シンオウ第3の都市、ヨスガシティは近く訪れる祭りの準備で賑わっていた。
高く連なるマンションの窓はあちこちにアクアリウムを思わせる透明なシールが貼られ、通りを占める大小さまざまな店はお祭りに向けたセールと、それを狙った買い物客たちでごったがえしている。
その中心を通る大きな通りを、ダイヤとパールは口を半開きにしながら渡っていた。
「すっげーでかい街だなー!」
「ヨスガシティは平原を開拓して出来た、比較的新しい街だからね。」
ガイドブックを片手にカヅキが解説する。
「すっげーにぎやかなんだなー!」
「もうすぐこの街に新しいジムリーダーが就任するんだって。
市政10周年も兼ねて、大掛かりなお祭りが行われるらしいよ。」
「新しいジムリーダー?」
ダイヤが眉をひそめて聞き返す。
うん、と、うなずくと、カヅキは街の中心にある大きなドームの、ピカピカと光を放つ大きなスクリーンを指さした。
派手な化粧とドレスで全身を飾りたてた外国人らしき女性がスクリーンの中で一心不乱に踊っている。
「魅惑のソウルフルダンサー、メリッサ。 3か月前にこの街のジムリーダーに就任して、市長も兼任しているって。」
「あぁ、ハッカー市長の後任……」
カヅキの説明に、ダイヤが納得してパールが首を傾げた。
知らないのも無理はないか、と、ダイヤは熱を持ったマフラーを緩めながらパールに説明する。
「半年くらい前に、ヨスガの前市長がポケモンリーグに対してサイバー攻撃を行ったんだ。
本人は濡れ衣だと言っているが、結局それが原因で市長を退陣してな。 ハッカという名前なんだが、ついたあだ名がハッカー市長。」
「えー、大丈夫なのかよ、この街……?」
「さあな。 どちらにせよ、後任の市長とやらを倒してバッジを手に入れないと、シンオウのポケモンリーグには出られないだろう。」
そう答えるとダイヤはうっすらと口元に笑みを浮かべ、首元に手を当てて頭をかこうとした。
かこうとした、だ。
その指先が頭へと届く前にダイヤは固まっていた。
目を見開き、口元を震わせるとダイヤは後ろを向いて一目散に大通りを走り抜ける。
「おい、ダイヤ!?」
「ダイヤ!?」
車の行き交う大通りへ追いかけようとしたパールを、慌ててカヅキは腕をつかんで引き留めた。
クラクションのファンファーレを鳴らしながら、ダイヤは通りの向こうへと消えていく。
何度も名前を呼ぶパールの腕をつかんだまま、カヅキはダイヤをそうさせた原因を探して辺りに視線を配る。
だが、この人混みの中では、何もかもがそう見えてしまい、これといった原因を探すことができない。
諦めてダイヤを追いかけようかとカヅキが思考を切り替えかけたとき、広い肩を誰かがぽんぽんと叩いた。
振り返ったパールが「あっ」と声をあげる。 それは、カヅキも同じだった。
「カヅ君! 久しぶりね!」
「ママ!?」
カヅキよりもひとまわり小さい黒髪の女性は、口元に手を当てるとふふ、と、笑い声をあげた。
遠くのクラクションにちらりと目を向けると、その女性……アヤコはふんわりとした自分の髪の上に細い手を乗せる。
「ジュンちゃんも一緒なのね。
カヅ君、また背伸びた? ていうか、お仕事でフィオレ地方に行ってたんじゃ?」
「おばさん?」
「ママこそ、どうしてヨスガに? フタバタウンからはすごく離れてるじゃないか。」
カヅキの質問にパールはうんうんとうなずいた。
アヤコは一瞬きょとんと2人の顔を見比べてると、抱えていたボストンをさすりながら微笑む。
「うふふ、ヨスガの新しい市長さんからイベントに呼ばれていてね。
そうだ! せっかく会えたんだし、2人にも席を用意してもらえるよう、ママから市長さんに頼んでみましょうか!」
「席?」
