話に割って入られたヒョウタが声をかける間もないまま、唐突にバトルは開幕した。
街灯から飛び上がったムックルが直角に空気を切り裂き、吹き上げられた花びらが季節外れの春一番を起こす。
「パール君、気をつけて! ナタネさんは草タイプのエキスパートだ! 相性で上回るだけじゃ足元をすくわれる!」
「わかってる! ギョク!」
ギョク。 ムックルとは違うそのニックネームにヒョウタは小さく声をあげた。
吹き上げられた花びらが花吹雪となりゆったりと舞い降りてくるのを見て、ナタネの目が見開く。
ピンク色の絨毯がうねる。 花びらに埋もれていたナエトルの『たいあたり』が直撃すると、ナタネの繰り出したポケモンは高く跳ね上げられた。
「チェリム、『にほんばれ』!!」
空を薄く覆っていた雲が吹き飛び、強い日差しが地下通路から出てきたばかりの目を刺す。
強い光を体いっぱい吸い込むと、ナタネの出したポケモンはツボミを開いて、ピンク色の花びらをまぶしそうに見上げているギョクへと向ける。
「アンド、『ソーラービーム』!!」
ギョクの足元にあるコンクリートがめくれ上がり、緑色の光が一直線に空を貫いた。
一瞬遅れて、耳の痛くなるような音が鳴り、ショーウインドウが割れるのではないかというほどビリビリとした衝撃が肌を伝っていく。
浮き上がったコンクリートの破片が、ギョクの目の前で粉々に砕け散る。
「ギョク、『はっぱカッター』だ!!」
ギョクの放ったナイフのような葉が緑色の光線と入れ違いに花のポケモンへと向かう。
空撃ちの『ソーラービーム』でそれを回避した直後、花のポケモンはギョクの姿を見失った。
崩れかけたアスファルトの上には、再び花びらの山。
「同じ手に乗るわけないでしょ! チェリム、『ソーラービーム』で吹き飛ばしなさいっ!!」
緑色の光に貫かれた花びらが舞い上がり、ヒョウタは両腕で顔を覆う。
一瞬切れた花びらの隙間に、ギョクはいなかった。 驚いてナタネに視線を移すと、彼女は既に冷静な表情で光の満ちている空へと視線を配っている。
舞い上がった花びらの流れがわずかに変わり、チェリムはそちらへと顔を向けた。
だが、そこにいると思っていたムックルの姿も、ない。
「リュウ! 『ソニックブーム』!」
ふわりと浮いた花びらが2つに割れたかと思った瞬間、見えない刃の攻撃を受け、チェリムはぱさりと、道路を埋め尽くすピンク色の花びらの上へと落ちた。


1匹目のポケモンがボールへと戻され、ヒョウタは安堵するのと同時に腹の中にある疑問を消化しきれずにいた。
なんというか、以前、ヒョウタのジムに来たときのパールは、いかにも初心者丸出しの悪く言えば勢い任せ、良く見れば熱い戦い方をするトレーナーだったはずだ。
ヒョウタの疑問をよそにパールはナタネが繰り出した2匹目のポケモンを見て、自分のポケモンを入れ替える。
まるで映し鏡のように、通りをはさんだ2匹のポケモンは同じ姿をしていた。
パールの出したポケモンはナエトルのギョク、相手のポケモンも、ナエトルだ。
「行けっ、ギョク!!」
「ナエトル!!」
2人の指示で2匹のナエトルは同時に走り出し、同時にメインストリートの中央でぶつかり合った。
力と力が押し合い、肌のこすれるギリギリという音がぬるい空気を軋ませる。
パールとナタネは同時に舌打ちすると、それぞれのナエトルを下がらせる。
細い指がお互いに向き合うと、ギョクは地面に頭をこすりつけるように低く、ナタネのナエトルは空を仰ぐように高く身構える。
「ギョク、『はっぱカッター』!」
「ナエトル、『タネマシンガン』!!」
大きく弧を描くように撃ち出された『はっぱカッター』が風を切る。
直後に爆竹に火がついたような破裂音が連続して鳴り響き、ギョクの撃ち出した葉っぱに穴が空けられる。
パールが気付いたときには既に、ギョクは最初の立ち位置から数メートル後退したところでうつぶせに転がっていた。
なんとか起き上がろうと震えるギョクを見て、ナタネは目を伏せ、唇を震わせる。

