見上げるほど大きなオークの扉につけられた、これまた立派な獅子の形をしたドアノッカーを前にして、ハクタイシティのジムリーダー、ナタネはうなり声をあげていた。
まるで眠り姫に出てくる城に生えているような、庭中を覆っていたいばらのツルはなんとか処理できた。
あと、頼まれているのは、この家の中のことだけなのだが……
「うぅ……」
苔むした壁が、ねっとりとした冷気を足元にはりつかせている。
空は薄暗く、ちゃんと確認したはずの天気予報は見事に外れて小雨が降り始めていた。
森のポケモンたちはにわかに騒ぎ出し、いつもならまだ眠っているヤミカラスの鳴き声がどこか遠くから聞こえてきた。
恐る恐る差し出した指先が、ドアノッカーの冷たい感触に跳ねる。
「……ムリ! やっぱりムリッ!」
怒ったような顔をしてドアに叫ぶと、ナタネはオークの扉を背にして屋敷の門の方へと走り出した。
同時にガチャンと鉄を叩く音が響き、彼女が向かうはずだった鉄格子の門が開かれる。
ぶつかるようなタイミングで屋敷の中へと入ってきたのは、それぞれ赤と緑のマフラーを巻いた2人の少年だった。



途中まで一緒だったミレイと別れ、ハクタイシティに向かうべく森を抜けていたダイヤたちは、突然襲い掛かってきた雨に雨宿りする場所を探していた。
森に入ってすぐは淡い色の花とエメラルドグリーンの葉が生い茂る春らしい景色だったというのに、今いる周囲には固いつぼみの冬木と立ち枯れしてしまったカサカサの幹しか見つからない。
「なあ! 大丈夫かな、ミレイさん?」
「わからないが、通り雨のようだし…… 彼女、夜の森って言われるくらい木が密生してる場所に向かったから、多分大丈夫だろう。
 それより、この気温じゃ俺たちの方が風邪を引くぞ。」
「っとに、なんだってんだよー……」
ばしゃばしゃと水を跳ね上げながらダイヤとパールは走る。
肩もじっとりと濡れて、口元から白い湯気が昇り始めた頃、煙った景色の隙間に建物の影を見つけ、パールは雨粒のついたまつげを上下させた。
「ダイヤ! あれ!」
「あぁ、雨宿りさせてもらおう。」
2人は絵本やテレビでしか見ないような、古く立派な洋館へと足を向ける。
館へ近づくと空気がより一層冷え込んでくるように感じた。
ダイヤたちの2倍はあろうかという、大きな鉄の柵で出来た門を開くと、ちょうど館の中から出てきたらしい、緑のポンチョを羽織った女の人と視線が合う。

「ひ!?」
「こんにちはー!」
「すみません、旅の者なのですが、ここで少し雨宿りさせてもらえないでしょうか?」
2人が話しかけると、女性は明らかに恐怖の表情で固まった後、2人の顔を見比べ、やたらと冷たい手でダイヤとパールの手を握ってきた。
土色をしていた頬に血の赤みが戻り、同時にこちらの肝が冷えるような、何かに期待した眼差しに2人は眉間を刺される。
「あ、あ、あなたたち、トレーナー?」
「えぇ、そうですが……」
「じゃあ、この先にあるハクタイシティのジムに挑戦するんだよね?」
「そうだけど……?」
パールが答えると、女の人は口元だけで笑った。
雨とは違う冷たいものがダイヤのこめかみを流れる。
二の句を継がせず、細い肩をがっちりと掴むと、女の人は次の言葉を早口で一気にまくしたてた。
「それじゃ、ハクタイシティジムリーダーのあたしの言うこと聞いてくれるよね!?
 実は、この洋館……ちょっと変な噂があって、街の人たちに確かめてきてくれって頼まれちゃったんだよね。
 でも、あたし忙しいし! ホラ、怖いからとかじゃないのよ? ジムの仕事おろそかに出来ないじゃない!
 キミたち、ジムに挑戦するってことは、それなりのトレーナーなんでしょ?
 ちょっと代わりにやっといてくれないかな、ジムに来たら真っ先に受け付けてあげるから!
 いいよね? うん、何も言わないってことはいいってことだよね?
 じゃ、よろしくっ!!」
ぽかんと口を開けたままの2人を残して、ジムリーダーらしい女性は逃げるようにどこかへと行ってしまった。
求めるような視線をパールに送られたが、ダイヤはそれに答える気は起きなかった。
手の中には強引に渡された古びた鉄の鍵が握られている。
「……とにかく、建物の中に入ろう。 ちょっと、本格的に身体が冷えてきた。」
「お、おう。」
鳥肌の立つ二の腕をこすると、パールは足早に玄関ポーチへと走る。
ダイヤが押し付けられた鍵で扉を開けると、こすれた木目が鈍い音をあげ、ぷぅんとカビの臭いが広がった。