話がつかめず眉をひそめるパールにいたずらっぽい視線を向けると、アヤコは街の奥にある大きなドームを指した。
大きなヨスガシティの中でもひときわ大きく目立つその建物には人が押し寄せ、その白いふくらみが浮き上がりそうなほどの熱気を放っている。
だが、カヅキが手にしているパンフレットの中では、その場所は空白のままだ。
木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中と、ダイヤはなるべく人のいる方へと逃げていたのだが、さすがにお祭り騒ぎの熱気には耐えきれず細い通路へと逃げ込むと膝に手を当てて一息ついた。
こめかみから伝った汗があごの方へと流れていく。 床へと落ちようとしていたそれを、ダイヤは手の甲で拭って苦々しく舌打ちした。
「……なんで、アヤコが。」
頭に手を当てて考えようとしたが答えが出るはずもなく、それよりもダイヤはこの状況をなんとかすることに専念することにした。
万が一にも見つかることは避けたいし、パールのこともある。
なんとか穏便に彼女からパールを引き離してこの街から離れる方法……そんなことを考えていると、ダイヤは見慣れた姿を建物の入り口に見つけ、顔の筋肉を硬直させた。
ダイヤの頬を再び冷や汗が伝った。 なるべく人混みにまぎれるよう1番人の集まっている場所を選んだのに。
それが裏目に出てしまったのか。
だが、この人の多さなら体の小さな自分が見つかることはないはず。
……はず。
3人はまっすぐにダイヤのいる方向へと向かってくる。
「なぜだ!?」
ダイヤは慌てて通路の奥へと逃げ込んだ。
あまりにも曲がり角のない通路に苛立ちを覚えながら、手近な扉をつかみ、どこともわからない部屋の中へと滑り込む。
心臓の音でばれるのではないかとビクビクしながら後ろ手で扉を閉めると、ダイヤは3人が通り過ぎるのを祈った。
足音が、近づいてくる。
「……へぇ、ポケモンってそんなことも出来んすか!」
「ずうっと南のホウエン地方じゃ一般的なんだけどね。」
「噂だけど、ママはコンテスト荒らしって言われるくらいすごいコーディネーターだったらしいよ。」
「もうやだカヅ君! そんな昔の話!!」
「……ポケモン、コンテスト。」
聞き覚えのあるフレーズを小さく口にしながら、ダイヤは自分のいる部屋に目を向けた。
転んでもケガをしないよう床には柔らかそうな絨毯が敷き詰められ、壁一面には大きな鏡が張られている。
おかげで、この部屋全体の大きさを確認することは出来なかった。 おそらくここはコンテストに来たトレーナーやポケモンたちに用意された、いわば楽屋のような場所なのだろう。
と、同時にダイヤの全身を悪寒が襲った。
アヤコは来る。 間違いなくこの部屋に。
慌てて部屋の奥へと逃げ込むが、隠れる場所はおろか、飾り気のない部屋にはカーテンの1枚すら見つからない。
「どうする……」
近づいてくる足音に後ずさりしながら、ダイヤは大きな鏡に手を突く。
そこに大きな意味はなかった。
だが、引きずり込まれるような感触にダイヤは自分がなにか大きな間違いをしでかしてしまったのだと感じる。
天地が逆さまになり、自分とそれ以外の境界が曖昧になっていく。
必死に自分を保とうとしていたダイヤはやがて誰かに突き飛ばされ、鏡の中から追い出された。
一瞬前と変わらない、大きな鏡のある絨毯敷きの部屋。
だがそこは、ダイヤが知っている世界ではなかった。
「……それにしても、ダイヤのやつどこ行ったんだろうな?」
カヅキの半歩後ろを歩きながら、パールは切れかけた蛍光管に視線を向け首を傾げた。
振り向いたカヅキの腕が顔に当たりそうになり、パールはオレンジ色の目を見開かせる。
「っと、ごめん。 ダイヤだったら……おなかが空いたら戻ってくるんじゃないかな?
