行き先が発電所と聞いて、パールは要塞のように巨大な建造物を想像していたが、辿り着いた場所は存外に小さい事務所のような建物だった。
町から少し離れた谷間の発電所には山から吹き降ろした風が草木を揺らし、山肌に突き刺さった無数の風車をくるくると回している。
まつげすら吹き飛びそうな風に目を細めながら小さな発電所を見ていたパールは、よし、と、鼻から空気を抜くと、一緒にいた小さな女の子に視線を向けた。
「じゃあ、マキ。 ちょっと様子見てくっから、ここ動くんじゃねーぞ。」
「はーい。」
つまらなそうに返事をすると、女の子はボロボロのぬいぐるみをいじりながら桃色の花が咲いている木の根元まで移動した。
結局あの後、幼稚園児に言い負けて、ここで働いている彼女の父親の様子を見てくる約束をしてしまった。
彼女本人が行くことも提案したのだが、「仕事の邪魔をしてはいけない」とかたくなに言い張って(それならパールが行っても同じではないかと思ったが、彼女の中ではセーフらしい)外で待っていると。
正直面倒くさいと思いつつも、パールは断ることが出来なかった。
「あいつ……誰かに似てんだよな。」
自分では割と記憶力がいい方だと思うが、それが誰なのか、どうしても思い出すことが出来ない。
仮にもインフラの中心地だからそうだと思ってはいたが、案の定、扉には鍵がかかっていた。
「すいませーん! アサムラカズナリさん、いませんかー?」
鉄の扉を乱暴に叩きながらパールは中に声をかける。
狭い事務所に響くくらいの音を鳴らしきって少しすると、扉ではなく、近くの窓が開いてボブカットの男性が顔を覗かせた。
「うるさいぞ! ここは子供の遊び場ではない!」
「ちげーって! ……じゃなくて、ここにアサムラカズナリって人いますよね?
その人の子供に頼まれて、様子を見に来たんすけど。 もう2週間近く帰ってないらしいんで。」
「知らん、帰れ!」
ピシャリと音を立てて閉められたガラス窓にパールは眉を吊り上げる。
確かに子供だけど。 頼んできたマキも子供だけど。 パールの父親だって何週間も連絡がないときくらいはあるが、何の前触れもないなんて異常だ。
絶対なにかある。 確信したパールは建物を見上げた。
2階の窓が開いている。 あのくらいなら登れる。
麦の穂のような金色の前髪をかき分けると、パールは発電所の壁を蹴り、真下の窓枠に手をかけそのまま踏み台にして2階の窓から発電所の中へと転がり込んだ。
秘密基地のような壁一面のモニターを見てパールは目を丸くする。
冒険心がくすぐられたが、それこそ子供の遊び場じゃないし、マキの父親を探す方が先だ。 何か手がかりはないものかと部屋の中に視線を巡らせると、宇宙人のような銀色のスーツを着た、パールより少し年上くらいの女性と目が合った。
「は。」
猫のような目を瞬かせて、宇宙人のような女の人はパールを見たまま固まっていた。
こめかみを汗が伝う。
「あー、えーと……怪しいもんじゃないんです。 ちょっと、ここで働いてる人に用があるだけで……」
口ではそう言いつつも、パールは自分で自分のことを不審者だと思っていた。 紛れもない不法侵入だ。
どう言い訳するかうまく回らない思考を巡らせていると、我に返ったらしい女の人が肩の幅まで開いた足を踏みしめて甲高い声をあげる。
「……ダイモス!!」
一瞬何の呪文かと思ったが、直後に灰色の扉が開いて大きな男が顔を出し、パールはそれが人の名前なんだということを理解した。
「ちょっ、ちょっ、ちょっと! 違うって!