靴の裏をホコリだらけにして、軋む床に水玉模様を作って洋館の中に入ると、窓からのわずかな灯りを頼りにダイヤたちはバッグの中を探った。
「うわっ、中もびちょびちょ……天気予報全然アテになんねーじゃん。」
元からよれよれのタオルを絞るパールを背に、ダイヤはハンドタオルで机を拭いて荷物置き場を作る。
そこは、応接間を兼ねたリビングらしく、足の短い机の前には大きなソファが据えられ、高い窓からの光に照らされて天球儀が鈍い金色に輝いていた。
吹き抜けとなった部屋から2階へと続く階段の先で何かが動いた気がして、ダイヤは目を細める。
野生のポケモンかとも思ったが、入ってくるときに外から見た限り、割れている窓などはなかった。
「……って、服を脱ぐな、服を。」
「だってよー、気持ち悪いじゃねーか。」
「着替えも全滅だろう? このホコリじゃ乾かすことも出来ないぞ。」
「ヒコザルの炎でなんとかなんねーの?」
「体が小さいから無理だ。 大体、その繊維だと火であぶったりしたら溶けるぞ。」
マフラーが吸った水を絞りながらダイヤは答える。
口を尖らせてパールは濡れた服をもう1度着てから、荷物を机の上に置く。
「んじゃ、この暖炉は?」
「薪がないとな。 エントツも見当たらないし、多分装飾用だろう。」
不服そうにするパールの頭に、ダイヤは1度絞ったタオルを被せた。
直後、突然振り返ったパールに鼻先がぶつかりそうになる。
視線が合わず、どこか遠くを見ている少年にダイヤは疑問の意を添えて眉を潜めた。

「どうした?」
「なあ、あっちの方で音しなかったか?」
ダイヤは首を傾げる。 特におかしな音がしたとは思わなかったが、雨粒が屋根を叩く音に紛れてしまったと言われたら否定は出来ない。
「ちょっと、わからないな。」
パールは心底不思議そうな顔をすると、頭にタオルを乗せたまま薄暗い廊下へと足を進める。
寄り添いあった荷物に目を向けてダイヤはその後を追った。
何秒もしないうちに感じた、鼻をくすぐるような何かを焼いた匂いにダイヤはパールと同じように口元に疑問の表情を浮かべる。
いつも緑色のマフラーが巻かれている首元に白いタオルを巻きつけると、パールはホコリだらけのノブを回して曇りガラスの扉を開けた。
扉を開ける前とは比べ物にならないほどの、パンを焼いたいい香りがダイヤとパールの周りにまとわりついてくる。
「なんだ、オーブンの音か。」
「待て……待て。 ここ、空き家だろう? 誰がパンなんて焼いたんだ?」
「誰かいんじゃねーの?
 すいませーん! オレたち旅のトレーナーですけど、ちょっと雨宿りさせてもらってまーす!」
確かに。 普通に考えたら誰かいると思うのが1番自然だ。
冷え切った耳から手を離すと、ダイヤは開きっぱなしのダイニングの入り口に目を向ける。
もうパンは焼けているというのに、誰かが入ってくるような気配はない。
扉の外に首を出して廊下にも誰もいないことを確認していると、キッチンの中をうろうろしていたパールが急に大声をあげた。

