足の裏で水たまりを蹴るたびに、水でいっぱいになったスニーカーはぐじゅぐじゅと音をたてた。
いつもは麦の穂のように揺れる金髪は頬にべっとりと貼り付き、顔を伝う水は境なく、汗か、雨水かの区別もつかない。
全身を打ち付ける雨は容赦なく体温を奪っていくというのに、顔の表面だけはまるで火であぶられたようにほてっている。
見覚えのない木々の中、泥まみれのスニーカーを見下ろしてようやくパールは走るのをやめた。
手で顔を拭うと、汗と混ざった鼻水を勢いよく振り落とす。
「何やってんだ、オレ……」
重く垂れこめた雲に、街の灯りがちらついている。
あれほど一緒にいると誓ったプラチナ……ダイヤは、今どこにいるのか、パールには見当もつかない。





話が切り出されたとき、空は今ほど曇ってはいなかった。
中継地として選んだ『カフェやまごや』で、朝と同じ天気予報を繰り返すテレビを2人して憂鬱な顔で見上げていたわけで。
「間に合いそうにねーな。」
飲み終わったモーモーミルクのコップを机に置き、パールは嫌な顔をする。
予報では、この雨は降り出したら一週間は続くらしい。 そんなに待っていられないとズイタウンを急いで発ったはいいが、午後から降る、と、予報されていた雨は宣言通り、12時半を過ぎてから窓ガラスを叩き始めた。
「……こればかりは仕方ないな。 出発するときに分かっていたことだ。
 パール。 ポンチョは忘れていないな? 荷物を防水することも忘れるな。」
「なんだってんだよー、まるで子供みたいに。 旅に出てんだから、そのくらい持ってきてるっつーの。」
片眉を上げたダイヤにパールは自分の雨支度をした荷物を広げて見せる。
いつもプラチナが大騒ぎするものだから、パールの荷物には自分では使わない予備のタオルや防水スプレーまで入っていた。
あきれ顔のダイヤにポンチョを着せ、昼食に立ち寄ったカフェやまごやを出る。

次のきっかけは、雷が鳴ったことだろうか。
霧のようだった雨粒が見えるほどに大きくなり、2人の頬を冷たく叩いていた。
出来れば急いで抜けてしまいたかったが、雨でぬかるんだ215番道路は見通しも悪く、急ぐべきではないと言ったダイヤの言葉に従い、2人はとぼとぼと雨の中を歩き続けていた。
その音は唐突に鳴った。 うなだれていた木々から雨粒を叩き落とし、羽を休めていた鳥たちが一斉に逃げ出した。
「おい、ダイヤ!」
「心配ない。
 この近くはかくとうポケモンのトレーナーたちが修行場にしているんだ。 ああして大きな木が倒れることもある。」
水しぶきの先では、トレーナーつきのゴーリキーが自分の拳を誇らしげに掲げている。
だが、パールの胸騒ぎは収まらなかった。
パールたちの前方には、一際大きな木がそびえ立っていた。
そちらに向かって歩いて行こうとするダイヤの手首を強く掴む。
「ダメだッ!」
振り返ったダイヤが何か言おうとした瞬間、閃光が走り、進もうとしていた先の木に雷が落ちた。
雨の中燃え上がった巨木に、2人の身体がシルエットとなり地面に映る。
呆然とするパールの手をダイヤが強く握り返した。 ぬかるみの中を逃げるように走り、吊り橋の下にあるわずかなスペースに身体を押し込めるとダイヤは白い息を吐きながらビニールで包んだ荷物の中から真新しいタオルを取り出す。
「パールが正しかったな。」
「お、おう……」
まさか、本当に落ちると思っていなかったパールは立ちすくんだまま自分の胸を握りしめていた。
動きのないパールに気付いたダイヤが麦の穂のような彼の髪にタオルをかける。
そのまま小さなポケモンを愛でるときのように、パールの頭は細かく揺さぶられた。
耳を覆うタオルを取り払うと、パールは見上げてくるダイヤを睨みつける。
「だから! 子供じゃねーって!」
細い腕を上げっぱなしのまま、ダイヤはきょとんと目をまばたくと少し口元を緩めた。
「……そうだな。 パールは、俺の知っている『パール』よりもずっとしっかりしている。」
「な、なんだよ……」
見透かすような黒い瞳から逃げるようにパールは視線をそらす。
その頬をダイヤはプラチナの手で両側から包み、自分の方を向かせた。
「出会ってから今まで、ずっとお前のことを見てきた。
 パール、お前は信頼に値する人間だ。
 まっすぐで嘘偽りがなく、何よりヒカリのことを強く思ってくれている。」
パールが頬を触ると、プラチナの小さな指先が手の中に収まった。
頭では分かっているつもりなのだ、ダイヤとプラチナは別人だと。 でも、どうしても目線が合うと、肩や、指先に触れると、小さなプラチナのことを思い出してパールの心臓は跳ね上がってしまう。

