日は持ち上げて落とされて、パールが思うより散々な一日だったろう。 文句を言いながらも泣かないことを気丈に思うくらいだ。
水のたまったブーツを逆さまにたてかけてタオルの上に座ると、プラチナは炎で赤く染まったパールの耳に視線を向ける。
「ジュンちゃん知ってる? ポニータって、シンオウ図鑑の中では唯一の炎タイプなんだよ。」
振り返っていたずらっぽい笑みを浮かべるプラチナを見ると、パールは首に引っかけていたタオルを絞って彼女の隣に座った。
「それもパパ情報?」
「ううん、博士の部屋にあった古いポケモン図鑑を見てて気が付いたの。 正確にはヒコザルがいるけど、ヒコザルの生息地ってよくわかってないし……」
「あれ? でも、タタラ製鉄所の近くにブーバーいたよな?」
「うん、シンオウ図鑑の調査って2回行われてるの。
 1回目が博士が育てていたナエトルから、ディアルガ、パルキアまでの151匹。 2回目が新しく見つかったポケモンやトレーナーが増えたことで生息地が変わったポケモンも含めて210匹。」
怪訝そうに首を傾げるパールに、プラチナは抱えていた膝を組み直す。
「伝説のポケモン、ディアルガ、パルキアを調べていたときに当時の図鑑所有者たちの間でトラブルがあったんだって。
 詳しいことは言葉を濁されちゃって、パパからもナナカマド博士からも教えてもらえなかったけど。」
プラチナがケースを持ち上げると、中に入っていたタマゴはゆらゆらと揺れて洞窟の壁に光の影を作った。
「そいつ、211匹目になるのかな?」
「だといいなー。 お兄ちゃん大手柄じゃん。」

闇に透かすと、タマゴの奥でふんわりと光が揺れている。
揺れるタマゴを目で追っていたパールは急に上がった自分の視線に違和感を覚え、視線をプラチナへと移した。
彼女は額の辺りにタマゴのケースを持ちながら、暗い洞窟の外を不思議そうな顔で見つめている。
パールがそちらへと視線を動かすと、降りしきる雨の中、1匹のポニータがずぶ濡れでプラチナたちのことを見つめ返していた。
額から背中にかけて燃えているたてがみは雨に溶けて色が変わり、水たまりから昇る煙が細い足元を白く包んでいる。
「ポニータって炎タイプ、だよな?」
「うん、なんで濡れてるんだろ? ほら、こっちおいで。」
プラチナが差し出した手を見ると、ポニータはフラフラしながら2人の方へと近づいてきた。
だが、鼻先が彼女の指に触れようかというときに、コツンという音が鳴る。
パールが振り返ると、洞窟にいるポニータたちがひづめを鳴らしてプラチナの方を威嚇していた。 音は1つ2つと増えていき、地面を揺らすほどの大合唱へと膨れ上がる。
「ちょっと!」
プラチナは立ち上がるとバッグの中からモンスターボールを引っ張り出した。
「同じポニータでしょ、入れてあげなさいよ!!
 この洞窟にいる間に乱暴したらキングとリュウがあんたたちのことを追い出すからね!」
「リュウも!?」
呼び出されたポッチャマのキングは深夜ということもあって、非常に迷惑そうな顔をしていた。
しぶしぶおとなしくなったポニータたちを尻目に、プラチナは地面に敷いていたタオルで外にいたポニータの身体を拭う。
念のためにリュウのモンスターボールを構えてポニータたちを見張っていたパールはプラチナの「わっ」という声で顔をそちらへと向ける。
震えて身体の雫を叩き落としたポニータが、プラチナの腰に鼻先をすりつけている。
そのたてがみからは、青い炎が昇っていた。



「色違いか。」
話を聞いていたダイヤが短く切り出すと、パールは大きくうなずいた。
「って、いうらしいな。 最初、わかんなくてビョーキか何かかと思ったぜ。」
「でも、ケイマは色違いじゃないな?」
「アオイノは群れの中に戻ったからな。 ケイマはアオイノの親友なんだぜ。」



