4時間ぶりに目にした太陽の光にまぶしそうに目を細めると、カヅキはほどけかかっていた女の子の髪の毛からゴムを外し、丁寧に彼女の髪を結い直した。
「はい、これで元通り! キレイになった。
あとはクロガネシティまで行くだけだね。」
「はい! ポケモンレンジャーさん、ありがとうございます!」
べそべそと泣きながら『まよいのどうくつ』を抜けてきたミルは、頬を赤らめながらカヅキを見つめ返し、小さな体を折り曲げた。
彼女が連れていたユンゲラーの相手を任されていたパールは、それを見てユンゲラーが持っていた銀色のスプーンを奪い、反対の手に持ち替えさせる。
「よし、これで元通りになった!
あとはクロガネシティに行くだけだな!」
「ふしゃ!」
目尻を釣り上げたユンゲラーの『ねんりき』でパールはカヅキとミルの向こう側の、緑の生い茂った草地へと投げ飛ばされた。
ぽかんと口を開けた2人がパールの飛んでいった草地に目を向けると、パールは高い草の間から顔を出していつものセリフを吐く。
「なんだってんだよー!? 師匠は格好よく決まってたのに!」
「パール、伏せろッ!!」
どちらともつかない方向からダイヤの声が聞こえるのと同時に、パールの頭上で大きなハサミが閉じられるような音がした。
見上げると、目の前に大きな口が。
死ぬ思いをして口から逃げ回ったパールは、ダイヤにふさがれた口からよだれをタラタラと流しているポケモンに目を向け、眉を寄せた。
「ダイヤ、なんなんだよ、そいつ!?」
「悪かった。 捕まえたばかりで、なかなか言う事を聞かなくてな……
このポケモンはフカマル、ニックネームは『ナイト』。 まだ子供だがドラゴンタイプのポケモンだ。」
「別行動するときに探してくるって言ってたポケモン?」
「ええー! 『まよいのどうくつ』のドラゴン、わたしも捕まえたかったですー!」
カヅキとミルがそれぞれ口を出し、パールは改めてフカマルというポケモンに視線を向ける。
円すい型でギザギザの牙が生えたその体は、ドラゴンというよりは、小さなミサイルみたいだ。
群青色をしたそのポケモンをじっと見ていると、不意におなかがぐぅと鳴った。 慌てて自分の腹を押さえるが、先ほど洞窟の中でおやつを食べたばかりのパールのおなかは充分に満たされている。
じゃあ……と、顔を上げた瞬間、パールは殺気を感じた。
慌てて飛び出すキングに、モンスターボールを構えるダイヤ。
とっさに体を引いたパールの足元で、キングに押さえつけられた『ナイト』が獲物を狙う目つきで見つめている。
「戻れ、ナイトッ!」
ダイヤの指示でフカマルがボールに戻り、上からのしかかるようにしていたキングが土の上に落っこちた。
「これは……時間がかかるな。」
肩を落とすように深く息を吐いたダイヤはナイトを閉じ込めたボールをホルダーへとしまった。
一瞬前まで頬を紅潮させていたミルも、さすがに眉を潜めている。
「あの、洞窟のポケモンさん、みんな、そんな感じでしたか?」
ダイヤの返答もため息まじり。
「飛び掛ってきたのはこいつだけだが……大体、似たような感じだったな。」
「う……、ミル……洞窟のポケモンさんと仲良くする自信ないです……」
「まあまあ、僕たちにはたくさんの時間があるんだから、これから少しずつ仲良くなっていけばいいんだよ。
それよりも、クロガネシティに急ごう。 ミルちゃんのお母さん心配してるよ。」
スタイラーと呼ばれるポケモンレンジャー専用の機械を振り回しながら、カヅキが高い木々が続く森の向こうを指差した。
今は姿かたちこそ見えないが、目指すクロガネシティはもうそれほど遠くはない。
「可愛かったねー。」
クロガネシティで待つ母親のもとにミルを送り届けたあと、ダイヤたちは先に街へと戻っていたヒョウタの好意で、彼おすすめという鉱山脇の食堂で昼食をとっていた。
そこの名物メニューだという石焼ビビンバをスプーンの背で丼に押し付けながら、ダイヤは少しいたずらっぽい目でカヅキを見た。
「女の子が?」
「んー、彼女と一緒にいたユンゲラー。
やっぱり彼女、フーディンまで進化させるつもりかなぁ。 まだケーシィから進化したばっかりっていう感じだったけど……」
ストーンアイスに乗せられた石焼き芋をほおばりながら、カヅキは遠い目をした。
黙々とおこげを削るダイヤとパールに「あっ」と声をあげる。
「もしかして2人とも俺のこと変な趣味だと思ってない!?