「あー、びっくりした。 冷蔵庫かよー。」
そう言って扉を閉めるパールにダイヤは強張った顔を向ける。
「……冷気が、漏れてたのか?」
「おう。 ここの住人、開けっ放しとか相当なうっかりやだよな。」
まるで疑問に思わないパールに、ダイヤは顔を引きつらせていた。
こんな森の奥のボロボロの洋館に、誰が好き好んで電気を引くというのだ。
いや、100歩譲って誰か住んでいたとしても、その家の鍵をなぜさっきの女性が持っていたのだ。
考えを巡らせていると、湿った手に頬を叩かれた。
「おい、大丈夫か? 顔真っ青だぞ?」
「あ、あぁ……体が冷えたせいかな。
 雨があがったらすぐにここを出よう。 夕方までにはポケモンセンターに着くといいな。」
強張った笑みを浮かべ、ダイヤは差し出されたタオルを受け取るとパンの焼ける匂いのするキッチンに背を向けた。
荷物をまとめようと、薄暗い廊下を抜け、リビングへと戻る。
その先にあった光景にダイヤは絶句する。
「なんだよ、これ……?」
追いかけてきたパールが吹き抜けの天井を見上げ、小さく声をあげた。
まるで万国旗のように壁と壁の間に白いロープが張られ、その間には見覚えのある洋服がハンガーにかかって吊るされている。
2人の目線よりも高いところにあるそれらは、ご丁寧にも回された扇風機の風に当てられてゆらゆらと揺れていた。
パールは時計を見た。 さっき2人でキッチンを確認しに行ってから、10分もかかっていないはずだ。
「早業って……レベルじゃねーよな。」
生乾きの服からは、かすかにシャボンの匂いがした。
口を開いたまま見上げているパールを尻目に、ダイヤはそれらを壁から引き離す。
窓の外が光り、数秒遅れて大型ポケモンのうなり声みたいな雷鳴が雨の音を押しのけ響いてきた。
リビングは静まり返っていた。
耐えきれず動かし続けていたダイヤの手からじっとりとした洗濯物を受け取ると、パールは強張った笑みを浮かべ、吹き抜けの方へと横目を向ける。

「な、なあ、ダイヤ? この家の人探さねえ?
 ほら、勝手に入っちゃった上に、こんなにしてもらって礼も言わないとか悪いしさ!」
「……」
それが詭弁であることはダイヤにもわかっていた。
誰かいる、という前提で物事を考えなければ、導き出される結論は彼らの理解できる範囲を超えてしまう。
そうだな、と、ダイヤが短く返すと、窓の外を一筋の稲光が通った。
パールは幾分かホッとした顔をすると、時折水滴の落ちる自分の荷物を持って埃だらけの階段を上がり出した。
軋んだドアノブに手をかけ、嫌な音を立てながら部屋の中を覗く。
ダイヤは床の上に積もったホコリを見た。 一面真っ白に積もっている綿ぼこりは、パールが扉を開けた分だけ削り取られて抜けている。
「……いないな。」
「……いないな。」
一応、声もかけてみたが、わずかに棚の上のホコリを揺らすだけでその声は静けさに吸い込まれた。
ため息ともつかない息がパールから漏れる。
もっと部屋の中をよく見ようとパールが半開きの扉を押し込むと、扉の隙間に見えていた机から物が落ち、2人は跳ね上がった。
「きっと、扉を開けて空気の流れが変わったせいだ。」
「……だよな。 だよな!」
カビの匂いが立ち込める部屋に踏み込むと、ダイヤは落ちてホコリを舞い上げている1冊の本を手に取った。
なんということはない、普通の本だ。 印字はなく、日記やノートのように書き込むことで完成させていくタイプの、変哲もない本。
白い表紙を軽く叩いてから開くと、糊付けが弱くなっていたのか中身を読む前にはらはらと紙が落ちて行った。
床のホコリを舞い上げて落ちたそれを横目で追う。 『それ』に気付いたとき、ダイヤはぎくりと生唾を飲み込んだ。
なんの変哲もない白紙のページ。
ナイフで切り裂かれたような切れ目がついている以外は。
「虫! きっと、虫に食われたんだよっ!!」
「あ、あぁ……」
不自然に大きな声をあげるパールは後ろからぶつかる雷鳴に「ひゃっ」と、おかしな声をあげた。
肩をすくませ、窓の外に目を向けると強まった雨足は叩きつけるように窓を打ち大きな音を立てている。
その音を見つめるように、パールは窓の外に目を向けていた。
表情の強張りにダイヤは疑問を持ち、持っていた本を机に戻すと彼に1歩ずつ近づく。
違和感は次第に強くなり、ダイヤの心に疑念を抱かせる。
調律のとれた雨音とは違う、無機質で不安定なノイズの音が。

