懐中電灯の丸い光が照らす壁を見て、クロガネシティジムのジムリーダー、ヒョウタはため息をついた。
「参ったな、これは。
 ……完全に閉じ込められた。」
左右へと光を動かすが、わずかな視界に入るのは坂にも似た、崩れて壁になってしまった天井の土だけで、彼が身体を入れられるような隙間どころか、穴を掘って脱出できそうな場所すら見つからない。
下手に触れば、今いる場所も巻き込んで大きく崩壊を起こしそうだ。
光を天井へと向けると、ヒョウタは一緒にいる自分のポケモンに向かってあまり響かない程度の声で話し掛けた。
「ここも崩れるかもしれない。 ひとまず奥に行って安全な場所を探そう。」
クネクネと踊るようなふざけた動きで、彼のポケモンは慎重に進む靴音の後をついていく。
「すまないな、ウソッキー。 真夜中にこんな大変なことにつき合わせてしまって。」
「うっそそー」
「だけど、朝になれば僕がいないことに街のみんなが気付くはずだから。
 そうすれば、すぐに炭鉱が崩れたことにも気がついて救助してくれるはずさ。」
「うっそー!」
「ハハハ、うそじゃないって! 本当、おまえといると楽しいな。」
パタパタと両腕を振るウソッキーというポケモンと笑っていたヒョウタは、はたと足を止める。

「……あれ、おかしいな、いつもと道が違うような……
 落盤で地形が変わった……それとも、閉じ込められたショックで僕が正常な判断を出来なくなっている、のか?」
「うそー……」
気落ちした声をあげるウソッキーに見えもしない笑顔を向けると、ヒョウタは少し乱暴に懐中電灯を振り回す。
「そうそう、うそうそ! 現場責任者の僕が坑道で迷子になるわけがないだろう?」
「うっそー?」
「ごめんごめん、閉じ込められて少し心細くなっていたみたいだ。
 そうだ! この先にDポイントがあったはずだ、そこで救助を待っていようか。
 確か、あの辺りはツルハシが折れるほど岩盤が硬かったから避難場所にはちょうどいいし、おいしい石も取れるはずだよ。」
そう言ってヒョウタは細い光を坑道の奥へと向けた。 地面を走るように丸い光が奥へと向かい、崩れた穴のところどころで小さな光が反射する。
ギシギシとハシゴをきしませDポイントに辿り着いたヒョウタは、手に持っていた懐中電灯を岩肌に向け、目を丸くした。
一瞬、自分の気が触れてしまったのではないかとウソッキーの方に目を向ける。 茶色いポケモンは懐中電灯が照らす丸い光に釘付けになり、ヒョウタのことを見ていなかった。
「……僕の目が、おかしいわけじゃないんだな。」
自分の背よりも大きな宝石を照らし、ヒョウタはため息混じりにそうつぶやいた。
子供の頃からこの坑道には来ているが、今までにみたこともないほど大きな『こんごうだま』。
近づけば、鏡のように自分の姿が表面に映る。
「すごいよウソッキー、これは世紀の大発見だ!
 外に出たら真っ先にこのポイントを採掘するよう、仲間たちに伝えよう。
 僕のことを半人前扱いしていた父さんだって、これだけ大きな『こんごうだま』を見ればきっと……」
そう言いながらむき出しになった『こんごうだま』の表面にヒョウタが手を触れた瞬間、異変は起きた。
まるで奪われるように体の表面から温度がなくなり、目の前にいるウソッキーの姿が2重に映る。
手元から滑り落ちた懐中電灯がカランと音を立て、それが耳鳴りのように頭の中に響き、背中から倒れた身体はぶつかるはずの『こんごうだま』をすり抜けた。

大きな変化が起きたわけではなかった。
だが、目の前で急に倒れたヒョウタに驚き、ウソッキーはオロオロしながら彼の身体を抱き起こす。
小さな石に当たって止まった懐中電灯から放たれる細い光が、分厚い彼の作業靴を照らしていた。
足がわずかに動く。 ん、と小さな声をあげて目を開いたヒョウタは、だるそうに身を起こしながら周囲を見渡した。