違うって! オレ普通に人間の女の子が好きだし! ロリコンでもないし!
つーか、ちゃんと彼女いるから!!」
カヅキが一気に言うと、ダイヤが口元を緩め、パールのオレンジ色の瞳が輝いた。
「マジで!? 美人? 年上? 年下?」
「……言わないッ! 内緒、秘密秘密! ジュンに言ったらシンオウ中に言いふらされるだろ!!」
デザート代わりの石焼き芋をほおばったままパールから顔を背けたカヅキは、ふと表情を変え、ダイヤによく似た黒い瞳を瞬かせる。
壁の方を向いたまま光を放つスタイラーの画面をじっと見つめると、真面目な表情でダイヤの方へと向き直った。
「……っと、ゴメン。 仕事だ、テンガン山を越えたいからガイドしてくれって。」
「えー、また仕事? そんなん地元のガイド雇えばいいじゃんかよー!」
「それが、1か月前に起きたがけ崩れの復旧作業で近くのレンジャーはみんな出払ってるみたいなんだ。」
「……あぁ、それで。」
ダイヤがつぶやいた。 別の地方のレンジャーであるはずのカヅキに、ミル捜索の依頼が来た理由がずっと引っかかっていたが。
ダイヤはバッグから取り出した地図を眺め指先でいくつか操作すると、カヅキの方へと顔を向ける。
「カヅキ。 そのガイド、俺たちも着いていっていいか?」
「ガイドの邪魔しなければ構わないけど……2人はクロガネのジムに挑戦するんじゃ?」
「師匠! オレたちクロガネジムはとっくにクリアーしてるんだぜ!」
「地元のレンジャーが出払っている原因となったがけ崩れが起きたのが、俺たちが最初にクロガネシティに着いた当日でね。
元々、テンガン山を越えた先にあるヨスガシティに行く予定だったんだ。
依頼が来たということは、テンガン山の洞窟は通じているのだろう?」
一瞬、意外そうな顔をしてから、カヅキは微笑んだ。
「……そっか。 じゃあ、早く食べちゃおう。 1時間後にテンガン山のふもとで待ち合わせだから。」
急いで食事を済ませると、3人はぬかるんだ山道を縫うように歩きながらシンオウの中心にそびえたつ連峰、テンガン山のふもとまでやってきた。
季節はずれの霧に険しい顔をして周囲を見渡していたカヅキが、山の入り口に腰を下ろし、本を読んでいる男の姿を見つけ眉を上げる。
「あ、いたいた! おーい!」
本を閉じ、顔を上げた男にカヅキが駆け寄る。
「アカギさんですね? クロガネシティから依頼を受けて来ました、ポケモンレンジャーのカヅキです。
フィオレ地方のポケモンレンジャーですが、シンオウ出身でこの辺りの地形は把握しているのでご安心下さい!」
「あぁ、ガイドの……悪かったね、急に呼び出して。 天気が崩れてきたようだけど、大丈夫かな?」
「洞穴を抜けていくんですよね、だったら大丈夫だと思います。」
低い声でそうか、と、返すと、アカギという人はカヅキの後ろにくっついていたパールとダイヤに目を向けた。
「……彼らは?」
「ポケモントレーナーの弟と、その友人です。 山向こうのヨスガシティまで同行したいと。 よろしいですか?」
「構わないよ、無理な頼みをしたのは私の方だからね。
じゃあ、出発しようか。」
一同が歩き出すと1番後ろを歩いていたダイヤはパールを追い越し、振り返った。
彼にしては珍しく、パールはぼんやりと白い霧を、もしくはその奥に視線を向け、足を止めている。
ダイヤはパールの腕を軽く引き、迷子になるぞ、と、いつもの調子で声をかける。
パールがうなずき、洞穴へ駆け込んでいく。
ダイヤはパールが見つめていた場所へと視線を向けてみたが、何も見つからなかった。
テンガン山の中は思いのほか整備されており、クロガネとヨスガを結ぶ道には明かりがつき、人が通れる程度の足場が整備されていた。
そんな場所でもポケモンは生息していて、時折灰色をしたポケモンの影が右や左、ときに上や、足元を息を潜めるように通り過ぎていく。
山の中を流れる川を挟んだ対岸に小さなピンク色のポケモンが現れて、パールは目を見開いた。
「ダイヤ! 何かいるぞ!」
「あぁ、ピィだな。 ノーマルタイプのポケモンだが月の光を好んで山に生息しているんだ。」
星の形にも似たピンク色のポケモンはパールたちのことに気付くと、小さく飛び上がって逃げていった。