「だから……パール。
 俺は、お前に、告白しようと思う。」
「なっッ!?」
だからパールは、この言葉に反応してしまった。
突き飛ばすようにダイヤから離れると、ポンチョを着直すこともせず全力疾走で逃げ出して行く。
「なんだってんだよー!?」
「パール!?」
ダイヤの声が背中から聞こえた気がしたが、そんなことにも気づかないくらい、人生の一大イベントに遭遇してしまったパールの気は動転していた。
目指していたトバリシティの灯りが雲に映るほど近づき、パールはようやく勘違いに気付く。
酸欠の頭は体の感覚を鈍らせ、睫毛の雨粒が視界を淡く濁らせた。
「何やってんだ、オレ……」
あれほど離れないと誓ったプラチナの身体を置いてきてしまった。 そもそもなんで逃げ出したのか、自分でも理解できない。
ぜえぜえと荒い息で空気を曇らせ、パールは膝に突いた手をきつく握りしめた。
戻らないと。 中身のダイヤはキレる奴だが、身体はプラチナの、12歳の女の子だ。
来た道を引き返そうとして、パールは動きを止める。
地面は泥と水たまり、目線の高さには同じような高さの木しか見えず、自分がどうやってここまで来たのかわからなくなってしまった。
空も暗くて見通しが立たず、ざんざん降りの雨のせいで1歩前の自分の足跡さえかすんでいる。

ダメだ。

散々プラチナに振り回された経験がパールにそう言った。
現状では予定通りの道を進んでいたダイヤよりもパールの方が迷子に近い。
目的地のトバリシティが見えているから、かろうじて最悪の事態だけは避けられるが、このまま引き返したら自分の居場所さえもわからなくなってしまう。
ダイヤを探しに行くとしても、まずはポケモンセンターで宿泊の手続きをとってからだ。 そうすれば、たとえ行き違いになったとしても自分がここまで来たということは知らせられる。
「大丈夫、大丈夫……」
まだ、『最悪』じゃない。 状況を見定めれば活路が見えてくるはずだ。
心臓を押さえようとして濡れたマフラーを握りしめると、手のひらがじんわりと温まった。
暗い林に背を向けると、パールは灯りの見える方角へと足を進めていく。
地面に迫った雲で煙る景色は、パールの足元に落ちる影も溶かしていった。