「あ、れ……?」







クロガネゲートと呼ばれる小さな洞窟を抜けた山間の道を降りた先にクロガネシティはある。
四方を山に囲まれた谷底とも言えるような盆地に、元は鉱夫やその家族が住むために作られた団地、それを支えるための店や、わずかばかりの公園。
谷間を吹き抜ける風にチラチラと炎を揺らしながら、ダイヤのパートナー、ヒコザルのキングはそれらの景色を見下ろしていた。
前日からの雨で、街は朝日に照らされ敷き詰められた宝石のように輝いていた。
「肩に。」
落ち着いた声にキングは「キ、」と、返事をすると、ダイヤの細い腕をするする登る。
喉元の赤いマフラーを緩めながら、ダイヤは滑り落ちないよう慎重に山道を下っていった。
こんな無骨な街の中心部に、まだ若いジムリーダーが治めるポケモンジム、クロガネジムがある。

「なんだってんだよーッ!?」
ポケモンセンターでギョクとギンを回復し、朝イチでポケモンジムへと向かったパールは大きな扉の前で叫び声をあげていた。
開業時間より前に来てしまったのは仕方ない、定休日とかだったらまだ諦めもつく。
なんなんだ、『ジムリーダーがイチダイジのため本日はお休みします』って。
貼り紙を前にして叫び声をあげていると、うるさそうに耳を塞いでいるダイヤとキングの姿を見つけ、思わずパールはそちらに駆け寄った。
「意味わかんねーよ、ダイヤッ! 休みもわかんねーけど、一大事ってなんだよ、一大事って!?」
「はあ?」
ダイヤは眉間にシワを寄せると、パールに引きずられてポケモンジムの貼り紙を目にする。
「漢字も書けないのか、ここのジムトレーナーは……」
「ぜってーなんかあるって!
 これってオレたちをジムリーダーとバトルさせないための陰謀だぜ!?」
「それをして誰が得するっていうんだ……
 とにかく、街の人に聞き込みをしてジムリーダーの居場所を……って、」
いない。 パールが。
「キッ、」と鳴き声がしてダイヤがキングの指差した方向に目を向けると、既に追いつけないような場所までダッシュしているパールの後ろ姿が見えた。
キングに困ったような顔をされ、ダイヤはハンチングの下の頭をかく。
「放っておけ。 街から出ることはないだろうし。
 それよりジムリーダーだな。」
高い鳴き声をあげダイヤから降りようとしたキングが慌てて細い体を駆け上がる。
「ほら、水たまりだらけなんだから、しっかり掴まっておけよ。」
「キャッ……」
肩にしがみついたキングが恨めしそうに足元の水たまりを睨む。 風に吹かれ、水たまりに浮かんだ黒い影が歪んで消えた。



無骨な街並みを外れ、テンガン山に程近い山沿いの道に、飾り気のない巨大な箱のような建物がぽつんと建っている。
建物の名前は『化石研究所』。 クロガネ炭鉱で時折、鉱石と一緒に出てくる化石を分析、研究するために作られた、ここもポケモン研究所のひとつだ。
幼い頃からこの街に住んでいたヒョウタはちょくちょくここに顔を出し、ときにトレーナーからの目線でアドバイスすることもある。
だから、彼が朝方慌てて飛び込んできたのも、新しい化石でも見つけたか、いつもの気晴らしかなにかだろうと研究員たちは考えていたのだが……
「ジャスミン、ジョセフィーヌゥッ!!?」
研究員たちはドン引きしていた。
まだ若いながらも街の顔とも言えるジムリーダーと、クロガネ炭鉱の総責任者を兼任し、気も荒い炭鉱夫たちをまとめ上げてきた、あのヒョウタが。
「ジャスミン、ジョセフィーヌ……」
「マジ泣き……」
「うっそー……」
相槌のようなウソッキーの鳴き声とともに、息を切らせたヘルメットの少年が駆け込んでくる。
「……こっちから、ヒョウタさんの声が聞こえたんだけど!」
「うそそー!」
「シンスケ! ヒョウタ君の身に何が起きたんだい!?」
シンスケと呼ばれた少年はぶかぶかのヘルメットを両手で抱えると、化石を抱えておいおいと泣いているヒョウタに視線をくれてから怒鳴り返すように言葉を発した。
「こっちが聞きたいよ!
 ミーティングの時間になっても出てこないから、コウタと探してたらクロガネ炭鉱が崩れてて……
 やっと入り口が開いたと思ったら、中からウソッキーとヒョウタさんが飛び出してくんだもん!」
「それは……閉じ込められて錯乱状態に陥ったという、アレ?」
「そのくらいでヒョウタさんはパニックになったりしないよ!!
 炭鉱にいたのだって、中に閉じ込められてる人を助けに行ったからだろうし……そうだろ、ウソッキー!」
「うっそー」
「……ゴメン、聞いた僕がバカだった。」
「うそー……」
頭を抱えるようにしてぶかぶかのヘルメットを外すと、シンスケはいくらか冷静になった顔で化石に泣きすがるヒョウタを再度見つめた。
まだ信じられない気持ちの方が強い。 だけど、今日のミーティングをヒョウタが欠席し、炭鉱から出てきた彼が目の前で化石を抱え泣いている、これだけは動かしようのない事実だ。
「とにかく、オレ、ジム休止の貼り紙してくる! カトーさんはヒョウタさんを見張ってて!」
幼いなりにしっかりした指示を出すシンスケに、研究員のカトーは口を開いたままうなずいた。
走り去る足音を聞きながら、言われた通りヒョウタを見張ろうと視線を移動させたとき、そこにいるはずの人物が消えてカトーは思わず息を呑んだ。