どう考えても辿り着ける距離地形ではなかったが残念そうにパールがため息をつくと、小さな吐息に混じって低い声音が洞穴の空気を揺らす。
「詳しいんだね。 まだ若いのに。」
落ち着いたトーンのアカギの声にダイヤに視線を向けると、視界の端でなぜかパールが自分のことのようにふんぞり返る。
「ダイヤはすっげーエライなんとか博士の助手なんだぜ!」
「ナナカマド博士だ。 パール、自分がポケモンをもらった相手くらい覚えろ!」
「ナナカマド博士の……?」
アカギは薄い眉を上げると、睨み合っているダイヤとパールを見比べる。
「では、君たちも博士から図鑑を受け取って旅を?」
その言葉にダイヤとカヅキが同時に顔を上げた。
「君たち……『も』?」
指揮棒のようなスタイラーの先端をくるくると回しながら、カヅキがダイヤが感じた疑問を口にする。
白い頬ではにかみながら、アカギは昔の話だが、と前置きしてから話しだした。
「私も、ナナカマド博士からポケモン図鑑を完成させるよう頼まれたことがあってね。
まあ、君たちと違って私は図鑑を完成させることも出来ず、自分の研究のためなどと言いながらこうしてフラフラしているわけだが。」
「じゃあ、おっさんもポケモントレーナーなのか?」
「強くはないけどね。 ポケモンたちは旅先で何かと私のことを助けてくれているよ。」
話を聞きながら後ろ向きに歩いていたパールにカヅキが「あっ」と声をあげ、直後にパールは何か硬いものに背中からぶつかった。
「遅かった……」
「なんだってんだよー?」
振り返ると、生きているのかもよく分からない丸い鉄板のようなポケモンが、パールにぶつかられた衝撃で宙に浮いたままくるくると回っている。
パールがポケモン図鑑を取り出すと、画面には『ドーミラー』という名前が表示される。
だが、ロズレイドのときのように表示されるのは名前だけで、高さ重さ、詳細などは空欄のままだ。
「ダイヤ。 この図鑑壊れてるぞ?」
「壊れているんじゃなくて、データがないんだ。
他の地方にもいるポケモンはその地方にいる博士からもらったデータがあるんだが、シンオウでしか見つかっていないポケモンはどうしても情報が足りなくてな。
その不足したデータを集めるため、ナナカマド博士は……」
言いかけて、ダイヤはハッとアカギの方に目を向けた。
アカギは顔を硬く緩ませるとダイヤと同じように首をすくめ、短い髪を揺らしてみせる。
「すまないね、私たちが至らないせいで。」
「いや! アカギ……アカギさんのせいではないんです!」
「そうそう、図鑑作りが中止になったのだって、当時のメンバーの1人が行方不明になったからだって聞いてますよ。
それよりもダイヤ、いいの? ドーミラー捕まえなくて。」
「あっ……!」
ふわふわと遠ざかっていくドーミラーをカヅキがスタイラーで指すと、ダイヤは小さく声を上げてモンスターボールからキングを呼び出した。
相手のタイプも分からないが、こんな山の中にいるのだ、『じめん』か『いわ』か『はがね』のどれかだろう。
『いわくだき』の指示を出そうと指先を持ち上げた瞬間、足元に飛んできた水が跳ねてキングは悲鳴をあげる。
水が飛んできた方向に顔を向けたダイヤとパールは同時に目を見開いた。
「ギンガ団!?」
銀色の服に『G』のマーク。 幾度となく見たその服装にパールが思わず声をあげる。
ギンガ団の男は舌打ちすると、隠れていた物陰から姿を現した。
「まったく、子供がギャーギャーと騒がしい……
このテンガン山は我らがボスがお通りになるのだ! ジャマをするものは出て行ってもらおうか!」
やけに仰々しい口調と仕草で、ギンガ団の男はこめかみの辺りを1本指で持ち上げた。
「すみません。 僕ら、ヨスガシティに向けてこの山を通りたいだけなんです。
そちらのジャマするつもりはありませんから、通してもらえませんか?」
貼り付けた笑みでカヅキがギンガ団の男に要求する。
ギンガ団の男はまたこめかみの辺りをつまむような仕草をとると、鼻を鳴らしてダイヤとパールが言い争っているときよりもはるかに大きな高笑いをあげた。
「ダーメだダメだ! お前らポケモントレーナーだろう!