オレはただ……」
鼻先に圧力を感じてパールは身体を引く。
窓枠ごと吹き飛んだガラスが地面を叩き、滅茶苦茶な音を奏でる。
声を出そうとしてパールは、はたと動きを止めた。
2人の服装がほぼ同じだ。 ということは、『ダイモス』は警備員じゃない。
一気に頭の中が冷静になり、パールは部屋の中を見渡した。
「お前ら、誰だ? ここモニター室か何かだろ、職員はどこ行ったんだよ?」
殺気を放つダイモスという男を、女の人が銀色の袖を伸ばして留める。
「職員はイナイわ。
あたしはギンガ団のマーズ。 あなた、お話は出来る?
あたしたち、この出来損ないの世界を変えようとしてるの。 だから、ね? ジャマしないでくれない?」
「なんで職員いないの? つか、だったらどーやって電気作ってんだよ?
つか、ここの職員のアサムラカズナリって人探してんだけど、いないってんなら今、どこにいんだよ?」
パールが質問を返すと薄笑いを浮かべていた女の顔から表情が消え、同時に彼女の背後の扉から、メガネをかけた気の弱そうな中年の男が顔を半分覗かせる。
風の流れが変わり、パールは床に頭を近づける。 ほぼ同時に頭の真上からドンッという音がして、パールの目の前に黒い羽が1枚落ちた。
顔を上げると鼻と目の間あたりを鋭い爪が横切っていった。 白みがかった灰色の壁にヤミカラスが突き刺さっている。
「生意気。」
「いやいやいやいや。」
さっき、窓を割ったのもこいつか、と、パールは妙なところで納得する。
ていうか、ヤバイ。 話も通じてなさそうだし。 ていうか今、普通に命の危機だったし。
1度戻って警察に知らせよう、そう思って窓に視線を向けたとき、パールの手首に氷のように冷たい手が添えられた。
「……どこ行く気?」
長い爪が皮膚に突き刺さる。
「ぎっ、ギョクッ! 『たいあたり』!!」
真上のヤミカラス。 ボールから飛び出したギョクはパールのヒザを蹴って真上へと飛び上がる。
黒い羽根がパールの頬を叩き、攻撃を外したナエトルがパールの背中を転がって床に落ちた。
少しホッとした部分もあるが、これで完全に話し合いの道は断たれた。 このまま続けても会話出来た自信はないが。
「逃げるぞ、ギョクッ!」
とにかく警察に。 尻餅をついているギョクを立たせると、パールは入ってきた窓の方へと身を翻る。
だが、ガラスが外れて窓枠だけになった四角形の下に灰色の猫のようなポケモンがいてパールは足を止める。
「いつの間に……!」
「ニャルマー、『ひっかく』!」
真横に振り切られるように切りつけたツメからパールをかばったギョクが、押し返されて床の上を転がる。
すぐに起き上がったギョクはダンッと、床を踏みつけると大きな足音を立てながら窓際のニャルマーに向かって突進した。
ニャルマーがバネのような長い尻尾を突き出し、ギョクの攻撃はそれに遮られる。
押し負けて、ギョクは再び床の上を転がった。 パールはギョクと相手のポケモンを見比べると、冷たい手を拳にして高く声をあげる。
「『はっぱカッター』!」
「『さいみんじゅつ』!」
飛んできたナエトルの葉を尻尾を使って叩き落すと、ニャルマーはそのまま長い尻尾をギョクに向けてくるくると回し始めた。
「ヤバイ、ギョク、見るなっ!」
「マッ……」
パールの指示は間に合わなかった。 鼻先に尻尾を突きつけられると、ギョクは相手を睨んだまま足元をふらつかせ、アゴから床の上に崩れ落ちる。
「ギョク!?」
叫んだ直後、パールの視界がゆがんだ。
身体に力が入らず、ヒザと、手のひらと、肩と、頬が床の上にはりつく。
「やべ……」
何とか身体を起こそうと顔を上げると、ぼやけた視界の中にマーズと名乗った宇宙人のような女がいた。
まぶたも重い。 口の中を噛もうとしたアゴからさえも、力は抜けてゆく。
「……遅いな。」