あっという間に走り去ってしまったパールに、ダイヤは驚いて目を見開いたまま固まっていた。
驚かせるかもしれないと言葉選びは慎重に行うはずだったのに、まさか話を始める前に逃げられるとは。
「既に気付かれている可能性……考えにくいな。」
だったらもっと、分かりやすい反応を示すはずだ。
考えこんでいると、腰の辺りで何かがポンと弾けてダイヤは頭のてっぺんを小さな羽に殴られた。
叩き落とされた帽子から長い髪が落ち、ダイヤの肩と背中にぶつかる。
「なぜ殴る? ええと……『キング』。」
ポケモン図鑑で名前を確認しながらダイヤはキングに尋ねる。
キングはビシッ!と短い羽をダイヤの胸元に突きつけると小さいクチバシをカチカチと鳴らした。
「ぴっきゅきゅきゅぴっ! ぴきゅぴ、きゅぴぴぴっ!」
「……すまない。 こちらから尋ねておいて悪いが、何を言っているのかさっぱりわからない。」
「はあ〜ぁ」と大きなため息を吐くと、キングは自分で叩き落としたハンチングを拾い上げた。
「ぴきゅぴ。」
ダイヤがハンチングを受け取ると、キングは青くて短い羽をトバリシティの方角へと向ける。
多分、パールもそちらに行ったのだろうから先を急げということなのだろう。
確かにそうだな、と、ダイヤは長い髪の上からハンチングを被り直す。
長い髪をしまいきれずに帽子から髪の飛び出した状態のダイヤが薄暗い林の向こうへと足を進めようとしたとき、「みし」という音で動きかけていた足元が再び停止した。
「……『みし』?」
上を見上げると、地面に対して斜めになった、先ほど雷が落ちた巨木。
「おいおい……」
炭となった巨木は明らかにダイヤたちの方に向けて倒れてきている。
いざとなると足が動かないもので、ダイヤとキングは目の前に迫ってくる黒い塊を固まったまま見上げていた。
我に返ったダイヤが指示を出そうと息を吸い込んだとき、視界の端で揺れた草むらから、何か小さな生き物が2匹飛び出してきた。


「ルカリオさん『はどうだん』! お願いします!」
キシャ、と、高い鳴き声をあげると飛び出してきた青いポケモンは両手の間に白い光を集束させ、倒れかかってきた巨木へと撃ち放った。
つむじ風が起こり、先端を吹き飛ばされたモミの木が、水たまりにぶつかって盛大な水しぶきを上げる。
枝先から弾き飛ばされた細い葉が髪の先をかすめ、ダイヤは口の先を固くした。
巨木の先を吹き飛ばした青いポケモンは、ひっくり返ったキングを立たせるともうひとつの影へと駆け寄って「くわんぬ!」と心地良い鳴き声をあげた。
「大丈夫ですかっ!?」
自分のポケモンとのハグもそこそこに、命令を出したトレーナーはダイヤたちの方へと駆け寄ってくる。
ダイヤとキングは呆けた顔をしてトレーナーの顔を見る。 まだ若い……というよりも、幼い。 ダイヤよりもさらに小さな女の子だ。
この雨の中だというのにカッパも傘もなく薄着で、ズボンのスソは何度も縫い直したのかボロボロだ。
「君は……?」
「あ、はいっ!
 すぐ近くのトバリシティでジムリーダーしてます、スモモっていいます! こっちはパートナーのルカリオさん!」
「くぬ!」
女の子の側にいる青いポケモンが、ダイヤたちに向けて挨拶する。
「すぐ近くで大きな雷が落ちたので、ポケモンさんやトレーナーさんがケガしてないか心配になって……」
「駆けつけてくれたのか。 ありがとう、おかげで助かったよ。
 俺はダイヤ、こっちはポッチャマの『キング』だ。」
「きゅぴぴ。」
ダイヤとキングが礼を言うと、スモモはルカリオと顔を見合わせ、「えへへ」と外見相応のはにかんだ笑いをこぼして見せた。
小さな手を守るぶかぶかのグローブに雨粒が跳ねる。