きっとポケモンセンターに戻れば会えるよ。」
「あら、ジュンちゃん。 新しいお友達が出来たの?」
「何言ってんすか、おばさん?」
質問を返そうとして、一瞬経ってからパールはひとりで納得した。
恐らく『コウキ』が『ダイヤ』というトレーナーネームで旅をしていることを彼女は知らないのだろう。
そりゃあ、全く別の名前で呼び合っていたら気づかないのも当然だ。 訂正しようとパールがアヤコへと目を向けたとき、彼女がノブをつかんで半開きになっている扉の向こうに見慣れた黒いシャツを見つけ、パールは「あっ」と声をあげた。
「ダイヤ!」
とっさにそちらの名前が口から出る。 半年の習慣は簡単には変わらない。
元に戻らない言葉を惜しむように口をつぐみながらパールがダイヤへと駆け寄ると、手を振れるには少し遠い位置でパールは立ち止った。
アヤコが扉を開けたということは、ここはコンテストホールの控室かなにかなのだろう。
壁一面に張られた大きな鏡に、毛の短い絨毯が敷き詰められた部屋。
その真ん中であお向けに寝転がっているのはダイヤ……のはずだ。 必要最低限の物しか入っていないぺったんこのバッグも、いつも首に巻いている真っ赤なマフラーも彼のものだ。
パールは顔を凝視した。
「……う、ん。」
小さなうめき声をあげてその人物が起き上がると、長い髪が顔を覆い隠す。
隙間から覗く顔はダイヤのものだ。 まっすぐな鼻筋も、漆黒に近い瞳の色も。
長い髪を額から払い、ダイヤが顔を上げる。
それは、ダイヤのようで、ダイヤではなかった。 ダイヤと同じ顔をした、髪の長い……女の子。
視線が交わるとパールの心臓は止まった。 怪訝な瞳は揺らぎながらパールの鼻先辺りを突き刺してくる。
不意に、黒い眉が潜んだ。
「ちょっと、ジュンちゃん! なに、まじまじ……と……」
聞き慣れたそれよりも1オクターブは高い声は、言葉の途中で失速すると、ダレカを壁一面にある鏡の方へと向かせる。
その人物は鏡を見ていた。 鏡の中の、自分の姿を見つめていた。
やがて、視線は自分の身体へと移り、足元を、胸のあたりを、自分の指先を目の動きで確認すると、震えたような喉から甲高い声をあげる。
「……きゃあああぁっ!!? なに、なんなの、この格好!?」
「ヒカリちゃん!?」
パールを押しのけるようにして部屋へと踏み込んだアヤコに、ダイヤの姿をしたダレカはしがみついた。
「ママ!」
「『ママ』?」
理解出来ない単語をパールはペラップのように繰り返す。
いや、だって。
ダイヤの家は、カヅキとダイヤの2人兄弟だったはず。 それは隣の家に住んでいるパールがよく知っている。 はず。
パールの中で耳鳴りがした。 足元がガラガラと崩れていくような違和感。
『俺の家はマサゴタウンだ!』
あのとき、確かにダイヤはそう言った。 だけど確かにダイヤは、隣の家に住んでいたはずだ。
パールは、アヤコにすがりつくようにして泣いている少女に視線を向けると、普段の彼からは考えられないほど力の抜けた声で彼女へと尋ねる。
「……誰だ、おまえ?」
そう言った直後、パールは気を失った。
「ナカナイデ、ナカナイデー……?」
「だいじょーぶ、もう泣いてないよ。」
「マーナーフィ?」
シャボン玉の割れるような、今にも消え入りそうな声に耳を揺さぶられ、パールは意識を取り戻す。
うっすらと目を開けると、鏡に映ったパールがごろんと横になったまま、情けない顔でパールのことを見つめていた。
視線をずらすと、首の後ろのあたりにパールと同じ年頃の誰かがちょこんと座っている。
ぶつからないよう慎重に体を起こすと、誰かもパールに気づいたようで小さなポケモンを抱えたまま、腰の位置を少しずらした。
「あ、ジュンちゃん、起きた?」
誰かは、ダレカだった。 見たこともないポケモンを抱いて、いつ着替えたのかフリルだらけのドレスに身を包み、ひざを床につけた体勢でパールのことを見つめている。
その顔立ちはやっぱりダイヤで、拒否しそうになる頭をパールは必至にさすって抑えた。
目の前にいるのはどう考えても女の子だ。 体形が変化していないことを考えると、ダイヤが女の子だったと考える方が自然だ。
「なんだってんだよ……」
「そんなの、こっちが聞きたいんですけど。 なんでジュンちゃんが気絶すんの?