ポケモンセンターのロビーで腰掛けながら、ダイヤは手元でうっすらと光を放つポケッチを見下ろしながらつぶやいた。
いつものパールなら、とっくにポケモンセンターに着いていてもいいはずなのだが、まだチェックインしたという話も聞いていない。
迷子の可能性も考えたが、地図を見る限り、ソノオタウンはそう複雑な地形はしていない。 少し遠回りだろうと簡単に目的地まで辿り着けるはずだ。
腕を組んでいると、パチパチと目の前が点滅して、思わずダイヤは自分のまぶたに手を当てた。
「あれ、また停電?」
湯気の立つコップを持ったミレイが声をあげる。
忙しそうに走り回るセンターの職員を避けた彼女を、ダイヤはいぶかしむような表情で見た。
「昨日も停電だったのよ、おんなじくらいの時間に。」
そう言ってミレイは壁にかかっている4時過ぎを回った時計を指差す。
なにか引っかかりを感じて、ダイヤは眉を潜めた。
2分ほどして復旧したのか再びパチパチと音を立てて蛍光管が光を取り戻すと、対応もひと段落したのか、少し疲れた表情の職員がダイヤたちのもとへと歩いてくる。
「ちょっと、いいかしら?
あなたたち、幼稚園くらいの女の子見なかった?」
ミレイが首を横に振る。 ダイヤも、否定の言葉を口にした、今日はパール以外の子供は見ていない。
困った顔をすると職員は遠慮もなくダイヤの横に腰掛けてきて、小さな赤い光を放つ自動ドアへと目を向けた。
「その子が、どうかしたんですか?」
紙のコップを回しながらミレイが尋ねる。
「うん、いつもポケモンセンターに来る子なんだけど、今日はまだ見ていないのよ……」
「……日曜だからでは?」
「そうならいいんだけど、マキちゃんのパパ、ここ半月くらい帰ってないって言うのよね。
昨夜も誕生日だからって家を抜け出して朝までここで待ってたっていうのに……少し心配で。」
「あ、それで、今朝方なんかバタバタしてたんですか?」
「ううん、それは停電。 なんだか知らないけど、ここのところ朝方よく停電するのよねぇ。
マキちゃんのパパ大丈夫なのかしら……」
「朝も、停電するんですか?」
ダイヤが、質問を投げかける。
「そうなの、それも決まって夜明け前に!」
「4時、6分に?」
ダイヤが聞き直すと、職員の女性は不思議そうな顔をした。
「えぇ、そのくらい……かしら? でも、どうして?」
職員の質問には答えずに、ダイヤはポケットからクシャクシャになったパンフレットを引っ張り出した。
地図に指を滑らせると、観光ガイドの東端に指先を置いて、地図を職員に見えるように回転させる。
「その、マキっていう女の子の父親が働いているのはこの谷間の発電所ですか?」
「え、えぇ、そうだけど……」
苦い顔をするとダイヤは立ち上がって自分の部屋へと走った。
簡単に荷物をまとめると、キングとルークのモンスターボールを持ってポケモンセンターの外へと飛び出す。
もう1度地図を確認する。 『たにまのはつでんしょ』は、ここから歩いて30分ほどのところだ。
道程を半分ほど走ったところで、さすがに疲れてダイヤは1度足を止めた。
体温を奪っていく汗を手の甲で拭うと、町から続く、広くはあるが街灯のない道に目を細める。
「考え過ぎならいいが……」
乱れた髪を整えるため1度帽子を被り直すと、ダイヤはポケットに手を突っ込んで歩き出す。
どこか遠くで5時を知らせるチャイムが鳴っていた。 それを聞いて鈍りかけた足を急がせようとしたとき、同じ方向から女の人の悲鳴が聞こえてダイヤはそちらに目を向ける。
「どいてどいてっ、てか、止まってえぇーっ!!?」
「!?」
相手の姿を見る間もなく、ダイヤは何か柔らかいものにのしかかられ、その場に組み伏せられた。
ベロベロと頬に舌の感触がする。
「あああぁ……ごめんっ、ごめんねっ! ほら、やめなさい、イザヨイ!