「こーなるのわかってたから、バトルすんのヤだったのに……
 ……ねえ、もうギブアップしなよ! これ以上アンタのわがままでポケモンが傷つくのを見るのヤだよ!」
「ざけんなよ! そっちだって1匹やられてるじゃねーかっ!」
パールの声を聞きながら、ショーウインドウに映った自分の姿をギョクは横目で見ていた。
「っていうか、別にあたしはバトルしたいわけでもないし。
 アンタが『森の洋館』で手に入れたモノをこっちに渡してくれれば、これ以上攻撃しないから、ね?」
「だからっ! 言ってる意味わかんねーよ! オレもダイヤもあそこには雨宿りに入っただけだからな!」
「あ、思い出した! 確かあのとき、もう1人いたよね。 ……じゃあ、持ち出したのは、そっちの子?」
その姿はあまりに小さくて幼く、そして頼りない。
踏みしめた足が、アスファルトを滑る。
「しらねーつってんだろ! ダイヤだって同じだっつーの、あそこで何か探す暇なんてなかったっつーの!」
アゴを噛み締めるのと同時に、ギョクは走り出していた。
予想だにしていなかった行動に、ナタネも彼女のナエトルも、パールさえも固まる。
ギョクはまっすぐに突進して『たいあたり』をナタネのナエトルへと繰り出そうとし……直前で力尽きてアスファルトの地面へと倒れこむ。
あぜんとしながらパールはポケットからポケモン図鑑を取り出し、アスファルトの上で倒れているポケモンへと向けた。
画面の表示がナエトルの001から1つ進み、『ハヤシガメ』という学名が映し出される。
「負けたポケモンが進化するなんて……」
信じられない、といった表情でナタネがつぶやいた。
パールは何か言いたそうな口をつぐみ、ひと回り大きくなったギョクをモンスターボールへと戻す。
小さな羽根が舞い、ナタネはハッと顔を上げる。
呼び出されたはずの『ギン』も、もうムックルではなかった。
らせんを描くように空高くへと飛び上がると、ギンは甲高い鳴き声をあげ降下する。
それが自分のナエトルを狙っていることに気付き、ナタネは慌てて指先をギンに向ける。
「た、『タネマシンガン』!!」
突然進化したギョクとギンに足のすくんでいたナタネのナエトルは反応が一瞬遅れ、結果、それが勝負の明暗を分けた。
浮き上がるような衝撃を受け、ナタネのナエトルはバランスを失うとそのままアスファルトの地面を転がった。



「……勝負あったわね。」
波音のようなシロナの声が響くと、強張っていたナタネの顔がサッと青くなった。
茶色い髪を振り乱すように首を大きく横に振り、まだ真新しいモンスターボールを握り締める。
「まだ! まだですから!!
 ホラ、シロナさん、前にポケモン見せっこしたじゃないですか! そのときのポケモンが進化したんです!
 ヒョウタ君、この間珍しい石くれたじゃない? あれを使ったら進化したの! 進化の石だったんだよ!
 だから、その……この子が、あたしの切り札っ!! 倒れるまで負けは認めないから!!」
モンスターボールが開くと、湿った初夏の空気に花の香りが広がった。
クロガネほどの無骨さはないが、石の街と呼ばれるハクタイには不釣合いな色鮮やかな花々が開いたボールの中から開花する。
パールはナタネの出したポケモンに図鑑を向ける。 画面には目の前にいるポケモンの姿がそのまま映し出されたが、データは見つからなかった。
「ダイヤがいりゃなぁ……」
何か面白いリアクションが見れたかもしれないのに。 パールは役に立たない図鑑を見ながらつぶやく。
パールは図鑑を閉じると、上空で待機していたギンに視線で合図を送る。

「ギン! 『でんこうせっか』!!」
翼を動かした直後のギンを目で追えるものはいなかった。
花びらが舞い上がり、そこで初めてナタネの出したポケモンがギンの攻撃を受けたことを知る。
唇を噛むと、ナタネは風を切るギンを追うようにぬるい空気に指をすべらせる。
「ロズレイド! 『はなびらのまい』!!」
ロズレイドと呼ばれたナタネのポケモンは腕の先についた花束を大きく振り上げる。
浮き上がった花びらが攻撃に転じるまで1秒とかからなかった。 渦を巻く花吹雪にパールは目を細めると、むせ返るような匂いに口元を押さえながら上空にいるギンに指示を送る。
「ギン、無理に突っ込むな! 長くは続かねーはずだ!」
ギンが一瞬羽ばたくと、花びらの間に隙間が出来た。
流れるように体を滑り込ませ、空間を切り裂くような勢いでロズレイドへと接近すると、ギンは花束にも似たロズレイドの体に『たいあたり』で攻撃する。
バランスを崩したロズレイドは足元をふらつかせると、てんで見当違いの方向に花びらを飛ばす。
「『こんらん』している……!」
バトルを見守っていたヒョウタが小さく声をあげる。 『はなびらのまい』は非常に強力な技だがポケモン自身にもコントロールがきかず、技を放った後には『こんらん』してしまうというデメリットがある。
店先の鏡に映った自分自身に攻撃しようとするロズレイドを、ナタネは睨みつけた。
「ロズレイド、『アロマテラピー』!!」
甲高い声に合わせるようにして花束のようなポケモンの色鮮やかな腕が高く掲げられると、ツンと刺激を伴った匂いが辺りに広がる。
「『やどりぎのタネ』!!」
ナタネの声と同時に目の前が爆発し、ギンは壊れた笛のような鳴き声をあげた。
顔を上げたパールの前にバスケットボールほどの大きさの固まりが落ちてアスファルトを跳ねる。
「なっ……!?」
「『はなびらのまい』で飛ばしたのは花だけじゃないってことよ!
 ここはあたしの街だから……ハクタイでなら、あたしは負けない!!」