結局、朝になっても雨が止む気配はなかった。
あくび混じりにパールが自分のポケッチを確認してみると、いつもなら絶対に布団の中にいるような時間だ。
「……結構明るいもんなんだな。」
夏も近いせいだろうか。 青と灰色の混じった空の中を翼を濡らしたヤミカラスが横切り、水たまりの向こうからはぷくぷくと、パールが知らないポケモンが身を動かす音が聞こえてくる。
ポケモンって早起きなんだな、と、外の景色を動かす生き物たちの様子を観察していると、背後から聞こえたコツンという音にパールは振り返った。
「お、アオイノも起きたのか?」
昨夜最後に見た時は鼻先をプラチナの膝に乗せ寝転がっていた青い炎のポニータは、立ち上がった姿勢のまま視線をパールに向けるとパタリと耳を動かした。
「……いいよな、ポケモンは。 女にベタベタ触ってもセクハラ扱いされねーもんな。」
「ジュンちゃんのえっち。」
中腰の姿勢のまま、パールは跳ね上がった。
起きていたのはアオイノだけではなかったようだ。 しかも、相当な小声で言ったはずがバッチリ聞かれてしまった。
「プラチナ!? おはっ、や、ちがっ……ちょっ……!」
「すけべー、ばかー、女の敵ー。」
寝起きの半開きの目で、プラチナは散々言いたいことを言ってくれた。
いっそ雨の中に飛び出してしまいたい衝動に駆られるパールを横目に、プラチナは大きなあくびをする。
「全然寝れてない……」
「外、すげー雨降ってんぞ。 どうする? ずっとここにいるわけにもいかねーよな。」
ピンク色のポケッチに触れ、プラチナは自分のひざを抱えた。
「ずっとここにいるしかないと思う。 動けないもん、このぬかるみじゃ。」
「でもさ……」
「あたしポケモンレンジャーじゃないもん。」
確かに、彼女の足では無理だ。 というか、手持ちのポケモンたち含めて自分たちでは無理だ。
ここまでずっと下り坂だった。 この先もそうだ。
206番道路の行きつく先は沢で、その向こうにあるクロガネシティはゴツゴツとした岩だらけの炭鉱の街。
今も雨が降っているというのに、自分たちのような素人が滑りやすい岩場を無事に通り抜けられるとは思えない。
だが、今はカヅキのため、一刻も早くハクタイシティから遠ざかりたい。
なにかいい手はないものかと、どんよりと雨雲の立ち込める外に視線を向けると、先ほどよりも少し明るくなった景色にパールは開いているまぶたをもう少し大きく見開いた。

「なあ、あれは?」
パールが指差したのを見て、プラチナは身体を起こして洞窟の外へと目を向ける。
薄い白が塗られた空を1本の太い直線が2つに分けていた。
「サイクリングロード……」
ハクタイシティを出るとき、目立ちすぎるからと使わなかったもう1本の経路。 206番道路の上空を通る自転車専用道路だ。
「あの下なら、濡れずに進めるんじゃねーの?」
パールの言葉に、今度はプラチナの目がちょっと見開いた。
確かに、サイクリングロードは長く、そして広い。 あの下なら、もしかしたら地面も乾いているかもしれない。
……でも、一晩雨が降った後だ。
「行くだけ行ってみよーぜ。 濡れてたらまたここに戻ってくればいーじゃん。」
パールがそう言うと、プラチナは「それもそうね」と納得する。
荷物をまとめると、2人はまだ静かなポニータたちを驚かさないよう、そっと出発した。