「しかし、なぜこの林に? ジムリーダーとはいえ、この雨ではリスクの方が多いだろうに。」
「えっ? あー……それは、えっと……」
言いよどむスモモにダイヤが首を傾げると、不意にスモモのおなかから盛大なファンファーレが鳴った。
顔を赤くする彼女にダイヤは眉一つ動かすことなく、平然とした顔でバッグを探ると、白い液体の入ったビンを取り出してみせる。
「おなかが空いていたのか。
 さっき山小屋で買った『モーモーミルク』があるから……」
「いっ、いりません! 食べないことも修行のうちですから……!」
「バカ言うんじゃない。 運動後のタンパク質が成長期の身体を作るんだ。
 遠慮もダイエットも考えなくていいから飲みなさい。」
強引に押しつけられたミルク瓶をこわばった表情で見下ろすと、スモモはこわごわとキャップを取り外し、白い液体を一気に喉の奥へと流し込んだ。
一緒にいたルカリオの毛並みが膨れ上がり、すがりつくようにスモモの腰元に前足を乗せる。
「……ありがとうござ、います……おいしいです。」
震える声でそう言ったスモモにダイヤは眉をひそめた。
「ジムはどうしたんだ?」
ダイヤが尋ねると、スモモはピクリと跳ねて恥ずかしそうにうつむいた。
「えっと、その……今日は雨で挑戦者の方も少ないので、少しお休みさせてもらって森で食べ物を探しに……」
「トバリシティには、確か、なんでも揃うデパートがあったと思うのだが……?」
「貧乏ですので。」
苦笑いするスモモにダイヤはますます首を傾げる。
先ほどダイヤたちを助けたルカリオとスモモの動きから考えて、彼女たちの実力は決して悪くない。
加え、トバリシティといえばシンオウ地方でも有数の大都市。 チャレンジャーが途切れることはないはずだ。
なのに、なぜ彼女たちがその日の食べ物に困るほどの極貧にあえいでいるのか。 スモモの口から語られることはないであろうその理由を考えていると、不意に彼女と一緒にいたルカリオの毛が逆立ち、少し離れた茂みに向かって『はどうだん』を撃ち放った。
「ルカリオさん?」
「ぶるあっ!」
ルカリオが吠えると、葉先の飛んだ茂みから人型のシルエットが飛び出し、街のある方角に向かって走り去って行く。
ダイヤはハンチングの先を握ると、キングに目くばせし人影の隠れていた茂みまで駆け寄った。
地面を蹴り飛ばしたような跡と、薄く残る大人の足跡が雨に打たれながら残っていたが、今のダイヤの体格で逃げて行った誰かを追いかけるのはハイリスクローリターンというものだ。
「……それに、今、追いかけるとするならジュンの方だな。」
「ぴ」
パールが残した小さな足跡は、既に溶けた泥によって跡形もなく消えてしまっている。
恐る恐る近づいてきたスモモにダイヤが少し困ったような視線を送っていると、茂みに潜って青い尻を振っていたキングが、ダイヤに何か、壊れた機械のようなものを差し出してきた。




モンスターボールを渡されたポケモンセンターの女性職員は、靴の先までびっしょりのパールを見て、何か言いたそうな顔をしていた。
濡れた髪にタオルをかけることもそこそこに、ポケモンセンターの宿泊手続きをとると、パールはかさばる荷物だけを部屋の中に放り込んで再び雨の降りしきる街の中へと歩き出す。
掲示板に貼られていたこの近くの地図によれば、大通りとつながる階段を降り倉庫街を抜けた先の西側のゲートが本来、パールたちがたどり着くはずだったルートのはずだ。
ぐじゅぐじゅになった靴を水たまりに浸しながら階段を駆け下りると、降りしきる雨のノイズの先で、何か灰色の影が動いていた。
目を細める。 どこかで見たシルエットだ。
慎重に相手との距離を詰め、様子をうかがう。
吐き出した息が白く濁り、それと同時に相手が振り向いた瞬間、パールと男は目が合った。
パールと男は同時に「あっ」と声をあげる。

「ハンサムのおっさん!」
「キミは……! 確か、パールクン。
 どうしたのだね、びしょ濡れではないか!」
「おっさん、ダイヤの……ヒカリの居場所知らねーか? はぐれちまったんだ!」
なんと、と、小さく声をあげると、ハンサムは懐からペンのようなものを取り出し、肩の高さまで持ち上げると先端をノックする。
ボンッと音をあげ、広がった傘でパールを雨の粒から守ると、ハンサムは再びコートの中を探り、小さくため息をついた。
「……ということは、やはり、あの青い服の子供がヒカリクンだったのだな。
 うかつだった。 私も今、彼女を見失って捜しているところなのだ。」
「そっか……」
「彼女のポケッチには発信器が取り付けられていてな。」
唐突に切り出したハンサムに、パールは目を見開いた。
「その反応を追ってキミたちのあとをつけていたのだが……先ほど、彼女と一緒にいたポケモンに攻撃され逃げてきたときに、その探知器をなくしてしまったようなのだ。」
「なんで、そんな話をオレに……?」
「この場所が唯一、トバリシティの中で監視カメラの領域から外れているからだ。」
えっ、と、声をあげ顔を上げたパールに、ハンサムは「カメラを探そうとするな」と、くぎを刺した。
「これ以上は話せない。 だが、恐らくキミたちが思っているよりも状況は悪い。
 この一見平和に見えるシンオウ地方の裏で、ポケモンの誘拐が横行し、トレーナーの失踪が相次いでいる。
 パールクン、子供のキミには、これは酷なことかもしれない。
 だが、たとえ知り合いであっても完全に信用しない方がいい。 私も、どれだけ世間的に認められている人間であっても、だ。」