このテンガン山のポケモンは全てギンガ団のものなのだ! ポケモンと戦ったり捕まえたりするお前らを山に入れることは出来ん!
まあ、お前らのポケモンを全て差し出すというなら、考えなくもないがな! わーっはっはっは!!」
高笑いを岩壁に反響させるギンガ団に、ダイヤが無音のため息を吐く。
「……目的のはっきりしない奴だな。」
「
組織的目標と
個人的目標がごっちゃになってんじゃない?」
半笑いするカヅキにうなずき、ダイヤは顔を上げる。
「じゃあ、ヨスガシティには向かう、ポケモンも渡さない。
交渉は決裂だが、どうする?」
「ふん! ギンガ団の崇高な思想に逆らうやつは……こうしてくれる!」
ギンガ団が大きく開かれた手を突き出すと、突然飛び出した岩のような茶色い物体がダイヤたちの方へと転がってくる。
カヅキの眉が潜み、ダイヤとパールが身を固くし、キングが小さく息を呑んだが、転がってきた物体はキングの目の前で止まるとのそのそと不器用な動きで折りたたんでいた体を開いた。
威嚇……というよりは「いないいないばあ」のような動きで大きく体を開くと、そのポケモンはどこを見ているのか分からない顔で鼻をひくひくと動かす。
「ぽこぽこぺー!」
「ッ……ギャハハハッ! なんだよ、そのポケモン!?」
ダイヤにわき腹を突かれてもパールの笑いは止まらなかった。
ポケモン図鑑には『ビーダル』という名前が表示される。 シンオウ全域に生息する『ビッパ』というポケモンの進化形だ。
確かにあまり恐怖や興奮を覚える姿形ではない。 茶色いスポンジに手足と尻尾、ついでに顔がくっついたような、どちらかといえば通好みの見た目である。
それでも。 ギンガ団のポケモンだったとしても、人のポケモンの笑うのは良くないだろうとダイヤがもう1度パールの脇腹を突こうと腕に力を込めたとき、ビーダルのうちわのような尾が細かく震えているのを見てダイヤは短く息を吸い込んだ。
「キング、避けろ!」
ビクリと身を震わせてキングがその場から飛び退くと、それまで立っていた場所に大きな水柱が立った。
目を丸くしているパールの頭に飛び乗ると、キングはお尻の炎を燃え上がらせパールの頭を蹴って飛び上がる。
「『ひのこ』!」
パールはすぐ近くで弾けた光に思わず目をつぶる。
直後、額を押されたような感覚に顔を上げると、ギンガ団に向かい合っていたはずのカヅキがパールを抱え込むようにして立っていた。
荒く詰まった息と服から落ちる水滴に、何が起きたのか理解する。
口をパクパクさせるパールの肩を押さえ顔の青いダイヤの方へ振り返ると、カヅキはスタイラーの先をギンガ団へと向けた。
「かく乱してくれ、ズバット!」
スタイラーから青い光が放たれるのと同時に、黒い影が洞窟の低い天井を覆いつくす。
それと同時にダイヤがビーダルへと腕を振り、キングが拳を掲げて飛び出して、カヅキの身体がパールの上に覆いかぶさった。
「キング!!」
ダイヤの声と同時に振り抜かれたキングの腕が、洞窟を隔てる小川までビーダルを吹き飛ばした。
「師匠、師匠ッ!」
揺さぶって起こそうとするパールを引き止めると、ダイヤは乱暴にズバットを振り払っているギンガ団を睨みつけた。
カヅキは恐らく脳しんとうだ。 ビーダルにそうしたようにギンガ団を突き飛ばしてでも先に進んでしまいたいが、あいにく先は一本道な上にダイヤたちはカヅキほど、この辺りの地理に詳しくない。
自分よりも大きな体に押しつぶされ、すがるような視線を向けてくるパールを横目で見たとき、靴で砂をこする音が聞こえ、ダイヤは振り向いた。
アカギ。 暗い瞳でギンガ団を見上げる相手の名を声に出さずつぶやくと、ダイヤの視線の先にいる彼は厳しい顔で眉間を押さえてから切り出した。
「詰まるところ、キミは『仲間から認められたい』『より多くのポケモンを支配したい』という欲望に駆られ、我々に戦いを挑んできたというわけか。」
「……あ? なんだ、お前?」
ギンガ団はダイヤたちよりも前に出てきたアカギに目を向けると、目を細めて眉間にシワを寄せる。
アカギは汚いものをみるような目でギンガ団を見ていた。
吐き捨てるような口調に相手が逆上するのではないかと肝を冷やすダイヤをよそに、彼は小さな山の上からダイヤたちを見下ろすギンガ団に向かって言葉を続ける。
「このシンオウ始まりの場所といわれるテンガン山において、欲望などと言う醜い感情に任せて争う……
実に愚かしい……無意味な行為だとは、思わないか?」
「はっ、だからいいんだろうが!