あの、えっとね、あたしも一緒に発電所行こうと思って。
ダイヤくん、いなくなったマキちゃんって子を探しに行くんでしょ? あたしも心配だし。」
「むふー」
「あの……もしかすると危険かもしれないので、出来ればこっちよりも警察に連絡しておいて欲しいんですが。」
「なおさらじゃない! あなたみたいなちっちゃい子、1人でなんか行かせられないよ!」
確か、12だったはずだよな……と、ダイヤは脱げかけた帽子を押さえながら口をつぐんだ。
ミレイは黒いポケモンの上から足を揃えて降りると、ポケモンの小さい耳を手のひらで押しつぶして、後ろ向きに歩く。
「だから! バランスを崩すようなことするんじゃないって……!」
「変なの、なんだか旦那さんみたい。」
クスクスと笑うとミレイは身を翻し、早足でついてきた自分のポケモンに視線を向ける。
黒いポケモンの首筋から炎が生えて、辺りがずいぶんと明るくなった。
そのまましばらく歩いていくと、道端に植えられたモモンの木の下で人影のようなものが動いて、ダイヤとミレイは揃って目を丸くする。
ダイヤが止める間もなく、ミレイはその人影があるピンク色の木まで走って行ってしまった。
小さな人影は一瞬身を固くしたが、すぐに警戒を解くとしゃがみこんでいる彼女の胸に飛び込んだ。
ミレイは持参したトートバッグから水筒を取り出すと、湯気の出る液体をコップへと注ぎ込んで、その、小さな女の子へと手渡す。
「熱いから気をつけてね。 あなたがマキちゃん?」
「うん、おねえちゃんたちは?」
「あたしはミレイ、あっちのお兄ちゃんがダイヤくん。 2人ともポケモントレーナーよ。
ポケモンセンターのお姉さんが心配してたよ。 早くおうちに帰ろ?」
マキという女の子は一瞬頬を赤くすると、すぐに沈んだ表情になって通りの先にある小さな建物へと目を向けた。
「でも、パールが……」
「パール?」
「パパのようす見てきてくれるって言ってたのに……」
「まだ戻らないのか?」
ダイヤの問いに、マキはうなずいた。
それはおかしい。 パールの性格から考えて、約束をすっぽかすことも、こんな小さな子を夕暮れに連れ回すことも考えられない。
発電所で、何かあったに違いない。
「ミレイさん、警察に連絡してください。」
「って、1人で行く気? ダメよ!」
「モタモタしてたら余計危険ですから! それじゃお願いします!」
返事を待たず、ダイヤは振り切るように建物の方に向かって駆け出した。
パールと別れてから既に5時間近く経過している。 彼がいつ発電所に来たのかまでは知らないが、なんらかの事件や事故に巻き込まれたのだとしたらヤバイ。
最悪の事態が頭をよぎり、ダイヤは乱暴に発電所の入り口の扉をガンガンと叩く。
「すいません! 開けて下さいっ!」
中から返事はない。 ここが発電所である以上、常に人はいるはずなのに。
「友人が倒れたんです! 救護室を貸して下さい!!」
言葉を変えてみるが、やはり扉はうんともすんとも言わない。
いくつかのパターンが頭の中を逡巡すると、ダイヤは1歩離れて淡く夕暮れの光を反射する扉を観察した。
扉の横に設置されたカードキー。 厄介だ。 鍵をこじ開けようにも鍵穴がない。
数少ない1階の窓には頑丈な鉄格子がはまっているし、それを焼き切れるほどキングの火力は強くない……というか、仮に高温の炎が出せたとしても、あの格子は切れないだろう。
そうしている間にも時間は過ぎていく、いよいよ強行突破しかないとモンスターボールに手をかけたとき、細い手に肩を掴まれてダイヤは飛び上がるほど驚いた。
「ダメ!」
「ミレイさん!?」
片手をマキと繋いだまま細い眉を吊り上げると、ミレイは冷たい手でダイヤの手首を掴んだ。
「事故かもしれないんです、中で何か起きているのは間違いないんですよ!?」
「だから、子供の出る場面じゃないって言ってるの!