ワケわかんないことばっかで、あたし泣きそう。」
「いや、泣いてただろうが。 思いっきり。」
半ばあきれた気持ちもあってパールは体勢を崩した。
ダイヤの顔をした女の子はパールが見たことのない青いポケモンを抱きながら、不機嫌そうな顔をしてパールのことを睨んでいる。
「んで、誰なんだよ、おまえ?」
「何言ってんのジュンちゃん?
あたしプラチナよ。 忘れちゃったの?」
「プラチナ?」
「あ! もしかしてドレス姿のあたしが可愛すぎて見違えちゃったとか?
でも、それならそれで、気の利いた言葉のひとつもかけないとしまらないでしょ。
ほんっとジュンちゃんってば気が利かない!」
「ジュンチャ、ジュンチャー!」
ラムネゼリーのような、水色で半透明なポケモンがキャッキャとはしゃぎながら彼女の言葉を復唱する。
正直、話の展開が一方的すぎてパールにはついていけなかった。
彼女に聞きたいことと、彼女の喋った情報を整理して質問をまとめようとしたとき、やや乱暴に扉が開かれ、師匠……ダイヤの兄、カヅキが息を切らせてまくしたてた。
「コンテスト始まるよ!」
「ウソ、急がなきゃ!」
当たり前のように女の子に腕を引かれ、パールは人でごった返すヨスガのコンテストホールへと引きずり込まれた。
てっきり出場するのかと思っていたが、彼女はうすっぺらい紙切れをスタッフに見せると観客席の一角に足を運び、ついてきたカヅキと一緒にパイプ椅子に腰を下ろす。
壇上では、背の低い腰の曲がった老人が何か話しているところだった。
「……シンオウはポケモントレーナーはじまりの地とも言われています。
過去にあった悲劇を乗りこえ、今日のコンテストが開催出来ますことを、わたくしは心より嬉しく思います。」
「理事長、ありがとうございまシタ! ソレデハ、お待たせシマシター!
ただいまヨリ、ポケモンコンテストプレ大会を始めマス!