そしてサイクリングロードの真下にたどり着くと、パールとプラチナはそろって「んー」と微妙な顔で唇を噛んだ。
どういうことかと言うと、微妙だ。 上からの雨も落ちてこないが、乾いてもいない。 足元が確保されているとも言えないが、濡れて進めない感じでもない。
「どうよ、プラチナ?」
「微妙……」
この先がどうなってるか想像もつかないし。 プラチナはそう付け足す。
だったら、自分が先に行って様子を見てくるか、そうパールが考えたとき、サイクリングロードの橋脚近くにいたプラチナが軽く悲鳴をあげた。
振り返ると青い炎を尻尾と額にたたえたポニータが細い鼻先でプラチナのことをつついている。
「あぁ、びっくりした。」
「そのアオイノ、プラチナのことが好きなんじゃねーの? ゲットしちゃえば?」
「んー、でも、炎ポケモンはもういいかなって感じだし……」
渋るプラチナにパールは違和感を覚えたが、それをうまく言葉に出来ずにいた。
少し遠くの草むらがガサガサと音をたて、飛び出したポケモンが湿った土の上に着地する。 今度のたてがみは、太陽から切り取られたようなオレンジ色だ。
「あれ、またポニータ?」
「まさか、あの群れ全部ついてきてるんじゃねーだろうな?」
恐る恐るパールは振り返るが、煙った草むらは雨粒が葉を叩いていること以外は静まり返っている。 ついてきたのは青いのとオレンジ色の2匹だけみたいだ。
意味がわからずパールが地図を片手にぼんやりしていると、唐突にポケモン図鑑を手にしたプラチナが声をあげた。
「あー、わかった! この子、この青い子が好きなんだ!
 この色違い、群れからは嫌われてたもんね。 いなくなったから、こっそり抜け出してついてきたんでしょー?」
「両方メスだぞ?」
「ジュンちゃんにはオンナノコの友情がわかんないのよ!」
わからないし、ポニータたちを見ていてもそう思えなかった。
オレンジ色のポニータは青いポニータの周りをぐるぐると回っているが、アオイノが少しでも動くと文字通り飛んで逃げる。
初対面の反応だよな、と、口の中で小さくつぶやいていると、空へ飛んだポニータを目で追っていたアオイノが唐突にひづめの音をあげた。
飛び上がっていたポニータが草むらの中に墜落する。 アオイノがポニータの落ちた草むらに飛び込むのと同時に、岩場の上から低くけたたましいエンジンの音が響いてきた。

「……チッ、狙いがずれたか。
 おい、ガキども! そのポニータはオレの獲物だぜ。 大人しくそこをどきな!」
ガリガリと岩を弾き飛ばしながら近づいてくると、大型のバイクはプラチナたちのすぐ目の前で停止する。
「なんだこいつ、追手か?」
「違うと思う。 密猟者でしょ。」
警戒するパールの横で、プラチナはさらりと言ってのけた。
「品がないもん。 この暑いのにレザージャケットとかミスマッチもいいとこだし、上に専用道路あるのに道ですらない場所で爆音バイクとか何も考えてないのまるわかりだし。
 パパが言ってたけど、同時に2匹以上のポケモンを捕獲対象にするのって禁止されてんだよねー。 あとここ、騒音規制地区のはずだよ。」
「お、おいおい……」
一瞬応援しかけたが、あまりの遠慮のなさにパールは別の意味で寒くなってきた。
「こ、この野郎……!」
「だってさ、ジュンちゃん。」
「いや、お前だろ。」
言ってしまった後で、パールは「あー、失敗したなー」と反省した。
相手の禿げ上がった頭がタコのように真っ赤に茹で上がっていく。
男は引きちぎるようにモンスターボールを取り出し、必要があるのか怪しいほど力強く投げつけてくる。
赤いモンスターボールから呼び出された黒い犬のようなポケモンたちは、パールとプラチナを見ると低い声で吠えた。
デルビルと、ヘルガーだ。 パールとプラチナはそれぞれモンスターボールを手に取ると、ブイゼルとポッチャマを呼び出す。