これは大人の仕事です! 警察にはもう電話したから、ダイヤくんもマキちゃんも、ここで待ってなさい!」
「子供なんかじゃ……!」
反論しかけたダイヤの手首を、ミレイは強く握り締めてくる。
「ダメです。」
一刻を争うかもしれない事態なのに。 青みを帯びた瞳に睨まれるとダイヤは何も言い返せなくなる。
せめて、扉が開けば事件か事故かの判断はつくのに。
忌々しげにダイヤが扉の方へと視線を向けた瞬間、甲高い悲鳴を伴って空から大きなものが降ってきた。
降ってきた『何か』は軌道を外したボールのようにミレイにぶつかると、そのまま彼女の頭にへばりついた。
「む〜……」
「昼間のエイパム?」
「えっ?」
驚いたミレイが首を左右に振り、その弾みで小さなポケモンが彼女の肩から落ちる。
大きな目を瞬かせると、ポケモンはダイヤの身体によじ登り、長い尻尾をミレイに向かって突き出した。
「あら、きれいなお花。 もしかして昼間のお礼?」
「にーお!」
エイパムが体を動かすと、ダイヤの耳元でガサガサと音が鳴る。
顔を見ようと横目を向けると、反対側の頬に何か冷たいものが当たった。
ダイヤの顔に巻きつくように長い尻尾が伸び、反射的に差し出したダイヤの手に小さくて硬いものを落とした。
それを見てダイヤは仰天する。
カードキーだ。 ご丁寧に、シンオウエネルギー開発センター……ここの発電所のロゴまで入っている。
「えっ……えっ!?」
「あっ、そっちはキラキラしてる。 ダイヤくん、何もらったの?」
声をかけられてダイヤは事態を理解した。
今ならミレイの手も離れている。 べっとりと濡れたカードキーをリーダーに通すと、ランプが光って扉から金属がぶつかる音が鳴った。
「あっ!」
一瞬の隙を突いて扉の奥へと滑り込んだダイヤにミレイが声をあげる。
「ちょっと! 待ちなさい!」
「待てません!」
考えうる最悪の事態は、発電所内で起きた漏電事故にパールが巻き込まれていることだ。
その場合、事態は一刻を争う。 ……というより、今踏み込んだところで手遅れという可能性の方が高い。
ダイヤは発電所の中へと乱暴に踏み込んで辺りを見回す。
ひとまず、ここから見える範囲は静かだ。
少しだけホッとすると、ダイヤは足元を確かめるようにゆっくりと前へと進む。
ごちゃごちゃとしていて先の見通せない通路に顔をしかめると、ふと肩の辺りが軽くなり二の腕を冷たい空気が撫でた。
「ま!」
「エイパム?」
いつも同じところにヒコザルがいたせいで、ダイヤはそれが野生のエイパムだということをすっかり忘れていた。
短い手足で床の上に降り、エイパムは第3の手とも言える長い尻尾でダイヤのことを手招きする。
ダイヤの怪訝な顔を見つめ返すと、そのまま曲がり角まで走ってから振り返った。
「にまぁ!」
疑問を発しようとした口をつぐんで、ダイヤは小さなポケモンへと駆け寄る。
入ってきた扉や窓へ向かわないということは、エイパムは少なくともダイヤよりはここの構造を知っているはずだ。
弾かれた磁石のように遠ざかるエイパムの背中を追いかけると、薄青いポケモンは階段を駆け上がり、鉄色の枠がはめられた扉のまえで鳴き声をあげた。
白いプレートには『制御室』と書かれている。 ノブを回すと、ガチンと金属が打ち合う音が鳴って手が止まった。
上下に揺れたドアノブを、ギンガ団のマーズは眉を潜めて見つめていた。
「ねえフォボス?