1stチャレンジは、ヨスガシティの市長でもある魅惑のソウルフルダンサー、メリッサ!!」
司会の女性の言葉が切れた瞬間、会場の中に小さな悲鳴があがった。
青い炎がドーム状のホールを囲うように浮かび上がり、まるでヒトダマのように縦横無尽に動き回っている。
「『おにび』だ。 でも、こんなにたくさん……!」
周囲を飛ぶヒトダマにカヅキが叫ぶと、女の子がハッと気づいたように顔を上げた。
つられてパールも顔を上げたが、何がいるのか、何が起きているのか理解出来ず、ただオロオロと視線をさまよわせる。
女の子がパールの袖口を強く掴んだ瞬間、真っ黒な風が吹き下ろしてきてコンテストホールの中を数式と記号の集合体へと作り変えた。
「Genius!!」
宙に浮かぶ記号が輝いた瞬間、会場に大きな爆発の音が響いた。
混乱する観客たちにニッコリとほほ笑むと、メリッサは上からふわふわと落ちてきた紫色の気球のようなポケモンを手袋にとまらせ、ゆっくりと長いスカートのすそを持ち上げる。
「芸術は爆発デース。」
ウインクしながら彼女がそう言うと、会場内に笑いが起きた。
メリッサは観客たちに向かって手を振っていたが、ふと前髪が揺れるとくっきりとした目を瞬かせ、その場から飛びのく。
直後に爆音と、ステージを破壊するほどの衝撃。
ポケモンが落ちてきたのだ。 ステージの真ん中には銀色に輝く、巨大なヘビか竜のようなポケモンがゴロゴロとうなるような音を鳴らしてそびえ立っている。
「す、すみません! あ、あの、2番手のミカンです。
一生懸命演技しますので、お手柔らかにお願いします!」
10メートルはあろうかという大きなポケモンの上から華奢な女の子がひょっこりと顔を覗かせると、見上げていた観客たちの口が一斉にぽかんと開く。
ガラガラと音を立てて巨大な頭が下ろされると、その上から降りてきた女の子はきゅっと唇を結んで人差し指を天に掲げる。
途端、うなるような地響きにパールたちは目を見開いた。
床を突き出して現れた槍のような大岩が巨大なポケモンを中心にミステリーサークルを作る。
その演技は、おどおどとした女の子の印象とは真逆だった。
ビルのような巨体が舞い上がったかと思えば、叩きつけた地面と巨体が弾けて火花を散らし、その重低音から奏でられるリズムは観客たちの心臓をも揺さぶる。
嵐のような一瞬が過ぎ、壇上に立った女の子が一礼しても誰一人としてそれに気づかなかった。
ただただ圧倒されて無言になる観客たちの前に、この場所には少し場違いとも思える簡素なドレスを着た女性が現れる。
パールの周りであっと声にならない声があがる。 アヤコだ。
前の2人と違い、アヤコの演技開始は静かなものだった。
視線を交わしたガルーラの拳から、可愛らしいヒヨコがクルクルと回っている。
散々おどかされてきたパールが拍子抜けするのとほぼ同時に、カヅキの隣に座っていた女の子がヒュッと息を呑んだ。
「ガルちゃん!」
アヤコの合図に合わせ、軽快なリズムで音楽が響きだす。 それに合わせ、ガルーラも踊り出していた。
ホールの中を手拍子がこだまする。
「え、え? おばさんの演技ってあれだけ? ただ踊ってるだけじゃ……」
「違うよ。」
カヅキが遮る。
「あれは、そうと気付かせないくらい自然に4つの技を使い分けているんだ。
確かにやっていること自体はシンプルで、地味に感じるかもしれない。 だけど、並大抵の努力じゃアレは出来ない。
あの演技は……」
ひときわ大きな歓声があがる。 その瞬間、パールも引き寄せられるようにステージを見ていた。
「ポケモンの魅力を最大限に引き出す演技なんだ。」
アヤコの演技が終わった後も、会場は穏やかな余韻に包まれていた。
心地よいざわめきにカヅキの胸越しに見える女の子の顔が、さきほどより幾分か明るくなる。
その横顔をパールが見ていると、長い睫毛が上下し、女の子の顔がパールの方へと向いた。
慌てて顔をそらすと彼女はパールを気にすることもなくカヅキの方へと視線を移し、長い髪を揺らすように小首を傾げる。
「……おかしいね?」
「うん、もう1人出てくるはずなんだけど……」
カヅキは女の子と同じ角度に首を傾げて腕を組んだ。
それと同じタイミングでステージから数人の女性が下りてきて、女の子に何か耳打ちする。
「……なんだ?」
引きずられるようにステージの上へと連れていかれる女の子を見て、パールの頭の上にハテナが浮かぶ。
あれよあれよという間に舞台が整えられ、緊張で顔をこわばらせた女の子が大衆の前に立たされた。
ステージの端に立った司会がマイクを握りしめ、興奮した早口言葉でまくしたてる。
「サプライズゲストデース! 今日はアヤコさんのお嬢様がこの会場に来てくれマシター!