「ヒ……!」
「なに、してるんですか……カトーさん。」
「ヒィッ!!?」
幽霊のように目の前に現れた相手に、今度は悲鳴があがる。
メガネを持ち上げ、泣きはらした目を軽くこすると、ヒョウタは入り口前で腰を抜かしているカトーを片手で持ち上げた。
「……“フォーム”は?」
「は?」
「化石復元装置! なぜ、ジャスミンとジョセフィーヌがまた冷たい眠りについているんです!?」
「さ、さっきから何を言っているんだ、ヒョウタ君? 化石復元装置は、まだ未完成で……」
カトーがそう言った瞬間、ヒョウタの瞳から怒りの色が消えた。
掴まれていた胸倉を離され、支えを失ったカトーは白い壁に背中をこすりつける。
腕に抱えた2体の化石を見比べ、何かを考えるような顔をすると、ヒョウタは再び研究員へと視線を戻し、いくらかいつもの表情をして質問を続けた。
「だったら、化石解析装置はありますか?」
「そ、それなら2階に……」
「案内してください。」
脅された店員のようにコクコクと浅くうなずくと、カトーは冷え切った足をふらつかせながらエレベーターのボタンを押す。
解析装置なんて、小学校の体験授業で公開しているようなものに何の用事があるのだろう、と、カトーは横目でヒョウタのことを見ながら口でつぶやきかけ、やめた。
子供の頃から知っているヒョウタが、今は全くわからない。



「ダメですか?」
「ダメだ。」
「どうしても?」
「ダメだ。 また、いつ崩れるかわかんねぇんだ。 お前みたいな子供を炭鉱に入れるわけにゃいかねえよ。」
それもそうか、と、ダイヤはヒコザルのいない右手で頭の後ろをかいた。
昨日の夕方、ここに入っていく人をみたという証言を聞いて、『一大事』の原因がこのクロガネ炭鉱にあるのではと踏んでいたのだが。
博士の助手という身分を明かせば、もしかしたら入れるかもしれないが、それはあまりしたくない。
ポケモン図鑑は印籠やフリーパスではないのだ。
「キキャッ!」
「え?」
キングが鳴き声をあげた瞬間、ダイヤは後ろからダッシュしてきた何かに突き飛ばされ、盛り上がった土の上に倒れこむ。
「ってて……なんだってんだよー!」
「……パール。」
「って、ダイヤか!」
パールは泥だらけのズボンの尻に指先をこすりつけると、顔中泥だらけにしているダイヤにハンカチを渡そうとポケットに手を突っ込んだ。
使用済みでしわくちゃのハンカチを渡されてもそれはそれで困るが。
自分のハンカチで顔と体を軽く拭くと、ダイヤは落ちきらない泥を手の甲で拭いながらパールに横目を向ける。