サターン直属のレア様に任せられたミッションを出し抜けば、俺みたいな数字だけの星にも出世のチャンスが巡ってくるってもんさ!」
「……アカギさん。」
「あぁ、わかっているよ。」
ダイヤが小声で話しかけるとアカギはうなずいた。
川から這い上がったビーダルがダイヤたちのことを見ている。
キングに目配せし、なぜか向かってこないビーダルにダイヤが視線を上げると、一文字になるほど目を細めたギンガ団はその視線の交わる場所に指を突きつけた。
「ころがれ、ビーダル!!」
「ぽこぺー!」
両腕を大きく上げてからゴロゴロと転がり始めたビーダルを見て、パールが固まった肩を緩める。
「ンだよ、何すんのかと思ったらただの『でんぐり返し』じゃねーか。」
「触るなパールッ!!」
動きを止めた直後、転がったビーダルが弾き飛ばした小石がパールの頬をかすめた。
飛び上がったキングが真っ赤な炎を吹きかけるが、炎に包まれたビーダルは全く勢いを衰えさせることもなく子供の背ほどの大きさの岩にぶつかってパールたちの方へと向かってくる。
「ダイヤ!」
「パール、カヅキを! キング、なんとかビーダルの軌道をそらしてくれ!」
キィッと高い鳴き声をあげ、小さなポケモンは迫ってくる茶色い塊に炎を吹きかける。
横を見る余裕もなく、パールはぐったりとしたカヅキに肩を貸し、その場から退けようと足に力を込めた。
だが、倍近い体重のある大きな体は子供の力ではびくともしない。
迫ってくるくぐもった音にパールが身を固くしたとき、不意に肩にのしかかっていた力が軽くなった。
理由を考える暇もなく、パールは背中から突き飛ばされた。 直後にビーダルが背後を通過し、先ほどとぶつかったのと同じくらいの岩を破壊する。
「カヅキ! パール!?」
ダイヤが振り返ると、泥だらけの顔で呆然としているパールと、息を切らせカヅキを抱えたアカギの姿が目に映った。
ひとまず2人の無事にホッとするが、いまだ転がっているビーダルは向きを変えて再びダイヤたちの方へと向かっている。
「『ころがる』か……」
直接見たのは初めてだが、知識としてその攻撃は知っている。
攻撃を当てるごとに勢いを増し、ときにトレーナーですら手の付けられなくなるほど強力な技。
実際、攻撃を止めようとしたキングはボロボロで『ひんし』寸前だ。 『もうか』の特性で炎の威力こそ上がるが、先ほどそうだったように回転の勢いにかき消されて攻撃を止めることは出来ないだろう。
わずかな時間をフルに使い思考を張り巡らせると、ダイヤはもう1つのモンスターボールを手に取った。
「ルーク!!」
飛び出したコリンクはにゃあ、と吠えると湿った土の上に爪を立てて全身の体毛を光らせた。
小さな爪痕を残しビーダルの進路上にいるパールを蹴り飛ばすと、洞窟中を照らすような光とともに電撃をビーダルへと飛ばす。
「いって…… おい、ダイヤ!?」
「動くなパール!!」
ダイヤが叫んだ直後、轟音を立てるビーダルがパールの横を通過した。
カメラのフラッシュのように光が瞬き、宙を舞ったルークの身体が音もなく地面に叩きつけられる。
一撃で動けなくなってしまったルークを見て、パールは腰の抜けかけていた体に火がついた。
ポケモンを出そうとしたのか、それともルークを助けようとしたのか、自分でもわからないまま動き出した体が後ろから強く引かれる。
直後、ダイヤの叫ぶような指示の声がパールの耳を突き刺す。
「『いわくだき』!」
ダイヤが叫んだのと同時にビーダルの進路上にあった岩が爆発した。
突然のことに進路を変えることが出来なかったビーダルはゴロゴロと直進したまま坂の下まで転がってゆく。
「ぽこぺー!?」