ハンサムの探している探知器は、小さな手の上で雨に打たれて濡れていた。
それを拾ったキングと一緒に首を傾げると、ダイヤはそれをポケットの中に入れて頬にまとわりついてきた髪を背中の方へと回す。
「なんですか、それ?」
「わからない。 まあ、機械のようだから後でポケモンセンターで分解して調べてみるつもりだ。」
不思議そうな顔をして尋ねてきたスモモにそう答えると、ダイヤはキングを横目で見てから雨に濡れた自分の荷物を取り上げた。
気になることはいくらでもあるが、まずはパールを探さなければ話が始まらない。
顔を上げると、ダイヤは小さな身体で自分を見つめているスモモへと目を向けた。

「ところで、スモモ。 連れとはぐれてしまったんだが、この辺りで人の迷いそうな場所を知らないか?」
「お友達がいるんですか?
 それ、大変です! この辺りって似たような木が多くって、あたしもひとりだとよく迷子になるんですよ。
 修行中の格闘ポケモン使いの人たちなら見てるかもしれません、すぐに聞き込みしましょう!
 ルカリオさん!」
「わっふ!」
スモモが呼ぶと、ルカリオはピクピクと頭の後ろについた雫状の房を動かし、高く飛び上がって遠くの泥だまりの水を跳ね上げた。
「あっちにトレーナーさんがいるそうです。 聞きに行ってみましょう!」
「ぴきゅ!」
声を上げて走り出したキングの後を、ダイヤは追いかけた。
1人目は、すぐ近くにいた。 一時前、リザードンほどの大きさの木を蹴り倒していたゴーリキー使いのトレーナーだ。
「……いや、知らないなぁ。
 俺も、あのでかい木が倒れてきていっぱいいっぱいだったから、走ってった子の行く先までは見てなかったよ。」
「ごるぅ」
「そう、ですか。 すみません、ありがとうございます。
 ルカリオさん、次の人を探しましょう。」
「くわんぬ」
ルカリオはうなずくと、再び頭の後ろについた房をピクピクと動かす。
閉じていた瞳を開くと、ルカリオは小さな手で林の奥を指してスモモたちがはぐれないよう、少し距離をとって走り出した。
「金髪の子? 俺たち、精神統一するためにずっと目つぶってたからなぁ……お前はどうだ、アサナン?」
「ぱぷこ」
2人目。 期待はしていなかったが、やはり、あまり明るい返事は返ってこなかった。
不審な目でダイヤのことを見つめるアサナンをよそに「そうですか」と低い声を出すと、スモモは再びルカリオさんに視線を向け、次のトレーナーを探すようお願いする。
ピクピクと頭の房を動かすルカリオに、ダイヤはポケットから取り出したポケモン図鑑を向ける。
ピピピ、と、音が鳴るのと同時に、ルカリオは飛び上がって枝の上からスモモたちを呼んだ。
走り出したスモモたちを追いかけながら、画面を横目で見る。
「……『ある』?」
「きゅぴ?」
羽を泥だらけにしたキングがダイヤを振り返り首を傾げる。
一瞬ダイヤはキングを見返したが、今、口に出しても仕方ないとポケモン図鑑を閉じ、再びポケットの中へとしまうと走り出す。
3人目は、それからすぐに見つかった。