攻撃を避けて近づいた民家のベランダから同じ『やどりぎ』が伸びてギンは悲鳴をあげた。
黒い羽が散っていくのを見て、パールは舌打ちし自分の真上を指差す。
「だったら上だ、ギン!!」
地面に足をつきかけたギンは大きく羽根を羽ばたかせると空の高いところまで一気に上昇する。
「甘いッ!」
ナタネが叫ぶのと同時にロゼリアは白い球体を打ち上げた。
ギンを追う白い球体は空へと上がるうちに赤い炎を噴き出し、炎の固まりとなってギンへと襲い掛かる。
「『ウェザーボール』!!」


ドン、と、花火の割れるような音が響いた。
炎の攻撃に当てられたギンは燃えクズのようにフラフラと落下すると、地面へと落ちる前に小さなモンスターボールへと姿を変える。
パールは落ちてきたボールを受け止めると、上空へと視線を向けた。
『ウェザーボール』でエネルギーを使いきったのか、ギラギラと輝いていた太陽は光を失い、薄白い空にやわらかな雲が浮かんでいる。
ひとまず最悪の状況は逃れたが、はっきり言ってピンチだ。
ギンもギョクもやられ、手持ちはさっき捕まえたばかりのリュウだけ。
それでも、パールもここで退くわけにいかない。
花びらの残るアスファルトの上を避け、鉄格子のあるベランダの上へとモンスターボールを投げると、リュウはビクビクとパールに視線を送りながら、キツネ色の尻尾の1本を格子に巻きつけた。
「頼む、リュウ! ここは切り抜けなきゃいけないんだ!」
リュウは鉄格子に尻尾を巻きつけたまま、鏡越しのパールを見つめていた。
相手のロズレイドに背を向けた彼の足元で、発芽した『やどりぎ』が爆発を起こす。
音と衝撃にリュウはビクリと身をすくませた。
音が止み、衝撃が静まって、リュウはそろそろとパールの方を見た。
そして目を見開く。 ズボンは破れ、むき出しになったすねを『やどりぎ』がかすめ赤いスジが出来ているというのに、彼はその場から1歩も動かずにリュウのことを見つめているのだから。
「リュウッ!」
リュウは巻きつけた尻尾に力を入れると、腰の引けたままロズレイドに向かって『みずでっぽう』を吹きかけた。
あまりに威力のない攻撃は山なりに弧を描いてロズレイドへと降りかかり、幾重にも重なった花弁に銀色の雫を跳ねさせる。
「……なに、今の弱い攻撃。
 っていうか、そのポケモンブイゼルだよね? この近くにいっぱいいる……もしかして、全然育ててないんじゃないの?」
「そんなん関係あるかっ!!」
怒鳴り返したパールの声にリュウが小さく首をすくめる。
「今やんなきゃいけねーんだよっ! 明日なんて何が起こるかわかんねーだろ!?
 オレたちは、今勝たなきゃいけねーんだッ!!」
格子に巻きつけられていたリュウの尻尾がピンと立ち上がった。
恐る恐るながらも避難していたベランダの上から降りると、細長い体をくねらせてリュウはパールの肩へとよじ登る。