このコンテストホールの完成を記念して、彼女からも、何か一言……」
唇まで真っ白になった女の子の表情に、パールはなにか嫌なものを感じていた。
司会の女性が、ニコニコしながら彼女にマイクを向ける。
『レディース・エンド・ジェントルメーン!!』
もぎとられたマイクから響く甲高い声に、会場のざわつきが一瞬で静まり返った。
パールが横目でカヅキの顔を見ると、不自然に唇が結ばれていた。
これはマズイパターンだ。 直観的に感じ取るが、当の本人があの大衆にさらされたステージの上では、フォローに回りようがない。
血液の回っていない手が高く掲げられる。
「キング!」
高い声呼ばれヒコザルのキングが飛びだすと、かろうじて笑みを保っていた女の子の顔から表情が消えた。
キングはキングで、いつもとはまるで違う主人の姿に戸惑って指ひとつ動かせずにいる。
泣きたいような、漆黒の瞳と視線が合う。
女の子は一瞬戸惑ったような視線を向けると、ドレスに結わえつけたポーチからポケモン図鑑を取り出した。
横目で画面を見ると、オロオロしているキングに細い指先を向け、人差し指で空を切る。
「‘キング’、『ひのこ』!」
「キッ?」と小さな声をあげ、キングは姿を変えた自分の主人へと視線を向けた。
会場ホールの高いところへと掲げられた指先を見ると、不思議そうな顔をしながら宙に『ひのこ』を打ち上げる。
「『かえんぐるま』!」
すぐに次の指示が飛んだ。 打ちあがった『ひのこ』も消えないうちに飛び上がったヒコザルは空中で小さな花火のように光り輝く。
「『ひのこ』! 『かえんぐるま』!」
続けざまに指示を出す。 パチパチと火花を散らせるキングは、まるで線香花火のようだ。
だが、指示が行き詰っているのは見ているパールにも感じられた。
当然だ。 キングはコンテスト用に育てられたポケモンではないし、そもそも彼女と会ったのだって今日が初めてのはずだ。
徐々に顔が強張ってくる様子にパールが拳を握りしめると、にわかに会場が大きくどよめいた。
強く抱きしめるように、泣きそうな女の子の両肩に長い爪の両手が置かれた。
女の子が振り向くと、薄いピンク色に塗られた唇がニッコリと微笑む。
「フィーネ、『ミラーコート』。」
透き通った声が響いた瞬間、小さな空間は知らない世界へと変貌を遂げていた。
澄んだ冷たい空気が浮かび上がった無数の鏡に増幅され、キラキラした光となって会場中へと降り注ぐ。
炎技の連続に息を切らせたキングは大きなポケモンに持ち上げられ、高い鳴き声をあげた。
顔を上げた女の子の瞳が輝く。 世界一美しいポケモンといわれるミロカロスだ。
「お待たせ!」
その女性が呼びかけると、歓声で会場がうなりを上げた。
シンプルなパンツスーツに長い茶髪。 一見どこにでもいるような出で立ちの彼女は、パールも……いや、少し長くトレーナーをやっているものなら誰でも知っている。
「お待たせしマシタ! 本日最後のゲストはホウエンからのチャレンジャー!