「あぁ、探してる子かどうか知らんが、子供だったらさっきトバリシティの方にダッシュしていくのを、見たぞ。」
「ホ、ホントですか!?」
聞き返したスモモにグレッグルを連れた格闘家はうなずくと、耳の中をかきながら薄暗い森の奥を指差した。
「カッパも着ずに走ってくから、ずいぶんと用意の悪いトレーナーだと思ったんだけどよ。 そっちの青い子の連れかい?
 悪いこと言わないから、早く見つけてやりな。 なんか切羽詰まった様子だったぞ。」
「ありがとうございます、グンジさん!」
「いいっていいって、親父さんによろしくな。」
「あ、はい……」
なぜか表情の暗くなったスモモに、ダイヤは眉を潜める。
だが、振り返った彼女は最初に会ったときと同じ顔をしていたので、深く聞くことはしなかった。
「ダイヤさん。 あっちの方角ですと、ここからじゃ高い木が連なってて見えにくいんですけど、トバリシティまですぐです。」
「そうか…… だったら、こちらには引き返さず、街の方に向かっているかもしれないな。」
「トバリに行くならあたしもご一緒します。 いつまでもジムを閉めたままにもしてられないし。」
そうか、と、言いながらダイヤは自分のポケッチに視線を落とした。
もうすぐ夕刻になろうとしている。 まだ日が落ちるような季節ではないが、この雨では暗くなるのも早いだろう。
道案内をスモモに任せ、ダイヤは現在位置を確認しようとポケッチのマップアプリを起動する。
そこに見慣れない印がついていることに気付き、ダイヤは首を傾げた。
「……ヒカリの仕業、か?」
「ぴきゅ?」
ポケッチをキングにも見せるが、キングも不思議そうな顔をして目を瞬かせるだけだ。
そうこうしているうちに、スモモが高い木の間から見える光の交差を指差した。
ヨスガやコトブキも大きな街ではあったが、トバリシティはそれらの街とは違った賑わいを見せているのが遠くからでも見て取れた。
眉を潜める。 重く垂れこめた雲に映るネオンの灯りが、なぜだかダイヤを不安にさせた。



「ダイヤさん、この倉庫街を抜けたらトバリシティですよ。」
そう言ってスモモが指し示した先には、重くシャッターの締め切られた数字の書かれた倉庫が立ち並んでいた。
林の中から見えていた賑わいはひとつ上の坂の上から光を放ち、降り注いだ音が倉庫の壁に反射してくぐもった音を立てている。
「あぁ、ここまでありがとう。 あとは自分たちで探してみるよ。」
「お連れさん、見つかるといいですね。」
微笑み返すスモモに水がかからないように、キングが少し離れたところで身体についた泥水をふるい落とす。
ふと上を見上げると、倉庫の屋根に不自然な黒い半球状の物体が取り付けられていた。
「それは、トバリの街を見守っている防犯カメラですよ。」
「ぴきゅ?」
上を見上げていたキングが上の上を見上げると、逆さまになったスモモのアゴからぽたりと雫が落ちた。
「トバリは人や物がたくさん集まる場所ですから、治安があんまり良くないんです。
 だから、防犯カメラをつけて倉庫の商品が盗まれないようにしているんですよ。」
頭の重みでよろけてこけたキングを、ダイヤは転がして起こす。
「そのカメラの映像、見せてもらうことは出来ないのか?」
「あたしじゃ、ちょっと……
 カメラの映像は、ギンガ財閥の人たちが管理してるので……」
「ギンガ、財閥……?」