「リュウ、『みずでっぽう』!」
「キング、『マーメイドキッス』!!」
「ぴ!?」
リュウがデルビルに水を吐きかける横で、聞いたこともない技の指示を出されたキングは固まっていた。
パールはキングに同情する。 思い付きでオリジナル技を編み出すのも今に始まったことじゃないし、プラチナの場合、それがいつ来るかわからないから対応のしようがない。
「相手は炎だし、とりあえず水撃っとけよキング。」
「あ! なんでジュンちゃんが指示出すの!?」
雨が降っている分、威力がかさ増しされてフラフラになったデルビルを横目で見ながら、パールは心の中でプラチナがちゃんと指示を出さないからだろ、と、突っ込んだ。
「もぉー怒った! キング、全力で『バブルこうせん』!!」
デルビルやヘルガーとはまるで違う方向に差された指先に顔をしかめながらも、キングはプラチナが指示した方角に『バブルこうせん』を放つ。
「そのまま『きりばらい』!!」
プラチナの指先は一周した。 それに合わせるようにキングは身体を回転させ、吐き出したばかりの『バブルこうせん』を『きりばらい』で吹き飛ばす。
その結果発生したのは『バブルこうせん』の無差別攻撃だった。
悲鳴をあげるポケモンたちにパールがプラチナに抗議しようとしたとき、飛びかかって来たヘルガーが回転を終えたばかりのキングに食らいつき、空へと投げ上げた。
「ガキども、なめるんじゃねーぞぉ!!」
密猟者が叫ぶのと同時に、ヘルガーは低い声をあげてキングに吠えかかった。
ビリビリと空気が震え、空中にいたキングはモンスターボールの姿に戻ってプラチナの手元へと戻ってくる。
バッグが揺れ、ミミロルのジャックが飛び出してくるのと同時にプラチナは顔をしかめた。
状況が悪くなったわけではなかった。 彼女の視線を追ってパールもすぐに気付く。 岩の間から水が漏れだしている。

視線で合図を交わすとパールとプラチナは同時に密猟者から背を向けた。
「リュウ、『みずでっぽう』!」
「ジャック、草むらで倒れてるポニータを助けてあげて!」
「みみょっ!」
プラチナの指示を聞いて草むらに飛び込むなり、ジャックは近くで咲いていたタンポポの花をぶちりと引きちぎった。
「……ジャック。 今ここで口説くか、ポニータを助けてヒーローになるか。 どっちが男の株が上がるか考えてから動きなさい。」
「みょ。」
片手にタンポポを持ったまま長い耳をピクピクと動かすと、ジャックは焼け焦げて真っ黒になった網を思い切り蹴り上げた。
黒い目を丸くしてぽかんとしているポニータの鼻先にタンポポを差し出すと、ジャックはその場でぴょんぴょんと跳ねまわってポニータに自分をアピールする。
だが、3度目のジャンプの直後ジャックはプラチナに首根っこを掴まれる。
ぐんぐん遠ざかっていくポニータにジャックは悲鳴を上げた。
取り残されたポニータは真っ黒な瞳でプラチナたちの背中を見送った後、地面を蹴って鳥よりも高く飛び上がる。
本当に取り残されたのは密猟者だった。 誰もいなくなった草地を低く震わすヘルガーの鳴き声を聞くと、ようやく自分が無視されたことに気付き、逃げていくプラチナたちの背中を睨みつける。
「てめぇっ……!!!」
ヘルガーの『ほえる』よりも大きな音をあげて近づいてくるバイクを見ると、プラチナは面倒くさそうにため息を吐いて掴んでいたミミロルを離した。
「あいつ、ついてくるぞ。」
「いいんじゃない? 巻き込まれても後味悪いし。 轢かれないように気を付けとこう。」
ジャックはポニータを追いかけようと飛び上がるが、東京タワーを飛び越えると言われるポニータに追いつけるはずもなくプラチナの周りを跳ねまわる。
「プラチナ、クロガネシティまでどのくらい?」
「まだ10キロ以上あるよ。 後ろのおじさん、バイクに乗せてくれないかな?」