すっかり固くなったパールの肩に手を置くと、ダイヤは音の出所を探るべく耳を澄ます。
近くなく、遠くなく。
くぐもった音を探りながら廊下を歩くと、壁にぶつかった音は、まるでダイヤを呼ぶようにゆらめいた。
「あの部屋だ。」
奥まったところにある一室を指差すと、ダイヤはパールの返事を待たず扉を開ける。
そこも先ほどの書斎と同じように、少し小さいことを除けば何の変哲もない部屋だった。
薄暗い部屋の隅で、砂嵐を映したテレビがざあざあと音をあげている。
「……テレビか。」
誰がつけた、とはダイヤは言わなかった。
この雨音だ。 今まで気づいていなかっただけで、最初からついていた可能性もある。
消しに行こうとホコリだらけの床を蹴るように部屋の奥へと進むと、何か軽いものが足に当たって床の上を滑った。
舞い上がるホコリの中に横たわるそれを見ると、ずいぶんと古い映画のパンフレットだ。
パチン、と、音を立ててテレビを消すのと同時に、部屋の入り口で固まっていたパールが自分の腕を握ると、絞り出すような声でダイヤへと話しかけてきた。
「オレ……、その話、見たことある。」
床の上のパンフレットを見て、ダイヤは眉を潜めた。 発表された時代も内容もパールが見るようなものではない。
「親父が、古い映画のコレクションしててさ。
 それ……こんな風な洋館の話なんだよな。
 嵐で森の中に閉じ込められて、ひとりずつ……行方不明になって……
 それで……さ、殺人鬼が、チェーンソーで……」
ビクリと肩を震わせ、パールは洋館の入り口の方に目を向ける。
音がする。
まるで、チェーンソーのような。 鈍い刃物に何かが切られていくような。
「……マジかよ。」
よりにもよって、玄関から。
「ダイヤ……!」
何も言わず、ダイヤはパールを自分の方へと引き寄せた。
くぐもっていた音が鮮明になり、誰かが玄関を開いたのだと分かった。
ダイヤは音を立てないよう扉を閉め、さび付いた鍵で施錠する。
「どーすんだよ、隠し通路とか……」
「あるわけないだろ、そんなの! とにかく、一旦……」
ダイヤが言葉を続けようとしたとき、2人の真上にあった蛍光灯が火花を散らし、パールが悲鳴をあげた。
つけた覚えもないのに点滅する灯りをダイヤが真っ青な顔をして見上げていると、ベッドサイドに置かれていたテレビがぶつりと音を立てて光り出す。
「うわあぁっ!?」
ブラウン管の中で揺れる人影がダイヤとパールを見て笑い声をあげた。
確かに消した。 雷鳴の響く部屋でぼんやりと光るブラウン管を凝視すると、ダイヤたちの真後ろで軋んだ扉がガタガタと音を立てた。
風や立てつけで起こる振動じゃない。
音は何度も扉を叩きつけると、みしみしという鈍い音へと変わった。
ダイヤたちの見ている前で、古い鍵穴が壊され、扉がゆっくりと開いていく。
「……みぃつけた♪」
張り付くようにしがみつくパールの手首を握りながらバリケードにしていたスツールを倒すと、ダイヤは扉の脇をすり抜けて転がるように階段を駆け下りる。
降りきったところで再び叫び声が上がったが、振り向かずにダイヤはパールを引きずって洋館を飛び出した。
大粒の雨が乾き始めていた2人の頬を叩く。


「コウキ……! いた、いた……!」
「わかったから……少し落ち着け……」
勢いのまま、ハクタイシティに着いてしまった。 思っていたよりも近いところまで来ていたらしい。
結局またずぶ濡れになって、2人は通りを結ぶ大きな十字路の片隅で息を切らせている。
掴みっぱなしの手首に気付き、ダイヤはその手を離そうとしたが、逆にパールに手を掴まれ、仕方なくバッグを抱え込むようにして地図を引っ張り出す。
と、足元にあった水たまりが大きな波紋を作り、ダイヤの目の前に迫ってくる。
パールに支えられ頭から水の中に落ちることは避けられたが、開くつもりだった紙の地図は音も立てず、浅い水の中に落ちた。
「コウキ!? おい、コウキ!?」
これ以上彼の体が水につかないよう引き上げようとして、パールは彼の体が異常に熱を持っていることに気付く。
だからといって、ポケモンセンターの場所もわからないし、雨のせいか近くに人もいない。
とにかく水たまりからダイヤを引き離そうとパールが細い手首を掴んだ両手に力を込めると、通りひとつはさんだ反対側の路地から黒い傘がひょっこりと顔を出し、すぐにパールたちに気がついて駆け寄ってきた。



「キミ、ジュン……だよね? 何があったの、こんなにずぶ濡れで。」
差し出された傘越しの顔を見て、パールは一瞬固まった。
小さな手に黒い傘を押し付けると、相手は息の細いダイヤを抱え上げ、じっとりと濡れている額に手を当てる。
「師匠?」
「話は後。 近くに借りてるマンションがあるから、そこに移動しよう。」
そう言うと、黒い傘を持った青年は小さなビニール袋をパールに持たせ、足早に少しすすけたクリーム色の建物へと飛び込んだ。
ずぶ濡れのパールに乾いたタオルを投げてよこすと、ダイヤを寝かせてくると言って奥の部屋へと引っ込んでいく。