チャンピオンズリーグ4位の栄誉も持つ実力派コーディネーター! ミシロタウンのルビー!!」
はち切れんばかりの歓声に微笑みで応えると、女性は顔を上げてキングを乗せたままのミロカロスへと視線を合わせ、パチンと長いまつ毛でウインクを送った。
すると、歌うような鳴き声とともにミロカロスの周辺に赤い渦が巻き、真っ赤な炎が、まるで特大の花火のように大きなポケモンの周辺へと広がっていく。
「お嬢ちゃんのポケモンの『ひのこ』だよ。」
澄んだ声が、ステージに立っている女の子の耳元でささやかれる。
「素敵な時間をありがとね! でも、ここからはあたしの時間、この会場はあたしたちの空間だよ! フィーネ!」
女性が指示を出すと、競り上がるような殺気とともに一瞬にしてコンテストホールが水族館へと変貌した。
目を丸くする女の子の後ろで女性が指示を出し、彼女のポケモンが宙に浮かぶアクアチューブへと飛び込んでいく。
重力からも解放されたように優雅に宙を泳ぐミロカロスの姿は、観客たちをただただ圧倒させた。
氷のチューブを少し壊して作った透明な柱を伝って降りてくると、白くて長いヘビのようなポケモンは観客たちに向かって頭を下げ、ずっとそのツノにつかまらせていたヒコザルを主人のところへと戻らせる。
「このコンテストを彩ってくれた若いトレーナーに、拍手!」
女性の一声で割れんばかりの喝采を浴びながらステージから降りてくる女の子に、パールとカヅキは駆け寄った。
だが、彼女は1度は合った視線をそらすと、ふらふらとおぼつかない足取りで会場を後にする。
その後ろ姿を見ると、パールはカヅキから青いポケモンを奪い取って彼女の後を追いかけた。
控え室の中に倒れるように入ると、プラチナは扉を閉めることもせず入り口近くの絨毯に膝を突いて座り込む。
「フィー、ナカナイデー。」
青いポケモンはパールの腕から抜け出すと、ぺちゃりと音を立てて床の上に落ちた。
パールは鏡越しにダレカの姿をうかがう。
白い頬に涙が伝っているのを見ると、パールはぎくりとして、汗の浮いた手をズボンにこすりつけた。
「お、おい? なにも泣くことないだろ!?
しょーがねーじゃん、急にステージに立てっつわれて、しかもダイヤのポケモンで、あんな上手くいった方が奇跡だって!」
「……ダメ、だもん。」
つぶやいた言葉に、足元にいる青いポケモンが首を傾げる。
「あんなにすごい演技、できない。
ママみたいにすごいコーディネーターになるって、頑張ってきたけど……
あたしには……無理、なんだ……」
ダイヤの顔をした彼女にそう言われ、パールの中のなぐさめの言葉は浮かびかけては空回りしていた。
きっと、ダイヤだったら、こんな風に落ち込むことなんてなかったに違いない。
いや、それどころか今回みたいな無茶振りをされても手持ちの技を駆使してソツなくこなし、涼しい顔をして『トレーナーとして当然だ』とか、言っていたかもしれない。
パールはダイヤをなぐさめたことなんかない。
だけど、こいつはダイヤじゃない。
なぜかパールは、無性に腹が立ってきた。 うつむいている女の子の顔を手のひらで挟み込むと、無理やり顔を上げさせて自分の視線と相手の視線を合わせる。
「ダイヤはオレに、ポケモンリーグチャンピオンになるのは無理っつったぞ!」
突然目の前で怒鳴られ、驚いた女の子の涙が止まった。
自分でも何を言っているのかよくわからないまま、パールはプラチナの目を睨んで一気にまくしたてる。
「でもオレ、ぜってー諦めねえからな!
たとえ何回負けたって、いや、負けねーけど!何度だって挑んで絶対チャンピオンになってやる!!」
怒鳴られた女の子は、きょとん、という表現がよく似合う表情をしていた。
そこから視線を右にそらし、少し眉をひそめ考える仕草はダイヤと同じ。
だが、いたずらっぽく唇で笑い、少しうつむきがちに笑うその顔は、間違いなく女の子の表情だ。
「……あなた、ジュンちゃんじゃないでしょ。」
なんだよそれ、と、言い返そうとしたパールの目の前に、細い手首が差し出される。
「あたし、プラチナ。」
口元に笑みを浮かべる彼女を見て、パールは意味を理解した。
手を握り返すとひんやりと冷たく、折れそうなくらい細い。
「オレはパール!」
手の甲に当たる細い指先の感覚に、パールの心臓が音をひとつ鳴らす。
パールはその音に驚いて自分の胸に手を当てた直後、
すぐに忘れて昼ご飯の話をし始めた。
続きを読む
目次に戻る