「……行けるな?」
震えながらリュウはうなずいた。
オレンジ色の瞳で視線を合わせると、パールはロズレイドの方へとまっすぐに腕を伸ばし、駆け出したリュウを飛び立たせる。
「リュウ、『ソニックブーム』!!」
「『やどりぎのタネ』で防御よ、ロズレイド!」
ロズレイドが両腕の花をかざすと巻き上げられたタネが爆発し、ボール状の盾にリュウの放った『ソニックブーム』が阻まれる。
「『はなびらのまい』!!」
「リュウ、足元に『みずでっぽう』だ!」
攻撃が阻まれたことでオロオロしていたリュウはパールの声に顔を上げ、落下する自分の真下へと向かって『みずでっぽう』を放った。
しぶきが跳ね、衝撃で破裂した『やどりぎのタネ』がアスファルトに根を下ろす。
「もう1回! 上に『みずでっぽう』!!」
身をよじって体勢を変えるとリュウは灰色の空へと『みずでっぽう』を吹き上げる。
途端、反動で体が地面に打ち付けられ、リュウは小さく悲鳴を上げた。
目を見開いたリュウの鼻先を花吹雪が通過していく。
思わず身を小さくしたリュウがそろそろと目を開くと、先ほど『みずでっぽう』で爆発させた『やどりぎ』が花びらを防ぐ壁となってリュウの体を守っていた。
「そんな!?」
「走れ、リュウ! 『でんこうせっか』だ!!」
踏んだ足元を爆発させながらリュウはロズレイドへと接近し、懐へと入り込む。
二又の尻尾が空間を切り裂いた。 その技の指示は、攻撃が放たれるタイミングより遅く出される。
「『ソニックブーム』!!」
攻撃の余波でナタネの服のスソが揺れた。
一瞬切れた視界の中で、攻撃を終えたブイゼル……パールのリュウがロズレイドを見上げ震えている。
口元を緩め、ナタネが指示を出すため人差し指を持ち上げた瞬間、人々の指先をすり抜けて地面に落ちたブーケのように、ロズレイドの体がアスファルトの上へ落ちた。
声にならない小さな声が、湿った風に浮かんで消える。
相手が動かなくなったのをビクビクと確認して、リュウがパールのもとへと戻っていった。



通りにばら撒かれた『やどりぎのタネ』が力を失うのを見て、ヒョウタは小さく息を吐いた。
「これは……パール君の勝ちですね。」
ナタネが息を詰まらせる。 ヒョウタを睨み、シロナを見、パールへと目を向ける。
太陽の光をもらったような金色の髪の少年は、ブイゼルを抱えたまま自分のことを睨むように見つめていた。
ナタネのこめかみに冷たい汗が一筋流れ、落ちる。
「……やっぱ、ダメ。」
搾り出した彼女の言葉に、パールが首を傾げた。
「せっ、正式なジムバトルじゃないもん! バッジはあげられないよ!」
「は!? ふざけんなよ!! 全部オマエが言い出したんじゃねーかっ!!」
「でも……!」
ナタネが言葉を続けようとしたとき、真っ黒な風がナタネの着ていたポンチョを巻き上げ、濁った空へと舞い上がった。
驚いた4人が視線を上げると、バサリと羽音を立てたそのポケモンは、小さな金属をくわえたままビルの屋上へと降り立ち、手すりに足を引っ掛ける。
ヤミカラスの太いクチバシからバッジを受け取ると、ビルの屋上から見下ろしていたカヅキは指揮棒のようなものを振り、いたずらなヤミカラスを飛び立たせた。


「約束は、守らないと。 僕も『森の洋館』で何があったかは聞きましたよ。」
「師匠!?」
パールが声を上げると、カヅキは薄く口元で微笑んで小さな金属の固まりをパールの方に投げてよこした。
訳も分からずパールが手のひらに視線を落とすと、ヒョウタのときとは少し形が違う、ポケモンリーグバッジが冷たい光を放っている。
ナタネは「あっ」と声を上げ、ポンチョの下の自分の服をまさぐった。
「ドッ、ドッ、ドロボ……!!」
「ナタネさん、違いますよ! あなたは、もう負けたんです。」
ヒョウタがなだめると、ナタネは悔しそうに顔を歪めてみせた。
カヅキは手にした棒状の機械をしまうと、ぽかんと見上げているパールへと声をかける。
「パール。 これから206番道路で仕事なんだけど、一緒に来る?」
「行く行くっ、ぜってー行くっ!」
「じゃ、10分後にゲートに集合! よーいどん!」
「え?」
一瞬考えた後、パールはカヅキが言った意味に気付いた。
ハクタイシティのほぼ北端と言っていい現在地から206番道路に通じる南端のゲートまで、普通に走ったら20分以上かかる。
行けるとしたら、カヅキに仕込まれたパルクールだけ。

「なんだってんだよー!?」
通りに声を響かせながら、パールは南へと走っていった。
壁を乗り越える彼の背中を見送ってから、後に残されたヒョウタはシロナの方へと目を向ける。
「……それじゃあ、僕も。 シロナさん、今日はありがとうございました。」
「えぇ、私も楽しかったわ。」
会釈するとヒョウタは真っ青な顔をしたナタネをシロナに渡し、背を向けて南へと歩き出す。
そのとき、家路へと向かうはずの彼の笑みもまた、凍っていた。


続きを読む
目次に戻る