無理だろ、と、パールが短く返して後ろを向くと、プラチナの姿が消えていた。
ジャックが上を見上げてぽかんとしているその視線を追いかけると、唐突に後ろからドスッという何かが地面に突き刺さる音が聞こえてくる。
振り返ると、プラチナがポニータに乗っていた。
「えっ、プラチナ、なんで……?」
「ジュンちゃんも乗って! 洞窟にいたポニータたちも気付いたみたい!」
また振り返ると、パールの横をオレンジ色のたてがみをしたポニータが走り抜けていった。
タイヤをスリップさせて停止したバイクの男が後ろから前へと走り抜けていくポニータたちを見て口をあんぐりと開けている。
パールは自分のすぐ近くまで来たポニータの首に掴まると、足元にいたリュウをモンスターボールへと戻した。
ドンとひづめが地面を蹴り、パールの頬を雨粒が叩く。
サイクリングロードの下をまっすぐ進むと思っていたパールはポニータたちの先頭へと目を向けた。
オレンジ色の光の川の先頭に青い炎が浮かび上がっている。
「アオイノ!」
「ちょっと! こっちクロガネシティじゃないわよ!」
地響きが聞こえてパールが後ろを振り返ると、太いサイクリングロードを支える橋脚のアスファルトからポロポロと小石がこぼれ出している。
「プラチナ、もう持たない!」
振り返ったプラチナの瞳が見開いたまま固まった。
一列に走っていたポニータたちが一斉に飛び上がる。
見下ろす2人の真下で、動くはずもない大きな木が横倒しになった。
ひづめが固い岩を叩き、視界が一瞬ブレる。 振り返って草地だったはずの場所を見ると、茶色い川が見えるもの全てを押し流していた。
「ジュンちゃんッ!」
ポニータの背から飛び降りたパールがプラチナには落ちたように見えたのだろう。
「先に行け!」
そうプラチナに叫ぶとパールはガケ下に黒いバイクの姿を探す。 1秒がひどく長く感じられ、胸の中がじわじわと凍ってきたとき、ガツンとくるぶしの近くでひづめが岩肌を叩いた。
首筋に赤い線が引かれているポニータがパールの横で濁流に向かって鼻を伸ばし、甲高いいななきを響かせた。
視線が動くとパールはポニータのいななきの方角に自分の探すものを見つけた。
密猟者はまだ流れに巻き込まれていないようだが、逃げる方向を見失い下流に向かってフラフラ進み続けている。
巻き込まれるのも時間の問題だ。 パールがギンを飛ばそうと自分のモンスターボールに手をかけたとき、熱を持った毛並みがパールの右腕を叩いて背中を彼の身体の下へと滑り込ませた。
「ポニータ!?」
パールを背負ったまま切り立ったガケを飛び降りると、ポニータは突き出した岩を足掛かりに密猟者のもとへと飛んでいった。
ぽかんとしている密猟者に、パールはギンのクチバシで一撃をくれてやった。
「東だ! 山側の方が崩壊が遅い!」
パールが叫ぶのと同時にポニータは飛び上がる。 不安定な足場をものともせず、まるで将棋の桂馬のような複雑な動きをしながらポニータは飛び続けた。
上を飛ぶギンの鳴き声が強くなったのと同時にパールはプラチナの姿を見つける。
洞窟の入り口から手を振る彼女へと手を伸ばしたとき、笑みを浮かべていたプラチナの頬から血の気が引いた。
「後ろッ!?」
振り返る間もなくパールはポニータの背中から振り落とされる。
逆さまになったパールの瞳に青とオレンジ、2匹のポニータと黒いヘルガーの姿が重なった。
炎と炎がぶつかり、強い風が巻き起こる。
「『けたぐり』だ!」
1も2もなくパールは叫んだ。 背中に何かが当たりパールの喉を刺激する。
空に黒い線を描いて落ちてきたヘルガーがバイクに激突する。 顔をしかめてこちらを見る密猟者を睨みつけると、パールはビリビリする指先を男の黒いバイクへと向けた。
「もらいびから『かえんぐるま』!」
青いポニータから炎を受け取ると、オレンジ色をしていたポニータのたてがみが白く燃え上がった。
火の玉が荒れた大地を駆け抜ける。
白い馬に打たれた黒いバイクから聞こえない音が鳴った瞬間、大きな爆発が起きてパールは小さく声をあげた。
地に伏せっていたヘルガーがパールたちを見て逃げて行く。 恐らくトレーナーが逃げ出したのだろう。