どうしてあたしたちのやってることって理解してもらえないんだろうね?」
「あたりま……ッ!」
コントロールパネルの前に座った男性が彼女を怒鳴りつけようとして、集団の1人に睨まれる。
もう1人の男の足元でぐったりしている金髪の少年の姿を見ると、薄汚れた作業服の男性は唇を噛み締めてモニターへと目を落とした。
小刻みに震えている男を横目で見ると、マーズにフォボスと呼ばれた小柄な男は腕を組んで不健康な光を放つ監視カメラの映像に視線を向ける。
「そうすね。 俺から言わせてもらえば、ジュピター様はアマいんすよ。
そもそも理解される必要ってあります?」
「それもそうね……」
マーズが納得したのとほぼ同時に、閉ざされた扉からかすかな機械音が鳴り、マーズ、フォボス、ダイモスの3人はぎょっと目を見開いた。
カチャリとノブを回し、小さな少年が制御室の中へと入ってくる。
「どうやって……!? 扉にはロックがかかっていたはずなのに!」
驚いて目を見開いている背の低い男に、ダイヤは黒鉛で汚れた指を向けた。
「ナンバー式だったからな、古典的な手だが。」
まさか1回で解除できるとは思わなかったが。
部屋の反対側では大柄な男に見張られながらパールが気を失っている。
あぁ、と、ダイヤは小さく声を漏らした。 ようやく状況を理解した、テロに遭っていたというのは、さすがに予想外だ。
「その子は無事か?」
「あのガキんちょのこと? ブジじゃないかもよ。 昼間、勝手に忍び込んで、ワケのわかんないことわめいてたし。
アンタ知り合いだったら、さっさと持ち帰って脳みそほじくり返してくれない?」
猫のような顔つきの女は不機嫌な顔でそう言うと、見上げるような目つきでダイヤのことを見つめた。
「って、聞かないんでしょ、どうせ。」
ダイヤは答えなかった。
明らかに不穏な空気ではあるが、こちらとしては、パールとマキの父親さえ戻ってくれば彼女たちが何をしようと知ったことではないのだが。
ただ、マキの父親らしき作業服の男があちら側の小柄な男に脅されている現状を見る限り、その要求が通る可能性は限りなく低い。
どうしたものか、と、部屋の入り口で足を止めたままダイヤが考えていると、集団の中心人物らしき女はモンスターボールを開き、灰色の猫のようなポケモンを呼び出した。
ニャルマーだ。
「あーあ。 それじゃ、あたしたちがやるしかないかぁ。
まぁ、いいけどね。 半月もこんなところにいて退屈してたし、もう充分エネルギーは集まったってサターンからも連絡あったしね。」
女はそう言うと、ボールホルダーと同じところからメロンなら真っ二つに出来るくらいのナイフを取り出した。
背筋に電流が走り、ダイヤはモンスターボールを投げる。
「キング、吹け!!」
マーズの手元に目を見開いたヒコザルは、慌てて形にもなっていない炎を彼女の手元に吹きつける。
柄から手を離さないまま、マーズは眉を吊り上げる。
「……ニャルマー!」
銀色の牙をむき出しにして飛び掛ってきた灰色の猫をキングは受け止める。
鋭い爪に触れた指先が切れ、赤い血がにじんだ。
なんとか彼女の後ろにいる男からパールを奪還出来ないかと視線を動かすが、むしろ下手に暴れまわればコントロールパネルに触れてシンオウ中の電気をメチャクチャにしてしまいそうだ。