「何か収穫があったのか?」
「え? あ、そうだ! さっきこの街の研究所ってとこに行ってきたんだけど、なんか、ジムリーダーの様子が変らしいんだよ。」
「変?」
尋ね返し、ダイヤは口の中に入った泥を自分のハンカチの上に吐き出す。
「直接見たわけじゃねーんだけどさ……ポケモンジムにいるっていう奴が言うに「普段じゃ考えらんねーくらいに取り乱して」「何かにとりつかれたみたいに研究所の機械を改造してる」らしいんだ。
 で、そいつから聞いた話じゃ、そのジムリーダーのヒョウタって奴は昨日、見回りのためにこのクロガネ炭鉱に入ってったらしいから、ここに何かあるんじゃねーかと思って来てみたんだけど……」
おおむね自分と同じ推理をしていたパールに、ダイヤは声の代わりに首を縦に振って返事をする。
でも、と、口を開きかけた瞬間、ずっとダイヤを見ていたパールの視線がずれた。
眉がピクリと動いたかと思うと、小麦色の髪がダイヤの横をすり抜ける。
「待てッ!!」
「は?」と、ダイヤが疑問の声を口にしている間に、作業員の男が止める間もなく、パールは炭鉱の奥へと駆け込んでいってしまう。
一瞬の間を置き、ダイヤの背筋が凍った。
「パール! 戻ってこい!!」
慌てて炭鉱の奥に声を掛けるが、返事がない。
追いかけようとする作業員の腕を引くと、ダイヤは一気にまくしたてる。
「炭鉱の電気は!?」
「あ? 昨日のアレで切れちまったよ!」
「空気、排気管の様子は?」
「崩れたのは入り口だからそっちは無事だ! お前は……」
そう言った瞬間、作業員の肩を小さな何かが蹴飛ばした。
「お借りします。」
「お、おい!?」
「パールを見つけ次第戻りますから!」
身軽に跳んだヒコザルを肩で受け止めると、ダイヤはその手にあったヘルメットを自分の頭に被せヘッドライトのスイッチを入れる。
今にも転びそうなふわふわの足場を抜けると、通路が三つ又に分かれている。
冷静に四方を見渡して何の音も聞こえてこないことを確認すると、ダイヤは腰のホルダーからモンスターボールを取り出した。


「ルーク!」
ボールが開くと、青い身体のポケモンが太い足を地面につけ、みゃう、と高い声をあげた。
しなやかな身体が動くたび、パリパリと音が鳴って青白い光が暗い洞窟の中を照らす。
「俺は正面の道を探す、キングとルークは左へ。 何かあったら壁のライトに電撃を当てて教えてくれ。」
「きー?」
「なんだ、キング? 俺が真っ暗な坑道で迷子になると思ってるのか?」
急きたい足を地面につけてダイヤがヒザを突くと、キングはコクコクと小さな頭を縦に振って答える。
「心配するな、俺はナナカマド博士の助手だ。 シンオウのことなら全て頭に入っているさ。」
自分のことを尊敬のまなざしで見つめるヒコザルの頭を軽く叩くと、ダイヤはコリンクのルークに後を任せ、正面の道へと歩き出した。

さて、と、声に出さずにつぶやくと、ダイヤはひんやりとした空気に指先で覚えている限りの地図を描く。
パールが誰かを追いかけていったのなら右の道に行った可能性は低い。 A〜Dポイントは先ほどの曲がり角から近く、もしそちらに行ったなら声なり息遣いなり聞こえるはずだ。
今いる中央の道はE〜H、それと、L以降。 キングとルークが向かったのはI〜Kの3ポイントだけのほぼ1本道。
「あまり、深くまで行ってなければいいんだが……」
そうは言ってもパールのことだから、あまり期待は出来ないな。 と、ダイヤは自分でもよくわからないフォローを入れる。
まだかすかに反響したヒコザルとコリンクの声が聞こえてくる。
耳を済ませてそれ以上の音が聞こえないのを確認し、ダイヤは先に進もうとした。
立ち止まった瞬間、ダイヤはまだ異変に気付いていなかった。
ただ視界の隅で動いたものに視線を合わせようと思っただけだ。


『それ』に気付いたとき、ダイヤの右腕に鋭い痛みが走った。
自分の体に視線を落とすと、ヒジと二の腕の間に細くて赤い線が引かれている。
「誰だ!?」
野生のポケモンじゃない。 飛び掛ってきたポケモンと距離をとって相手の姿を探るが、隠れているのかトレーナーの姿が見えない。
泥つきの手で傷口に触ろうとして止めると、ダイヤはバッグからポケモン図鑑を取り出して相手のポケモンに向けた。
「……ヨルノズク!」
ヘッドライトに一瞬照らされた文字をダイヤは読み上げる。
気配を感じられなかった理由を理解する。 ヨルノズクは鳥ポケモンなのだが、その柔らかい羽毛で羽音が全くしないことで有名だ。
ダイヤは乾いた口元を湿らすような細い息を吐くと、図鑑を畳んでズボンのポケットに入れた。
コクリ、と、唾を飲み込んだ瞬間、風圧が頬を叩く。
ダイヤはとっさに足を前に突き出した。
靴の裏から衝撃が体全体に伝わり、ダイヤは背中から地面の上に倒れ込む。