「そう。」
ポンチョを打つ雨の音にまぎれ、近づいてきたものたちの気配は雨の煙のような静けさでいつの間にかダイヤたちを取り囲んでいた。
『G』のマークがついた、銀色のツナギ。
中心にいる猫目の男の姿を見つけると、スモモが「あっ」と声をあげ、その人物のことをサターンさん、と呼んだ。
「全ての事象、全ての命、星より生まれ、星へと還る。
 それ即ちギンガの理。
 この歪んでいる世界に、一筋の道標を創るもの。 それがギンガ……」
身をこわばらせたダイヤを見ると、サターンと呼ばれた銀色のツナギの男は、口の端をほんの少しだけ吊り上げた。
「……財閥だ。」
サターンと呼ばれた男は自分を呼んだスモモには目もくれず、まっすぐにダイヤのところまでやってくると、頭に雨粒を受ける体勢のまま彼女を見下ろした。
「より良い世界を造る……具体的には、新時代のエネルギーを実用化に向けて開発していくのがワレワレの目標でね。」
「ぴぴっ、ぴきゅきゅきゅぴっ!」
伸びてきた腕を振り払うように、キングがダイヤとサターンの間に入り、ダイヤを突き飛ばすようにして2人の間に空間を作る。
手のひらを叩かれたサターンは不機嫌そうに腕を振ると、ツバを吐き捨てるように、スモモのことを睨みつけた。
「パンドラ、この女のポケッチを奪え。」
「パンドラ……?」
耳慣れぬ名前で呼ばれるスモモにダイヤも横目を向けると、彼女は真っ青な顔をして小刻みに首を横に振っていた。
「で、できません……」
震える彼女の横では、毛を逆立てたルカリオがサターンを睨み、銀色のキバをむき出しにしてうなっている。
サターンはまるでそれを気にすることなく、小さく吐息を濁らせると手元の小型端末を指先でいじりだした。
「そうか。 では、お前のトバリジムに貸している金……すぐに返してもらう他ないな。」
「それは……!」
「ちなみに今日、お前の父親から金の借入の申し込みがあり、新たに20万、ギンガ財閥はトバリジムへと貸し出した。」
「……ッ!!」
怒りとも恐怖ともつかない顔をするスモモを見て、ダイヤは大体の事情を理解する。
短い指を折って数を数えていた彼女は、自分を見るダイヤの存在に気付くと、さっと目を伏せて小さく肩を震わせた。
先ほどまで、雨の中、心配になるほど濡れた服のままでも元気に走り回っていたというのに。
ダイヤはサターンとスモモ、ルカリオとキングを順に視界の中へ入れると、小さく息を吐いて、自分の手首に指先をあてた。


「スモモ。」
顔を歪めていたスモモが自分を呼ぶ声に視線を上げると、白い影のような何かが顔の前まで飛んできた。
反射的に受け取ったのと同時に、倉庫の影から金色の髪をした少年が飛び出してきて、ダイヤとギンガ団の間に立ちはだかる。
「王子様の登場か。」
「……なんだよ。」
パールが睨み返すと、サターンは「フッ」と鼻先から息を漏らし、受け取ったポケッチを呆然と見つめているスモモへと視線を向ける。
「まあいい、ここは退こう。 ひとまずの目標は達成された。」
スモモを取り囲むギンガ団のしたっぱたちに、ルカリオがうなり声をあげた。
肩を小突かれ街へと消えて行くスモモの背中を見送ると、ダイヤはパールの肩越しに、自分たちへと横目を向けるサターンを睨みつける。
「忘れるな、そのポケッチはお前たちギンガ団が奪ったものだということを。」
サターンはやはり鼻先だけで笑うと、ダイヤたちから顔を背け、街の奥へと消えて行った。
全てのギンガ団の姿が見えなくなると、ダイヤとパールは同時に大きく息を吐く。
そして、ダイヤを背中に隠していたパールは、力尽きたようにその場で崩れ落ちた。



「パール!?」
「悪い、ダイヤ……お前のことひとりにした。」
「びしょ濡れじゃないか、まさかあの後ずっと走り回ってたのか!?」
水たまりの中に落ち込んだパールは、慌てるダイヤの顔を見ると力の抜けた笑みを見せた。
冷え切ったパールの身体に手を置くと、ダイヤは一瞬キングの方に横目を向けてからパールの腕を自分の肩へと回す。
「立てるか? ポケモンセンターまで運んでいくぞ。」
「ダイヤ、お前……それ、プラチナの身体……」
「問題ない。 2人の身長と体形から予測される体重差は5キロ以内、男女の体力差を考慮しても意識のあるパールを運ぶくらいなら充分可能だ。」
「お前、そういうとこ……デリカシーねーんだよ。」
ぴきゅ、と、鳴き声をあげて、キングがフラフラのパールとそれを支えるダイヤを先導する。
ポケモンセンターは長く続く階段の上だ。
ポッチャマの身体にはうんざりするほどの高さだが、のろのろとついてくる2人のことを振り返ると、しがみつくようによじ登る。
半ばほどきたところで、遠くに見えるポケモンジムに灯りがともるのが見えた。
ため息が出る。 雨は、まだまだ降りやみそうにない。


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