何分もしないうちに、パールたちには大きすぎるシャツとパンツを持って青年は奥の部屋から出てきた。
「とりあえず着替えて。 近くで薬と食べ物買ってくるから、それまでここで待ってて。」
有無を言わせず青年は銀色の鍵を掴むと、小走りに外へと駆け出していく。
パールはひとまず靴下までびちょびちょの自分の服を玄関先に置くと、青年の用意した白いシャツに袖を通した。
乾ききらない頭にタオルを被せ、机の脇にあった簡素なイスを引いて腰掛ける。
師匠こと佐藤カヅキはフタバタウン出身のポケモンレンジャーで、コウキの兄だ。
普段は仕事で別の地方にいるはずだが、なんでシンオウの、それも実家とは何の関係もないハクタイシティで出会うのか、パールにも訳がわからない。
今日1日であったことに頭がついていかず、呆然としながらコーヒーの匂いがする部屋でカヅキの帰りを待っていると、扉の開く音がパールの耳に届き、同時に部屋の明かりがつけられた。
「おかゆと普通のご飯両方買ってきたけど、ジュンは大丈夫? ご飯食べられそう?」
「オレはいいけど、ダイヤは?」
「多分、疲れが出ただけだよ。 昔っから知恵熱とか出ちゃう子だったし。
 今はダイヤって名乗ってるの? その辺含めて聞かせて欲しいんだけど。」
茶色いビニール袋の口が開くと、パールの好きなから揚げの匂いがした。
ポットに入れた水をコンロにかけ、少し濡れた自分の頭をパールから受け取ったタオルで軽くこするとカヅキは慣れた手つきでイスを引き、テーブルを挟んで向かい合わせに腰掛ける。

異様に甘いコーヒーをもらって一息つくと、パールはカヅキにここまで来た経緯を説明した。
彼と会うのは実に3年ぶりなので、自分たちが旅に出た理由も含めて。
時折、相槌を打ちながら静かにパールの話を聞いていたカヅキは、顔を強張らせながら幽霊屋敷の話をするパールの頭を机越しに撫でると、沸き立ったポットのお湯をカップ麺の容器に注ぎいれた。
「そりゃ、災難だったねえ。 俺、1ヶ月くらいここで生活してたけど、ハクタイのジムリーダー、人によって聞こえる噂がバラバラでさ。
 そんなことがあったんなら、ハクタイジムに挑戦するとき少し警戒しといた方がいいかもね。」
「師匠は何で? クビ?」
「んなわけないだろ、仕事だよ。 ナナカマド博士から2人が旅に出たって聞いて、ここで待ってたの。
 ハクタイここ、道路の関係で立ち寄る可能性が高かったし。」
モモンの形をしたタイマーが3分を告げると、カヅキはアルミの蓋を外してカップ麺をすすった。
「何で?」
「『海のタマゴ』っていうものが、このシンオウのどこかにあるらしいんだ。
 俺の仕事はそれを探し出して保護し、しかるべきトレーナーを探し出して託すこと。
 ……っていっても、あまりにも何の手がかりもないから、2人に会えたら少しは事態が進展するかと思ってさ。」
状況を理解すると同時に、1ヶ月も自分たちを待っていた労力を考えパールは少し申し訳なくなった。
タマゴの話は明日すると付け加えて、カヅキはその話を打ち切る。
「……そういえば、まだやってんの? パルクール。」
「おう! こないだも悪い奴らが占拠してる発電所に窓から忍び込んだんだぜ!」
「いや、だから、そういう使い方するなって前々から言ってるだろ……?」
指先をベタベタにしながら話すパールに茶色い箸の先端を突きつけると、カヅキはため息をつきながら黄色い麺を持ち上げた。
「ジュン……いや、パール。 お前、自分が何て言って俺にパルクールの稽古つけてくれって言ったのか覚えてるのか?」
「そりゃあ、師匠がかっこいいから……」
「違う。」
ちなみに、パルクールというのは目的地と目的地の間を最短距離で走るスポーツの一種である。
最短の間に障害物があった場合、それが山だろうが谷だろうが、建物だろうが乗り越えていくため、非常に高い身体能力が求められる。
「思い出せよ、どうして自分が強くなりたいのかを。」
残っていたスープを飲み干すと、カヅキは冷蔵庫にしまっていたプリンの片方をパールの前に置く。
カツンと高い音を立てたプラスチックの容器に、パールの視線は固定されていた。
「お前には、それが出来るはずだぞ。」


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