「……ひゃひゃひゃ。 ポケモンを置いてこんな奥までくるなんて、無謀といおうか、いやいや、バーカといおうか……
 ま、良しとしますか? そもそも、子供なんかに大事なものを預けるナナカマド氏が悪い……」
ポケットに入ったポケモン図鑑へと伸びてきた手を、ダイヤは叩いた。
驚いたように後ずさる眼鏡の男を睨み、泥だらけの背中を地面から離す。
「お前か。 昨日から炭鉱をかぎまわっていたコソ泥は。」
「コ、コソ泥とは、失敬な! 山から出たものは、皆のものだろう!」
「パールはどうした、お前を追っていた金髪の少年だ。」
汚いものでも見るような目でダイヤは相手を見る。
「うるさいな。 ポケモンも持たないチビガキの……く、せ……」
眼鏡の男が腰を落としたのを見て、ダイヤはヘッドライトに手をかけた。
「にっ!!」
突っ込んできたヨルノズクにダイヤはヘッドライトの光をかざした。
悲鳴があがり、目標を見失った鳥が足元の土を削って狭い通路を転げまわる。
ダイヤは足元のヨルノズクには見向きもせず、真っ直ぐに男の方へと向かうとヘッドライトの光を男の目元に押し付けた。
「にゃああぁァッ!!?」
悲鳴とともに背後で鳥の羽音が響く。
バッグでガードしようとしたが、衝撃までは受け流せず、軽く飛ぶと肩から地面へと着地した。

「……まったく、話し合いで解決してやろうと思ったのに品のない。」
「ふ、ふじゃけんな! さっきから聞いてりゃ、言いがかりを!」
眼鏡の男はフラフラしながらダイヤの落としたヘッドライトを掴み取ると、それを地面に叩きつけた。
「言いがかり?」
「そ、そうだ! そうだ! 僕のどこが泥棒だって!?」
「昨日の夜、この街のジムリーダー、ヒョウタが坑道に入った。 そのときから今まで、作業員以外の人間がこの坑道に出入りしたという話は出ていない。
 坑道の入り口は1箇所だけ。 そこはジムリーダーが入った後崩れ、開かれた後は作業員がずっと見張っていた。
 つまり、お前は隠れているんだ。
 やましいことがないなら、入り口の崩れたクロガネ坑道を未だにウロウロしている理由を聞かせてもらおうか?」
墨を塗ったような暗闇の中、ダイヤは息遣いで相手の男の顔が真っ赤に染まるのを感じていた。
雷のようなフラッシュが白い顔を照らす。
まんじゅうに似た男の横顔を睨むと、ダイヤはその場から1歩身を引いた。 その空間を太い拳が横切っていく。
「お前らがっ! 血相変えてっ! 追いかけてきたんだろッ!!?」
「見当外れもいいところだな。 俺とパールが炭鉱に入ったのはついさっき、ついでに言えば俺がクロガネに着いたのは今朝の6時だ。」
トンッ、と、弾けるようにダイヤが跳ぶと、その空間を肉のついた拳が横切っていった。
背中が壁につく。
「……っと。」
振り返った横顔に眼鏡の男は拳を振り上げる。
ダイヤは素早く身をひねった。 髪の先をかすめ、熱気が頬の横を抜けていく。
「ッ! ……な、なぜ? なんで当たらない!?」
自分の目を疑うような仕草で眼鏡の男は暗視ゴーグルを持ち上げた。
何も見えない。 勘や慣れで動けるような薄暗さじゃない、完全な暗闇のはずだ。
ダイヤの口元に笑みが浮かぶ。 それは、嘲笑だった。
「さあ、お前がポケモンを大事にしないからじゃないか?」

「ふっ……! っざけんなァーッ!!! ヨルノズク、『とっしん』!!」
坑道中に響き渡るような大声にヨルノズクがビクリと身を震わせる。
アタフタと視線をあちこちに向けると、ヨルノズクは大きな羽根を坑道いっぱいに伸ばし、頭からダイヤの方へと突っ込んだ。
「受けろ、ルーク。」
「みゃあっ!」
線香花火のように火花を散らすと、暗闇を照らしたポケモンが太い4本の足でヨルノズクを捕まえた。
反動で自身も飛ばされるが、勢いを削がれたヨルノズクはダイヤの手前で後ろに大きく弾き返される。
「なっ、コリンク……!?」
「『スパーク』。」
猫のような鳴き声をあげるとコリンクはバネのように身体をしならせ、まだ起き上がれていないヨルノズクを胴体で叩いた。
青白い火花が散り、悲鳴があがる。
バチバチと空気の割れる音をたててコリンクがダイヤの足元へ戻ると、羽根を震わせているヨルノズクに目を向け、ダイヤは口笛を吹いた。
「『スパーク弱点』を耐えるか…… さすがに堅いな。」
「ふざけんな!ふざけんな!ふざけんなッ! なんだよ、それ!! 反則ッ、反則だろうッ!?」