砕かれた岩の向こうへと転がってゆくビーダルを見てギンガ団は口をパクパクさせていた。
「どうだ、これでしばらくは戻って来れないぞ?」
「ガキが小細工を! ビーダル、戻ってこい! 今すぐにだ!」
「頼む、ワンリキー!」
白い棒が振られるのと同時に周囲の岩が一斉に動きだし、パールは肩を跳ねさせた。
よく見ると灰色をした小人のようなポケモンが小山ほどはあろうかという大岩を支えている。
軽やかにスタイラーが振られると、ポケモンたちは軽々と持ち上げたその岩を動かし、洞窟の出入り口を塞いでしまった。
自慢げに力こぶを見せつけるポケモンにスタイラーの先端で返事をすると、水に濡れた髪をかき上げながらカヅキはダイヤに横目を向ける。
「……これでいいのかな? よくわかんないんだけど。」
「師匠! 大丈夫なのか?」
「まだ少しくらくらするけどね。」
保護していたパールの肩から手を離すと、カヅキは『みずでっぽう』をぶつけられた後頭部に手をやり、やや力なくだが微笑んだ。
ダイヤは横目でカヅキとパールの無事を確認すると、ギンガ団を睨み、キングに目くばせする。
仲間を、家族を、傷つけられたキングのお尻の炎は赤々と燃え上っていた。
「あいつ、捕えましょう。 アカギさん、協力してください。」
「……あぁ。」
チラリとキングの炎を見てから、アカギは小声で答えた。
アカギとダイヤに睨まれたギンガ団は瞳の奥をぎらつかせると、握りこぶしを強く締める。
「……ふざけるな、ふざけるな、これは、俺の任務なんだ。
邪魔する方が悪いんだ、ボスに認められるべきは、この俺なんだ。
お前さえいなければ……!」
固めた握りこぶしを振りかざして飛びかかってきたギンガ団とダイヤの間にキングが飛んだ。
炎で反撃しようと大きく息を吸い込み、向かってくる拳に備えて交差させた腕を固くする。
だが、なかなか攻撃してこないギンガ団にキングが不思議に思って顔を上げると、ギンガ団は拳を振り上げた体勢のまま、なにかにぐるぐる巻きにされて動けなくなっていた。
目をパチパチさせているキングの前で、眉をひそめているダイヤとアカギの前で、口を半開きにさせているパールとカヅキの前で、ギンガ団の身体が宙に浮いた。
「そのまま離さないでいてくださいね、マスキッパ。 これ以上、その臭い口から言葉が漏れるのは不愉快だ。」
ふわふわと宙に浮きながらロープのようなものをギンガ団に巻き付けたポケモンにそう言うと、現れた『誰か』はダイヤたちの方へと向き直った。
服に刻まれた『G』の文字にパールが身を固くする。
『誰か』はそれまでギンガ団がいた高台からダイヤたちの顔を順繰りに見渡すと、小さく息を吐いて、その場所から降りてきた。
「……すみませんね、身内のとんだ恥をさらしてしまったようで。
わたくし、ギンガ団のレアと申します。 あぁ、そんなに警戒しないで、私はあなた方と戦うつもりはありませんよ。」
「そう言われて、やすやすと信用できるとでも?」
アカギに問われると、レアと名乗ったギンガ団は深くため息を吐いた。
「ですよねー……、言ってて自分でも白々しいと思います。
でも、実際そうなんですよ。 後ろのアレが名誉欲しさに暴走しまして、直属の上司のサターン様の命を受け、私が止めにきたんです。
……って、止め切れてないんだから私にも責任ありますよね。」
そう言うとレアは後ろで浮いている緑色のポケモンに人差し指を見せた。
ギンガ団を締め付けていたツルがきしみ、くぐもった悲鳴があがる。
「信じていただけるかどうかは別としまして、このバカはこちらできっちり制裁を与えておきますので、ひとまずこの場は収めていただけませんか?