かといって、堂々と彼らの前に姿を現してしまった今、気付かれずにこっそりというのは無理だ。
「キング、火力を上げろ!」
押し合いを続けていたキングはダイヤの声に大きな耳を動かすと、息を吐いて、チリチリとくすぶっていたお尻の炎を大きく燃え上がらせた。
尻尾を焦がす熱気にニャルマーは悲鳴をあげ、ヒコザルから飛び退く。
「ニャルマー、『さいみんじゅつ』!」
「『ひのこ』!」
バネのような尻尾がキングへと向けられる。
炎でかき消しきれなかった『さいみんじゅつ』にキングはふらついたが、なんとか踏みとどまる。
「『だましうち』!」
背後に気配を感じたとき、既にその攻撃は放たれていた。
『さいみんじゅつ』に気を取られていたキングはなす術もなく飛ばされ、ゴロゴロと床の上を転がる。
パールの足元まで転がってきた小さなポケモンを靴の先で小突くと、マーズはキングの細い腕を掴み、絞めたニワトリのように持ち上げた。
「キング!?」
「ジャマばっか。 やんなっちゃう。」
マーズはナイフを振り上げた。 声も出ずダイヤは床を蹴って女へ飛びかかる。
口元に笑みを浮かべたそれが銀色の刃をヒコザルに振り下ろしたとき、流星のような影が部屋の中を横切り、マーズの手からキングを奪い取る。
黄色いポケモンは稲妻のように部屋の中を駆け回ると、突然のことに目を白黒させているキングをダイヤの前に置いた。
何が起こったのかわからず全員の視線が向くなか、そのポケモンは優雅な足取りで部屋の入り口に現れた女性の足元へと向かうと、顔を上げて空気が弾けるような鳴き声をあげる。
鈍い銀色の扉の縁に手をかけたまま、その女性は固く唇を結んで部屋の中を見つめていた。
「なに、アンタ?」
眉を潜めてマーズが女性を睨みつける。
その女性……ミレイは、着ているチュニックの裾を握り締めるとマーズのことを見つめ返す。
「何者でもないわ、あたしは、あたしよ。」
「バカなの? 関係ないヤツは邪魔しないでって言ってんのよ。」
「ばかはおばさんの方じゃん!」
「マキ!?」
スカートの裾を跳ね上げ飛び出しかけた小さな人を、ミレイは押し留める。
「おばさんがパパのこといじめたんでしょ! みんなしんじてくれなかったけど、パパがたすけてって言ってるの、あたしわかったもん!
ここは、みんなのためにでんきを作るばしょなんだよ!
みんなのためのはつでんしょで、わるいことするおばさんの方がばかなんだ! ばーか! ばーか!」
「……生意気!」
顔を真っ赤にして叫んだマキにマーズの指が向けられ、ミレイは彼女をかばうように抱きしめた。
ミレイたちに向けたはずの爪が止まり、ニャルマーは顔をしかめる。
攻撃の手を止めたガラスのような物体がゆらゆらと正体を現すと、それは青色の魚とも獣ともつかない生物の姿になった。
視線を上げたマーズが肩を跳ね上げる。 それは、まっすぐに見つめるミレイの目から逃げるような仕草だった。
「この子が、あなたに何をしたっていうの?」
返す攻撃でニャルマーが壁へと叩きつけられる。
床に転がったボールを拾うマーズは、立ち上がったミレイに気圧されているようにも見えた。
「あなたはヒコザルに何をされたの? 家に帰すことも出来ないくらい、そこの男の子や発電所の人に恨みがあるの?」
「うるさいわね! ギンガ団の理想のためには……」
「あたしはあなたに聞いてるの!