いつの間にか、パールの周りにはゆらゆらとしたオレンジ色の炎の波が出来ていた。
青い炎のポニータも、オレンジ色の光に混じってパールたちのことを見つめている。
「みんな無事だったんだな。 オレたちはもう大丈夫だから、どっかみんなで暮らせるとこ見つけろよ!」
ヒン、と、鳴き声をあげると、ポニータたちはパールに背を向けて地響きをあげながらどこか見えないところへと去って行った。
走り去る後ろ姿にパールがホッと一息ついた瞬間、腰の下の地面がぐにゃりと動く。
「うわ!?」
「最ッ低……!」
尻の下にあるもの……いや、プラチナを見て、パールは再び凍り付いた。
「ジュンちゃんのえっちすけべエロ魔人! 女の子の上に乗って死刑なんだから、死刑!」
「ちょっ、ちょっと待ッ…… それはポニータから振り落とされたからで!?」
「おっぱい触られたー! もうお嫁に行けない!」
「触るほどないだろー!? つーか、触ったこと自体誤解だ!!」
ギャンギャンと騒ぐ声に起こされたズバットにパールは頭を叩かれた。
ギンにも白い目で見られ、勝手に飛び出てきたポッチャマにつつかれ四面楚歌のまま、パールは言い訳を続けている。
そのおかげで、新しい仲間がすぐ近くにきていることに、パールはなかなか気が付かなかった。
密猟者のバイクを吹き飛ばし、味方に投げられた網で首に赤い筋をつけた、あのポニータが。





「……で、その時降ろされた洞窟の入り口っていうのがテンガン山だったもんで、結局クロガネシティには行かずじまいなんだよな。」
淡い緑色の藻が生える水の上を、1匹のコイキングが跳ねた。
コツコツと響くひづめの振動が、空の色を映した水面に丸い模様を作り出していく。
「なぜ、アオイノは最初、群れから追い出されていたんだ?」
「プラチナが言うには、オレたちが最初に会うのよりも前に密猟者に会ってて、そのときに『むしよけスプレー』か何か吹き付けられたんだろうって。
 走っているうちに匂いが取れて群れに戻れたんじゃないか、だってさ。」
ダイヤは納得した様子で小さなノートにパールの言葉をメモしていた。
返事の返ってこない微妙な空白に調子が狂う。
そうこうしているうちに、靴が本物の地面を踏んだ。
足元が安定していることに変わりはないが、苦手の水に囲まれた川の上を抜けてケイマは少し嬉しそうにオレンジ色の炎で出来た尻尾を振っている。
「すごいんだぜ、ケイマは! 走るのも速いし、ちょっとした家くらいなら簡単に飛び越えられるんだ。
 仲間になってからは毎日ケイマとパルクールの練習をしてんだ。
 まあ、さすがにポケモンほどは速くなれないから、いっつも負けちまってんだけどな。」
「なるほど……」
うなずくダイヤの背中に大きな影が伸びる。
少し遠くの草むらにいるポケモンたちが、ガサガサと音を立てて駆けて行った。
「だったらパール。 この状況をケイマで解決することは出来るか?」
ダイヤとパールの真後ろで、目を血走らせたギャラドスが牙をむき出しにして彼らを睨みつけていた。
「無理だな。」
「だと思った。 なら、得意の脚力を借りて走るか。」
せーの、で、合図するとダイヤとパールは一目散に川から離れる方角へと走り出す。
何が気に入らないのか放たれた『はかいこうせん』が川べりの石を吹き飛ばし、丸いクレーターを作る。
走りながらパールが発した「なんだってんだよー!?」の声が、救急車のサイレンのように半音ずつ下がって水の流れの中に消えていった。


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