もちろん傷ついたポケモンたちは回復させますし、なんだったら近くの町まで部下に送らせますよ。」
「……カヅキ。」
意見を求められたカヅキは一瞬慌てた様子で辺りを見渡すと、ダイヤの方をチラリと見てからレアに向き直った。
「ええと……こちらもテンガン山を調査してヨスガシティに行かれれば問題ないわけで……うん、その条件でいいと思います。
ただ、道中落ち着かないので部下の護衛っていうのはいりません。 それと、そちらも何かやることがあるのでしょうが、山に住んでいるポケモンたちを刺激しないことを約束してください。」
「もちろんですよ! このシンオウ始まりの地と言われるテンガン山で、そこに住んでいる神聖なポケモンたちを刺激するなんてこと! ボスがお許しになるはずがありません!」
「ねえ?」と、レアは後ろで白く泡を吹いているギンガ団に視線を向けた。
返事のないギンガ団に背を向けるとダイヤに回復薬の中身を確認させ、カヅキたち一行から距離をとる。
ダイヤが確認を終えると、レアはホッとしたような顔をしてカヅキたちに向かって深々と礼をした。
「では、わたくしは自分の任務がありますのでこれで……」
わずかな風の流れだけを残してギンガ団たちが消えると、カヅキの後ろにいたパールが彼のジャケットをつかんだ。
麦の穂のようなパールの髪をなでながら、カヅキは少し遠くにいるダイヤとアカギに視線を向ける。
「……ひとまず、みんな無事でなによりだよ。」
「お前が無事じゃないだろう。 ヨスガに着いたら病院に行くぞ。」
「そんな大げさな……」
苦笑いするカヅキに首をすくめると、アカギは自分の荷物から2〜3個のモンスターボールを取り出して背筋を伸ばした。
「すまなかったね。 私の唐突なわがままに付き合わせてしまったせいで、こんな災難に巻き込まれてしまって。」
「そんな! アカギさんのせいじゃないですって!」
慌てて手を振るカヅキに対し首を横に振ると、アカギは先ほどまでギンガ団が塞いでいた方角に人差し指を向ける。
「ここをまっすぐ進めば、ヨスガシティまですぐのはずだ。
私は、もう少しここに残ってフィールドワークを続ける。 キミたちは先に街に行って、キミたちの旅を続けるといい。」
「でも……!」
「心配はいらないよ。 私だってトレーナーの端くれだ。
クロガネシティのレンジャーベースにも、私の方から話をつけておく。 キミに迷惑はかけないつもりだよ。」
食い下がろうとしたカヅキは服の袖を引かれ、開きかけていた口をつぐんだ。
少し離れたところにいるダイヤとパールの顔を見比べて、乾いた唾を飲み込む。
「……わかりました。 リングタウンポケモンレンジャーカヅキ、現時刻をもってミッションを終了します。
アカギさん、道中お気を付けて。 何かありましたらポケモンレンジャーまでお知らせください。」
口元に微笑みを浮かべたままうなずくと、アカギは広げた手のひらをカヅキへと向ける。
「こちらこそありがとう。 キミたちとの時間は実に有意義なものだったよ。」
冷たい手と握手を交わすと、カヅキは氷のように固くなっているパールの手を引いてアカギに背を向けた。
何度も振り返りながら遠ざかる彼の姿が見えなくなると、アカギは小さく息を吐いて、自分の眉間に中指の腹を乗せた。
微笑みの浮かんでいた口元から表情が消える。
「アカギ様。」
気を付けていないと聞き逃しそうな声にアカギが横目を向けると、胸元に『G』のマークをつけたギンガ団が静かにたたずんでいた。
「S/2009S1は、ウラヌス。」
「えぇ……終わりましたよ、アカギ様。」
闇の似合う瞳でそう答えると、ウラヌスと呼ばれたギンガ団は小さく喉を鳴らしてアカギの言葉を待った。
アカギは答えなかった。 うなずくこともせず羽織っていた上着を脱ぐと、大きなバッグとともにそれを持ち上げ、山の奥へと向かっていく。
彼の胸元で銀色の『G』のマークが光る。
それを見ると、ウラヌスと呼ばれた男は静かに闇の中へと消えていった。
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