反則ルール違反は、キミだろう?」

ダイヤの細い肩が引かれるのと同時に白い手が伸びた。
「ズガイドス、『ずつき』!!」
豪快な土煙をあげ、岩を削りながら青いポケモンが壁を伝いヨルノズクへと迫る。
天井近くまで飛び上がると、ゴツゴツとした恐竜のようなポケモンは、大きな頭を真下に向けて頭から、いや、頭そのものでヨルノズクを叩きつけた。
甲高い鳴き声をあげたヨルノズクが赤と白のボールへと変わる。
「ああぁっ! いいよいいよジャスミーン! その力強い足回り、飛び上がる仕草、何者にも負けない破壊力、やっぱりキミは最高だ!!」
「ヒョウタ、さん?」
ダイヤは帽子を直しながら、ねじれるほどに身悶える背後の人物の名を口にした。
ハッと気付いたようにどこかへ飛んでいった視線をダイヤのところへと戻すと、ジムリーダー、ヒョウタはツナギのポケットに手を入れ、ニッと口元に笑みを浮かべた。
「子供が2人、崩れた炭鉱に飛び込んだって話を聞いてね。 助けに来たんだよ。」
そう言いながらヒョウタはヘッドライトを眼鏡の男へと向ける。
「あなたは……『子供』じゃないですよね。 ここは立ち入り禁止ですよ。」
「ジムリーダー…… くそっ!」
唾が飛び散るような舌打ちをすると、眼鏡の男はダイヤとヒョウタを突き飛ばすようにして坑道の入り口へと向かって駆け出した。
ダイヤは追いかけようとするが、ヒョウタに掴まれたままの肩を軽く引かれ止められる。
「大丈夫。 あっちには作業員ボクの仲間がいるから。」
「てめえッ、待ちやがれッ!」
「うきゃっ!」

「パール!」
今度は離された肩で風を切って駆け寄ると、細く伸びた光の先にいたパールはダイヤへと振り返り、蜜柑色の瞳をぱちりと瞬かせた。
「ダイヤ! こいつなんとかしろよ、あの悪者逃げちまうだろ!?」
そう言ってパールは自分の足元を指差した。
細い足の先っぽに、ズボンを破けそうなほど強く握り締めたヒコザルががっちりとしがみついている。
「彼らが、そっちの彼を見つけてくれたんだよ。」
「なあ、ダイヤ!」
「大丈夫だ! 出入り口はごつい作業員が固めてるんだから。」
通路に少し響くくらい強く言い返すと、ダイヤはパールのズボンのスソにしがみついていたキングをなでて自分の肩へと乗せる。
チラチラと揺れる細い光に照らされたパールの顔に気付くと、ダイヤはそっと近づいて指先が触れぬようそっと手を近づけた。
麦の穂のような金色の前髪をどかすと、額の真ん中にわずかに血が浮かび、ぷっくりと膨れ上がっている。
「このケガは?」
「こ、これはだなー、悪いヤツを追っかけてる途中、もっと悪いヤツと戦って……」
「うきゃきゃっ!」
「キングは違うって言ってるぞ。」
「あっ、てめえ!」
「うちの子になにをする」のポーズでダイヤがキングをかばうのと同時に、キングは自分から地面に飛び降りた。
真っ赤な鼻のパールを指差し、自分を指差し、「うきゃっ」と鳴き声をあげる。
「パールが?」
キングは2本の足でトコトコと歩くと、ルークと追いかけっこのようなものを始める。
「追いかけて?」
追いかけっこのポーズのままヒョウタのまわりを一周すると、キングはそりたった土の壁に頭をぶつけて、そのまま仰向けに寝転がった。
ライトを向けたヒョウタが感心したようにうなずく。
ダイヤは横目でパールを見た。 薄明かりに照らされた唇がふるえ、腰の横で拳が固く握られている。
耳をふさぐ。 こういうとき彼がどうするのかは決まっているから。


「なんだってんだよーッ!?」


クロガネ炭鉱の中に、パールの声が響き渡った。


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