どんな理想か知らないけど、それはこんな小さな子供やポケモンにナイフを向けなきゃ出来ないものなの?」
マーズは手にしたナイフをミレイに向けようとして、彼女のポケモンたちに睨まれ、動きを止めた。
凍りついたような時間が流れていた。
とろけるような青いポケモンの尻尾から、ぽたりと水滴が落ちると、発電所の人間を見張っていた背の低い男がマーズへと顔を向ける。
「……撤退しましょう、マーズ様。」
「フォボス!」
責めるような声に、フォボスと呼ばれた男の瞳が揺れる。
わずかに言葉に詰まったものの、もう1人の男に何度か視線を向けると、彼はマーズに進言を続けた。
「とっくに必要なエネルギーは集まってますし……ダイモス。」
転がっているパールを足蹴にすると、ダイモスと呼ばれた男はマーズに不満げな視線を向けた。
睨むような視線を送り、マーズは舌打ちする。
ナイフの刃が光り、ダイヤは身を固くした。
「……帰るわよ、フォボス、ダイモス!」
耳を刺すような甲高い声をあげ、マーズは大股で歩き出した。
扉の横をすり抜けるときに舌を出そうとしたマキを、慌ててミレイが止める。
3つの靴音が聞こえなくなると、発電所には耳が痛くなるほどの静寂が訪れた。
空気を震わせるほどの機械の音は、ずっと鳴り続けていたというのに。
ひんやりとした空気と、街灯からのわずかな光にくすぐられてパールは薄目を開けた。
太ももを締め付けられるような感触があり、懐かしいような、暖かい背中がおなかの下で規則的に揺れている。
首を上げると、冷たい耳の後ろ側がパールの鼻に当たった。
「お、起きたか?」
聞きなれた声が耳のすぐ側で鳴って、パールは今度こそぱっちりと目を開いて相手を見た。
パールの体は自分より小さいダイヤの背中におぶわれてどこかへと運ばれている。 慌てて手足をばたつかせると、あっさりと手を離したダイヤの体からパールは転がるように飛び降りた。
「な、なななっ、なんでっ!?
オレ、確か発電所に行って……そうだ、マキは? あのヤベー奴らは!?」
「落ち着け。」
首をひねりながら肩を回すと、ダイヤは巻いていた赤いマフラーを軽く緩めた。
「アサムラ親子なら、まだ発電所にいるよ。
交代の所員が来るまで、あそこを離れるわけにはいかないからな。 それまで警察に事情説明すると言っていた。」
「ってことは……」
「大丈夫だよ。 あの宇宙人みたいな人たちなら、発電所から撤退してくれたから。」
少し高い声が聞こえ、パールは視線をそちらに向ける。
いつからそこにいたのか、学校の先生を思い出させる若い女の人が口元に笑みを浮かべパールのことを見つめている。
「……誰だ?」
「あ、あたしはポケモントレーナーのミレイ! よろしくね!」
「パールがやられた後、あのギンガ団とか名乗ってた集団をほぼ1人で倒したんだ。 ちゃんとお礼言うんだぞ。」
「だからー、さっきも言ったけど、あたしは何もしてないってば!
サクやアオイ……ポケモンたちが頑張ってくれてただけで……」
「そうだとしても、普通テロリスト相手に啖呵は切らないと思うが……」
「それもさっき言ったけど、無我夢中だっただけだって。 あのとき、ホントにダイヤくんたち危なかったじゃない。」
なんだかよくわからないが、なんとなくはパールも状況を理解した。
助けてくれた礼をミレイと名乗った女性にすると、ポケモンセンターに続く細い道を3人で歩き出す。
「それにしても、とんだ1日だったね。」
ハチミツのような甘ったるい光を放つ月を見上げながら、ミレイは細い息を吐いた。
「ソノオタウンのハニースイーツ楽しみにしてたのに、すっかり食べ損ねちゃった。」
それを聞いて、パールの腹がぐぅと音をあげた。
考えてみれば昼にパンケーキを食べてから、それからどのくらい経ったのかわからないが何も食べていない。
「そーいや、腹減った……ダイヤ、早いとこ晩飯にしよーぜ。」
「は? この時間じゃ、もう、どこの店もやっていないだろう?」
パールはポケッチを見る。
淡く光る画面の数字は22を越え、いつもならとっくに眠っている時間だと告げていた。
小さく見えるポケモンセンターの窓明かりは消えている。 短い移動距離だったこともあり、バッグの中にある食料も尽きている。
「なんだってんだよー!?」
夜の花畑にパールの叫び声が響く。
眠りについていた花畑の虫ポケモンたちが、ゴソゴソと顔を上げた。
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